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2004.6月の日記

06/30 09:07 昨日スイッチを消された除湿機と、今日スイッチを切られた吸湿機には、それぞれ「消さない!:触覚過敏と自律神経のために必要」「消さない!:自律神経とアレルギーの治療のために必要」と書いて貼った(どうせ、意味なんか分からないだろうし、知りたいとも思ってないだろうけど)。消されたら、またつければいい。
06/30 08:09 いったい、いつになったら、堂々と、社会全体に環境を整備するように呼びかけることができるのだろうか?
それは到達点ではない。出発点だ。その保証がないから、みんななんとかして握り潰そうとする。そして、療育の一番の障壁になっている。
06/30 07:51 いずれは脱出するにしても、今はできない。お金がないし、子どもの区切りも待たなければならないから。それまでの間、こんなくだらないことで頭の血管が切れたり、心臓が止まったり、自殺したりしては本当の犬死にになるので、こんなことに精神的エネルギーを割り当てて消耗しないように心がける。
それに、せっかくあれこれブレーキをかけて軌道に乗せた次男が誘惑に負けてしまったことに、朝から癇癪を起こしてしまった。こんなことをして、良いはずがない。これでは情緒障害の原因を私が作ってしまっていることになる。いや、環境に起因する私の鬱と癇癪のために子どもたちに悪影響を及ぼしていることは明白だ。しかし、その鬱と癇癪の原因になっている張本人たちは、自分が原因で私がそうなっていることが全く理解できておらず(ちなみに、私が書いた本や論文の内容を理解することはおろか、一人は私が本を書いたことも知らない)、私のやっていることはろくでもないことだと思っている。私は、こんな環境が子どもにふさわしいなどとは、どこにも書いてはいない。
自分(と長男)の身体特性に合わせて物理的環境を整備するのは、金があればできる。が、人的環境は、意識して作り出し、勝ち取らなければ手に入らない。長男の療育の中心はそこにあった。あれこれできるようにはならなくても、自分が不利益を被らないための処世術を身につけること。そのためには、二次障害を起こさせないこと。それができれば、私はいい。
06/29 16:54 人がうつ病になろうが、犬みたいに飼われようが、「食わせていただいているんだからありがたく思いなさい」と言いたい人は言えばいい。
ワシは、そんな生き様には断固として反対する。
06/29 14:07 大学で講義している人や、病院の診察室に座っている人には分からないと思うが、一般社会は自閉症の説明を聞いたって喜びはしない。むしろ、「自閉症じゃないよ普通だよ」とか「自閉症だけど普通です」と言いたがるし、そういう話を聞きたがる。(上記の人たちは、一般社会に話が通らなくたって、立派な“肩書き”があるので何も困りはしない。)
しかし私は、同じになんかなりたくない。いつまでも違っていたい。「武士は食わねど高楊枝」ってヤツだ。
06/29 07:43 接点が全くなく、レベルが全く違い、何を言っても全然通じないこんなところにいること自体が間違っている。これは、まともな親なら断固阻止するはずだ。長男がこんな選択をしたら、私は絶対に許さない。しかし、我が家の親は、全く見抜けなかった。
そもそも、自分の人格とキャリアを全否定したのは自分自身だ。これは、合併症であり二次障害でもあった鬱のためだ。そして、積極的に自分の終わった人生をドブに捨てた瞬間から、三次障害のうつ病が始まった。
かといって、自分の家にも戻れない。どう考えても非常識な野菜と収穫物地獄のためにPTSDになっていた私に野菜を押しつけ、癇癪を起こした私に「人の気持ちが分からない!」と怒鳴った親のところになんか、行けるわけがない。久々に帰ったというのにあんな事件になって、それ以来帰っていない。
つまり私は、どこに行っても人がうつ病になっていることに気づきもせず、世の中にPTSDなんてものがあることすら知らない人にしか出会っていないということだ。
06/28 17:23 周囲のレベルがASを理解できるほど高くない場合、自分たちのレベルの低さに合わせようとしないASを嫌うようになり、放ってくれるようになってやっと、居心地が素晴らしく良くなることがある。これは、ものすごく情けないことだ。つまり、単なる孤立であり、ただ地に落ちただけなのだ。
こんな折り合いの付け方を、こちらは決して望んではいない!
06/28 15:10 発達障害の子どもが二次障害を起こさないように防止し、ソーシャルスキルトレーニングをしたからといって、誰も誉めはしない。その状態が、普通の子どもでは普通なのだ。普通はそこから始まって、ぐれたり反抗したりする。
ソーシャルスキルトレーニングをしようが、せっせと教えようが、できないものはできない。そこで、「なに、あの子!」になる。ソーシャルスキルトレーニングをすること自体が、この非教育的環境にあっては「なに、あの親!」もの。ビシビシやれば今時の保護者からは怖がられるし、子どもをいじめているみたいに言われる。(しかも、私流に構造化に成功した生活は、世間からは“だらしない親”“こまかくてうるさい親”そのものである。)
そして、普通より何百倍もの労力と精神力を払って育てた子どもは、障害があるようには全く見えないし、ぐれてもいなければ反抗的でもない。これだけのことをやったのに、取り越し苦労扱い。何なんだ、この現実。
06/28 08:37 その長男は、新しく始まった「簿記」がマイブームになっている。といっても、得意なわけではなく成績も悪いが、中心科目で学校が力を入れているからのようだ。
それで、来学期の専攻選択では「簿記」を選びたいと言い出した。もちろん、それが取り柄ならばそうさせる。しかし、これは卒業条件となる基礎であり、特に自分のウリになるものではない。
こういう目先のことで道を誤らないように忠告したが、今の成績では希望の専攻科に行けるかどうか分からない。もうすぐ期末テスト、どうなることやら。
06/28 07:56 この問題は、二次障害でも何でもなく、ごく普通のうつ病でありPTSDだ。あの親子たちの犠牲になって抗うつ剤を飲まなければならなくなっている人が既に2人いる。そのもう一人のうつ病犠牲者が相談に乗って欲しいと電話をかけてきても、自分の精神状態が悪化するので「やめてくれ!」と叫んでしまう。
長男のASは、普通のやり方では対応できないことが明確だったので手出しはさせなかったが、今、次男を発達障害非対応3人目の犠牲者(上の2人の続きではない、他の2人の続きだ)にさせないための戦いの真っ最中。
06/27 21:48 こんな環境で子どもを育てていること自体が、大罪だ。
06/27 20:29 「現実」を変えるために「理想」を書いたはずだった。
しかし、「理想」は実現せず、「現実」の押しつけという「現実」だけが迫っている。
06/27 19:20 毎日毎日、「せっかくとれた」「苦労してとった」という“気持ち”を一方的に押しつけられている。手伝った次男に、収穫や労働の喜び・感謝・ねぎらいの言葉をかけてやらなければならないのに、私は急転直下、鬱状態になり、怒り、泣き出すので、次男が脅えてしまう。なんとかして私を笑わそうと、大好きなカエルを持ってきて、一生懸命に話しかけてくれるのに、それも「うるさい!」と言ってしまう。
また、部屋にこもる。トラウマの原因を見ないように、完全にすれ違いにする。絶対にしゃべらない。これでは次男がかわいそうだ。

