転嫁



「溜まったな……」

 机の上に積み上げられた書類を眺めながら、彼はぼそっと呟いた。

 武官とはいえ、高官の一人である彼にはデスクワークも多い。しかし、彼はデスクワークなどこの世から消え去れば良いと思っている。ついでに、野蛮な事も嫌いだ。汗をかいて剣を交えるなどもってのほかである。

 つまり、彼にとっては仕事全般が苦痛以外の何者でもないのだ。

 まったく手をつけていない書類は溜まる一方で、そろそろ収拾がつかなくなる頃である。

「そろそろ頃合いか」

 しかし、彼に慌てた様子は微塵もない。

 何故なら、彼には頼もしい手足がいるのだ。

 昔は部下に押しつけていたが、今はそれよりも迅速かつ正確に仕事をこなせる者がいる。

「さて……行くか」

 口元に微かな笑みを浮かべ、彼はゆっくりと書類をまとめ始めた。










 魔界宰相ロードナイト。

 文官の最高位である宰相という立場にあるには、いささか若すぎるきらいもあるのだが、そのことについて異議を申し立てる者はいない。

 それは無論本人の能力によるものだが、その能力がどのようにして身に付いたかというと、周囲の暖かい支援によるものである。

 少なくとも、彼はそう思っている。

 彼は今、その魔界宰相の執務室の前までやってきていた。

 まずは礼儀正しく、ドアをノックする。

 一呼吸おいてドアを開け、中に入ると奥の方に書類に埋もれかけたロードナイトの姿が見えた。そして何名かの執政官たち。

 彼はとりあえず辺りを見回し、決済前と思しき書類の山を見つける。

「元気そうだな。決済前の書類はここか?」

 彼は魔界宰相が強い視線を向けて見守るなか、決済前の書類の山に自分の持ってきた書類を積み上げる。

 魔界宰相は仕事に関する有能さで有名だ。つまり、仕事好きだということだろう。その大好きな仕事をさらにできるよう、彼は協力したのである。

「……いい加減にしてくれませんか?」

 妙に低く押さえたロードナイトの声が響く。

 何かが気に入らなかったらしい。

 彼は一瞬考え、そしてロードナイトに近づく。

 文官にしては鍛えている方だろう。というより、実は剣の腕前では彼が逆立ちしても勝てる相手ではないのだが、そのようなことは彼にとってあまり意味がない。

 文官に負けるなど、武官としてのプライドはないのかと言われそうなものだが、実際に剣を交えたことなどないので、してもいない勝負に負けることなどないのだ。

 やがて机を挟んで両者が対峙する格好となり、彼は意識して口元に穏やかな微笑みを浮かべた。

「お前は俺の両腕だ」

 彼は、どうやらコミュニケーション不足が気に入らなかったのだろうという結論に達した。

 確かに書類をただ置くだけでは、相手が気分を害するのも無理はないかもしれない。

 自分が相手をいかに重要視しているかを伝えなくてはならないのだ。

「……普通は右腕でしょうが」

 憮然とロードナイトが返してくる。

 どうやらあまり良く伝わらなかったらしい。

「俺がお前を大事に思っていることの表れだ」

 念を押すように解説してみる。

「…………」

 沈黙するロードナイト。

「その証として、俺自らこうしてやって来ているだろう」

 さらに、自分がいかに謙虚な姿勢をもって相手に接しているかを伝える。

「……たまには、自分の仕事くらい自分でしたらどうです?」

 彼を睨むようにじっと見つめながら、ロードナイトは低い声音で言う。

 どうやらロードナイトは彼にも仕事の楽しみを知ってほしいようだ。いかにロードナイトの趣味が仕事だからとはいえ、他人に押しつけるのはどうかと思う。こういうのを小さな親切、大きなお世話というのだろうか。

 そのようなことを考えながらロードナイトを見ていると、彼の脳裏にふとした疑問がよぎった。

 そういえば、いつもロードナイトの側にいる黒髪の執政官がいない。彼が今までロードナイトの元を訪れたときには、必ずその姿があったのに。

 そしてロードナイトが所有している館に、その黒髪の執政官が出入りしているという噂を思い出す。確か、あの黒髪の執政官の種族は……。

 そこまで考えると、彼は口を開いた。

「そういえばお前、男を囲っているんだって?」

「なっ……?」

 彼の言葉に、ロードナイトが目を見開く。

 たいして深い考えがあって言った言葉でもないが、ロードナイトの反応を見るとあながち間違いでもなさそうだ。

「嫌だねえ、俺の血を分けた奴がそういう趣味だとは」

 彼はそれだけ言うと、用件はもう済ませたのでさっさと立ち去ることにした。ロードナイトが何か言う前に、素早く部屋から退出する。

 やはり趣味は人それぞれだ。あまり関わらない方がいい。

 仕事を体よく押しつけることに成功し、足取り軽く廊下を歩きながら彼はそのようなことを考えてみたが、どうでもいいことだとすぐに考えるのをやめた。

 それよりもこれから何をしようか――。

 すでに今のロードナイトとのやりとりは彼の頭の中から消え去っていた。





あとがき

 43634ヒットを踏んだ連城さんのリクエスト小説です。
 25話冒頭のロードナイトが仕事を押し付けられているシーンの、押し付ける側からの視点です。
 『彼』がどこぞのヒマな武官です。
 ロードナイト視点と比べてみると、両者の思考の食い違いがわかります……多分。
 ちなみに黒髪の執政官はエフィアルテスのことですが、種族は秘密です。
 『エフィアルテス』はギリシャ語で『悪夢』を意味します……って書くと、だいたい種族の見当がつくと思いますが……。




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