比較認知科学的な視点から(サルとの比較)。

(2002.3.19〜20)


参考図書:『自己の起源−比較認知科学からのアプローチ』(板倉昭二著/金子書房)

ここでは、サルに『心の理論』があるかどうかを検証することで、自閉症児者の『心の理論』問題を解明しようというのではありません。ここでこの本を取り上げるのは、「そもそも『心の理論』とは何か?」を分かりやすくするためです。

どうやら、『心の理論』という言葉は、1978年にプレマックとウッドラフという人が書いた「チンパンジーは心の理論を持つか?」という論文で始めて使われたもので、その内容は、「チンパンジーは、人の欲求を理解することができるかどうか?」を調べるための実験の報告でした。論文の結論は、「チンパンジーは、ヒトよりは弱い心の理論を持っている。」というもので、その後、ヒト幼児の発達心理学の分野での研究が盛んに行われるようになったそうです。(自閉症の原因を、「心の理論の欠如」とする流れは、そこから派生したもののようです。)

群れをなして社会を形成している動物には、その動物社会ごとの「取り決め」があるものです。例えば、ミツバチは、生まれた時から自分の役割が運命的に決まっています。また、どんな動物でも、身の危険を察知していち早く逃げる勘が備わっているものです。前者を“社会的役割”と呼ぶことはあっても、後者を“自分を襲って食べようとしている相手の心を読んだ”とは、あまり言いません。しかし、群れをなして暮らしているサル社会のレベルになると、集団内の自分の地位や立場といったものがあり、ボスザルに取り入るなどの“社会的行動”をして自分が不利にならないように配慮していることが、よくテレビの動物番組で放送されます。と言うことは、サルにはサルなりの「心の理論」があって、サルはサル同士で“社会的参照”をしていて当然だと、言えなくもありません。

それをそのままニンゲン社会に当てはめると、『心の理論』とは「他者が何をしようとしているか読み取る読心術」と同じものであるかのようになってしまいます。でも、『心の理論』は、単に「人の意図を推し量って、かけひきに勝つ」とか「人の気をそらさないような、上手な人付き合いができる」というような処世術とは違うものです。サルの実験を通して分かるのは、社会性の元となる基礎的な認知のレベルのことです。

特に、自閉症の場合、身体知覚の特異性や群れへの帰属欲求の希薄さといった問題を考慮せずに他者の「心」が察知できるかどうかだけを研究するのは、あまり意味のあることだと思えません。私は、自閉症児は『心の理論』が欠如しているから社会性の発達が遅れるのだとは考えていません。ただ、『心の理論』にかかわるエピソードを観察することが、社会的な発達の到達度を計るための尺度になっているだけだと思っています。

とにもかくにも、まずは、『心の理論』に関する基本的な用語の「意味」を知るための基礎講座として、この本を取り上げました。というわけで、↓に挙げるのは、この本に書かれているおサルさんの実験の紹介ではなく、単なる「用語集」です。(そんなことはどうでもよくて、「人の心を読めるようになりたい」と思っている人の方が圧倒的に多い、とは思いますが…。)

用語 解説 自閉症児
20 身体的自己の成立 新生児は、生後1ヶ月で、かなり成熟した身体的な自己意識を持っているらしい。
  • 新生児は、表情の模倣ができる。乳児は、モデルの行っているジェスチャーを模倣できる。
  • 新生児は、リーチング(対象物に手を伸ばすこと)ができる。乳児は、動く対象物をつかむために手の動きの軌跡を帰ることができ、対象物の大きさに見合って手の形を変えることができる。
感覚−知覚の歪み(過敏・鈍感)があって、身体的な自己意識を持ちにくい状態にあると考えられる。
22 自己知識 ギブソンの見解。
  • 自己知識は、乳児期の知覚経験にルーツを求めることができる。
  • 乳児は、生まれながらにして、環境と自己との相互的な交わりの中で、環境世界と自己とが区別されていると知覚できている。そのことが、自己の個体発生的な起源と初期発達に関する基本概念だと思われる。
身体的な自己意識があいまいなため、環境と自己との相互的な交わりの中で、環境世界と自己とが区別されにくい状態にあると考えられる。
24 ナイサーの五つの自己
  1. 生態学的自己:視覚・聴覚・内受容感覚などによる物理環境の知覚にもとづく自己。〔乳児期のかなり早い時期から知覚可能。〕
  2. 対人的自己:他者との社会的交渉にもとづく自己で、コミュニケーション信号や情動的なラポール(音声・アイコンタクト・身体接触など)により特定される。〔乳児期の早い時期から想定される。〕
  3. 概念的自己または自己概念:主に言語的な情報によって獲得された、自分自身の特性に関する心的表象。〔二歳ぐらいから仮定できる。〕
  4. 時間的拡大自己:個人が知っており・語り・想起し・未来に映し出すような、その個人のライフストーリー。〔概念的自己を持つまでは出現しないとそれる。その時期は、四歳ぐらいだと考えられている。〕
  5. 私的自己:主観的な経験を理解し重んじるようになり、他者とはそうした意識的経験を共有し得ないことの重要性に気づいた時に出現する。
1からつまづいているため、全体的に遅れる。特に目立つのは、2と3で、これが自閉症の基本症状とみられている。