「人の喜ぶ顔を見たい」という動機ではなく自分の好きなこと・楽しいことしかやらず、後のことも人のことも全く考えずに“自分の気持ち”を押し売りし、面倒な処理も人に押しつけて責任は一つも果たさない。
「発達障害があるからといってそういう人にさせないように」と、その犠牲になりながら私は書いている。
06/27 18:35 「こういうことをしてはいけない」と書いているのに、自分はそういう目に遭っている。書いたことを踏まえて言ったことは、ことごとく反論・反発される。辛くなっていくだけだ。
06/27 18:02 副作用があって当たり前なのは仕方ないが、使える間は使って、ダメになったら別のに変えればいいという西洋医学の考え方は、いい加減にやめるべきだ。生体全体のバランスを初めから考えて、機能改善の為の補助策を講じる必要がある。それで、漢方薬やハーブやサプリメントを探していたらちょうど自分の証(脾虚水毒)に合ったものが見つかった。どうやら、ソラナックスを飲まなくてもよくなりそうだ。
しかし、一方で、私の鬱の原因をせっせと増やされる。それでイライラし、最低のニンゲンになっている。また、死にたくなる。私が一生懸命やっていることを、全部潰される。まったく意味がない。
06/27 06:25 私は一生懸命に自閉症の説明をしている、なのに、みんなせっせと普通の話にすり替えて反論してくる。
もう、しゃべるのはやめにしよう、と思う。元通り、「本当に思っていることは一切口にせず、誰も見ていないところに書く」だけにするのが、正解だった。
06/25 08:36 発達障害に万全の体制で臨んでいると、何か悪いことをしているような気がする。「困ったねえ」と言い合っていることが正義みたいだ。私がせっせと積み上げたものを、見事に崩してくれる。
一生懸命に情報を集めたりしゃべったりしても、うるさがられるだけで全く通じない。「世の中」の中では、完全に空回り。説明するのもバカバカしくなってきた。言うもんじゃない!と思う。
06/22 21:50 世の中がこれだけ感情的になり、見てくればかりを気にするようになり、ファッションとエステのことしか頭にないような人が増えるなんて、私には予想できなかった。もっとも、この現象は、10年前のアメリカやフランスで起きていたことで、私はそれをニュース番組で見ていた。
これでは、ADHDはブレーキが効かなくなり、ASは息苦しくて仕方がない。欧米で、ADHDやASの支援が盛んになったのも、そういう風潮と無関係ではないと思う。まさかと思ったが日本も染まりつつあるので、やはり放っておけなくなったのだろう。(こういう人たちを見て、「個性的でいい」「人と違うのはいいことだ」なんてことを無責任に言う輩はたいてい、自分自身が人並みに無難に生きてきた人で、この国で“人と同じでないこと”の辛酸をなめたことがない人だったりするので、気をつけろ!)

