「教育」とは
「教育」とは、"ひと"と"ひと"とのぶつかり合い。
ありのままの私が、ありのままのひとつの命をまっすぐ伸ばし、花を咲かせるように援助すること。
支柱を立てて、見事な型を作ってあげたとしても、根っこを張り、重力に逆らって天を目指すのは≪本人≫だと思い知ること。
"ひと"を育てるとは、日々大きくなっていく子供を目の当たりにして、自分も成長すること。
"ひと"を「教育」するとは、どうしようもない自分と、自分とは違う他者を許すこと。何かを「教える」なんていうような、カッコイイもんじゃない。品行方正でご立派でいることが「教育者」の定義じゃありません。
もちろんお母さんは、毎日子どもが嫌なことを言ったり、言うことを聞かなかったりすれば腹が立ちますよね。それは怒っていいと思います。子どもは、お母さんとは理不尽に怒るものだと思うかもしれないけど、それで理不尽なものに対する認識ができるんです。全部ケアされて行き届いていたら、その子は人間を覚えることができません。だからお母さんは、自分の願いが切実で本音だったら、それが社会的にいかに奇妙でもかまわないと僕は思うんです。それ以外の生き方はできないんですから。
山田太一インタビュー/季刊「未来」1998年秋号より