遊びをせんとや…

「遊び」とは、無駄なこと。役に立たないこと。それ自体が目的になること。

私たちは、子供の頃から、あくせくと働く人を見てきた。確かに、その人たちにも「余暇」があり、楽しんでいる姿も見た。

働くのは立派なことだし、社会に貢献して自分の存在価値を認めてもらえるのはうれしいことだ。だけど、何の為働くのだろうか。魅力的な流行のグッズが欲しい。家のローンを返済しなければいけない。とにかく、カネが必要だ。今もそうだし、老後はもっと。

いつの世も、遊んで暮らせないからひとは働く。何もないのは暇だから、何をするにもカネが要るから。結局、仕事が必要だ。

でも、子供までそうじゃなかった。大人の都合が強すぎるこの時代、子供もすっかり巻き込まれてしまっているようだ。

"おもちゃ"は子どもが子どもの時を過ごすためにあった。子どもの喜ぶ顔を見るのが楽しいという親心をくすぐり、何でも欲しがる子どもの気持ちに訴えて売れれば儲かるかもしれない。しかし、"商品"でしかない"おもちゃ"には、思い出になる以外の役割があるのだろうか。

「遊びをせんとや生まれけむ。」とは言うけれど、何の価値もなく、何の役にもたたない「ただの遊び」ができるのは、今ではひとつの才能のように思えてしまう。

 

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