今日、ついに家にも架空請求のハガキが来た。初めて本物を見た。あの、ズームインスーパーで話題になっていたハガキだ!と、感動してしまった。(テレビを視聴していて良かった、と感謝!)
それに、無言電話が二回も来た。誰かが、留守の家を探して空き巣に入ろうとでもしているのだろうかと疑う。来ていないメール便が「配達完了」になっていて、盗難にあったのではないかと疑う。それで問い合わせをしたら、届けてもいないのに「配達完了」の処理をしてしまった委託の人に注意したとのこと、明日配達に来たその人に逆恨みされたらどうしようかと思う。
他人を騙して、とれるヤツからはすべてはぎ取ってしまえばいいと考えるニンゲンがそこらじゅうにいるかもしれないなんて! なんで、こんな世の中になってしまったのだろうか? ニンゲンなんて、たいした生き物じゃない。こんなのに生まれなくて良かったと思った一日だった。
06/21 08:07 不注意によるミスが多く、物の管理ができず、自分中心の考え方をしていても、本人がそのことに悩んでおらず自分はそれで良いと思っていて、言われると怒るタイプの人には、ADHDの診断しそれなりの対応を指導することに虚しさを感じる。(LDでも、同様のことが言える。)−−−自分が頼んでいないのに周りがせっせと尻ぬぐいしていることを本人が知っていても何とも思わない。それが当たり前だと思っている。
つまり、明らかな症状があっても自覚がなく困っていなければ、何もできない。また、せっかく環境を整理しても、その整理された環境が嫌いだとか、順序や構造をウザいと感じるタイプでは、明らかに反発してくる。

世の中の人が「枝毛は気にしてもADHDは気にならないのはなぜ?」と私は思うのだが…。どうも、発達障害的な要素を持っているのに何の疑問も抱かずにいる人がたくさんいて、療育の方法そのものがストレスになる人が大半を占めているために、“特別な人たちのための特別なやり方”であって“自分には関係ない”と思っていることが一番の障壁になっているような気がしてならない。
06/19 21:52 環境が合わないからそっとしておいて欲しいなんて国民に向かって宣言できるのは、優しい皇太子の嫁さんぐらいなものだ。ほとんどの人は、環境が合わないから変えてくれなんて要望したら、はっ倒される。