4は、現実から想起された過去の記憶をあたかも現在の出来事のように体験してしまうという、特異なあり方をしている。

5が出現するのは、思春期前後にずれこむことが多い。

部分認知が強く、モノの部分しか認知されていない。また、認知障害(認知の偏り)や注意の障害(転動または過集中)を持っていることが多く、発達のあらゆる段階の妨げになる。

25 二つの自己 (二つの自己については出典不明/主に板倉氏の見解)
  1. 原初的な自己:自己が自分自身の知覚の対象となるときに生起する。ナイサーの言う「生態学的自己」と「対人的自己」は、知覚情報を直接的なソースにしており、前言語段階の乳児にも想定でき、この段階の自己と考えられる。
  2. 高次の自己:自分自身が認知の対象となるときに生起する。ナイサーの言う「概念的自己」「時間的拡大自己」「私的自己」は、社会化の過程を通じて徐々に出現するもので、これに当たると考えられる。
「原初的な自己」の在り方が違っていれば、「高次の自己」も特異なものになることは、十分に考えられる。
26 社会的自己 生後すぐに、赤ちゃんは大人との情動的なやりとりを含む、「ことば以前の会話」をするようになる。その時、大人の行動や情動を知覚するだけでなく、相手に向かう自分自身の行動や情動を知覚し、それに対するフィードバックを受ける。ここまでは、ギブソンが主張する物理環境の知覚と、全く同じやり方で行われる。

トマセロの主張。

  • 生後9ヶ月から12ヶ月ころに、「他者の意図に気づくようになる」という劇的な変化が生じ、それが結果的に、より成熟した社会的自己に繋がる。
大人との情動的なやりとりが欠けたから、自閉症になることはない。(そういう素因を持っていた子どもが、大人との情動的なやりとりに欠ける環境に置かれると、自閉症を発症しやすいということは、あるかもしれない。)

自閉症児は、大人からのはたらきかけに全く反応しないことはない。が、この時期には相手の意図に気づいていないと思われる。

31 乳児の自己意識 バターワースの見解(自己に関する生態学的アプローチにより得られた知見。)
  1. 乳児にも原初的な自己意識は存在する。
  2. 社会的なコミュニケーションが、原初的なものであれ高次のものであれ、自己意識の発達の中心的役割を果たしている。
  3. 近年の乳児の知覚能力に関する研究は、乳児の知覚能力が原初的な自己意識において重要な部分を占めていることを示す。
自閉症児の「身体的な知覚能力」と「原初的な自己意識」の特異性を抜きにして、「社会的なコミュニケーション」の問題だけを取り上げている限り、何の進展もみられないと思われる。
44 自己鏡映像の認知 ワロン、アムステルダムらの説(統合)。
  1. (生後6ヶ月〜11ヶ月)鏡に映った自分の像を「他者」だと見る。
  2. (生後15ヶ月〜24ヶ月がピーク)鏡を避ける反応が見られる。
  3. (生後21ヶ月〜24ヶ月に始まる)自己認知ができる。恥かしそうに鏡を見たり、当惑したような表情が見せたり、おどけた顔をしてみせたりする。口紅をつけられた部分をよく見ようとしたり、手で触れたりする反応も見られるようになる。〔これを、ルージュテストと言う。〕

ルイスの仮説。

  • 情動の発達には、二つの段階がある。まず、怒りや恐れなどの基本的な情動(一次的情動)が見られ、続いて困惑や恥や罪悪感などといった高次の情動(二次的情動)が出現する。
  • 鏡による自己の認知とこの二次的情動は、密接に関連して発達する。
自己鏡映像の認知が発達しないわけではない、ただし、左欄に述べられているそれぞれの反応の出現時期は非常に変則的で、かなり遅れることが多い。

