いくらさんの書かれた『脳みそぐるぐるライフ』を、代理投稿しています。
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◎ ◎ ◎ ◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ (1) 03/3/4 ◎ ◎ ◎ ◎

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   〜のはずなんですが、
    このタイトルで文章書こうとずっと頭でこねくり回していたので、
    どーだったかわからなくなりました(爆)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜これは、ADHD/ASな私
  =いくらの日常のあれこれを綴った(綴っていく)ものです〜

<T屋くんのこと>
"T屋くん"とは、R△G F△IR
  (アカペラのグループ。紅白にも出たし、
   ボイパのOっくんがいるので有名なとこです)
のメンバー、T屋R央くんという人です。

私は只今このR△G F△IR及び、R央くんに夢中★で、
当然のことながら我が家では今、
毎日R△GのCDとVIDEOがリピートされております。
   〜こだわり★こだわり★過集中♪

そもそもは、秋〜冬の4ヶ月体が動かなくなって寝込んでいた時
(ADHD/ASの本とかで、身体症状の記述をほとんど見ることがないのですが、
私としてはかなり重大な側面だと思います!)
にラジオの深夜放送どっぷりの生活に久々に戻った中で、
R央くんの番組を聞いたのがきっかけでした。

この人のしゃべりの『テンパッてる』具合にやられてしまったのです。
だってもう、次から次へと話のそれていく語り口が
   …とても他人とは思えません(笑)。

「あ、今それふと思いついたのね」「そっちに行ったのね」
って頭の動きが手にとるようにわかるというか−でもって、
後半の方で話すといってたことを話さないで終わっちゃったりして、
「おいおい、あの話はどーした?」状態になると、もう最高(笑)。

かわいくて、いとおしくて、
思わず【おねーさんが、ぎゅ〜っと抱きしめてあげたい】気分になります
(…す、すいません(汗))。

――で、ふと思ったんですよ。
R央くんのそういうとこを"かわいい"とか"いとおしい"と思うなら
―私は、そういう私のことも"かわいい"とか、"いとおしい"って思える…
というか、思ってるんじゃないのか?って。

ファンの子がR央くんの『テンパリ具合』に対してコメントしてるのも
「そんなところがたまらない★」だの「素敵☆」だのって…
"ああ、いいんだなあ、このまんまで"ってきもちになりました。


電子音系を苦手とする私としては、アカペラだというのもよかったようで。
一人の声がマイクを通して来るより、
ハーモニーで重なって(あれ、意味同じ?)
伝わる声はまろやかになるのでいい、っていうのもあると思うし…

その他、いろんな意味で癒えてます。
  (→もともとの日本語としては、
    癒される、じゃなく、こういうのが正しいそうですよ彡
    安易に使いたくはない言葉なのですが、本当に胸の辺りがあったかくなって、
    ――あ、これが癒えるってことなんだっと実感しました)

ただ私は人にはまって共依存 
  (自己肯定感のない人が相手との境界線を
  上手く保てなくて関係にのめりこんで抜けられなくなる対人パターン)
になるのが恐くって、はじめの頃はのめりこまないように
セーブしようとしたりしてたんですけど、
友だち(自己肯定感に関する自助グループでであった友だち)に、

「今までのような感じはしない…それにね、いーじゃん。
R央君のことを思ったら、自分のこと好きだなぁって思ってあげれば」
と言われまして―――すごく嬉しかったし、その通り!
まさに今の私にピッタリなことを言ってもらったなぁ…
という感じがしたのです。

自分に愛情を送る『きっかけスイッチ』をもらったような気分で、
時々自分を抱きしめてあげるイメージをしたりしています。

それにこれだと、意識して自分のことを思うことで、
相手に密着してしまうパターンの改善にもつながるという一石二鳥☆

ま、こんな二次障害の克服の仕方(!?)もあるんだということで、
何かの参考になれば、幸いです☆彡


ちなみにこのR央くん
  (→今年の目標は「脳みそに追いつく身体作り」で、
    休みの日は「考え事」しているそうです。すてきでしょ?)、
もちろん、ADHDだのASだのというのは医療機関の診断で出る話ですし、
ご本人が困ってなきゃこういう名前で呼ぶこともないわけですが…
(ここで勝手に書いているのもなんなんですけど)


情報チェックしたら
「鶏料理の一日置いてできるゼラチン質や
生とかレアとか名のつくクリーム系のものが好き」で、
「選挙速報の番組が好き(一つを見ながらもう一つを録画する)」
「食品の原材料チェックが好き」
「調べ物が好き」

――で、スイカの種の数を並べて数えたり、
ベビースターラーメンはどれだけ入ってるのか4時間かけてつなげたり
(23.5cmだそうです―小さい方。
ファンのサイトで「何なら大きい方私が並べます!」っていうのがあって、
「多分それは本人がやらないと満足しないと思うぞ〜」
と心の中で突っ込みを入れつつも、
その"受け入れられてる感"がたまらなかった)。


とりあえず人間の脳のパターンがいくつかあるとして、
同じ島か村の出身だな(笑)って感じがたまりませんわ〜彡
  (→こういうの自己肯定して発表してるのも、励まされるものがあるし〜)
    コンサートツアーのパンフの文章とかも…私「アスペっぽい文章書くね」と
    言われたことがあって、そのときはよくわかんなかったんですけど、

他のメンバーの文と比べるとなるほど―「組み立てた」感じの構成で文体が固め、
でもって漢字の比率が高い(笑)素敵〜。


一番新しいシングル『空がきれい』には
"僕は感じるもの全てを組み立てるように積み上げて当てはめている"って
歌詞があるんですけど、多分私の推測では、
この手の脳みそじゃない人は、こういう事をしないんだと思うんですよネ。

少なくともこの文脈
(この唄は、そのコのことを好きだと気づきたての男の子の
あったかくなった気持ちが描かれているのです)では出てこないだろー。

どうぞ、こんな素晴らしいオレンジサングラスと白い羽
(→今の曲では羽はなし)を切り替えスイッチにしている御方にご注目を★彡
しゃべりが聴きたい方は
「T屋R央のオールナイトニッポン.com」火曜深夜をチェック!

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テキスト化 by◆水兎 030314

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◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(2) ◎◎◎◎ 2003.6.2(月)
                                     (C)いくら
                     
<セロトニン>

セロトニンが、TV番組のテーマになる時代が来たんですねえ…
見ましたか?『あRあR』。

私は、「あまりなじみのない言葉だと思いますが…」という司会陣の言葉に、
「ものすごくよく使ってるって!」と突っ込みを入れながら(笑)見てました。


 ○セロトニン分泌量を測っていたのには
   ⇒いいな〜。私も測ってほしい!!と思い
   ⇒ていうか「ずる〜い!」って言ってました(爆)。
     <でもホント、ああやって測る方法があるなら、真剣に知りたい。
       私らの検査に使ってほしいですよ〜。
       健常群との比較したら、何か見えてくるんじゃないですか?


 ○寝てる時呼吸が浅くなっていませんか?という話には。
   ⇒甘〜い! 起きてたって浅いぞ、と胸を張り <張ることかっつーの
     <私は、“頭に酸素が行ってない”ってことを意識することも多々あるし、
       調子が悪い時は、別に動いたりしてないのに、
       はぁはぁいってたりしますョ、当たり前に。

  【セロトニンが少ないと】
     →【呼吸中枢活発化できない】→【呼吸弱くなり酸欠】→【疲労の蓄積】

  って説明は、「何でこんなに疲れているのか」っていうことが、
  すごく納得できた、素晴らしい解説でした。 
  そうよ! こういうことが知りたいのよ!!


 ○姿勢を保つ力が弱い話についても
   ⇒「低筋張」とかいう言葉で、そういう力が弱いってとこまでは知っていたけど、
     どういう構造でそうなる?っていう肝心のことがわからなかったわけで…。

   【セロトニンが少ないと】
    →【姿勢を保つ抗重力筋に刺激を与える〜のが足りなくて】
    →【緊張させる力が弱くなり、姿勢維持できない】
  
   納得、納得!!  
         →わかるとすっきりするし、何より“自分を責めなくてすむ”
   人に会ってる時は、平気で立ってるけど、
   別れて地下鉄に乗った途端座り込んで(通路の端とかに)たりしてるもの。

 
 ○そして最大の収穫は
   …「セロトニン不足を解消する方法」
     (“縫線核”を活発化して、セロトニンを放出するようにする)が、
  
  なんと!【【リズム運動】】だったということですっ!!!
  

