りゅうじんの独断と偏見の人生哲学
(コロナ関連編)

トップページへ戻る

タイトルをクリックしてください。

コロナワクチンについての個人的見解2021.11.27NEW
進まぬワクチン接種2021.9.9
ワクチン騒動のお粗末2021.9.9
コロナとワクチン 2021.8.13
エンタメの必要性 2021.5.24
貧富の差をつけたいのか、つけたくないのか 2021.5.20
抜本的な経済システムの改革を 2021.5.19
危険なマネーゲームの社会 2021.4.27
政府が今すべきこと 2021.4.25
経済システムをどう変えるか 2021.3.13
現行の経済システムの弱みと、今すべきこと 2021.3.7
格差をなくせ 2021.2.8
自分を責めない 2021.2.7
コロナの効用 2021.1.29
マスク警察 2021.1.25
コロナは天災、お金は人災 2021.1.21
中途半端なコロナ対応 2021.1.16
コロナの不公平 2021.1.13
コロナの自粛 2021.1.11
コロナの今、考えるべきこと 2021.1.8
コロナ禍の今、気づいてほしいこと 2020.11.13
ここらでやめてもいいコロナ 2020.8.23
ボロボロ政府 2020.8.7
アベノマスク追加配布 2020.7.30
コロナの快適 2020.7.23
コロナ、どうなりゃいいわけ? 2020.7.23
GoTo Travelキャンペーン 2020.7.20
GoToキャンペーン 2020.7.15
コロナの今後は? 2020.7.8
アベノマスク、記録的無駄遣い 2020.6.1
ソーシャルディスタンス 2020.5.25
今までの発想にとらわれない対応 2020.5.23
スピンオフ(理想的なコロナ後) 2020.5.20
理想的なコロナ後 2020.5.19
コロナウイルスより恐ろしいこと 2020.5.18
お金は実体のないもの 2020.5.14
緊急事態宣言緩む 2020.5.14
ワイドショーを見ていて思うこと 2020.5.7
コロナで起きる人災 2020.5.7
コロナ騒動。お金のいらない国だったら 2020.5.6
役割分担の社会 2020.5.5
神々のいたずら 2020.5.4
総理、お願いです 2020.5.3
今後の予測 2020.5.2
コロナウイルスの問題点 2020.5.1
財源を考えない支給 2020.4.30
生きること、働くこと、お金のこと 2020.4.29
マスクのおうさま 2020.4.28
お金社会の今後 2020.4.23
コロナ騒ぎにおける経済援助の方法 2020.4.17
神々の会話 2020.4.17

 

 

トップページへ戻る

コロナワクチンについての個人的見解

コロナウイルスも第5波がとりあえず収まり、町には大分活気が戻ってきました。このまま収束するのか、いずれ第6波が起きるのかまだわかりませんが、注意しながら様子を見ていくしかないでしょう。

収まった原因がワクチンなのか、別の理由があるのかははっきりしていませんが、ワクチンに対する見解は人それぞれのようです。

報道は信じられない、金儲けの陰謀ではないか、疑えばきりがありませんが、どう考えるか、ワクチンを打つ、打たないも個人の自由だと思います。

私は結構いい加減です。私は先日、ワクチンを接種しました。自分から進んでは打たなかったと思いますが、家族が一緒に打ってほしそうだったので付き合いました。

この結果がどう出るかは知りませんし、なるようにしかならないでしょう。もともとコロナにかかるかかからないかもあまり気にしていませんでした。ただ、マスクをしろというならするし、ワクチンを打てというなら逆らうほどのことでもないかと思って私はそうしているだけです。

私は昔からそんな生き方です。

このページの最初に戻る

進まぬワクチン接種

コロナワクチンに関しては、接種しない方がよいという意見もあるし、この先どんな結果が出るかはわからない。しかし、予防策として、ワクチンしかないことも事実。だから、打ちたいという人は一刻も早く打てるようにすべきだろう。

しかし、現状は、ワクチンが足りず、なかなか予約もできない状況。一日の感染者数は減ってきたとはいえ、重症者は多いし、病院は満杯で受け入れられず、自宅で亡くなる人もいる。既に65歳以上は結構スムーズに接種できたのに、どうなっているんだと思う。