鏡に映っているのは自分であることが分かっても、自分を良く見せたい・悪く見られたくないという動機に欠けることが多いため、二次的情動に直接結びつかない。

129 高次の対人的自己 チンパンジー・アイの実験結果から。
  • 人称代名詞学習:チンパンジーのアイは、視点によって指示される対象が変わること、誰でも「私」になったり「あなた」になったり「彼・彼女」になったりできることを理解できた。
  • 所有の実験:チンパンジーのアイは、自己に所属する物を認知できた。また、他者とその個体に所属する物の連合が、シンボリックなレベル(所有者のシンボルを、その者が所有する物につける)でできた。
 
133 高次の社会的自己 トマセロの説。
  • 高次の社会的自己は、他者の意図に気づくことから始まる。
  • 社会的参照行動や共同注視、模倣学習などが、他者の意図に気づくことの反映として出現する。
  • 自己の心的状態を認識し、それにもとづいて他者の心的状態を類推する。
  • 他者も誰かの心的状態を類推することができるということを理解し、その内容を二次的に類推する。

こうしてヒトは、過去においても現在においても未来においても、ほぼ無制限に自己と他者のかかわりを想定し認識することができる。

感覚−知覚や認知の問題があるばかりでなく、人と同じように感じていなければ、ヒトという種における社会的行動を学習できないし、高次の社会的自己を獲得し損ねる可能性が大きい。
135 視覚的共同注意 他者の心を推し量ることの基本は、まず他者がどこを見ているか判断し、理解し、そこからその人の注意がどこにあるかを見極めることができるというところにある。(これが、コミュニケーションの始まり。)

6ヶ月を過ぎた乳児は、他者が向けている注意の範囲が変わったことに呼応して、自分の視線方向を変えることができる。(これは、6ヶ月児が既に、注意の焦点が移ったところが関心のある場所である、と分かっていることを表わす。そして、そこを見るために自分の視線を変える。)

自分の関心のあるもの(たいていは、その部分)しか見ない。或いは、自分の関心が向かないものは、見ない。
136 指さし バロン・コーエンによる「視覚的共同注視」の定義
  1. 人の視線を理解することができる。
  2. 指さしの理解と産出が可能になる。
  3. 物を人に示すことができる。
左に挙げられたことをしないことが、自閉症児の臨床像であるかのように言われていた時期があった。
173 見ることと知ること
  1. 基本的な心の状態の類推:「人が注意を向けて見たものは、その人の知識(知っていること)になる」と類推する。
  2. 誤信念の推測:ある事象を見た人と、それを見ていない人との心的な差異を推測できる。
「自己」の成立が曖昧で「他者」と「自己」が未分化の状態なので、「他者」が「自己」と違う信念を持っていると考えることができずに同化している。(なのに、「他者」は「自己」の思い通りにはならないため、パニックになる。)

「他者」は「自己」とは異なる意識を持った主体であることが分かると、非常に恐れるようになるか、その「他者」の意識を「自己」の持っているパターンで類推して読み過ぎるようになるかのどちらか。

恐れがほどほどであれば対人接触の失敗を減らすことができるが、過剰になると対人関係を持てなくなってしまう。また、「他者」の心を読み過ぎている時は、そのほとんどが「自己」の心的状態の投影であるが、本人は気づかない。(妄想と誤診される可能性がある。)

179 社会的参照 ヒトの赤ちゃんは、生後一年ぐらいになると、見たことのない物や知らない人に対した時、その物や人に対するお母さんの反応や表情を参照して、自分の判断や取るべき行動を決定することができる。 生後一年では、さまざまな理由により、「見たことの“ない”物や知ら“ない”人」という概念がないことが多い。また、他者の反応や表情を参照すると言うよりも、場面記憶(以前、同じような状況で起きたことや経験したことの記憶)を参照していることが多い。

他者を「社会的参照」の対象とすると言うより、怒られることを警戒する方が多い。

183 共感的行動 他者の状態を推し計り、その状態に合わせた適切な行動をすることが、共感行動の基本になる。 共感行動はとれるようになっても、(挨拶や決り文句以上の、踏み込んだ)共感的な会話は難しい。
196 研究動機 著者による
  • 高次の自己や自己意識の系統発生起源が、どこまで遡れるのかという問題の研究は、まだまだ途上であり、さらなる検討が必要。
  • ヒトは、現在にも過去にも未来にも、また他者の心の中にさえ、「自己」を想定できる。そうした自己がヒト以外にも存在するのだろうか?
 

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