私は只今「ダンスセラピー」の勉強中なのですが、
今のところ精神科の医療現場等、
心に対するアプローチの手段として行なわれているケースが多いのですね。

でも、私としては、ダンスによる刺激で、
脳にアプローチして活性化していくことで、
機能が改善していくことがあるじゃないかと思っていて、

まず自分を実験台にして研究していき、ゆくゆくは、
脳の機能を向上させたい人のための
ダンスワークショップをやるつもりでいたので
−−−−−裏づけされたって感じ♪ですね。


もっとも、すでに実践され始めていて、「音楽運動療法」という名前で、
パーキンソン病や自閉症の人にセッションしている人が
国内にいて(本出てます)、スウェーデンでは、“音楽療法”の主流が
「脳機能回復音楽療法(FMT-metoden)というものなんだそうです。」

−−−内容は、治療中に言語は使用せず、
イエルム氏が開発した音のコードが、
クライエントの筋肉(動作)を通して、脳を刺激する、というもので、
このような筋肉を使った行動が、自身の脳に記憶トラック(航跡)を作り出し、
結果的に脳のアンバランスが回復される−−−

つまり、筋肉と神経を通して、脳に刺激を与える療法…ということで。
((この治療対象に、ADHDやAS入ってました!))


このような音楽(リズム)とダンス(からだを動かすこと)が重なると
効果も倍増!?でしょうね。
どうやら追求しがいのある分野のようで。

 『あるある』では“一秒間に2回のリズムで細胞を共振させる”ために
「踏み台昇降」運動をしていましたが、
ADHD入ってる人はこんな単純なことすぐ飽きるでしょうし(笑)、
踊る方がいいんじゃないでしょうか?


私は、6〜7年ほど西アフリカの踊りを踊ってきましたし、
先月から岩手県に伝承されている踊り(民舞)を始めたしで、
民族舞踊に触れることが多いわけなんですが、
民族舞踊って必ず太鼓や笛といった演奏と対になっているし、
その曲はシンプルなフレーズの繰り返し、
一定のリズムがエンドレスに続いていく

…というもので、対になっている踊りの方も、そのリズムをからだで刻み、
フレーズと対応した動きを繰り返し繰り返し踊っていくものなので、
セロトニンを増加させるにはぴったり(^o^)(!!)だと思いますー。
この辺をうまく応用して、より脳が活性化する動きとか、開発できたらいいな♪


…ま、でも現実のところとしては、踊ったからといって、
現時点ではまだ脳に不具合があるわけで。
それが、どの程度踊りをやったら、どのくらい改善していくのか、
そういう見込みがあるのか?というのが、
この先の研究すべき課題のようですね。

〜〜〜そう、「不具合がある」と言い切りましたが、わかったんです!!
脳の立体画像写真、とりました−−−!

これ書いてる時点で、
脳神経外科医の診断(コメント)は受けているのですが、
発達障害的診断をまだ受けていないので、
詳しくはまた次の号で書きたいと思います。


そんな私の今の心配は体調・・・疲労です(いつものことだが)。
8月まで、毎月半月分(つまり15日程度)は、行きたい予定があるので、
何とかできるだけ多く!できれば全部!! 行きたいよ〜彡 
というのが、願いです。

そうでない時は、
ベッドの上か、じゅうたんの上(はいつくばっている)が日常の私・・・
(ソファになんて、座ってられないんですってば)。なんでだよ〜~~~。
あ、セロトニンでしたね(爆)。
それにしてもひどいよ、…はぁはぁ。

そして最大の悩みや、連絡、実行が出来ないことだ〜〜!
うー。連絡していない方、すみません・・・。

「わかっていてもできない」ってやつですね
…パソコンも始めなきゃいけないんだけど、プロバイダのレンラクが…(>_<)(泣)。

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◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(3) ◎◎◎◎ 2003.6.5(木)
                                (C)いくら
<頭の中の作業員は、何人起きているか?>
これは、S藤孝という人(『声に出して読みたい日本語』で有名になったお方です)の
『「できる人」はどこがちがうのか』≪ちくま新書≫という本に出て来る表現です。
 
さしづめ、今日の私の場合は、“一人も起き上がれず、
立ち上がろうと腰を持ち上げようとしたままジタバタしている”ってところでしょうか。
この本のp.144〜155辺りに、脳の活性化についての記述があります。
脳の活性状態を上げるためには、
まず「自分の脳が今どの程度の活性状態にあるのかを感じること」
「自分の意識の活性度についての意識を持つこと」だ、ということで
“レベルを十段階で把握する「軸」を作る” ことがすすめられています。
 
それをより把握しやすくする表現として
「今、頭の中の作業員十人のうち、何人が起きて作業をしているか」
というのが使われているというわけです。

私なんかは、只漠然と“だる〜い・しんど〜いと言って寝ている”ことが多かったんですが
(今日もそうです)、そうしている私がいつも気になっているのが
「これは怠けじゃないのか?」という自分への疑い。
障害の診断を受ける前も受けた後も、ずーっと持っている感覚です。
 
むろん、無くすべく努力しているし、おさまって来ているとは思うんだけれど…。
そもそも、きちんと障害の受容ができてなくて、
アイデンティティの混乱がかなり尾を引いていることは否めない
(あ、この単語ステキ☆→おっと、AS的発言及び横道にそれ)。
 
 
私、薬が一日だけ(泣;)効いたことがあって、
その時「世の中の多くの人は、毎日こんなにすっきりしたアタマで過ごしてるわけ!?」
と思ったんですが <もちろん、それがいつもとは言わないですけど、それが基準か…と。
何せ一日だけだったんで、「あれは幻?」って感じで、自分の感覚に自信がないんですね。
それと、毎回そうなんですが、具合悪い時って、
特にどこが痛いとかカユイとかいうわけじゃなく、
“頭がボーっとして、ひたすら疲れて起きて動く気力もなく、
しんどくて呼吸が浅くなる”だけ
 (→だけ、じゃないのだろうか?これ充分、身体おかしいって言っていい状態??
   それがよくわからない)なので、
その時は自分を疑って、調子戻ってきたら
「あら、こんなに動けるしラク。てことはやっぱりあの時は具合悪かったんだ」
って自分を認める、そしてまた具合が悪くなると自分を疑うを繰り返す−−んです。
 
…って、書いてて少し分かってきましたが、何かちょっとおかしい、ね?
私、固定化された思考から離れられないみたいー。うぉーAS〜〜〜!!
 
 実は私、過去に付き合っていた人の言っていた数々のコトバにしばられて苦しんでます。
別れたのはもう数年以上も前のことで、けど同じ活動に関わっていたので、
それからも自分が受け入れられない考え方や、やり方をする現場に居続けて…
結果、受け入れられないと思いつつ、受け入れざるを得なかったわけで。
−−なら、そこから離れりゃいいやん、と思われるでしょうが、
まぁ、そこは色々あるということで〜。
 

でもね、それだけじゃなく、しばられるんですよね。
他のケースでもあるんですけど、どっかで“おかしい”とか“何か違う”ってことを
感じても(一方ではっきり文句を言うほどに自覚してたとしても)、
相手の言うことが絶対、みたいな感じで言われたことに従わなきゃいけないって
思っちゃうんですよねぇ…それも、強く言われれば言われるほど。
ホント、コトバにとらわれる。

 で、一度そうやって入り込んじゃったものは、簡単には変わらない。
自分で思い込んだもの、植え付けられたもの 
…気づいても、毒を抜くみたいに繰り返し吸い取ってかないと、影響が残り続ける。
変に誤解してることとか、まだたくさんある気がするもんな〜
(「仕事に関すること」とか)。

 あ、だいぶ話が展開してきちゃいましたが、
そういうわけで、今だ「自分は怠けてる?」と思い続けてるいくらであります。
ま、これは、コトバにとらわれているというより“思い込みにとらわれている”のでしょうが。
 あと、これ“自分の体感がわかりにくい”ってこともあるんでしょうかね?
外に出てないもの(「痛さ」とか「熱」とか「数値」とかになってない)は、
人と比較のしようがないしねー。
 
−−−そんなところが、私を「画像やらデータで違いの分かるものを欲しがる」
ことにこだわらせるのかも。
 
 
で、ここではじめに戻って。
「頭の中の作業員の人数考える」ってことは、少しその固定観念を解放していくことに
役立つかな…って思っているんですけどね。
けど、全部の作業員起きてたとしてもその労働量(power)が違うような気がしますけど(笑)。
あ〜できることなら、
一度他の人の身体に入り込んで、その身体感覚を味わってみたいものだ〜〜
 
どの程度疲労してんだろう?
どの程度覚醒してるんだろう?
「健常と呼ばれる範囲内にいる人」って???
 
