お金のいらない国(落語)台本

男「何を?お金のいらねえ国?冗談言っちゃいけねえ。この世の中、金がなくてやってけますかってんだ。
  俺だってさ、こうやって毎日毎日会社通って仕事してんのだって、みんな金のためですよ。
  金がなくて生きてけんなら誰が働きますかってんだ。まったく、のん気なこと言ってるやつがいるもんだよ、ははは。
  ……あれ?どこだいここは。何だか知らねえとこ来ちまったよ。
  でもずいぶんきれいなとこだねえ。街中なのにねえ。花咲いてたり、木もいっぱいあったりしてね。こんなとこあったんだ。
  それにしてもいっぱいいろんな人がいるねえ。国際色豊かだねえ。しかしみんな、やけに楽しそうにしてやがるね。
  ……しかし弱ったな、会社遅刻しちまうじゃねえかよ」

老(老人)「あ、どうかなさいましたか」
男「あ、ちょっとね、道に迷っちゃったみたいで」
老「おお、それはお困りでしょう、どちらに行かれたいんですか」
男「会社行こうと思ってたんですけどね。あの、ここ、どこなんですか」
老「地球ですよ」
男「いや、それはそうでしょうけど、日本ですか」
老「日本?ああ、たしかにこのあたりは昔、日本と言われていたようですね」
男「昔?」
老「ええ、相当昔だと思いますよ。今はそういう分け方はないんです。地球です」
男「今って、西暦何年ですか」
老「2512年です」
男「2512年!?あたしゃ、2012年にいたんですよ」
老「おお、ではあなたは五百年も過去の世界からいらしたんですか」
男「いらしたんですかねえ」
老「それは興味深いですね。じゃあ、ちょっとその辺でお茶でも飲みながらお話を聞かせてもらえませんか」
男「ええ、いいですけど」

ウ(ウェイトレス)「いらっしゃいませ。何にいたしましょう」
男「ああ、コーヒーを」
老「コーヒーを二つください」
ウ「かしこまりました」

男(メニュー<扇子>を見ながら)「へえ、値段が書いてないんですね」
老「ねだん?」
男「ええ、メニューには普通、値段が書いてあるでしょ?」
老「そうですか?」
男「値段がわからねえと、お金払う時、困るでしょう」
老「お金?お金ねえ」

