自閉症児者の「こころ」を自閉症児者自身が探し求める場ーー高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への心理療法的接近からーー

辻井正次

1.高機能自閉症・アスペルガー症候群の子どもーー「普通の中の変わった」子どもたち

 自閉症という用語はかなり重層的に理解されているようで、一般的には「自閉」と言うんだからおとなしく縮こまって会話をしない暗い印象があるようである。従って、予備知識のない学生が発達障害としての自閉症の子どもと関わっても「でも、あの子は元気に走っているし、会話をするし笑いますよ」という反論が返ってきたりする。知的能力の高い(高機能の)自閉症にいたっては映画「レインマン」を例に挙げると一定の了解が得られるようにはなったものの、やはりわかりにくいようである。さらに、より自閉性が少ないアスペルガー症候群になると、「普通」との境界は極めて曖昧になってくる。ローナ・ウィングら(1979)の分類でいう「孤立型」という他者との接触を避ける状態は理解できるが、おとなしく他者から働きかけられればそれなりに関係が持てる「受動型」になると理解出来にくく、他者に積極的に話しかけて行くが、その仕方が(相手のことを考えておらず)極めてユニーク(奇妙)である「積極奇異型」になるとそれが自閉症であるということがどうしても理解できないというのが一般的な印象のようである。

 近年、自閉症(自閉性)をスペクトル(連続体)として捉えるべきだという見解が専門家レベルで主流となっていても、日常の臨床では自閉症に関してというと、幼児期のこだわり行動や多動などの症状が華やかな時期の早期療育や治療に関して、あるいは知的な遅れを伴う自閉症児の治療教育については多くが語られるが、知的な能力の高い(高機能の)自閉症について、特に彼らの青年期以降について関心がもたれるようになってきたのは近年になってからである。なお高機能広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー症候群、高機能の自閉性スペクトルなどの用語が彼らを指し示す用語として用いられるが、本論ではとりあえず筆者はそれらを相互に交換可能なもの(同じもの)として用いる。特にアスペルガー症候群というのは、自閉症に見られるような言語・認知の遅れを伴わないが、共通の対人関係やものとの関係についての問題(障害)を有する群について、ハンス・アスペルガーの先駆的な報告(1944)にちなんで名付けられたものである。彼らは自閉症と共通の社会性の問題、コミュニケーションの問題、想像力の問題(ウイングの「障害の三つ組み」)があり、知的には正常範囲(少なくともIQ70以上)である。自閉症に特有の対人関係の質的障害は、他者との相互的なやりとりのできなさ、他者の感情への共感性のなさなどからなる。こうした問題についてはウタ・フリス(1989)などが概説しているような「こころの理論」の獲得、つまり他者には自分とは独立な「こころ」(信念、考えや感情)があるということの理解だが、自閉症者はその獲得が難しいというのがフリスらの主張である。それは健常児の場合4、5歳前後で獲得されるのだが、自閉症では10歳(精神年齢)前後になる(ハッペ(1995))ことが種々の実験課題から実証的に明らかになっており、自閉症の社会性やコミュニケーションの障害を説明する現在最も有力な心理学理論である。しかし、同じく実証的な検討からの批判もあり、今後のさらなる検討が必要とされている。彼らのその他の問題として表情の作り方、視線の動き、話し方の奇妙さや不器用さも彼らの特長としてあげられる。彼らは能力が高いだけに教科学習はある程度でき(極めて優秀なものから、学習障害を伴うものまで幅はあるが)、一般的に自閉症というイメージから想定させるような姿とは大きく異なり、むしろ一見「普通」に感じられる。筆者らはこうした高機能広汎性発達障害、高機能自閉症・アスペルガー症候群)の子どもや青年たち80人以上を対象とした発達援助の会(アスペの会;Asperger Society, Japan)をおこなってきている。

 本論考では、高機能広汎性発達障害(以下、PDDと略す)と呼ばれる高機能自閉症、アスペルガー症候群の子どもや青年たちの姿を記述するとともに、心理療法的に彼らと取り組むなかで浮かび上がってきた筆者の彼らについての内的イメージや治療的介入の一部分を仮説的に呈示したい。

 PDDの場合、幼児期にははっきりした自閉的傾向(自閉症症状)が認められる。生活の中でも身辺自律が少し遅めだったり、お遊戯のなかに居られなかったり、友だちと遊ぶことは好まなかったりする。不器用さがある場合もあり、遊びにおいては想像力に満ちた遊びではなく、ふり遊びがあってもパターン的である。言葉の発達において、保健所での1歳半や3歳時の検診で「少し遅れてはいるけど出てはいるからもう少し様子を見ましょう」あるいは「しばらく保健所の母子教室(事後指導)に通ってみますか」くらいに言われる程度の若干の遅れがある場合が多く、言葉がでないというようなほどの大きな遅れは示さず、言葉が増えなかったりという程度か、もしくはほとんど遅れというほどのものはない者もある。いずれにしても5歳台までにはそれなりに話すようになる。保育園・幼稚園の年長組になるとかなり同年齢の子どもたちと一緒にやれるようになり、「これなら普通学級でやればいい」という判断が専門家からも下され、「普通の」子どもとして学校生活へ入っていく。あまり拘束をしない園では、保母などが「育て方の問題」と勘違いし問題を告げず、両親は何ら問題なくやっていたと思っていることもある。