そこのところが、私の『自分への信頼』に関わっているわけなんで。
−−ん〜。そうするとね、「そもそも、じゃあ怠けちゃいかんのか?」
ってQもありなんだと思うんですけど、
つまり私は「怠けちゃいかん!」て激しく思い込んでいる、ってことなんですよね。
でも、その「怠けちゃいかん」がイメージするスピードって、「健常者」の、
しかもその人たちもしんどいと思うようなスピードだったりするわけですから、
設定自体おかしく固定して思い込んじゃってるような…で、
これまた、なかなか抜けないんですな。 やっかいですな。彡
 
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◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(4) ◎◎◎◎  2003.6.15(日)
                             (C)いくら
                             
〜この通信は、ワタクシ・いくらの脳の機能障害からくる、
 あれやこれやを書き綴るものでございます。
 そうすることによって、自分自身整理をすると同時に、
 自分の状態を他者に説明する表現を獲得したい、という想いからはじめました〜
 
<「心のケア」を再考する PARTII “心の傷とエンパワー”>
という講座に、先日参加してきました。
講師の方が知人で、
久々に会いたいなー、お話聞きたいなぁーという気持ちと共に、
講座紹介のコメントに魅かれたからでもあります。
「・・・支配−隷属構造が多重化する社会。
 その中で心の傷を受けた人は、自分に起きた出来事の本質を把握できずに、
 自分を責めてしまうので、孤立するほど回復が遅れます。
 奪われた力を取り戻して元気に生きる(エンパワーの)社会的視点と
 仲間作りについて考えたいと想います。」
≪エンパワー/エンパワメントとは、
 その人が本来持っている力を引き出す、あるいは引き出されるといった意味の言葉です。
 元々ないところに力つけるんじゃなくて、隠れてるけど本当はあるんだよ!
 というメッセージが含まれた言葉−−だといくらは思っています。≫
私は、このコメントを“自分が診断を受けてからの3年間”と重ね合わせて読みました。
講座もそのようにして聴きました。

サポートすることについて
 【(足を踏まれて)痛い】→じゃあ、病院に行ったら、ではなく
      ↓
 「あなた、足踏まれてるよ。
  それは足を踏まれてるから痛いんだ、と気づいてのけるのを手伝う。」
と例えて話してくれたのが、実に分かりやすく納得のいくもので、すっきりしました。
  <“自分の状態を理解する”ということは、それだけで大きな力になります。
    それも彼女は、
   「自分の抱えている問題の正体がわからないで抱え続けて
   (背負っ)てると、人は病気になる」と、
    見事にコトバにして現してくれました。
 この3年の私は
「えっ、他の人、こんなに痛くないんだ? じゃあ痛いって言っていい
−−っていうか痛いって言った方がいいんだね。じゃあ…『痛いです!』」に、
「あなたは痛くないでしょ」って返事がかえってくることの繰り返し、
みたいな日々でしたからね。
  →自分のせいだと思って、痛みを我慢してる方が、精神的にはずっとラクです。

「病気(そもそもまず病気じゃないんだけど)のせいにして」って言うような人には、
怒りを表現できて、私としては逆にいい(出せるから)くらいでしたけど
−むろん傷ついてはいますが− 
一番困るのは「大丈夫」って言う人…だって、「大丈夫ではない」んだもの!!

基本的に“大丈夫か大丈夫ではないか"は、本人が決めることだろう、と私は思っています。
器が違うんだから、その人になって見なければ分かるわけはないだろう、と。

ただ、必要以上にアピールする人もいたり
  <それがその人に必要な状態なんだろう、とは思いますが…。
とかってことで、疑いの目を持ってみる人がいるんでしょうね。

では「見えない障害」は一体どうしたらいいんだろう?
にっこり笑って「大丈夫」という人に対しては、何も言い返せなくなります。
  <それでも「大丈夫じゃないです」と淡々と、
   もしくは明るく(同情を買うためにしてるんではないです、
   単に事実を述べてるだけですという思いを込めて)言ったこともありますが、
   微妙にひいてる気配が分かります。
それも、同じ障害を持つこの親御さんやら、“専門家”と呼ばれる人たちがそうなんでね、
本当に絶望します。

 この『「心のケア」を再考する』というシリーズは、
そうやって問題を個人の心理次元に還元して言っていいのか? 
その前に社会のシステムだったりといった側の方に問題はないのか? 
という視点で企画されている連続講座で、
私はこれを聞いた時に“まさに私たち…”って思ったのでした。
「根本の脳の機能以外のところで、背負っているものが多すぎる」
っていうのが実感でしたから。

実際、話の中でDV(家庭内での暴力)について言っていた
“ここ何年かで急に認知された。社会に無きものとされていた。そうであると言っても
「そんなものを持ち出すお前がおかしい」と人に言われる”ところなんて共通するもので。
そのことによって感じる「理解されない」
という孤立感・無援感・そこから発展する無力感と自責−−もうそのものじゃないですか!
   →『そういう意味において、社会的な問題である』と私は思っていたのが
    肯定されたような気がしたし、把握できず、整理できずにいたものが
    まとまりをもっておさまった、というところですごく救われたんですね。

 でも実は、こういう会においても言われちゃうんです。
私の障害においての上記のような社会構造について話そうと思ったら、
ある方に「あれは作られた障害だと思っている」と言われまして…、
その方はLDになぞらえてとらえていましたが、
要は“社会のシステムが障害としてラベリングして、薬を飲ませたり治療対象として
扱っているけれども、そうやってラベル貼りをするのはいかがなものか”ということだと
私は理解したんですが−−「ああ、そっちの意味で社会的問題って話にとったのね」と−−、
確かにその視点もわからなくはないですが、
そういう名前がつくことで、やっと救われる人間がいる、
といのうのが一番大きなことなんです。

正直、かなりつらかった…
障害名を出すと、その人が持ってるこの障害に対するイメージで、
カテゴライズされちゃうんだなって思い知ったし、
今通っているイメージはあまりにも私の抱える現実・症状とは違うんで、
これからは障害名なるべく出さないで話していこう−−と決意したのでした。
 でも、とにかく私は話していくと思う。
見えない以上、言わなきゃ伝わらないから。
言ったって、信用されないけどね、なかなか。
困難があるって言ったって、大したことないってすごく大袈裟に表してる
   <きちんと理解される−でもって自分もそれを信じられる。
と思われない日はいつ来るのだー!
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テキスト化 by 水兎
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◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(5) ◎◎◎◎ 2003.6.20(金)
                                             (C)いくら
<息ができない!>

今日、起きたら空気が吸えなくて大変だった。
母親に、「頼むから、ドアか窓開けといて…」と何とか言ったつもりが、
何故か食事が出てきて、“ごはん”て聞こえたらしいので、息も絶え絶えだったんでしょう。
   <母の聞き間違いも相当あるんだとは思うんですけど−日頃のことからして。
 
ちょうど、蒸し暑い状態で閉ざされた空間−空気が薄くなってたようなところ、
寝つけなくて寝たのが、朝7:00くらいで、12:30に目覚めて。
   <この時間に目覚めることは、今、日常茶飯事なんですけど〜(爆)!
その間、母は一度部屋に入ってくるので、冒頭のコトバになったわけです。
 
 
こういう時の私は、真夏の犬くらい(笑)、ぜぇぜぇはぁはぁ言っていて、
鼻は全く機能していない…吸い込めない。
鼻の中に編み目がやたら細かくて詰まってるフィルターがかかってるような感覚。
と、いうわけで、当然脳に起動するパワーの源がたどりついてな〜い(涙)
という状態になってるわけですな。酸素が入って行かないのー。
 

あのー、ここで、いわゆる“健常”と呼ばれている方達にうかがいたいんですけど…。
いくら蒸し暑くても、「息ができない」ってことはないんですよねえ?
   <だとすると、障害の症状って言えるんじゃないのかなーと…
     あ、お仲間の方は、こういうことあります??
 