(ウェイトレスがコーヒーを出す)
ウ「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

老「ああ、お金、お金思い出しました。昔、歴史で習いましたよ」
男「ぷーっ!(コーヒーを噴き出す)歴史?」
老「ええ、和同開珎とか、円とか、ドルとか、ユーロとか」
男「和同開珎といっしょかよ。……あのう、この時代ではお金は使われていねえんですか?」
老「ええ、別に必要ないので」
男「なんでお金がなくてだいじょぶなんですか?」
老「なんで必要なんですか?」
男「そうだ(財布<手ぬぐい>からお金を取り出す)……ほら、これがお金ですよ」
老「へえ、この汚れた紙切れと金属の破片が、一体どういう役に立つんですか」
男「う〜ん、じゃあ、ちょっと説明してみますね」
老「ええ、お願いします」
男「あたしたちの時代じゃあですね、何か仕事をすると、そのお金というもんがもらえるんです」
老「ほう」
男「それで、物にはみんな値段というのがついていましてね。お店で何か買ったり、なんか食べたりすると、
必ずその値段分のお金を払うことになっています」
老「ほう、かったり」
男「ええ、かったり」
老「じゃあ、ちょっとお休みになられた方が」
男「何でですか?」
老「だって、かったりいんでしょ?」
男「いや、かったりいわけじゃねえよ、ほら元気だよ。
  ……買うっていう言葉があるんですよ。買うっていうのはね、お金と引き換えに物を受け取ることなんですけどね。
  まあ、とにかくね、何をするにしてもお金がいるんですよ。お金がなきゃあ、生きていけねえんですよ」
老「はあ」
男「みんなね、自分が働いて稼いだお金を使って生活するんですよ。
  だからいっぱい仕事をした人はいっぱいお金をもらってね、豊かな暮らしができるんです。
  まあ、かなり不公平もありますし、いろいろずるい人もいるんですけど。
  でも、みんな自分が手に入れたお金の範囲内で生活するようなってるんですよ。だからお金はどうしても必要なんです」
老「ということは、要するにあなたの時代では、お金というものがないと、人々が欲望をコントロールできないというわけですか」
男「まあ、そうかもしれませんが、でも、お金がなくても生きていけんだったら、もう仕事なんかしなくてもいいじゃねえですか。
毎日遊んで暮らしゃあ」
老「みんなが遊んでばかりいたら何も手に入らなくなってしまいますよ。物を作る人も、与える人もいなくなるわけですから」
男「でも、そういう人もいるんじゃねえんですか?
  っていうかあたしゃあ、金がもらえねえんだったら、誰も仕事なんかしなくなっちまうと思うんですけどねえ」
老「まあ、仕事をしたくない方はされなくてもいいと思うんですよ。できない体の方だっていらっしゃいますしね。
  ……あなた、そのお金というものと、働くということを固く結びつけて考えすぎていらっしゃるんじゃないですか」
男「そりゃあ、金のために働くんだと思ってましたけど」
老「仕事は社会への奉仕ですから、世のため人のため、ひいては自分のためにみんなで働かなければ世の中は回って行きません。
  あなたの言う、お金がもらえなくてもです。そして、あなたが生活に必要なものは、
  お金など払わなくても、社会から奉仕してもらえばいいんですよ。今の時代は、それで何の問題もありませんけどねえ」
男「いや、金ってのはね、ためておくことができるんですよ。
  働いて金稼いでも、貯金ね、貯金ってのは金をためておくことなんですけど、
  貯金しておきゃあね、後で必要んなった時にいつでも降ろしてきてパッと使えるんです。
  たくさん貯めると、ぜいたくができるんですよ。だから楽しいんですよ」
老「ぜいたくって、何ですか?」
男「ええと、自分がほしいものは何でも買ったり、おいしいものをたくさん食べたり」
老「ここでは、お金なんかなくても、ほしいと思ったものは何でも手に入れることができますよ」
男「いや、そんなね、ただほしいくれえのもの手に入れたってぜいたくとは言わねえんですよ。
  そんなのは、あったりめえだ、普通。
  ぜいたくってえのはね、もう自分には必要ねえくれえたくさんの物とか、値段のすっごくたけえ物とか……」
老「ぷ〜っ!(噴き出す)……いや、こりゃまた失礼。そんな自分が必要ないほどの物を手に入れて何がおもしろいんですか。
  そんなとりとめもない欲望を追っていたってきりがないでしょう」
男「でも、貯金しておくと、年取って働けなくなっても安心なんですよ」
老「私たちは、働けない体の人にはみんな何でも差し上げますよ。
  あなたの時代では、そういう人でもお金というものを持っていなければ、何も手に入れられないのですか」
男「泥棒はいねえんですか、泥棒は。人の物を盗って行くやつです。
  お金はねえからいいとしても、ほら、あなたの持ちもんとか盗んでくやつ」
老「そんな人はいませんが、たとえいたとしても私の持ちものなど盗ってどうしようっていうんですか。
  たいていの物はお店で何でも手に入るんですよ。
  私が手で作ったものをほしいと言われるなら、いやそりゃあ、差し上げられるものは差し上げますがね」
男「だけど、あたしの仕事だってね、見積りを書いたり、支払いの手続きをしたり、お金に関することがすごく多いんですよ。
  それに、そうだ、銀行や保険会社はどうなっちゃうんですか。お金がなかったら、仕事がなくなっちまうじゃねえですか」
老「ちょっと待ってください。あのう、よくわからない単語がたくさん出てきましたが、
  あなたのおっしゃりたいことは何となくわかりましたよ。
  要するに、そのお金というものに関連して生まれる業務、あるいは、直接お金を扱う仕事に携わっている人は、
  お金がなかったとしたら、仕事がなくなってしまうのではないかと、そういうご心配ですね」
男「ええ、ええ」
老「私の想像では、あなたの時代は、そのお金というものを動かさなければならないために、
  ものすごい時間と労力のロスをしているような気がしますね。
  言いかえれば、不必要なもののために、無駄な仕事を増やしているということですよ」
男「でも、あたしたちの時代じゃあね、金がねえと社会が回っていかねんですよ」
老「それはわかります。でも、あなたの時代でも、この紙切れや金属を食べたり、直接何かに使ったりしている人はいないわけでしょう。
  要するにこのお金というものは、ものの価値をみんなが共通して認識するためのものさしでしかないわけですよ。
  ですから、例えば今あなたの時代で、このお金が一斉にパッと消えてしまったとしても、
  みんなそのまま仕事を続けていけば、世の中は回っていくばずなんですよ。あ、それに、ちょっと想像してみてください。
  あなたの時代の、お金を扱う仕事に携わっている人が、その業務から、一切解放された時のことを。
  そして、お金を動かすために使っていた時間や労力をもっと世の中のためになる仕事に向けたら。
  いや、もちろんお金の存在する社会ではそういう仕事が大切なのはわかるんですが、
  もしそうなったらですよ、ずっとずっとみんなやりたいことがやれるようになって、楽しい社会になると思いませんか」
男「う〜ん、まあ、そうはおっしゃいますけどね。あたしゃ、やっぱりね。金がもらえなきゃ、人は仕事なんかしねえと思うんですよ。
  あたしゃいやですね。やっぱり金のためでしょう。あたしゃ、金がもらえなきゃ働きませんよ」
老「う〜ん、まあね、あなたは今までずっとお金の社会で暮らしてこられたんでしょうからそう思われるのも無理はないかもしれませんが。
  ……でもね、あなたせっかくこちらにいらしたんですから、しばらくこちらで暮らしてごらんなさいよ。
  何か楽しいこともあるかもしれませんよ」
男「まあね。そりゃあたしだってわけわかんねえのに来ちまったんだし、けえりかたもわかんねえんですからしばらくおいてもらいますけどね」

