お金のいらない国にしよう 一、お金って何でしょう。
今の社会はお金ありきで成り立っています。何をするにもまずお金。お金がなければ生きていけません。しかし、お金は人間が生きていくのに本当に必要なものなのでしょうか。動物の一種である人間にとって、空気や水、食べ物などは必要でしょう。しかし、ただの紙切れや金属、あるいは単なる数字でしかないお金が必要でしょうか。
お金は人間が作った道具です。人間が考え出す前にはお金は存在していませんでした。単なる道具なのですから、便利で、みなが幸せになれるなら使えばいいでしょう。しかし、今のお金は人を幸せにしているでしょうか。この世の問題、苦しみは、元をたどればほとんどお金が原因なのではないでしょうか。
お金は食べられるわけではないし、人の間を回っているだけです。ということは、そのやりとりをやめてしまっても、みながそのまま仕事を続けさえすればよいのではないでしょうか。理屈で考えれば、現在の状態のまま、世界中から一斉にお金がパッと消えたとしても、社会は成り立つはずなのです。それどころか、お金がなくなったら、お金に関わる仕事、お金を扱う仕事がすべて必要なくなりますから、全体の仕事量は半分くらいになるかもしれません。休みも増えるし、みんなもっとやりたいことがやれるようになるでしょう。そうすればストレスも減り、肉体的にも精神的にも健康になるのではないでしょうか。
お金がもらえなくなったら、人は仕事をしなくなるでしょうか。たしかに今のようなお金の社会ではそうかもしれません。しかし、お金のいらない国になったとしても、一生寝て過ごしたり、遊んだりするだけで人の役にも立たず、誰もが我慢できるでしょうか。べつに働きたくない人は働かなくていいと思います。でも私は、きっと多くの人は、自分にできることで、人の、社会の役に立ちたいと思う気がするのです。
二、お金の問題点自然界のものは必ず劣化します。時間が経てば、腐ったり、傷んだり、古くなったりして価値を失います。しかし、お金だけは価値が減りません。これはとても不自然なことです。そして、お金は銀行などに預けておけば、利息がついて増えたりします。現在のお金の仕組みは、金持ちに有利に、貧富の差がつくようにできています。金利が付くというシステムは、椅子取りゲームのようなもので、すべての人が豊かになることはありません。利息というのは他から奪ってこなければつけられませんから、豊かになる人がいれば、必ず貧しくなる人が生まれるわけです。まさにマネーゲーム。こんなゲームを続けていればいずれ行き詰まることは明らかです。
もし、ゲームを続けたいのであれば、ルールを変えるべきでしょう。利息はマイナスにする、あるいは、お金の価値は下がっていくようにするのです。昔、オーストリアなどでは、地域通貨のような形で価値の下がるお金が発行され、大成功を収めたことがあったそうです。価値の下がるお金は人々の間をすごい勢いで循環し、見事な経済効果を生みました。しかし、結局、支配者には都合が悪かったようで廃止されてしまったそうです。
現在のお金は価値が下がらない上に、無限に貯められ、おまけに利息が付きますから、当然お金は金持ちのところに集まります。一部の金持ちがお金をどんどん吸い上げ、大多数の人はその残りを奪い合っているというのが今の経済社会の構図です。世界を見れば、先進国にお金が集まり、発展途上国は極端な貧困にあえいでいます。
経済社会は永遠の成長を目指しています。しかしそんなことは絶対に不可能です。なぜなら、地球の資源は限られているからです。人間は、地球上という限りある空間の中で、限りある資源を再生可能な範囲で使いながら生きていく以外に存続する道はないのです。大量生産、大量消費、大量廃棄をしなければ成り立たないような経済社会が永遠に続けられるわけがありません。今、それに気づき、価値観を変え、軌道修正しなければ、いずれはあらゆる生物を巻き添えにして、世界の終わりを迎えることになるかもしれません。
三、お金のいらない国になったらお金のいらない国を想像してみましょう。お金の存在しない社会になったら、人々の意識はどのように変わるでしょう。お金のいらない国ではどんな生活がしたいと思うでしょう。言ってみればすべてがタダの世界です。お金のいる社会から考えるとまさに夢の世界でしょう。どんな家に住み、どんなものを持って、何を食べようと自由です。しかし、誰でも何でも持てるわけですから、誰がどんな生活をしようとそれをうらやましがる人はいません。今の社会では、お金持ちが偉いと思われたり、力を持ったりしますが、お金のいらない国ではそういう評価は生まれません。余計なものを持っていればみんなに不思議がられるだけでしょう。また、ものの価値はお金に換算できませんし、本当に価値のあるものしか作る意味も存在する意味もありません。
財産を蓄える必要はありませんから、その時点で本当に必要なもの以外は持っていても意味がありません。そういう状態では結局、人は、必要最小限のもので満足するようになるのではないでしょうか。そうなると、資源もそう必要としませんし、自然破壊、環境破壊も起こらないでしょう。
大昔、お金は、物々交換をしやすくするために生まれたのだと思います。交換できる適当なものがないときに、代用品として便利なお金が考えだされたのでしょう。私は、そもそもその交換という発想が、間違っていたのではないかと思うのです。私の考えるお金のいらない国では物々交換もしません。すべては、あるところからないところに流れるだけ、持っている人が持っていない人にあげるだけです。それなら代用品も必要ありません。
お金のいらない国では所有という概念が薄くなる、あるいはなくなると思います。所有とは、このお金の社会では現実味を帯びた概念ですが、実はそれは多くの場合、お金を出して買ったからという意識に起因しています。元をただせばすべてのものはこの地球の資源。それを利用して作られたものが今たまたま自分のそばにあるというだけのことで、それが自分のものであるという考えは思い込みにすぎません。
お金のいらない国になったら、たぶん、この社会では当たり前とされているいろいろなことが見事にひっくり返ると思います。もしかすると、あらゆる制度、支配、国家もなくなるかもしれません。そういう意味ではその呼び方は「お金のいらない国」より、「お金のいらない世界」の方が合っているでしょうか。
ではお金のいらない国を実現させるにはどうしたらいいでしょう。現在の世の中では、多分究極的にはそのような社会を目指し、実践されている方たちもいらっしゃいます。例えば、エコビレッジを作って共同生活をし、自給自足をしている方たち。地域通貨を研究、発行している方たち。あるいはベーシックインカムを提唱している方たち。みなさん、理想に向かって努力されていてすばらしいと思います。
そして私は何をしているかといいますと、今のところ会社勤めをしながら、「お金のいらない国」という本を出版し、お金のいらない国をイメージしていただくための講演活動をしています。私は、お金のいらない国を想像し、そういう世界にしたいと思う人を一人でも多く増やしたいのです。実現させるためにはまずイメージを膨らませることです。そして、多くの人が具体的にイメージできるようになり、そういう世の中にしたいと思った時、お金のいらない国は無理なく実現するのではないかと思っています。
【参考文献】
「金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った」 安部芳裕著 徳間書店
「日本人が知らない恐るべき真実」 安部芳裕著 晋遊舎