さっき、母に聞いてみたんですけど“一般的にはこういうことはないんだよね?”
という意味の質問をしても、毎回ピントのズレた答えしか帰ってこないので、あてにならず…
今回は鼻の病気持ってる人のこととか言い出したので−−そうじゃなくて、
「特に鼻がおかしくない人でも、蒸し暑いと息はできないよ」ってことであれば、
それはわざわざ問題にすることじゃなくて、誰にでもあることになるじゃないかー!
それが確認したいんだぁ〜彡

おまけに母、「鼻悪いのかねえ?」ってのん気に言うので、
私イライラして「鼻が悪いんじゃなく、脳が悪いんだぁ!!」と怒り気味に主張。
だって、鼻通じてないだけなら、口から息吸ってるわけだから、
効率は悪かったり質のいい空気じゃなかったりするかもしれないけど、
呼吸困難ばりにはならないんでしょ? どうなんだ??

ま、うちの母、子どもの頃えらい蓄膿症で、薬飲んでたらい一杯分の鼻血が出た後、
蓄膿とひどい頭痛が治った、という経験の持ち主なんでね…。
   <そう思うのも無理はないとは言えますが。

 
私としては、鼻じゃなくて脳に酸素を供給させる機能のところに
問題があるんだと思うんですけどね…。
確かに、鼻が詰まってる感じと言えなくもないけれど、それよりももっと奥の具合が悪くて、
だから鼻詰まってるように感じられるんじゃないかと。
前頭葉張ってる感がするのは、
一生懸命動かして酸素を引っぱってこようとしてるんじゃないのかなぁ、と。

 
そういえば、脳の立体画像写真撮った時、
脳神経外科の医師に『筋肉性の頭痛』があると聞きました!
ズキズキするようなのでも、鈍痛なのでもなく、とにかく痛いというのではないけど、
頭が張ってしんどい状態がしょっちゅうある−−という話しをしたら、
「ああ、それも頭痛ですよ」といともあっさり言われたんだけど…、
そんなのわかんないですよねぇ? 知らなかったよー。
この話を聞いた途端、私の頭痛の頻度は急上昇↑。
 

医師には「くよくよ悩んだりするんじゃない?」なんて言われたんだけど、違うわい!
必死に頭動かそうとしてるからじゃー彡 と内心思ふ。
私、“長年すっごい努力して、悩まないように自分を改造してきた”という自負があるので、
そういう風に軽く言われちゃうと、心外だわ!!モードに入るんですわ。
発達障害だと言っても、何故か心因性のものと受け取られてしまう哀しさもあるしね。
 

本人(いくら)としては、日々障害と向き合って生きてる、
もしかしたら逃げつつ?も向き合わないといけない現実の中で、
「まだ何だかよくわからないもの」と闘いながら、
アイデンティティ(自己同一性)が混乱しつつも生活している−−って思ってんのに、
“鼻”や“心”の話にされちゃうと、すり替えられているような、
自分の大事なものを見ないで話しをされてるような気がしてしまいます。
診断受けたてカミングアウトしまくりの時期は、その連続でしたねー。
 

【やっと気づいた自己像・自分】がここにあるとして、
【今まで自分も自分であると思っていた姿】を見て、人は話しているって感覚。

外見は何ら変わらないわけだし、こう変わったんだ、じゃなくて、
ずうっと前からそうなんだって話なんですから、
客観的に見たら分かられにくいのももっとも、なんですけどね
   <って最近ようやく思えるようにはなったけどさ−−大人なんだから(爆)!
やっかいなもんに生まれついちまったよなーとか思いますよね。
ま、時々おいしいなとも思うんですけど(笑)。
     →お笑い芸人の人が、「ネタになる」とて喜ぶような感覚のこと。
     
でなきゃ、やってられないって!と、今回も話がそれたというところで終了します(笑)☆
6
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(6) ◎◎◎◎ 2003.6.27(日)
                                           (C)いくら
<No Tittle>
 
 今、“これから先何をどうして行くか”ってことを考えてて、アタマ固まってきたところです。
またまた比べようのないコトなんですが、
たぶん発達障害の脳はこうして筋道立てて考えていくことがスムーズにできない脳・・・
ってことなんでしょうねー。
アタマ張ってくる(筋肉性頭痛になりやすくなる)わ、肩もこってくるわ−−
でも、こうやって必死に動かさないと、物事を理解したり整理して前に進んで行けな〜い!

てなわけで、日々無駄に疲れつつも考えることは止めないいくらです。
考えてるようで実は肝心のことをどうしたらいいのかに頭は動いていないので…
やっぱりこうした機能レベルが低いんでしょうね。 しんどいっす。
 

ここ4日ほどはだらだら寝ているうちに日々が過ぎ、
ついに(こういう自分がスイッチ入ることなら忘れない&実行できる)
毎年の楽しみ事のチケット申し込み〆切日を間違えて申し込みそこね−−
一次〆切日を過ぎたってことなんで、すぐ送ればいいものを、
スイッチ入りきらなくて、まだそのまま。
好きなことならスイッチ入るというエネルギーも切れ気味?
 
 
 話変わって。
さっき、t.△.T.u.が、ナマの音楽番組すっぽかしたのを見て、大ウケ彡
あれでも彼女たちは、自分を責めたりしないんでしょうよ…もちろん
   <だって調子悪いからとかじゃなく、気分じゃないからでなかっただけだろうから。
 
 【解説】ロシアの女の子二人組みで、今世界的にすごく売れてるミュージシャンが、
     「ミュージックステーション」のゲストだったのだが、
     すっぽかすので有名な彼女たちは心配された通り、
     歌う時になっても楽屋から出て来ず、そのまま番組は終了となった。
    →その後有名になっちゃったので、これいらないかも知れないですね。
       <余談ですが、このとき代わりに二曲歌った
         ミシェルガンエレファントはその対応がかっこよかった〜。大人だわ〜。

 
なんかね、ああいうのを見ると「自己肯定ってしたことの中身じゃないんだな」って
深〜く思うよねェ〜。

あんなにたくさんの人に迷惑かけたって、平気なものは平気だし、
一方で自分が決めたことが思うペースで進んで行かないだけで、別に誰に迷惑もかけてないのに、
毎回「これは怠けか? 疲労症状か?」って悩んでる私がいたりするわけですから。
いや、私も迷惑かけていないわけではなくて、そういうものに限ってレンラクとらないので、
まさにすっぽかし状態になっていたりもするし(あぁ…(涙))、
迷惑かけるのが怖くて踏み出せないコト(仕事なんかまさにそうだしー)もあるのですが・・・。

とにかく、“思ったもん勝ち!”だなと思ったわけですよ。
ま、これもt.A.T.u.見る前に、ふと思いついたことなんですが。
自己肯定に理由はいらない−−いや、むしろ、あっちゃいけないのかな?
理由があったら、それ解決できないと肯定できない−!!
 
もう、「あれができなかった」「これをしてない」っていちいち悩んで自己否定してるのって、
エネルギーと時間がもったいな〜い!
そんなことだったら、
他にちゃんとエネルギーと時間をかけたいものが、私にはあるじゃないかー!!

