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エフィアルテスは退屈していた。 魔界において執政官という、文官としてはかなりの地位にある彼は、何不自由ない生活を送っていた。 直属の上司である宰相ロードナイトは陰険という評判もあるが、普通に仕事をこなしている分には陰険どころか、良い上司と言えた。上司がその陰険さを発揮するのは、気に入らない部下に対してであり、今の所それには当てはまらず、平穏な日々が過ぎていた。 その日も、いつものように仕事を終えて何をしようかと考えている所だった。 突然、人間界からの声が聞こえた。 人間が悪魔を呼び出そうとする召喚の儀式。もしくは、失敗した呪文が転化され、邪悪なものとなってしまったか。 大抵は前者だが、呼び出す者が誰かと特定されていないので、後者の可能性もある。 どちらでも良い。暇つぶしにはなるだろう。 軽い気持ちでエフィアルテスは呼びかけに応じた。それが彼の運命を左右するとも知らずに。 「……お前か? 私を呼び出したのは」 目の前の人間に向け、まずはそう言う。 そして自分を呼び出した者がどのような者であるかを観察する。 思わず感嘆の吐息をそっと漏らしてしまうほどだった。見事な銀色の髪に、人間とは思えぬ程の美貌。これほどの美貌の主は、魔界でもそうはいない。 だが、その銀色の髪が何かひっかかる。 「……あく……ま……?」 茫然とした声が響く。 「その通り。美しき者よ、私を呼び出した用件を言うがいい」 髪のことはとりあえず置いておき、お決まりの言葉を述べる。 「……呼び出してなどいない。早々に立ち去れ」 確かに恐怖を感じていることが伝わって来るのに、銀髪の人間は凛とした声でそう言った。 「呼び出していない? ……ほう」 相手の態度がなかなか面白く、少々からかってみようかという気になった。 自分を留めておくための結界。それを一歩、踏み越えた。 「……何故……」 己の身の安全を脅かされ、愕然とした表情を浮かべる相手を見ながら、エフィアルテスは薄く笑みを浮かべた。 「ああ……魔界において執政官たる地位にある私を呼び出す力は誉めてやろう。……だが、結界の出来はいまいちだな」 エフィアルテスが近づく度に、相手は後退する。壁に追いつめ、逃げ場がなくなったところでエフィアルテスはそっと相手の顎に指をかけ、持ち上げる。 「……さて」 じっくりと目の前の麗人を観察する。 何一つとして文句のつけようのない顔の造形。 そして恐怖に身体を微かに震わせながらも、冷たい氷のような蒼い瞳で自分を睨み付けてくる健気さに、微かな笑いがこみあげてきた。 「見事だな……」 その美しさも、態度も。 「……契約をしないか?」 喉元へ向け、指をつつ……と滑らせながら、そう持ち掛ける。 「……け……いや……く?」 「そう。お前の魂と引き換えに、望みを叶えてやろう。お前に望みはないのか?」 ちょうど喉の中心で指を止め、そっと囁く。 「……戯れ言を」 やや強張った顔が隠し切れない恐怖を表しているにもかかわらず、はっきりと拒絶する。 「いい度胸だな。今、私がこの手に力を込めれば、お前の命など簡単に奪える。お前に選択権があると思っているのか?」 なかなか折れない相手に対し、脅しをかけてみる。もちろん、本当に殺すつもりなどはないが、その気になれば簡単に相手の命を奪えるのは事実だ。 「……魂を奪われるくらいなら、死んだほうがましだ」 あくまでも拒絶するこの麗人を、堕としてみたくなった。この場でその美しい身体を貪り、屈服させてみようか。それとも、魔界に連れ去り、閉じ込めて自分以外の誰の目にも触れさせることなく、ゆっくりと自分のものにしようか。 苦痛に耐えられる人間はいても、快楽に耐えることのできる人間はいない。エフィアルテスはそのことをよく知っていたし、相手を真に堕落させるためには、それが最も有効であるとも思っている。 肉体的な快楽、精神的な快楽、全ての欲望を満たしてやれば、命どころか魂まで自ら懸けるようになり、堕ちていくものだ。 だが、一つだけ気になることがある。 「一般論だな」 相手の決意を一笑に付しながら、喉につきつけていた指を軽く曲げ、爪を立てて素早く横に走らせる。 「……っ」 一瞬、苦痛に歪んだ顔の美しいこと。エフィアルテスは人間の最も美しい表情は、快楽に歪む顔と思っている。