私は現在63歳だから接種はしていないが、ワクチンが足りないのに苦労して予約してまで受ける気にはならない。しかし、ワクチンの効果を否定しているわけではなく、簡単に受けられるなら拒否するつもりもない。

ワクチンしか予防策がないのなら、さっさと必要なだけ用意し、私のような国民には受けさせるようにしなければ、感染は収まらないだろう。

このページの最初に戻る

ワクチン騒動のお粗末

先日、渋谷ではコロナワクチン接種を希望する若者が夜明け前から行列し、密を作った上、ワクチンが足りずに接種できない人が続出した。にもかかわらず翌日にはまた並ばせ、今度は抽選で、やはり打てた人はわずか。

こんなことが起きたのに、政府関係者、医療関係者に聞けば、誰もが「こうなることは予想していた」といった返事。

では一体だれが発想し、許可し、命令を出したのか。全く、無責任極まりない。日本ってこんな国だったんだっけ。

このページの最初に戻る

コロナとワクチン

コロナウイルスはデルタ株の登場などで未だにその勢いは収まらず、日本では感染者、重症者が増え続けており、ついに医療崩壊も始まった。ここで頼みの綱はワクチンだが、これに関してもさまざまな意見があり、一筋縄ではいかないようだ。

一刻も早くワクチン接種を受けたくてもなかなか受けられない人もいれば、ワクチンは効果なし、あるいは危険と考えて、拒否する人。会社などでは受けない人に対して圧力がかかったりと、問題はさまざま。

私が思うに、既に接種の進んだ外国ではかなり収まっていることを考えれば、ワクチンには一定の効果があると考えてよいと思う。ただ、基礎疾患のある人は、副反応が出たり、場合によっては死に至ることもあるようなので、注意は必要だ。

ワクチンはある意味マスクと同じで、それによって自分の感染を防ぐと同時に、他人に感染させることを防げると思う。だから、基礎疾患のない人は受けられるなら受けておいた方が無難かもしれない。

ただ、いずれにしても、自分で判断することが大事で、他人に強要したり、一方的な意見を押し付けることには注意した方がよい。

このページの最初に戻る

エンタメの必要性

コロナ禍で、特に客入りが影響する飲食店業界や、エンタメ業界が被害を被っているが、エンターテインメントは、ややもすると、衣食住やインフラのような、生活に絶対に欠かせないものではないので、軽く見られる部分があるかもしれない。

たしかに生死で考えれば、歌や踊り、映画、演劇などは、なくても死ぬものではない。しかし、たぶん、これらは人々の生活にとって、欠かせないものなのだと思う。

古事記でも、天の岩屋戸に隠れた天照大神を外に出したのは、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の踊りであり、音楽やダンスは、世界各地で、大昔から人々にとって、なくてはならないものだったのだろう。

現在でも、外国とのつながりとして、もちろん食料や資源の貿易などもあるが、外国の音楽、映画などのエンタメに触れて、好きになったり、興味を持ったりすることによる文化の影響は、計り知れない。

エンタメは、人と人、国と国とを結ぶ上での役割もとても大きいと思う。

このページの最初に戻る

貧富の差をつけたいのか、つけたくないのか

現在のお金のシステムは、どんどん貧富の差がつき、お金を持っていない人は生きていけない、あるいは、援助を受けるには、ほぼ一文無しにならないといけないというものです。

お金をたくさん得るためには、株で運よく大儲けした、特別な才能があった上にチャンスに恵まれた、大会社の上層部まで出世できた、大ヒット商品を生んで特許を取った、などが必要と思いますが、普通は無理です。

もともと、現在の経済システムは、働かざる者食うべからず、お金を儲けられなかった奴が悪い、という原則の元に作られていると思いますが、今回のコロナ禍のように、地道に商売をしてきた人たち、エンタメ系の仕事に関わっていた人たち、アルバイトで生計を立てていた人たちなどが多数、生活に困るような状況になってしまうと、システムを考え直さねばいけないと思います。

そもそも、今の時代、人はそんなに貧富の差をつけたいと思っているのでしょうか。自分が何不自由なく暮らせれば、食べることすらままならない人がいても平気なのでしょうか。