   <でもなかなかそっちに回っていかないので、
    それでまた自己否定しちゃったりするのだ・・・。
 
あー、この思考で自己否定抜け出せるとよいな♪
7
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(7) ◎◎◎◎ 2003.6.30(月)
                                           (C)いくら
 
<無能の人>
 
 おとつい、電話代がひどくかさんでいることを母から告げられ、ショック!!
電話はさほどかけていないので、ネット接続料金なのであろうと思うのですが・・・。

何がつらいって、こうしてお金がかかっても、その分稼げるとか、稼ごうと思えたら、
それは「ああ、ちょっと使っちゃったなあ…」ってだけの話かもしれないのだけど、
私“自分が稼げるって気が少しもしない”ので、それがつらい−−−。
 
だから、何かお金がかかったとか、お金がかかることがしたいと思ったときって、
いつもそこで思考がSTOPする。
つまり、自分というものが、そこで固定化されてしまって、可能性に開いていってない・・・。
こんなことが、もう10年ですよ。
10年そんな状態の自分からしたら、「そんな私は異常な状態にある」って思うんだけど、
“就労の専門家”という人に言ったって、
「大丈夫ですよ(にっこり)」で放っとかれたりするのでね・・・。
 
傷ついて、“そういう人には期待しないようにしよう”と決意するけれど、
そのまんまじゃヤバイので、じゃあ何とかしなきゃと思っても、
何したらよいか・・・どこに行ったらいいのか・・・ってんで、家で寝てるしかない、
みたいなことが、また何ヶ月も続く−−そうして何年?
 
そもそも私、「面接が恐い」んですよ。
人生で何度か働いたのも全て知人の紹介とかで、
電話かけて知らないところに連絡したことがない。
それも、「しなきゃいけない」とは思ってて、20代前半に一人暮らししてた頃、
部屋にはしょっちゅう買ってたアルバイト情報誌が、うず高く積まれていて・・・。
何十冊はあっただろうに、それでも一度も電話かけられなかったんです。
自分の中では「恐怖の度合いが異常だな」って認識が強くあるのですが、越えられないで来た。
   <恐怖というか、“抵抗”というか。『ブロックがある』という感じ。
    これを取らない限り、どーにもならない!と思う。
    たぶん、私には『仕事』というものに対するゆがんだ思考がいくつか、
    そして根深くあるんだと思うのです。
 
『教えて私の「脳みそ」のかたち』[2003花風社]の中で、
ニキ・リンコさんが
“「社会人=お勤め」っていう誤解にものすごく強固に縛られていて、
留年したらサラリーマンになれない→もうダメだ!って思い込んでいた”
ってコトを書かれていますが、私はずっと“中退した私はバイトをする資格がない”んだ
と思い込んでいました・・・っていうか、今も思ってます(爆)。
言葉を読んで「どうやらそうじゃないらしい」とうっすら気づいても、
ちゃんと全体としてとらえ直せない・書き替えられない・・・。
 
 
あと、去年働いた時(結局体調悪化して、途中でやめてしまった)一緒に仕事していた娘から、
「いくらちゃん、そんな一生懸命やってたら疲れるから少し休もうよ」って声かけられて・・・
休んでいいって、はじめて知った、とか。
私、「昼休み」見たいにちゃんと規定されてる休み時間以外は、
片時も休んじゃいけないんだと思っていました。
そう言われて、周りを見てみたら
(その時、高い給料もらってる公務員の人と同じフロアで仕事してたんですけど)、
新聞読んだりとか、しゃべったりとかしてる・・・! びっくりしました。
 
それから「休む」ということを学習したんですが、“してるようなしてないような”
適度な力の抜き具合っていうのは、すごく難しかった・・・。
まあ、疲れやすいわけですよね。
もっとも、それぐらい気合入れてないと、
他の人がすんなりこなす仕事終えられなかったりするわけですけど。
 
今まで、テレビとかで会社の様子とか映ってるのを見て
「仕事ってこういうもの」なんだと理解してきているので・・・
おかしな入力がいっぱいされてるんですよ。
でも、何がおかしいのか、本人だけじゃ気づけないんでね。
とにかく、「仕事」ということについて、他の人と話す機会が欲しいんですが・・・。
これが、何故か「私、何か悪いことした?」とでも思わざるを得なくなるくらい、かなわな〜い!
断られることが続くと、自分の思考や価値を否定してしまう方に流れるのでねー。
いかんです、困るです。
 
私の認識、明らかにおかしいのに!! って思うけど、ヘタに助けてとか言った日にゃー、
重たがられたり、ひかれたり、どえらいこと言われてかえって傷負ったりするので、
最近は「ものすごく様子を見る」ようになって来ました(哀しひ・・・(涙))
     →変な言葉だと思いますが、ニュアンスをおわかりくださいませ。
 
 
自分のことだから、自分でケリをつけようって思っているつもりだけど、
あんまり相手にされないと、まるで自分投げ出して、
人に頼ろうとしてるように見えるのかしら?とかね、思っちゃいます。
そんなことないですからー。わかってー!
===== ===== ===== ===== ===== =====
 
うまく探せば、私にもできる仕事はあるハズだし、
そもそも私の能力でお給料なり賃金をもらってよかったりもすると・・・。
きっと・・・ 思うんだけど、今だって出来る仕事、発見できないし、
やってることでお金もらえない(もらっていいと思えない)んだよ〜ん!!
このゆがみはどうやったら解消されるのだー!
 
おシゴトしてない、お金もらってない立場になると分かりますが、
この国で、この社会で、無職でいるということや、
事実として「金銭を自分の力で得ていない」ということ、
その状態に長くいるということは、単に仕事してないというよりもっと深いレベルにおいて、
人間としての無価値観というところに、ひっかかってくるんですねー。
 
これは、単に「そんな風に思わなくていいのよ」って話ではなくて、
全体をおおっている価値観から、みんなに植え付けられている無意識の意識だから、
それを取り去ることこそ難しくしんどい闘いなんですよ。
はぁー。私って、闘う運命なのかしらん?とか思っちゃいますけど。
ま、生きることは、闘いですよね。いずれにしても。
 
8
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(8) ◎◎◎◎ 2003.7.7(月)
                                                  (C)いくら
 
<私の生きる道>
 ここ2日くらい考えていたことと、さっき“「僕の生きる道」特別編”を見ながら考えたこと。

「僕の生きる道」というのは、SM△Pくさなぎ君が主演した、
余命1年と告げられた教師の生き様を描いたドラマで、私はよく泣きながらこれを見ていた。

さっきも号泣しながら特別編を見ていて−−
多分、涙にして出て行ったことで、私の中の何かが変ったように思う。
 私は、死ぬことがものすごく怖い。
だから、この「死」をテーマにしたドラマは、
“私が直面できないでいること”に向かい合わせてくれるものだった。

 そして、向かい合えないでいるものはもう一つあって、その2日考えていたことと、
今日見た番組とが結びついて、私の中に入って来た気が、今、している。
 それは−−「私はこの人生において、自分の思うことの半分・・・
どころか1/3か1/4も成し遂げられないかも知れない」ということだ。

 ドラマの方は、思ったことをやって来なかった中村先生が、
一念発起して悔いの残らないようやり遂げていく、っていう話なんだけれど・・・不思議なもので、
その延長上にあるスペシャルを見て、逆のこと(になるのかな? ある意味同じことなのかも)
を受け入れるコトが出来たような−。

 今までの人生、なんとか「これをやらなきゃいけない筈のこと」をやろうと、
あるいはやれるようになろうと必死になってきて−−障害だってわかってからだって
“でも努力はしなきゃいけないんだ”って言葉があちこちに書かれていて、
結局私はそれを“無理なとこ押していく”ようにしか、理解していなかったのか?
ってくらい張り詰めていて−−それは、私の中に、
『これくらいのことをやらないと、存在する資格がないんじゃないか』
っていう思いがあったんだろうと思う。

 この何日かもまたまた寝ていて、庭やベランダに出るのでさえおっくうで、
日がな一日太陽も浴びず部屋にいるだけで終わっていき、食事さえもベッドサイドでとり、
それすら運んできてもらう状態で・・・そもそも食事をするのも疲れるので
(食事するって体力いりますよね、実は。
あと食べて消化するのに内臓とか動かさなきゃいけないから、そのあともしんどくなるし)
すごくお腹空いてても、食べられる状態になるまでご飯食べなかったりするし。