 ところが、小学校にはいると学校生活の中での基本的な社会的ルールに合わせられず、多くのトラブルを経験する。集団から浮いてしまうことでいじめの対象となりやすく、筆者らの会でも80%以上の子どもが小学校時代にいじめられを経験している。彼らは後述するような自分なりのユニークな世界(自閉的ファンタジー)を有しており、そうした世界と現実の学校生活との切り替えが難しく、授業中も授業に参加せずにぼーっとしていたり、集会のような場面に耐えられず逃げたり、自分のやり方が通用しないことでパニックに陥ったりする。時には相手が嫌がることを繰り返したり、授業妨害をしてしまったりもする子もいる。こうした行動を多くの担任教師は何か普通とは違った気配を感じはするものの、自閉性からくる社会性の問題があるという風には捉えられない。「15年も教師をしていますがこんな子どもは初めてです」と教師としての自負心を大きく揺るがせるほどはでにクラスを混乱させたりする子もいる。授業を聞いていないので「知能が低いのだろう」と思って知能検査をすると通常よりもはるかに高い者もある。そして、言うことに素直に従おうとしない(できない)子どもたちにいらだち、ともすると「両親の養育が悪い」「躾がなってない」「愛情が足りない」等という心ない指摘を両親に投げかけたりする。また、実際のところいまだに専門家のなかでも専門的理解が行き届かず教育相談機関でも同様の指導しか得られないこともあるようである。しかし、学校生活で引き起こされるトラブル1つ1つを何とかクリアしていけるように必要な治療教育的介入をしていけば、小学校高学年には何とか学校生活でいかに過ごすかがわかってきて、適応的に過ごせるようになってくる場合が多い。彼らは多くの同級生たちからは「変わったやつ」「宇宙人」といった風に言われながらも、ごく数人の気の合う友人も出来る場合もある。その後の青年期以降の適応を考慮すると、両親が子どもの問題を(障害というよりは)個性という形で早い時期から理解できていることが重要で、子どもと両親の関係が悪化してしまったり、両親が子どもの引き起こす行動を「理解できないこと」として責めるようなことが多いと子どもの健全な自己評価(自己愛)が形成できず、長期的にみて子どもたちの問題をさらに複雑にしていってしまう。

2.青年たちの苦悩ーー「自分は皆と違う」「みんなのように友だちが欲しい」

 青年期以降のPDD(高機能自閉症・アスペルガー症候群)の問題に関しては自閉症研究のパイオニアであるレオ・カナーの「自閉症児はどこまで社会適応可能か」(1973)というタイトルの論文が今なお一読の価値あるものである。カナーも述べているが、青年期になった彼らは、ふと自分と他者との違いに気がついて戸惑ったり、寂しくなったりする。これは、他者からみた「自分」という観点の成立である。これは学習されて得るようなものではなく、現代における青年期があらゆる青年に与えるアイデンティティをめぐる葛藤との連続性の中で成立してくるもののようである。そして、彼らは皆に「合わせる」ことが必要であることを認識する。しかし、「皆は楽しそうにやっているのに、自分が加わろうとすると皆があっちにいけという」「どうしたら友達が作れるの?」「皆と同じようになりたい」「友だちがお前なんか人間じゃないといったが、どうしたら人間になれるか?」といった深刻な問いかけには、分裂病者の共通感覚の欠如や自明性の喪失といった言葉を思い浮かべさせられるほどの重さがある。何かとんでもないことが起こるのではないかといった極度の不安もある一方で、何かもっと基本的な世界の「わからなさ」(「あたり前」の欠如、あるいは本質的な象徴的なるものとの結びつきの出来なさ)が体験されているようで、それをからくも(両親や心理療法家などの)理解してくれる他者との「つながれる」感覚でその都度埋め合わせていこうとするように思える。実際に一過性の精神病状態を呈する症例もあることも明らかになっているが、感情障害などを合併した場合に精神分裂病を疑われて入院していることも稀ではない。また、他者の視線があまりに脅威に感じられ、一過性の対人関係念慮や世界が崩壊しそうな恐怖感等にも容易に陥り、彼らの青年期は非常に危機的な側面をもつことは自覚しておく必要がある。(こうした場合には熟練した児童精神科医による投薬治療をはじめとする精神医学的治療を必要とする。)彼らに具体的な社会的スキルを教える必要があるのは確かだが、もっとそれ以上に彼らの「こころ」につき合い、集団の中の一員であるという感覚をもてていけるようにと心がけてやることが重要である。