私は、政治家でも、お金持ちでも、もちろんお金のない人でも、多くの人は、みんなが最低限生きることぐらいは普通にできた方がいいと考えているのではないかと思います。それなら、もう少し、貧富の差がつかないようなシステムに変えればいいのではないでしょうか。

このページの最初に戻る

抜本的な経済システムの改革を

依然としてコロナは収まらず、店舗やエンタメ系の仕事などは困窮を極め、このままでは事態は悪化する一方である。

改めて言うが、食料や、資源は何一つなくなったわけではない。少なくともコロナにかかりさえしなければ、人が生きていけなくなるはずはないのだ。

問題は経済システムである。今までの経済システムが、いかに緊急時に耐えられない、不完全なものであったか。

私は、『緊急事態宣言』は、それは政府がお金を発行できる期間とし、収入が減ってしまった人たちに必要なだけ配れるようにすべきと思う。

お金は実体のないもので、配ると言っても財源などは必要なく、銀行が通帳に数字を印字するだけなのだ。

その上でなら、店舗の休業を命令しようと、もっと厳しいコロナ対策を出そうと、人々は従うことが可能だろう。

人間の作ったシステムに、人間が首を絞められるほど馬鹿な話はない。

このページの最初に戻る

危険なマネーゲームの社会

コロナ禍によって、このお金がなければ生きていけない社会、お金を奪い合うマネーゲームの社会がいかに危険であるかが露呈した。

社会に出た時にお金を手に入れるのに有利になるように、子供のうちから受験戦争などの競争を強いる教育。会社に入ればより多くの収入を得るための出世争い。

何のための教育か、何のための仕事か、本来の目的を見失っている。

芸術やスポーツで身を立てようとする者は、いちかばちかの賭けに出ざるを得ない。起業して大成功したり、高収入の得られる職業につける者もいるが、その割合は少なく、大多数の人はそう余裕のある暮らしはできない。

今回のコロナ禍では、地道に商売を続けてきた人や、その関連の仕事に従事していた人、それなりにやれて来たエンタメ系の人たちまでが死活問題に陥っている。

しかし、現在の経済システムでは十分な援助はできず、生活保護などは、ほぼ無一文にならなければ受けられない。

政府も開き直れば、自分たちのせいではない、これ以上の補償はできないと言うのだろうし、こうなってからでは、この危険なシステムをすぐに修正することは難しいだろう。

とにかく、この社会のシステムがおかしいということに多くの人が気づき、またこのようなことが起きる前に、お金中心の社会を見直し、急いで経済システムを修正する必要があると強く思う。

このページの最初に戻る

政府が今すべきこと

ついにコロナ禍は第4波、3回目の緊急事態宣言発令が決定。変異ウイルスの感染力はすさまじく、ワクチン接種も進まない。

政府は、店を閉めろ、酒を出すな、イベントを中止しろなど、末端の指示ばかり出しているが、私は、政府がすべきことはただ一つ、政府が通貨を発行できるように法律を変え、お金を必要とする人に無限に配りまくることだと思う。

その上で、どうするかは各自の自由。それでもやりたいことがあればやればいいし、クラスターが起きたら自己責任。医療が崩壊しても仕方ないし、コロナにかかって、自力で治せなかった人はあきらめるしかないと思う。

とにかく、経済、金の原因によって生きていけなくなる人を出してはいけない。金など、人が決めた仕組みに過ぎず、実体のないものなのだから。

このページの最初に戻る

経済システムをどう変えるか

例えば今回のコロナ禍のようなことが起きると、現行の経済システムでは多くの悲劇が起き、犠牲者が出ることがわかった。早急に、緊急事態を含め、貧富の差を減らす必要があると思う。

ただし、私は経済学者でも何でもないので、単なる思い付きです。みんなで考えましょう。

1.政府が無限に借金をする(MMT理論?)。
現在では誰かが借金をしたときにだけ、銀行が新たにお金を作れる仕組みなので、政府が代表して無限に借金をし、お金を必要とする人に配る。また、借金を返すとお金は無くなるので、永遠に返す必要はない。

2.政府にお金を発行する権利を持たせる。
誰かが借金をしないとお金が作れないという仕組みを変え、少なくとも緊急事態には、政府はお金を作れることにする。そうすれば政府も借金をする必要はない。