 そうすると「何やってんだ〜、あたし」って思うわけですよ。
もう、このダメ出しが、いつも頭に渦巻いていて。
  <演劇用語で改善点のチェックを入れることの意、なんですけど最近一般化してますよね。
32になって、やはり少し体力が落ちてきたのか、
若さの気力と体力でフォローしたであろう部分がなくなってきて、
以前より動けなくなっている自分を感じたりします。

そんな現状があって、さっき番組を見ながら、
「ああ、もしかして私は、これから一生働けないのかもしれない
  <職業を持って収入を得るという意味において」って思ったんです。
で、「ああ、しょうがないのかもな」って思ったんですね。
それは別に、これから先仕事することを全くあきらめて、
何の可能性見つけもしないって意味ではなくて。
「あたしはそうなのかも」“そういう自分でやろうと思うことやれなくて、
あるいは成し遂げられなくてあきらめたり悲しい気持ちになったりする
度合いの多い人生を生きる存在”なのかも−−。

 私には、すごくやりたいことがあります。
でも、それはこの状態の私には正反対にあることかも知れないことで・・・
その夢をあきらめるつもりはないけれど、望む形になりきることは無理なのかもしれなくて。
周りに私の理想を実現化させてる人たちがけっこういて、時にすごくつらくなります。
何で私はそれを得られないんだろう・・・って。
たぶん−−たどり着くまでに他のヒトの何倍もの時間がかかります。
誰かが10回やってるとしたら、私は1・2回しかやれないかもしれない。
「それは、そうなんだ。私はそういう人間なんだ」ということを引き受けて、納得する・・・
という心が、今、やって来たんだ。そんな気持ちです。

 確かにね、一生懸命やってるつもりでも、頭も身体も動かないんですよ。
もどかしいわ、哀しいわ−−だったけど、「それはそういうものなのかも」
『あたしは、能力が劣っているんだ』−−でも、人間はロボットじゃないのだから、
能力が劣っているからといって、存在価値がないわけではないんだ・・・。

 この『能力が劣っている自分』
   <ま、能力もいろいろありますので、イイトコ磨けば言いわけですが。
    ここで言ってるのは「実行機能」的なことと、その結果、とご理解ください。
を認めたくなかったんだと思いますね。私は。きっと、あんまりつらすぎるので・・・。
けど、数少なくてもいいやんか、それでもいいやんか、って思ったんだな。今日−−。
  <何故か「許そう」と思うと、大阪弁になる
   −−逆に言うと大阪弁で自分に呼びかけると、許しやすい!?

 こうやって生まれついちゃったんだから、しょうがなくて、
それでもまぁいろいろ試してみたりはするけれど、
結果は「ぼちぼち」しかいかなかったりするかもしれないんだけど、
ま、それでもいいんじゃないの?
しゃーないやんか(笑ニコッ)って感じですかねー。
  <どうにもならないコトはあるし、それでも人は生きていかなくてはならないのだから。
 
生きてくし!
9
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(9) ◎◎◎◎  2003.7.22(火)
                                               (C)いくら
 
        〜〜この通信は、「発達障害」という脳の不具合を持つ
        いくらの生活のあれやこれやを書いたものです。〜〜

<スロゥ,スロゥ,クイック,クイック>
 
 いよいよ持ってシンドイので、病院に行こうと思い始めた今日この頃です。
とにかく疲労だ。だるいんだよ〜!!

 昨日、“スローライフ”に関する番組を見た。
−−−このキーワードには興味があって、予定では週末にある
「スロー学入門」なる講座に行くつもりなのですけど、
    <体調次第ネ〜〜結局行きませんでした。
    
どうも番組見ててもすっきりしない 
・・・この違和感はなんだろう?って思ってたら、わかった!
ここに出てくる人たちは、
ゆっくりだろうが「やろうと思うことはやれる」状態にあるわけで、
そこが「実行機能障害」有りの私と違うところなんだ。
で、ここで言ってるスローライフって、体力ないと出来ないんだよー彡→健康じゃないとね。
 
 
番組では、イタリアの田舎で食を楽しむ=人生を楽しむ映像が紹介されていたけど、
今日の私なんて、例によって「お腹がすごくすいてるんだけど、
食べたり消化したりという作業をする状態に身体が準備できてない」ので、
なかなかご飯が食べられなくて−−でも、食べなきゃ余計に動けないし、しんどいので、
何とか食べられるものを探して、紅茶飲んで、バナナ食べて、プリン食べて 
・・・そうめん食べて、フォー(米のめん)食べて 
・・・ようやくそれも食べられるかなとパン食べて・・・一日を食べるために費やして、
あとは、はぁはぁ言いながら、ラジオ聞いてただけ、でしたからねー。
 
 
とても楽しむ余裕はなく。
自力で作るパワーはなかったので、母にそうめんゆでてもらったけれど、
「そうめんと冷麦どっちがいい?」って聞かれて
「・・・どっちでもいい・・・おねがい・・・」ヘロヘロ〜ってな具合だし。
    <実際どっちだったのかすらわからんし(爆)
 
 
「ようやくそれも〜パン」というのは、
それまでは固形のものを食べられる状態にはなかったということです。
 

ちなみに、脳ミソ的なところで言いますと、
    <もしかして書いたことあるかなぁ
ご飯があって、お味噌汁があって、おかずがいくつかあって・・・というものは、
“脳が混乱する ので食べられない”というのが、調子の悪い時の私の実感です。
寝込んでいるときとかに、
おかず(違うものがいろいろ目の中に入ってくる)がどーっと出されると、
「うわーっ、ダメ。一つにしてェ〜」って絶叫するのでした。
 

 “ファーストフードの発想は、
 短時間でガソリン補給してエネルギーにするだけのために食べるようなもの”
って話が出てたけど、補給すんのすら大変な身としては
・・・SFマンガに出てきた「錠剤1コ飲んだら1日分まかなえる」シーンを見て、
「楽でいいなあ」と思ったものです。
今でもしんどい時憧れます。→これって、病院行けって話??
 
10
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ(10) ◎◎◎◎ 2003.7.29(火)
                                                 (C)いくら

<真昼の星 〜みえないけれども、あるんだよ>

 昨日、アスペルガー症候群の講演会に行ってきた。
そこで、終わった後、その場にいた人と話した時に言われたことが、
常々私が「問題だなあー」と思っていたことだったので、ここに書くことにする。
 と言っても、それを非難したいという意図ではなく、
「どうか理解して欲しい」という願いを込めてのものなので、
そう考えて読んでいただければありがたい。
 

 私は、その場である人に話しかけ
「(自分は)アスペルガー症候群の当事者なんですよ」と言った。
それに対しての返事として、すぐに返ってきた言葉がどうかは記憶がはっきりしないが、
その人と話していた数分の中で『そうは見えない』という言葉があった。
 

 あのですね。
当事者と自ら名乗っている人に対して、そういう言葉をかけるのは、
相手を“傷つけたり、追い詰めたりしたいのでなければ”やめた方がいいです。
   <もちろん、診断名を認識している子どもにもやめた方がいい−と私は思います。

『そう見えないから(こそ)大変』なんですよ。
それこそが、本質であり、最大の課題でしょう。
 

 見えないから、発見されない。見えないから、困難を理解されない。
見えないから、必要な支援を受けることすらままならず、放置されている存在
−−−それが、私たちです。

だから、誤解されたり、否定されたり、自分を疑ったり、責めたりするんです。
そんな当事者に向かって「とてもそうは見えないよ」という声をかけるということは、
そういう現実を、その人に突きつけているかのようなことになる・・・
“わかってもらえない”という事実を再認識させることになるのです。
そういった意味で、「そう見えない」って言われて嫌な思いはしても、
喜ぶことは無いと思うので、言わない方がいいと思います。
というか−−言わないでいただきたいです。
 