 しかし、ここで筆者は彼らの青年期の大変さだけを強調しようという気はない。理解してくれる他者が周囲に居さえすれば、彼らは青年期にはいるとかなり自覚的に生活を送れるようになるし、彼らなりの楽しみをもつことも上手になる。彼らは自分の世界のなかでは永遠の幼さや純粋さを維持していけるかのようである。自分たちの幼児期から持ち続けてきた「こだわり」も趣味という社会的に受け入れられるような形に「合わせ」て呈示することが可能になる。学校でも「クイズ研究会」や「鉄道研究会」「アニメ同好会」など、いわゆる「おたく」的な文化系サークルでは長年の「強迫的」とカナーが記述しているほどの熱心さで知識を蓄えてきているだけに、その知識に関しては受け入れられる。「変わった奴」として受け入れられ、対人関係が問題とされて排除されなければ楽しい学生生活も可能である。(特に男性で)対人関係で最も問題になるのは異性との関わりである。彼らなりに異性に関わりたいという欲求はあるのだが、その示し方が奇妙で、相手に(相手の興味は関係なく)自分の興味のあることを延々と語りながら関わるようなスタイルをとるので、相手から気味悪がられたりする。また、仕事場での上司からの叱責の言葉づら(例えば、「しっかりやれないならやめちまえ」等)をそのままに捉えて、自分がクビになったように感じて混乱したりする。日本語のコミュニケーションでの括弧に括られ言語化されないような内容(先の例だと「しっかりやれないならやめちまえ(俺は、お前がもっとできると思っているし、期待している)」等)が読みとれず、字義通りに理解しようとしてしまったりする。そうした例は枚挙に暇がないほどである。それでもなお、他者との関係性が実感されており、失敗した際に頼れる他者がいれば、苦労しながらでも自分の楽しみをもちながらやっていける。

 近年、「自閉症だった私」(ドナ・ウィリアムズ)や「我、自閉症に生まれて」(テンプル・グランディン)、「変光星」(森口奈緒美)など、自閉症者自身が自らの体験を語るようになって、彼らの「こころ」を考えていける機会が増えた。そのなかで前述したような彼らのの他者に「合わせる」苦労や彼らなりのユニークな体験の様式が彼ら自身の言葉で明らかにされてきている。筆者らもPDDの青年たちのグループ(アスペの会サポーターズ・クラブ)を作り(自分たち自身を支援していってもらいたい願いから「サポーターズクラブ」と読んでいる)、彼らに文章を執筆してもらい、「アスペ・ハート/アスぺを生きる」というタイトルでニュース・レターを発行している。アスぺを生きるというタイトルは彼ら自身が名付けたものである。こうした活動から筆者が思うのは、彼らの多くは自分を表現したいという気持ちをもっているし、表現ができる場があることが情緒的安定につながるようだということである。彼らの世界について感じられたことは後述する。

3.PDDに対する異なった治療的スタンスとその共通性:

 自閉症への治療的対応をめぐる議論は滝川(1995)が重要な概説をおこなっているが、ここでは現在の筆者のPDD(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への心理療法についての見解の一部を示しすことを試みる。カナー(1943)、アスペルガー(1944)の自閉症の発見以来、自閉症は育て方が原因であるという心因論によって当時の心理療法学の実践がおこなわれたが期待されたような成果は得られなかったらしい。こうした時代の自閉症に対する心理療法への無力感は、筆者のような若い世代の臨床家には分かりづらいが、その後の心理療法実践にかなりの心的外傷を与えているように感じられることがある。その後の様々な研究の発展の中で、1970年代以降自閉症は発達障害であり、脳障害を背景とする認知言語障害に基づくものだという見解が主流になり、そうしたなかで認知言語障害論を背景にした行動療法的臨床実践が成果をあげていった。特に問題行動に対して大きな効果をあげていった。一方で、予後調査や実証的研究が明らかにしたように対人関係の側面に焦点をあてた早期からの集団療育も効果をあげ、また精神分析的な立場の個人心理療法の技法の発展の中で、情緒的な側面に焦点をあてた自閉症児の自我発達を促進していく多くの成功した実践が報告されている。過去の理論(というよりはイデオロギー(?))闘争を経験していない世代の臨床家である筆者からすると奇妙なことに、この10年をみる限りここでの前者と後者とはあまり交流なく発展したのか、学会レベルでも異なった学会に棲み分けている印象を受けるほどである。そして、その両者は共通の言語を持たないかの如く、ほとんど相互に理解し得ない(しようとしない、あるいはしたくない)かのような印象さえ抱かされる。自閉症に携わる臨床家はすべからく「自閉的」に自らの臨床的スタンスを守らないといけなかったのだろうかという素朴な疑問が頭をかすめる。

 両者は同じような現象に対しても用いるスタイルや視点が異なるようで、例えば、注意の共有という現象に関して、行動療法的な視点ではその行動がどういう場面でどの程度の頻度で生起するかをカウントし、そうした行動の生起する頻度を場面構成や働きかけを工夫し「その行動そのもの」を増加させることを試みる。もちろん、それは一定の成果を上げる。こうした、行動を分析する視点は非常に大きな威力を発揮し、混乱して空回りしている実践への現実的な方向付けを与えることができる。特に、それが子どもの発達過程全般を捉えた大きな枠組みを体系的に提供する場合、大きな効果を持ちうる。ただ、この視点は「客観的」で「科学的」で誰にでも捉えることが可能であるとされるが、こうした用語はそれ自体、人間の相互交流に関連して用いられる際には十分に恣意的に用いられる可能性があることはふまえておきたい。こうした実践はある介入の型を創造する(こうした創造は実際にはかなり治療家の感性にも基づくように思われる)ことによって、現実を改善していく可能性をもつ反面、かえって型にはまってしまうがためにうまくいかないこともある。自閉症であろうがなかろうが、あらゆる子どもに対する型にはまった躾がどれもうまくいかないように。また、問題となる行動は無数にあるので、般化に問題のある彼らの「行動そのもの」を改善するには無数の実践が必要になり、朝から晩まで一連のプログラムでも作らないといけない...のだろうか。筆者にはそうは思えない。少なくともPDD(高機能自閉症・アスペルガー症候群)の場合、自分がどう生きていくかを自分たちで考えていっており、そこでは「行動そのもの」ではなく、彼らにとっての「自分」ないしは「こころ」がどのようなものであるかが問題になっている。