それにしても、子どもに見せたい番組の上位に、かの男尊女卑を全面に押し出したマンガが入っているとは、驚きだ! 男の言いなりにならない女・慌て者でうっかりものの女と、ずるがしこい男の子がおじいさんに怒鳴られる家が、理想の家庭だというのなら、発達障害の療育をきちんとやる国には絶対にならないだろう。
06/19 21:44 除湿機作戦、成功かも。
とにかく、湿気は過敏な触覚に良くない。また、本当に体がだるくて動けなくなる。そこで今年は、除湿機を買った。本来は、雨が多くて洗濯物が乾かず着る物がなくなりそうだったので買ったのだが、とても気持ちが良かった。そこで、クーラーのない子ども部屋用に冷風タイプものを買って置いてみた。ただ除湿しているだけなのに、今、家中が、冷たくない冷蔵庫の中みたいで、お風呂上がりの暑いんだけどサッパリした感じがしている。(もちろん。ネットで探して、店頭価格より1万円ぐらい安い、お得な買い物をした。)
クーラーの冷風で冷えてしまう私にとって、これは朗報である。
06/18 18:29 何の理解も接点もない環境にいると「私ってこんなに意地悪だった???」と思うようなことを平気で言っている自分に気づく。環境の方に変わる気がないのなら、早く追い出してくれた方がいい。こんな自分は見たくない。

もっとも、環境が悪いというのではなく、もともと誰ともいたくないということ。ほ放っといてくれればいいのに!
06/18 18:25 リマインダーを携帯電話に送信する設定にして、その日の予定が毎朝来るようにしている。
お天気サイトからは毎夕、明日の天気予報が来る。
必ずしも予定通りにはならないけれど、予定がわかっていることが精神安定剤になる。

しかし、こういうことが一般人にはウザいらしい。
06/14 19:21 向精神薬は、たいてい肝臓と腎臓に悪い。今日は、肝機能と腎機能に良いお茶について調べてみた。薬の添付書類と、良さそうなお茶の薬効とを照合して、飲み合わせて良いかどうか確認。もっとも、そういう視点でのデータはないが…。
実は、一週間ほど前からあるお茶を飲んでいるのだが、最初の内は胃腸障害が起きたため、さっとお湯で出した薄めのものを一日一杯だけ飲んでいる。臓器のことを考えると、これが続けられたら助かるのだが、本当に何も問題が起きないのか人体実験の結果はまだ出ていない。

一方、長男は今日、自主的に補習に参加した。今、帰ってきたところ。
06/14 10:31 ものの本には、「発達障害的視点を持つことは普通の子育てにも有用だ」と書いてあるし、私は「特別支援教育は何も特別なものではなく、すべての子どもにも共通するもの」と思っているが、そんなことを考えている人は、周りには一人もいない。
↓のような様子を見ると、逆に、教育が全体主義化しているような気がしてならない。
  • 理解できるできないではなく、教師が思った通りの言葉を言わなければ先に進ませない進行。
  • 個別対応ではなく、全体を何となく煙に巻いて、クラスとして何となく分かったような気にさせる演出。
  • 「一人ではうまくいかないけれど、みんなが力を合わせればうまくいく」という公式にすべてを当てはめようとする運営の仕方。
えっ、一人一人の持てる力を最大限に活かして、みんなの力を集め・分担するのではないの? と、思ってしまった。
何か、裏切られたような気分。これが、昨日の落ち込みの最大の理由。
06/13 22:27 子どもは愛情を注げば育つ、という考え方がまだ根強く残っているような気がする。
子どもの側の、受け入れ体制(育ち)のことなんて考えない。

次男の行動が恥ずかしかったと、クラス通信に他の子が書いていた。
発達障害を直した親という称号でもつかない限り、この人たちから賞賛されることはないのではないか、と思った。