 でもね、いざ会話をしていて、そういう言葉が出てきた時、
とっさにこんな説明はできないんですよね・・・。
昨日も、その場では言うコトが出来ませんでした。
   <話の流れに対して、急に違う文脈を思い浮かべて話す、
    ということが難しいということもあると思いますし。
なので、ここで書いて伝えることで、説明していくことにしました。
 

 私は、今までに何度となくこういったことを言われています。
きっと、この言葉を発しているご本人は、
“自分の言ったことが私を苦しめる原因になっている”  とは気づいてないのだと思うんですよ。
 
多分何気なく軽い気持ちで言っているのか、
逆に励ましたりほめたり(!?)するつもりで言っているんじゃないかと思うんですよね。
だからこそ、「どうもズレた感覚」を私は感じるし、
そこはこうして伝えないと分からないのではないだろうかと思い至ったわけです。
 

 こういうことを言われる時の雰囲気って、必ずと言っていいほど相手の方は
ニコッと笑顔で明るく語りかけてこられるんですよ。
なので、私もつい明るく返事をしてしまって・・・。
   <あとから「あー」って悔やんだりするわけです。
そうですね。
「今日はいい天気だねぇ」なんて話してる会話のノリやトーンに近いと思います。

 でも、私にとって『そう見えない』ことは大変で苦しいこと・・・すごくつらいことなので、
正直な処、笑ってすむ話じゃなくて、核心を突く深刻な話になるわけです。
   <だからと言って暗くなる−−って言うわけじゃないので・・・
    うーん、深刻〜シリアスっていうより、リアルな話とでも言いましょうか。
 
だから、そんなニコニコ軽く言われても困るんですよ! いきなり言われても困るし。
だいたい、ASって「自閉症の言語障害のないタイプ」のはずだから、
少し話しただけで「それとわかる」方がおかしいと言うか・・・
そんなにすぐわかり「そう見える」ようなら、診断名が違ってくるはずでしょ?
 

 でも、「そう見えない」っていうのは、
何−−どういう状態を想定していっているんだろう??
上手く話しかけられないで、まごまごしてたりとかしたら「そう見える」んだろうか?
   <そりゃちょっと意味違うよね。
    そういうコミュニケーションの障害じゃないもんね。
 
けど、そういうことだったら、私ちゃんと(笑)講演会の最中、
ケータイがなるたびにバッと耳押さえてたし、
マイクの音にだいぶやられて「はー」ってため息ついたりとかしてましたよー彡
あ、けどね。これってASの講演会なんで堂々とやってましたけど、
他行ったらやらないかもしれないです。
ましてや、人数が少なくて、一生懸命しゃべってるヒトのすぐ近く、
目の前に座ってたりとかしたら・・・
その人が「自分の話しを聞くのがイヤなのか」って思っちゃうような
シュチュエイションだったら、やらないでガマンするかもしれません。
ガマンしたら、それは「見えない」ですよね。

 ・・・・・・・・実は私、前から持っていた“違和感”があって、
それ今回これを書くために考えて、うっすらわかった気がしたんですけど。
まず「見える」「見えない」って話になるコト自体、その根底には、
人と差異のある外見を持ってたり、
行動をとる人への差別意識があるんじゃないかなあ?
「あなたはそうじゃないからいいじゃない」みたいなね。
 
それは、むろん「見える障害」を持つ人にも失礼だし、
「見えない障害」や病気を持つ人にも、すごく失礼なことですよね−−。
棚上げして言うつもりはなく、
自分の中にも差別意識とか眠っているだろうと思います。 いくらでした。
                           
11
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ【11】 ◎◎◎◎  2003.8.9(土)
                                             (C)いくら
 
<思い出す、あの日>
 
 講演会のお知らせが届いた。
“発達障碍者の就労支援” についての講演があると−−−−
講師の話したこととして
「このような障害のある人が、就労・自立して行く為には、
 ある意味一生涯のサポートが必要です。」と言う言葉も載っていた。
私、この人が来るっていうんで、少し足を伸ばして、講演聞きに行ったことがありましてですね
(たぶん2年前くらいだった筈)、すごく期待していったんですよ。
“就労の専門家” だ、ということだったので。
 

 そういうテーマであちこちで話しているようだったし、本も書いているし。
他にこういうことメインで活動している人、見当たらないなぁ・・・と思っていて発見したから、
嬉しくって。
 
それまで、仕事のことで相談しても上手くいかなかったのは、
専門外のことがわからなかったからだろう。
今度は専門家だから、何らかのヒントが見つかるなり、少し歯ごたえのある話が聞けるなり・・・
少なくとも、「困っている」と言う声を受けとめてはくれるだろう。
やっと見つかった!なんて思って行ったんです。
 

 で、実際行って話しを聞いて−−すっきりとわかりやすくまとまっていて
・・・的確な話しをする人で、感じもよかった。
「あぁ、この人ならいいな」と思えたんで、話が終わって質疑応答の時間になった時、
手を挙げて発言したんですよね。
 
 そしたら・・・返ってきた言葉が『大丈夫ですよ』だったんで、ガクゼンとしました。
私はその時、今の状況(働けないでいる)、それが長く続いている・・・ってことを伝えて、
たしか「どこに行っても話しを聞いてもらえないんです」みたいなことをも訴えたと思う。
けれど、その人はそのことについて
“なるほど、それは悩みになりますね。” 的反応は一切せず、
「いやぁ、あなたなら大丈夫ですよ」って、にっこり微笑みながら言ったのです・・・。
 
『あなたなら』って、私がその人と会話したのは、その質問をした数分の間だけ。
そんなんで、何がわかります?

 そこで私は、重ねて「人生で1ヶ月5万円以上稼いだことがないんですけど」
とアピール<(笑) →笑いごっちゃないんですけどね。>しました。
    <現在は月“月6万以上”になりました。まあ、upはしたけどね。
     これで生活寸の厳しいだろうってことに代わりはないし、
     それすら何ヶ月かしか持たないんで。
 
でも、にっこりするばかり。
“ほめてる” というか、“評価してる” “認めてる” という表現なのかもしれませんが・・・、
困ってて、誰かに聞いて欲しい私は、全然受けとめられてる気がしない−−
というよりむしろ、見捨てられてる感じがしたし、理解が実状に届いていないんですよね・・・。
この時、子どものことについて相談していた親御さんの質問には、
それぞれ答えを返していたんだけど−。

 ちなみに、私はそれから2年たつ今も、働いていません。
二度仕事する機会があったけれど、どちらにも困難があって、大変で。
そんな時、話せる場があるだけでどんなに違うだろう?もちろん、今だって。
一人だとわからないことってたくさんある。

自分はどうしても向き合えないコト、気づけないこと
・・・ましてや “自己客観化が難しいタイプの人間” である筈の発達障害者ならなおのこと。
何も、答えを全部出してくれなんて言ってるわけじゃない。
ちょっと聞いてもらえるだけでも、ずいぶんホッとして状況は変わると思うんだけどな・・・。
 

 結局「大丈夫」じゃなかったってことでしょ? 
2年も状況変わってないよ。 というか、10年変わってない。
これを、大丈夫というんだったら、私はその感覚を理解できない。
だいたい、冒頭の言葉と矛盾してるよね−−。

 って、これは別に、今、その人を責めようというんじゃない。
ただ、不思議でならない。 そして、何故なんだ?と思う。
理由がわからないと、私は “自分に何かおかしなところがあるからか” って回路に、
無意識のうちに迷い込んでしまうのだ。

そしてそれは、とても深いところに影響を及ぼすのだ。
あれからしばらく、いろんな人に機会あらば話しをしようとするものの、
今だひととおりどころか導入すら話し出せないのが現実。
 
 
 ※最後に、さっき見てたドラマより、胸に響いた台詞を。

 「あるのに、ないコトにするのは間違ってる。いないコトにされるのは、つらすぎる。」
 
◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎ ◎◎

12
◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ【13】 ◎◎◎  2003.12.15(月)
                                  いくら・記

<お仕事しました!の巻>

いやあ〜、久々ですよ。

先月、日帰りでの1回と、昨日・おとついの泊りがけの3回で、1年ぶりくらいに“仕事”
(→この場合「やったことで収入が得られること」という意味)をしましたわんー!!うっく(泣)