 さて、注意の共有に話を戻すと、一方で(精神分析的)心理療法の立場からいうと、乳幼児期の発達過程の中での相互交渉過程のなかでの早期の自己発達や自我発達の視点から、親ー子合同治療のなかでの情動調律モデルを想定し、相互交渉を成立するような関わりのイメージを持って治療者や両親が関わるなかで、両親/治療者と子どもとの間には相互の興味対象に対する注意の共有が成立してくることが考えられる。こうした立場の中での治療者のスタンスは「間主観的」なものであり、両親/治療者ー子どもユニットのなかでの変化から、子どもの中にあると想定される(そうした方が現象の理解や介入・治療教育をしやすくする)自己や自我、つまり「こころ」の(とりあえず想定された)発達プロセス(もっとも、そうしたプロセスのかなりの部分は実証されてきており全く想定されたばかりのものではない)の中から子どもの成長のいわば構造的な変化を感じ取っていく、あるいは読みとっていく作業をすることになる。こうした立場の臨床家は環境的要因が発症に多大な影響を与えたと考えられる症例がなかには存在することを心理療法過程から示したわけだが、一方、自閉症/PDDが(おそらくは脳に起因する)器質的な問題を背景に持ち、そのために対人関係の質的な障害が生じやすい状態にあるという前提に立っても矛盾は生じない。器質的な問題があるために、自閉症/PDDでは通常なら新生児に(生来的に)備わっている、人に対して反応を引き出すような他者に対して開かれた構えを欠くわけで、普通なら起こるはずの大人との情緒的やりとりの機会が生じにくくなり、その結果として自己や自我の発達がうまくいきにくい状態になるので、そのためにこそ心理療法的な介入が必要になる。母親の育て方の問題があるからではなく、子ども側の要因のために自己や自我の発達がうまくいかないために生じる関わりの障害が存在するからこそ、心理療法的な介入が必要であり、それを自己や自我の構造的な発達プロセスのなかで考えていこうというわけである。こうしたアプローチに立つ場合、一定の治療構造が必要なだけでなく、治療者になるためにも一定の訓練過程が必要とされる。治療者のこころ自体が子どもの自己や自我の状態を捉える枠組みとなるので、ある程度の訓練過程を経ていないと理解しにくいものであるようだ。さらに、初期の精神分析理論がエディプス期に焦点を当てるものであったのが、現在、より早期の「こころ」(心的状況)への関心が高まり精緻な理論化が進められていることも認識する必要がある。このあたりが、行動を主体に見る臨床家の方のごく一部には自閉症に対する初期の母因論との区別がつきにくい(理解できない、もしくはしたくない)ようで、いまだに不毛な批判がなされ、自閉症/PDDをめぐる臨床の全体的な交流や発展が阻害されている印象がある。もっとも、こうした子どもとの治療過程と並行して、母親に対する発達援助指導がおこなわれる場合の方が多く、治療構造のなかで、どの部分を臨床家が担っているかを示していくことがそうした交流や発展の上では必要不可欠であると思われる。筆者も例えば児童の臨床を多くはおこなっていない心理療法家が、アスペルガー症候群とは気づかずに遊戯療法を続け、確かに合併していた不登校には明確な効果を及ぼさず、中途からの筆者のグループへの参加も含めた複合的・組織的な介入のなかで現実的指導が即効的な効果をあげるような経験はあるが、それでも心理療法は十分な役割を果たしていった。子どもは喜んで心理療法に通い、抑うつ的で無気力でファミコンばかりやっていたのが、明るく元気になり、他者に関わろうという意欲も高まり、両親にも自分からいろいろと話をするようになった。こうしたなかで「登校したらソフトを買ってあげる」等の現実的指導にも反応でき、そうした現実のストレスに対しても情緒的葛藤を引き起こすことなく安定した姿を示していった。全体的な治療構造の中で複数の専門家個々の役割を明確にしていくことで両親も子どもの心理療法に何らネガティブな思いを抱くことはなく、前述した子どもの「こころ」の安定を喜び、また子どもの「こころ」の成長を見つめていくスタンスをとっていった。ちなみに知的な遅れがある(重度の)自閉症児は象徴機能が十分に用いることができないため、心理療法は有害であるという意見を耳にすることがあるが、筆者の経験の乏しさもあってかもしれないが筆者はそうした有害であったケースをあまり見たことがない。そうした発言は自分ではそうした子どもの脆弱な自己感に鏡映したり、没入して子どもの未消化な内的世界を共有していくような実践をおこなった経験をもたない臨床家からの発言である場合が多いように思う。自分が経験しないことを否定するのは簡単だが、そうした態度は重度の自閉症児をもつ両親たちが自分たちの子どもたちと生活していくなかで感じ取っていく子どもへの理解すら無意味化してしまうことにはなりはしないのだろうか。重度の自閉症児の心的世界につきあうことは、それが劇的な変化をもたらすものではなく、淡々とした治療関係のなかで感じ取れる治療者側の内的な子ども像の微妙な変化から、子どもの「こころ」を感じ取って、それを両親のイメージと重ね合わせていくような作業で、そこから子どもの「こころ」の変化や少しずつの関わりの質的変化を見つけていく(つきあっていく)地味でとても大変な仕事である。また確かに重度の自閉症児の場合、子どもの心理療法「だけ」で発達援助の全てを担おうというのは困難であろう。それを可能にするにはかなりの時間的・空間的・人的な密度(治療構造)を必要とするだろう。しかし、実際には両親に対する(子どもの行動マネージメント等を含めた)発達援助指導の位置づけを強くすることで子どもの「こころ」の成長において一定の効果も期待できる。