先週は、近所の義務・子ども会の義務・学校行事の義務がみんなあり、どこへ行っても孤立感を深めただけの一週間だった。

本当に、壊れそうになった。
06/13 10:02 完全に残遺している長男のNLD(特に視空間認知・身体操作)に対しては、真剣に取り組まねばならない。次男のLDも、発達段階を飛び越さないように気をつけながらも、いつまでもだらだらやっていられない。
しかし、発達障害が知られる前に虐待が騒がれるようになってしまった事で、やりにくくなっている。見た目普通な子どもに訓練が必要だなんて誰も思わないし、可哀想だと見られてしまうから。
発達障害的対応をしていると、説教されてしまう。誰も、教えてくれとは言ってこない。この「現実」が、苦しい。
06/10 20:10 医者と教師がどんどん広めようと応援しているのに、何故父兄は見て見ぬふりをするのか? そんなことを訴えているニンゲンがASでその子どもがASとADHDとLD、高校ではなく専修学校に行ったとなったら、世間的にはただのクズ・ただの嫌われものなのか!?と考えてしまって(「アンタみたいな人の言うことなんか誰も聞かない」という言葉がフラッシュバックして)鬱になりそうになったが、立ち直った。
よ〜し、カエルの本を持ち歩いて、ちょっとその気になった人に説明してみることにしよう! 何かしなければ、きっと何も変わらない。「私がいなくなったら、全く分かっていない人しか周りには残らない」と子どもたちに教えたり、ハッパをかけてしまうのは情けないから。
06/09 08:03 今の世の中を支配している価値観から外れているのは、怖い事かもしれないと最近思うようになった。なお怖いのは、こちらは外れていると思っているのに、向こうがそうは思っていないということだ。
06/07 16:41 子どもの声がする=虐待、という発想が定着してしまっている。
なぜ、発達障害を疑わないのか不思議で仕方がない。(全部がそうだとは思っていないが、選択肢として。)
06/07 13:41 インターネットを使うと、いつでも天気図や衛星画像を見ることができる。根拠と構造大好き人の私には、とってもうれしいことである。(何だかんだやった挙げ句、携帯電話のマイメニューも天気と地図と時刻表サイトだけに落ち着いた。)
ところが、一般人は、意外に伝統を守り、情に厚く、正しさよりも多数の意見と心情が優先する。根拠と構造をはっきりするように求めると、感心されるかうるさがられるかのどちらか。特別な支援の仕方を提示した時の反応も、それに似ている。
それは、方法がどうだというのではなく、どんな心境の時に誰に言われるかで受けとめ方が違ってくる。近所の父兄に日常会話として言われた場合、全く耳を貸さないことが多い。逆に、積極的に否定してくる。自分の直面している問題が何かと言うことに納得した上で、同じことに直面している人同士という意識を持っている相手だとか、肩書のある指導者に、部外者のいない場で言われた時にのみ話は噛み合う。
06/07 10:36 発達障害的視点を持って発言すると、他の父兄に笑われたり説教されたりする。特にソーシャルスキルに関する事は、先生は感心して聞くが父兄にはバカにされる。
社会が壁になっているという現実が改善されない限り、一部の識者だけが強力に推進するだけの特別支援教育はうまくいかないと思う。
06/05 16:52 ピッチ付の歩数計をつけて分かったこと。−ただたくさん歩けばいいというものではない。一日一回、数分間で良いので、腕をちゃんと振って正しい姿勢で適正な早さで歩く。ただ歩くだけだと、歩数は稼げるし脂肪は燃えるが、疲れるだけでリハビリにならない。
体力の回復、筋力を落とさないための運動、抗アレルギー・肝機能回復作用のある木への水やり。つまり、体を動かすことに凝っているので、しばらく書かないと思う。『光とともに』も、見るのをやめた。
06/02 15:47 いやはやどうも、熱しにくく冷めにくいのはいかんともしがい。なかなか頭が切り替わらず、かといって次のことを始められず、予定していてもエンジンがかからず、想定していなかったことが起こると混乱する。←これは長男だけではない、私も同じ。人のことは言えないが、人には言う。まっ、そんなもの。
06/01 13:45 もう一つ問題なのは、発達障害の診断を下すことが必ずしも本人のためにならないケースが多いということ。その理由は、ほとんどが診断が下っただけで次にどうすればいいかという指示がなかったり、受け入れ態勢がなかったり、社会的に認知されていないといったこと。
だから、横のものを縦に直しただけでは解決しないことが多い。
06/01 13:12 生活者が知りたいのは、いつ雨が降るか、それはどれくらいの量か、洗濯物は乾くか、ラーメンは売れるかということなのに、専門家は一生懸命に気圧配置の解説をし、梅雨の定義と一般的な経過を講義する。
そういうことは、学術的には大事で、統計的には必要なことかもしれないが、生活するにはどうでもいい。そんなことを言っている間に、一日一日が過ぎていく。洗濯物は毎日でる。(子どもはどんどん大きくなる。)