どっちつかず
ずっと一人だったし一人で闘ってきて、誰も解ってくれない・誰も助けてくれない・本当に話の合う人がいない状態から、急に「こっちに来い」と誘われたって、にわかに信じられるものではありません。しかも、行って見れば何も珍しくなくってすべてがお見通しというのも、たまったものではありません。
思えば、今小5の長男に、私の個人的な体験に基づいた療育をして来て、そのお陰でまるっきり"普通"になったかというと、そういうわけでは決して無いのです。長男の場合は、知能もそれほど高くないし注意の欠陥もひどいので学習上の困難は解消されたわけではないし、性格的にもおかしなヤツのまま、自分の十字架を背負って生きていくことになるでしょう。
ただ、私がムキになって摘もうとしている芽は、
- 一番病=一番でなければいけないという病気
- うつ病=自分に自信が持てないという病気
の二つなのです。
5〜6才の頃、完全にこの二つの病におかされていた長男は、明かな困難をたくさん持っていてできないことだらけだったにもかかわらず、自分がいつも正しくて・一番でなければダメ、人に教わることと間違いを指摘されることが大嫌いというハナモチならないヤツでした。そのため、やりたいことがうまくできなくて癇癪を起こすし、イヤなことでうまく出来そうにないことは始めからやろうとせずに逃げまわっていました。
そのうち、経験から自力で学習する能力が無いというのは、今も変わっていません。ただ、
- 自分がいつも一番とは限らない。勝ったり負けたりしていい。
- 間違う事だってあるし、間違えて覚える事の方が大事なのだ。
- 自分は自分なりのやり方で出来れば良い。みんなそれぞれやり方が違うし、それなりの方法でやればいいだけだ。
- できないことがたくさんあっても、教わってできればいい。
ということを徹底して教えました。お陰で、一時は、「僕はバカだ」と深刻な顔をして一日中呟いたのを必死に説得して、食い止めることができました。もっとも、一番になる能力がもともと無いのに一番にこだわっていたのですから、楽と言えば楽だったのでした。もしかしたら、知能が高くて本当に一番になる能力があって、こういう挫折感を味わう時期が先送りされるよりも、ずっとマシだったかもしれません。
しかし、もう一つの"うつ病"の芽の方は、実はこれからが正念場です。人とモノの見方・感じ方・考え方が違うという、この"社会性"の無さは、どんなに高い能力があっても、決して補うことが出来ないからです。そして、これから迎える思春期は、正に、そのことに気づいて悩み始める時期なのです。その時期を、"自閉症"であると知って過ごせるというのはとっても大切なことだと思います。ただ、この場合、知るのは本人ではなく家族の方ですが…。(本人が本当に気づくのは、恐らく成人後自活し始める頃でしょう。)
この時期には、色々なワナに陥る危険があります。
- 自分が浮いているのに気づかずに、常軌を逸した行動や発言を繰り返し、ますます浮いていく。
- 自分が浮いているのは解るけれど、何故浮いているのか解らずに、怒りを外に向けてしまう。
- 自分が浮いていることを十分自覚して、何とか挽回しようと、まちがった方法に走ってしまう。
- 自分が浮いていることを自覚するあまり、うまく出来ない自分を責める。
- 自分が正しくて、世の中すべてが間違っていてバカバカしいと思ってしまう。そして、それを証明してみせようとする。
- みんなが、自分と同じ事を真剣に考えていると思い込んでいる。そして、一生懸命、人の世話を焼こうとする。
まるっきり普通でもなく完全な≪自閉≫でもない、どっちつかずなので、こうしたことが一人に一つではなく、複合して起きるから厄介なのです。しかも、一見普通に思える言動の中に隠れている事だってあり得るのです。
この時期に、
- 自分が自分でいられる場所を確保しながら社会に踏みとどまる方法を見つけられるか?
- "社会性"のなさをどうやって補うか、あるいは、トラブルを回避する能力を身につけられるだろうか?
ということが、その後の一生を左右することとなるでしょう。そして、それは、間違いなく家族がどう関わって教えていくかに掛かっているのです。子供が小さかった今までは、自分の失敗経験を活かして何とかなって来ました。でも、これからは、なにぶん親の方が一番苦手な"世間"という分野が相手なので、どうなることやら…。
ラグナロク
と言うわけで、とりあえず私は、これに乗ってどこかに飛んで行きたい!
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