 むしろ、うまくいかない心理療法は、子どもに対する心理療法自体よりも、治療構造全体の中での心理療法の位置づけが不明確で、現実的な両親面接での発達援助指導とのバランスを大きく崩している場合であるように思われる。子どもの個性(障害)を両親が認めていくことは大変な戸惑いや辛さを伴う作業であることは違いなく、そうした両親の障害受容といわれる心的過程につきあいながら、一方で子どもをどう理解していくかとか現実的に何をしていくとかを話し合っていくようなことが必要である。子どもの心理療法という形で両親と別の部屋で心理療法をおこなうオーソドックスなスタイルの場合、「知らないところで治してくれる」という期待を両親に生み出しやすい。両親の現実の話の中で両親と子どもとの関わりの様子を発達的文脈に沿って読み解き、そこから発達援助という観点で両親の発見した子どもの「こころ」への理解を現実と結びつけたり、両親のすることを明確にしたり、両親自身が試みる工夫を支えたりすることも大切である。PDDの子どもに対する心理療法では実際には両親指導の位置づけを明確化することで、週に1回程度の心理療法でも子どもの情緒発達の促進や安定した生活を維持していくことに大きな効果が期待できる。

 さて、こうした2つの立場からの自閉症/PDDの子どもや青年に対する治療の発展を見てくると、同じ彼らに対することであるのだから当然ともいえるが興味深いことに、成功した実践を検討してみると、両者には一定の類似した過程も見られるように思われる。考えてみれば、躾的な現実の行動の学習と子どもの「こころ」をとりまとめていくように人として関わることは、自閉症だのPDDだのということと関係なく、「どちらも」という単語で分離することができることではないほど絡み合ったものとして人間の成長には不可欠な過程なのだから当然でもあるが。ここでの類似点として、筆者が考えているのは、例えば、発達というプロセスから考えて、子どもと環境との相互関連性を捉える視点を持つこと、治療構造も含めた一定の構造性を子どもと両親に提供すること、子どもに対する問題点ばかりでなく彼らなりの健康な側面を見ていること等である。この点については紙面の都合もあり、これ以上の検討は別の機会に譲りたい。もっとも2つのスタンスの相違点がないわけでなく、行動面を主体に捉える視点はより現実的な問題行動の改善・適応行動の増加に重点を置くであろうし、自己発達や自我発達の視点から考える場合には治療者ー子ども間での相互の関わりから行動の背景にある子どもの自己や自我、いわば「こころ」の成長を感じ取っていくことに重点を置くであろう。この両者は臨床家に異なったアイデンティティを提供し、異なった臨床感覚の臨床家を生んでいく。

4.「自閉的ファンタジー」を抱えること

 自閉性スペクトル(PDD)の子どもたちは共通して特有の自分たちの世界を持っているように思われる。こうした自閉的な世界に彼ら自身が入っていってしまった場合には現実の世界での他者との関わりはおこなわれにくく、人を避ける動きのようにとられる。もちろん、こうした世界を構成すること自体がきわめて早期の自我のおこなう防衛であり、それは母親との身体的水準での分離にともなう想像を絶する不安を覆うための殻として働いているというような見解も成り立つであろう(例えば、フランシス・タスティン(1991)等)。こうした見解こそは十二分に検討されていく必要があるが、本論考では紙面の都合上、そうした検討をおこなう前にまずより一般的に日常臨床場面でよくみる現象面に近い部分に着目し、とりあえず彼らの世界をPDDであるということが判明した(診断された)際にすでに持っている世界という形で、あらかじめ彼らに備わっていたものとして仮に扱って、それを記述する試みをおこなう。そうした彼らの世界を仮に「自閉的ファンタジー」と命名し、彼らがもっているのはそうしたファンタジーに彩られた世界だとしてみよう。それらは発達水準ないし知的な能力によってその形態が異なるように思われる。