そして、次に苦痛に歪む顔。 この麗人の最高の表情は、いかほどに美しいだろうか。 その姿を思い描きながら、白い肌に滲む真紅の血を、ゆっくりと舐め上げる。 甘い、濃密な味。高貴の出であることは間違いない。だが、微かに人間とは思えないような奇妙な味が混じっている。 「良い血だ。高貴な血……微かに残るのは…………」 舌に残る味をじっくりと吟味する。 「悪魔の血……?」 相手に聞こえないような小声で呟く。 まさか、そのようなことがあるはずがない。人間に悪魔の血が混じっているなど……。 しかし、はっと気付いた。自分の上司であるロードナイトの母親、ロサ・リカルディーは人間だったはずだ。しかも、彼女は銀髪だった。人間界のどこかの国の初代女王だったとも聞いている。 もしや、この麗人は自分の上司と血縁関係にあるのではないだろうか。そういえば、もう見慣れてさほど気にならなくなっていたが、上司の美貌も魔界有数のものだった。 もしそうならば、ここで手を出すのは危険なのではなかろうか? 一旦、魔界に戻って確認したほうが良さそうだ。残念だが、今日のところはほどほどで切り上げるとしよう。 相手の首から離れ、再びその顎に指をかけ、上向かせる。 「お前に欲しいものはないのか?」 「……それくらいはある」 「嘘だな。もしくは、本当に欲しいと望んでいないかだ。本当に欲しいものならば、魂と引き換えにでも手に入れようとするはずだ」 「……それこそ、一般論だろうが」 そろそろ、頃合いだろうか。 契約の言葉を受け取るくらいはしてみたかったが、それも無理なようだ。 顎にかけた指をおろす。 「本当にいい度胸だ。気に入った。それに……」 月光のような銀色の髪を一筋すくい、口付ける。 「この人間とも思えぬ美しさ、殺すには惜しい。今日のところは大人しく消えてやろう」 魔界に戻るべく、空間を歪ませる。 「契約をしたくなったら、いつでも呼ぶがいい。それではまた見えよう」 「母上が興した国? プレファレンス王国が何か? 銀髪はいるか? ああ、現在の第二王子が銀髪だが、それが?」 怪しげな液体の入った試験管を軽く揺らしながら答える友人を、エフィアルテスは呆けたように見ていた。 この友人は、上司であるロードナイトの弟アステールである。どちらかといえば父親似であるロードナイトとは違い、アステールは完全に母親似である。 アステールが動く度に揺れる銀髪が、あの麗人を思い起こさせる。 「もしかしてこの間、お前を召喚した者のことか?」 「……何故、知っている?」 「知っているものは、知っている。手を出したのか?」 作業を続けながら、アステールは言う。 「まだ出していない。出しても大丈夫だろうか?」 「大丈夫とは、如何に?」 「ロードナイト様のお怒りをかわないだろうか?」 「それ自体では、ロードナイト兄上自身がそれほど怒ることはないだろう」 「ならば、私の身に災いが降りかかることは?」 そういえば、アステールは聞いたことしか答えない。しかも、曖昧な表現では駄目なのだ。一つ一つ聞いていくしかない。 「それは必至だ」 「仮に手を出したとしたら、誰の怒りをかう?」 「母上だ」 なるほど、とエフィアルテスは納得した。ロードナイトは母親のロサ・リカルディーに頭が上がらない。もしロードナイトの部下である自分があの麗人に手を出したりすれば、ロサ・リカルディーは息子の管理不行き届きを叱責するだろう。そしてロードナイトが怒る……と、結局連鎖して我が身に降りかかるわけだ。 「そうか……」 手を出すのは、諦めたほうが良さそうだ。 だが、あの得も言われぬ美しさと、自らを叱咤して恐怖に負けまいとしていた毅然たる態度は、決して忘れられるものではない。 仕事の合間を縫って、また人間界に行ってみよう。ゆっくりと時間をかけて堕として行こう。 これからは、退屈とは無縁になりそうだった。 |
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あとがき セオドールと悪魔の出会いの話、悪魔視点です。 隠し風味なのは、まあ色々と……。 実はセオドールが結構危険な状態にあったことがこちらでわかります。 ロードナイトの身内でなかった場合、彼の命運は尽きていたことでしょう。 ただ、上司の身内ということであっさり手の平を返すあたりはサラリーマン根性です。 |