3.所有できる金額に上限を設ける。
例えば、個人の預貯金は最高10億円までとし、それ以上は政府が没収。お金の足りない人に回す。

4.預貯金に税金をかける。
例えば5億円以上預貯金のある人からは、5億円を超える分について、年5%の税金を取る。

完全なキャッシュレスの世の中になり、紙幣、貨幣が無くなればタンス預金もなくなるが、その前に預貯金額に上限を設けると、タンス預金が増えると思うので、その場合は、タンス預金にも上限を設ける。

預貯金に課税されるようになると、金(きん)や宝石、絵画などを買う人が増えるかもしれないが、それはそれでお金は動くのでよいかもしれない。

資産として不動産を買った場合は、固定資産税を払うことになるので、場合によっては固定資産税の税率を上げてもよい。

とにかく、お金の存在しない世界がすぐには実現が難しいとしても、貧富の差を縮めるためには、富裕層の資産を貧困層に回すことが必要だと思う。

このページの最初に戻る

現行の経済システムの弱みと、今すべきこと

今の社会を生きていくにはある程度のお金が必要なので、人々は何らかの形でお金を得ようとする。仕事によって得られる金額には大分差があり、貧富の差のつく仕組みの中で、マネーゲームに参加することになる。

学歴や職種、勤務先によって収入には大きな差がつき、労力と収入は比例せず、不公平感のある社会だが、そこは才能、努力、運のせいなどとの割り切りも含め、平時にはそれでも人々は何とか生きてきたのだと思う。

しかし、今回のコロナ禍のようなことが起きると、業種、職種によっては死活問題になる。これだけ多くの人が、閉店、倒産、解雇によって職を失っている現在、安易に、自己責任だなどと言っている場合ではない。

では早急に何をすべきか。私は、政府にお金を発行する権利を与え、当面必要な額を人々に与えるべきだと思う。現在は、誰かが借金をした場合に銀行がお金を発行するシステムなのだから、政府が無限に借金をして、必要とする人に配ればいいのだ。

そもそもお金というのは概念であって、実体はない。与えると言っても預金通帳に数字を書き込むだけなのだ。財源も要らなければ、誰の通帳にいくら書き込まれていようと、誰も痛くもかゆくもない。

コロナ禍とはいえ、食料や資源が不足しているわけではない。自分たちの考えだした数字のマジックに捕らわれ、犠牲者を出してはいけない。

このページの最初に戻る

格差をなくせ

日本もだが、現在、世界、人類の一番の問題は「格差」だと思う。なぜ格差が生まれたのか。一番の原因はお金、現在の経済システムだろう。

格差、貧富の差に我慢できなくなった人たちが、暴動を起こす、テロを起こす。このマネーゲームの不公平なルールの中では、当然貧富の差がつき、このまま続けていけばそれはどんどんひどくなる。

今回のようなコロナでは、今まで地道に商売を続けてきた人たちが、閉店、倒産。瞬時に生きる道を奪われる。多くの人が働き口を失い、貧困に転じる。

しかし、実はお金に実体がない以上、金持ちというのも幻想なのだ。紙幣、貨幣ですら食べられるものでもないのに、キャッシュレス化すればお金はただの数字でしかない。

金の延べ棒や、宝石だって、実はただの石ころ。食べることもできないし、金(カネ)の概念がなくなれば、光るくらいの価値しかない。

実体で考えれば、金持ちも貧乏も、実は差はない。格差があること自体がおかしいのだ。もう、こんなマネーゲームはやめて、早く誰もが安心して生きられる世界にしたい。

このページの最初に戻る

自分を責めない

自分が生きづらいとか、うまくいかない、あるいは嫌だと感じた時に、まず自分を責めてはいけない。それは社会に問題がある場合が多いと思う。

もちろん、誰か個人に問題がある場合もあるだろう。しかし、その人だって、それまでの間違った社会の影響によってそうなってしまっているのかもしれない。

例えば今回のコロナによる、多くの閉店、倒産、失業。これは今の経済社会のあり方に明らかに問題がある。

預金に利息が付く、所有できる資産に上限がない、借金時にしかお金が作れない。貧富の差のつく、不平等な金融システムの在り方に問題がある。

この緊急時に、そもそも実体のないお金を、政府が困っている人に必要なだけ与えることもできない。

しかし、だからと言って、誰かを殺したり、テロを起こしても、世の中は変わらない。必要なのは、現在のシステムのおかしさに多くの人が気づき、これを変えていくきっかけにすること。