語り「それからしばらくの間、その人はお金の存在しない社会で暮らしました」

老「おお、お久しぶりですね。いかがですか、こちらでの暮らしは」
男「ああ、どうもどうも、おひさしぶりで。
  いやあ、こたえられませんね。だって全部タダですよ。
  どこ行って何食おうと、何の乗り物乗ってどこ行って、何やって遊んでこようと全部タダだ。こりゃあ、最高ですよね」
老「ああ、よかったですね。まあ、こちらでは当たり前なんですが」
男「いや、それでね、なんかこっちの人ってえのはさ、みんな楽しそうにしてますわね。
  あたしがあちこち遊びに行ってもみんなよくしてくれんですよ。
  で、あたしも金払うわけじゃねえからさ、お礼言うしかねえでしょう。
  だからありがとうなんて言うとね、あたしにいろいろやってくれた人がですよ、あたしにありがとうだってさ。
  なんかわけわかんねえんだけど、うれしくなっちまってね。
  ……だいたいね、あたしの時代なんてえのはさ、みんな仕事なんてそんなに喜んでやっちゃいねえんですよ。
  まあ、そりゃあ、好きな仕事に就いてんのかも知れねえよ。でもさ、やっぱり金のためってのがあるからさ、
  みんなつれえとか苦しいとか、仕事ってえのはそういうもんだと思ってやってんだよ。
  でも、こっちの人は違うよね。みんな自分のやれることやって誰かの役に立てれば何だってやっちゃうよって感じだもんね。
  こんなんならね、あたしだって働きますよ。あたしだってね、今までだてに生きてきたわけじゃねえんだ。
  会社でだってそれなりにゃあ認められてるし、それにね、金のためじゃねえんだったら、あたしゃ、もっといろんなことやっちゃうね。
  金なんかいらねえよ、冗談じゃねえ。金もらえなかったら働かねえなんていうやつのね、顔が見てみてえもんだ。
  ……あれ?やりやがったな、こんちくしょう」
老「何もしてませんよ」
男「ああ、そうすか。こりゃ、働きますわね。働くのは金のためじゃねえのか。なるほどね。
  これなら、働きま……あれ?いなくなっちまった。どこ行っちゃったんだろ……あれ?ここ、おれんちのそばじゃねえか。
  ええ、けえってきちまったのかよ。何だよ、これからおもしろくなりそうだったのにな。
  ゴホ、空気悪いねえ、あっちに比べると。汚いねえ、誰だい、ゴミ捨ててんの。
  いやあ、よかったよなあ、お金のいらねえ国なあ。ああすりゃあいいじゃねえかよ、なんでしねえんだ。
  (腕時計を見て)あ、いけねえ、会社行かなきゃ。

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