その日1日or2日のために、
何ヵ月〜何週間も前から、心づもりして体の調整をしていって、
ようやく終える…ホント、つくづく「身体機能の障害」だと実感します。
(今だ「心の病気」だと思われることは多々あるが)

特に、今回やったことというのは、いっぺんに15〜20人の人に会う中で、
“同時平行処理”的な作業をしつつ、全体を見渡して進行していく、という
≪この脳みそが最も苦手とすること≫だといってもいいくらいの活動だったので、
動きにくい →アタマのことね。つまりは血流。ところを必死に動かし、
酸素も足らなくなったと思う。

終わって一気に、頭痛が来ましたー。

((と、ここまでで書く気力が途切れたので、ここからは16日に書いています))

仕事が終わることで、スイッチがOFFになる
−−それまでは保っていたり、気づかずにいるものがどっと来る。
でも、終わったと言っても、人といる状態ではスイッチが降り切らないから、
ズキズキしているのを感じながらも耐えることはできる。
一緒に仕事をした人や準備をしてくれた人たちとゴハンを食べながら、
にこにこしゃべる。

で、列車を降りて駅で一人になった瞬間に、完全にスイッチがOFFになると、
途端に激しい痛みになり、吐き気がしてきた。

このままじゃヤバイ!ということで、帰宅後必死で対処。
愛用頭痛薬(漢方系)を飲み、しばらくおでこや首筋を冷やした後、
母にからだを揺すってもらい、ゆるめたら、今度は足湯をしたり、
熱くしたタオルで、
目元や脳の立体画像写真撮った時に血流が低いと出た辺りをあっためまくり、
おでこやこめかみから足の裏まで、あらゆるところにサロンパスを貼り
…サロンパスが先でした…ようやく落ちついた。

おかげで次の日、さほどだるくなくてすんで、
夕方血管がぴくつく感じがしてきたくらいでおさまったけど。

これで、次の日そのまた次の日も…って、
朝から出かけて仕事することになったら、寝込むんだろうね〜。
っていうのが私の困りごとなんだけどさ、
見えなきゃ「問題がない」と扱われるわけよね、も〜彡。
 
テキスト化by水兎
 
13
040409(C)いくら=============
私はイラクで拘束されている人と通じるような思いで活動しているとこがあって、
「なんかやらなきゃ」って思っていて、
知人が19歳の今井さんとNGOやってるって事もわかったので、
とにかく今はそっちのことで何かできることをしたいと思ってます。
 
3人の無事を、みんなにも祈ってもらえたら嬉しいです。
=======================
 
 
私(水兎)に何ができるのかわかりませんが、
とにかくいくらさんのメッセージを皆さんにお伝えします。
14
◎◎◎◎ いくらの脳みそぐるぐるライフ【12】 ◎◎◎◎  2003.8.25(月) いくら・記
 
 
 <どういう風に疲れているのか>
 
  いくらと言えば、一番困っていることは「疲れて動けないこと」なのですが、
それがメインの症状だと言うケースが話されたり、書かれていることがないので
(メインじゃなくてもまずないですね)、
どう対処していいのかどうかがわからない!って感じだったのです。
 
 というか、そもそもこれは症状なのか?ってと頃から悩むわけで。
(ああ、そもそもこの文章自体ぐるぐるアタマで疲れてるので、 
コトバが回りくどい、ヘン…)
 
  で、どう対処するかを考えるためには、
まずどう疲れているのかということがわからなきゃいけない!!
でもって、それを伝えることが必要!!というわけで、ちょうど疲れていて
ばっちりな状態(笑)だったので、「今の感じ」を記録してみることにした次第です。
 
 
  まず、「(アタマが)のぼせたような感じ」で、「ぼーっとして」います。
これを“眠い”と表現する人もいるのではないかと思いますが、
私はその表現は使いません。
 
何故なら、“眠いときのぼーっとした感じ”とは、明確な違いがあるからです。
眠くてぼやけているのではなく、「目は覚めているけれど覚醒していない」感覚
(でも、きっとこれこそが発達障害者特有の内部感覚なのだろうな・・・
  <言っても伝わらないのでは?)です。 
 
頭はもちろんのこと、目と目に至る所(つまり視神経を知覚しているのだろう)、
首筋から肩にかけてまでが張っています。
 
腕は筋が張って、ひじ(の横と上の方)と手に
力が入っている(閉まってくる)〜固まってくるので、うっすらしびれているような
(ぴりぴりとまでは行かないのだが、微妙な…)、突っ張り感がある。
あごに力が入ってきて、奥歯を噛みしめるような状態から抜くことが出来ない−−−。
 
 
で、これを何とかするために、まずはコーヒーか紅茶を飲む、と。
今日は胃が荒れ気味なので、紅茶にしてみました。
そして今、夕方から夜になるにつれて、徐々にラクになってきた、と。
 
もちろん、もっとだるいときはこんなもんじゃない!わけだけど。
そんなときはなかなかこんな文も書けないので、記録に残すのが難しいですよね。
んなわけで、ひとまず今日の記録でした。
 
 
 
  さて、翌日。
今日はと言うと、今日は眠いの特別できない感覚でぼーっとしてる!!
ぶわーっとアタマの中にその感覚が広がっている感じ。
・・・やれやれ、一筋縄にはいかんものです。
 
 今は午後4時過ぎ。
昨日もだし、今日も一歩も家の外に出ずに横たわっているから、
窓から見える空を見ながら「外に出なきゃ」って考えたりするけど、
出ない(出る余裕ない)。
 
別に出なくてもいいのかもしれないのに、
「こうした方がいい」っていう情報に思考がしばられているので、
「なるべくおひさまを浴びた方がいい」→「そうしないからよくない」っていう
昔からの言葉がずっと残っている。
 
 だからといってよく外に出るのではなく、結局庭に出るのすらしんどいんだから、
そんなコトバ信じる方をやめた方がいいのかもしれないんだけど。
 −−−いくら身体に良くたって、それすらできん状態にある人はやれないんだ
(やれなくてもしょうがないんだ)ってことが、
私にはイマイチよくわかっていないみたいで。
 
 
<アタマには主にこんなところがぐるぐるしているの図。>
筋はごりごり音が鳴るくらい。(ま、内部感覚が当てにならんとこもあると思うけど)

水兎解説
 :図によると、頭の前面は、鼻の上辺り〜目を通り、頭頂にかけて、
  頭の背面は、耳の後ろ〜後頭全面のようです。

 
 
ふはは。
体調悪いとき悪いままの状態で書いた、すばらしく現実を表現している(12)でした。
一部消して修正を入れるのに、一度それたスイッチ切れ状態から直すのに、
なんと半年!(現在2004年3月)という、
実に私の特性(症状)をそのままにパッケージしてお届けします(笑)〜彡
 
 

<追記>
この原稿は、2004年5月10日に届き、即日投稿しました。
つまり、いくらさんが最初に12号を書いたのが2003年8月末。
       →修正が仕上がったのが、2004年3月。
       →投稿が、2004年5月。
 
実に8ヶ月以上かかっているわけです。
その間に、先に13号の原稿が届き、投稿していますが、「1つの仕事」をするまでに、
これだけの時間を要するのが、発達障害者の1つの現実です。
 
その間、全く忘れているわけではなくて、ずっとずっと気になり続けていたはずです。
つまり、8ヶ月間、脳の一部はアイドリング状態を続けていたわけです。
他にもたくさん保留事項があって、そのことが気になって頭を離れない。
でも、体は動かない。スイッチが入らない。
 
このことの口惜しさ、悔しさは、
発達障害以外の人には果たして伝わっているでしょうか。
 
 
いくらさんの申し出により、
今回の12号で『ぐるぐるライフ』はいったん終了することになりました。
 
でも、いくらさんは新シリーズを誕生させようと考えているそうです。
具体的なスイッチが入るまでに、少し時間がかかるかもしれませんが、
気長にお待ちいただければと思います。 ありがとうございました。
 
水兎040510