 その初期の形態ではドナ・ウィリアムズが生き生きと示しているような非ー人間的・物理的環境内の視覚的・触覚的な刺激に同一化した世界のようである。これらは(感覚運動的な)常同行動や同一性の保持、独特の視行動のなかに華やかに見られる。これらは彼らの幼児期やあるいは重度の知恵遅れを伴う自閉症児者に極めてしばしば見ることができる。例えば、治療的関わりの上でも身体を使った単純な反復的遊びのレベルで関わる際に体験する。こうした世界は言語以前のものであり、彼らも十分には説明出来ないような種類のものであるようだ。また年長PDDでも全くなくなるわけではないようで、筆者の症例でも断片化したシンボル(その多くは身近なものの部分)を楽しそうに書いては教えてくれる女性がいる。あるいは、ボーリングの途中にふっと間があくと「よくわからない(説明不能の)こと」が浮かんで常同行動をしている青年がふっと浸る際の世界はこうした水準のものの時もあるように思える。次の段階での言語・象徴機能の獲得と関連してではあるが、そうした視覚的シンボルの一つとしてかなり早期から文字記号を書き連ねる者もある。

 言語・象徴機能を獲得してからは、その形態は一連のことば表現やことばと連なる簡単なやりとりの反復的イメージが加わってくるように思われる。「独り言」はこうした表れであるように思われるが、高機能の場合には、「こころの理論」の獲得の前後でこうした「独り言」は人前ではしなくなっていくことが多い。自閉症・PDDでは想像力の問題があるとされているが、こうした反復的に展開されるファンタジーを劇化することについては、それを共有する他者がいれば、「〜って言って!」などと相手とのやりとりのなかで展開していくのはよくみられるように思われる。それはごっこ遊びのようにもみえるが、相互のやりとりでなく彼らのファンタジーそのものの劇化である点で異なる。従って、他者からのアイディアが柔軟にうけいれられて、ファンタジーそのものが構造的に変化することはすくないと思われる。

 さらに、学校などでの学習体験が増して、また認知機能の発達を受けて、そうした反復的なやりとりのイメージは友人たち同士の面白かったことやテレビ番組やファミコンゲームの一場面、「おたく」的な興味の世界などのより構造化されたものに移り変わっていく。こうした内容になってくると、それは私たちも思い出し笑いをしたり「普通に」する空想と内容的には大差ないと思われる。しかし、その体験様式は大きく異なり、そうした自閉的ファンタジーのなかではかなり生き生きとそこでの反復的な体験を想起し、非常にリアルな体験をしているようである。そうした「リアルさ」自体が特徴的である。私たちの空想が現実的に生きる世界とは柔軟かつしっかりと距離がとれているのに対して、彼らの脆弱な「自分(自我機能)」はそうした距離感をとることを難しくしているようだ。

 こうした自閉的なファンタジーが何故に重要であるかというと、相反するように思われる3点があげられる。1つはこうした自閉的ファンタジーに圧倒されて劇化しまうことなく、現実世界での現実的学習と自閉的ファンタジーとの切り分け(区別、明確化)が適応できることでもある。自閉的ファンタジーはそうした意味ではよりよく現実に合わせていくためには有害なものであるともいえる。特に、現実のストレス場面に際して過去の記憶があたかも現実かのように想起される(タイム・スリップ現象)場合は、外傷的な記憶表象が「もうひとりの自分」を生み出したかのように、外傷的ファンタジーそのものが劇化されてしまう。こうしたファンタジーの劇化は一般常識からいうと排除されるものであるため、周囲が「そんなことをしてはいけない」というが止まらない。むしろ、(家庭であれば自分の部屋やトイレなど、学校なら放課中のトイレなど)そういうファンタジーに浸っていていい(時間的・空間的に限定された)場と現実的な場とを切り分ける(明確化・区別する)ことを学習することが大切である。しかし、こうした切り分けは徐々に進むと言うよりは、ある時から構造的に急速に進んでくるような感じを筆者はもっている。おそらくは「こころの理論」あたりの発達と関連しているのであろうが、他者から見てどうか、ある状況の中で自分がどうしたらよいか等を、自分のなかのファンタジーと距離をおいて、「自分」あるいは「こころ」の全体像のなかでとりまとめることが出来ていくようになるように感じさせられる。実証的研究でもPDDの「こころの理論」の獲得訓練に関する研究は概ね般化の困難さを示している。こうした「こころの理論」は他者との関係性の発達と密接に関連していると考えられ、それ自体の学習だけで何とかなるものではなく、他者との情緒的関係の発達が必要となるのであろうか。実際的には、現実的なトラブルへの対応を両親を中心におこないながら、子どもにむしろ心理療法という自閉的ファンタジーを積極的に受ける受け皿となる場があることで、先に述べた切り分けの作業は促進されていくように実感している。

 2つめは彼らは自閉的ファンタジーの中で、あるいはそうしたファンタジーを共有する他者との関係の中で(「普通でも」そうであるように)自分自身の体験する内的葛藤を再現していくので、そうしたファンタジーに触れていくことはこころを癒すこと、つまり治療的なことであり必要なことである。しかし、最も早期の形態に付き合っていくことはかなりしっかりした治療構造と治療者のかなりの没頭(ないしはα機能)とが必要とされる。こうした没頭の中で彼らの象徴機能の獲得過程をみることも稀ではなく、ファンタジーの質が「もの」的なものから言語的なものに変換されるには、まずは人間的な関係の成立が必要なのであろう。それ以降の形態にある子どもについては治療的に十分に扱いうるものである。さらに、先の切り分け作業が現実との間で円滑にすすめば、ファンタジーを扱う場所と現実の場所との区別は彼らは十分にでき、きわめてユニークなファンタジックな遊びから、徐々に現実感を持った現実場面での葛藤の再現をうかがわせるような遊びへ、共通の(「一緒の」)話題をめぐって、「自分」のありようについて言葉によってやりとりしていけるようになっていける。こうしたなかでの心理療法的関わりは子どもの「こころ」を扱うことであり、それは情緒的な自己調整機能の発達に十分に寄与する。

 3つめは最も重要な点だが、そうした自閉的ファンタジーにこちらが触れられることが子どもとの関係性を作りあげる上で非常に有効に機能することである。彼らのファンタジーに触れているときには、いつもは表情に乏しく他者とは積極的には関わろうとしない彼らが実に生き生きとした表情を見せる。友人も少なく学校でも孤立している青年が好きなアニメの話題になると目を輝かして、話題を共有しようとする他者に向けて数時間も語り続ける。こうした際の彼らの一方的な語り口はこちら側を圧倒し、うんざりさせるほどの迫力をもつ。それでも治療構造の中での枠組みは維持しながら、彼らの些末で、どうでもよいように感じられる話題に付き合っていると、彼らの「自分」という感覚がまとまりをもったものになっていくように治療者側に感じられるようになってくる。彼らにとって両親以外にも「自分の世界をわかってくれる人が居る」ということは彼らの自閉性を維持しながら脅かされずに他者とともに居られる感覚につながる。社会的な適応性が高い、つまり先にいった切り分けがうまくいっている場合は、彼らは現実的な場面では過剰に適応的に(機械的でさえあることもある)振る舞い、他者との話題の共有も乏しいが、ファンタジーを共有する他者の前ではむしろ人なつっこい姿を見せる。彼らの好きなこと、彼らの「こころ」につきあおうとする態度の前では彼らの「他者とつながれている」感覚を味わえ、それこそが彼らの発達援助の中核部分である。おそらく、こうした作業は行動療法的なオリエンテーションが強い治療家は「ラポールがつく」というシンプルな用語で説明し終え、その後に何をしたかを熱心に語るのであろうが、そうした「他者とつながれている」感覚を治療関係の中で育てていくことは視点を変えれば、現実の学習と同等に、症例によってはより以上に、いや決定的に治療的に重要でさえある。適当に「他者とつながれている」感覚が持てていることは、他者の中で「自分」が居られることでもある。この「他者とつながっている」という感覚は特に青年期以降の彼らのあり方を考える上できわめて重要で、彼らのファンタジーに没入する治療者との「つながれる」という感覚は日常的な信頼できる他者との間で関係性を十分に実感できていくための橋渡しの役割を果たすと思われる。これについては、両親面接などで子どもたちの行動について上記のような文脈での発達的意味づけ(翻訳)をしていくことで、さらにそうした橋渡しの機能が有効に働くよう補完されていくように思われる。

 こうした彼らのファンタジーに触れる場合の危険性について少し触れておきたい。PDD(高機能自閉症やアスペルガー症候群)の場合、精神分裂病と比較可能なくらいに「こころ」がナイーヴで、「自分」がうまく機能していない(自我が弱い)。彼らの自我機能の脆弱さについては、詳細は割愛するが、筆者らの心理検査(投影法)による研究成果でも実証されている。自我強度の問題のある患者への心理療法の危険性と同様に、アスペルガー症候群の心理療法においても、時に衝動性が高い症例の場合に治療者との距離感が近くなりすぎることで、一過性のタイムスリップ(杉山(1995))や憑依現象のような精神病理現象を示すこともある。こうした場合には、あまり精神病理の側面に注目することなく、(いったん落ち着かせてから)自我支持的に本人のできている側面を十分に指摘し、安定した「自分(自己像)」にまとめていく、あるいはそれを維持できるように配慮していくことが重要である。こうした意味では特に年長のPDDの場合、デューイ(1991)などの指摘に加えて、サリバン(1962)の修正精神分析治療論など精神分裂病の治療技法が参考になる。自閉的なファンタジーに触れながら、彼らのそうしたファンタジーが外傷的に働かないように抱えていくことが周囲の大人としては重要なことである。

 また、特に幼児期から児童期の子どもで、心理療法において「まさに他者と[つながれている]感覚を得ようとする瞬間(時期)」に、現実場面でも周囲へのいたずらを頻繁におこない、他者と関わろうとしてトラブルになったりすることがある。そうしたトラブルが生じてきた際には現実に携わる大人たちの協力関係の中でファンタジーと現実との切り分け作業を繰り返しおこなうことが大切である。こうした「瞬間」は自他間での境界(自我境界)を一瞬脆くするように感じられる。しかし、こうした「瞬間」を越えてこそ本当に彼らが実感をもって(他者にも受け入れてもらえるような仕方で)他者と関係性をもてるようになれると思われる。

5.PDDの子ども、青年の集団場面での動き方ーー「他者とつながれること」、集団にいられること、集団で抱えられること

 発達の当初から集団になじまないPDDの子どもたちを集めて集団にすること自体をナンセンスなように思われるかもしれない。しかし、近年、慢性精神分裂病者に対する集団心理療法が一定の成果をあげており、そこでの理論的な進歩がPDDの子どもたちの集団を考える上でも参考になる。小谷(1995)の提唱する精神分析的システムズ理論では、慢性の精神分裂病者の自閉状態に対して、自閉の殻を打ち破って集団活動をしようというのではなく、自閉状態にある個々の患者を自閉状態にある状態で小集団に状況のなかにおき、そこから集団のなかに居られるということを大切に扱っていくことで患者たちがグループに抱えられて、自閉の殻から他者との関わりへと出ていくとしている(モザイク・メイトリックス)。先にあげたように、PDDの青年たちは精神分裂病者と自我の脆弱性という観点で見た場合に一定の類似性をもっている。集団のなかに居ること自体が強い不安を喚起することはPDDの青年たちにとっても同様である。しかし、実際に集団心理療法的介入をおこなってみると両者の動きはかなり異なっている。その詳細については別の機会に譲るが、慢性分裂病者の方がグループのなかに居ることの不安は見るからに強いが、他者との関係においては一定の距離感をもてている。PDDの青年たちは自分の好きなことを考えていたりしてそうした自分の世界(ファンタジー)に浸ることで集団からの不安はあまり意識化しないようである。しかし、自分たちの興味ある話題についてはマニアック(「おたく」的)な知識もあり熱中して語るが、他者の興味に付き合うことは苦手で、興味の題材を数人で話し合う感じで、それ以外には他者の話をあまり聞いていない。こちらがリーダー役割をとると、それがあたかも学級会のように構造化したやり方ならまるで小学校の学級会のような口調で話し合いが成り立つが、そうでないと何かを決めたりしようとするとリーダー役割にあるこちら側に対して、皆が各々別々の仕方で「つながろう」とするので、こちらの方がふっと(おかしくなりそうな)わけがわからない感覚にふれる。彼らは他者とつながりたいという強烈な欲求があり、一方で他者との関わりを避け、自分のファンタジーにいてしまう。リーダー役割の治療者と個人的につながれているという感覚が基本的にあり、そこでは自分のファンタジーが尊重されるならば、彼らにとっても集団のなかに居ることは快いものであるようだ。彼らは喜んで集まりたがる。そして、徐々に集団としての凝集性を高めていける。

 より低年齢の学齢期の子どもたちの場合も、集団の場であるアスペの会には最初は参加したくなく戸惑う。しかし、2回目からは皆喜んで参加する。学校のように自分の空想的世界を限定させ、皆と同じようにすることを暗黙のうちに期待される場合は混乱してしまっても、1対1で相手をする担当スタッフが基本的に彼らの世界を尊重しながら、ある程度構造化された設定課題(学習課題)を体験したりして一日を過ごしていく。こうした内容についての詳細は紙面の都合で割愛するが、初めは自分の世界での遊びに担当スタッフを付き合わせたりすることが多い子どもたちも、慣れるにつれて高学年の子どもたちは担当スタッフに手伝ってもらいながら、彼らだけで野球やサッカーをするようになる。ルールはなかなか把握しにくいようだが、日頃の学校生活では排除されることが多いこのだが、そこでは集団の中の一員であることを喜べている。彼らの内的世界に十分に付き合うことで、彼らにとっての他者とつながる実感ができ、そうした感覚のもとではかなり適応的に振る舞うことも可能である。一方で、こうした変化には、彼らが日常の学校生活で適応的に過ごせるような介入をかなり積極的に学校においておこなっていること(彼らの個性を多くの関係者に理解してもらうこと)、それに加えて、「こころの理論」の獲得などの認知的な発達的変化が背景にあることも付け加えておく。こうした関連性についての実証的なデータは別の機会に譲る。

6.おわりに:

 PDD(高機能自閉症やアスペルガー症候群)への心理療法的接近自体は長年の実践の蓄積がありながら、一方である意味で始まったばかりの課題であり、今後の研究と実践の双方の発展が待たれる。PDDの青年の在り方をみていくと、そこには自分たちのユニークさを自覚しながらも自分たちの「こころ」を、不安に揺るがされて持て余したりもしながら、しっかりと探し求めていく姿がある。心理療法の場はまさしくそうした彼らが彼ら自身を探している場でもあるのであろうか。紙面の都合もあって、症例報告や実証研究の成果の紹介は大幅に割愛した。その点については、別の機会に譲りたい。(なお、この論考はメンタルヘルス岡本財団からの研究助成(代表:杉山登志郎静岡大学教授)をうけた実践研究の成果の一部をまとめたものであることを付記しておく。)

(つじい・まさつぐ 発達臨床心理学)