自分が生きづらい、嫌だと思った時が、自分を救う、世界を救うチャンスだと思う。

このページの最初に戻る

コロナの効用

世界中でたくさんの人が感染し、亡くなったりしているコロナ。先行きも見えない現在だが、起きてしまったことは過去に戻って変えることはできないのだから、コロナをきっかけによくなったことを考えることも必要だろう。

私が顕著に感じるのは、Zoomなどを使ってのリモート会議。実際に会場に伺っての講演などができなくなったため、パソコンを通しての会議やライブ配信が主な活動になった。

もちろん、リアルに会って伝えるのとは違うものの、リモートでは遠く離れた人たちと話ができるし、多くの人に聞いてもらえる。リモート会議を主催、参加されている人たちも、実際にはお会いしたことのない人が多い。

世間では、テレワークによって出勤しないサラリーマンが増え、飲食店などはそれによって閉店に追い込まれたところも多いが、コロナが収まってもテレワークは継続されるだろうし、これも時代の流れなのかもしれない。

早く収まっていただきたいコロナではあるが、多くの人が現在の経済システムのおかしさに気づき、見直す機会となればありがたい。

このページの最初に戻る

マスク警察

マスク警察と呼ばれる人たちがいるようだ。コロナによって、町に出るにはマスクをするのが当然という風潮の中で、マスクをしていない人に注意をする人たち。

注意の仕方にもいろいろあるだろうが、体調その他の理由でマスクをできない人もいるわけだし、注意するにしてもあまりきつい言い方はしない方がいいと思う。

また、最近ではマスクの種類によってその効果の違いが言われていて、不織布マスク、布マスク、ウレタンマスクの順にその効果は薄れていくらしく、「不織布マスク警察」なる人たちもいるようだ。

私が思うに、どのマスクであろうと100%防御することはできないわけだし、どれでもしないよりはいいのだから、その種類にまで文句をつける必要はないと思う。

それにつけても、260億円もかけて小さい布マスクを配り、それも届いたのはほぼ必要なくなった頃で、ほとんど役に立たなかったアベノマスクは、許されていいものなんだろうか。

このページの最初に戻る

コロナは天災、お金は人災

コロナ禍には二つの要素がある。一つは、コロナウイルス感染による病気の流行。もう一つは、お金の介在する経済システムによる生活の困窮。

コロナのような流行り病というものは、歴史を見ても人類は何度も経験してきているわけだし、防ぎようがないのであれば、地震、津波のような天災と言っていいと思う。

しかし、お金、現行の経済システムは人間の作りだしたものであり、それによって人々が苦しむのは人災と言えると思う。お金という、実体のないもののために、生きることすらできなくなる人がいるというのは愚の骨頂である。

コロナはいずれワクチンなどが世に行き渡れば、この混乱は過去のものになるだろう。しかし、本当に大事なのは、このコロナ禍を機に、お金や現行の経済システムを見直し、次に同じようなことが起きた際に過ちを繰り返さないことだと思う。

このページの最初に戻る

中途半端なコロナ対応

いつ終わるとも知れないコロナ禍。大都市などで緊急事態宣言は発令されたものの、飲食店などに対する政府の経済的援助は中途半端な上、人々の意識も第一波の時ほど緊張感がない。

政府は、飲食店に対して午後8時で閉店しろと言ったと思ったら、昼間も自粛してほしい、閉店しない店は店名を公表すると言ってみたり。店にしてみれば真綿で首を絞められるような状態が続いている。

現在、店を開けるかはそれぞれの店、外食をするかは客の判断に任せているわけで、これでは誰にどんな判断をされようとも文句は言えない。

また、店は開けたとしても客が来なければ商売は成り立たないのだから、こんな状態ではどんどん倒産、閉店、失業が増えていくだろう。

医療崩壊も進んできているし、本当にコロナを終わらせたいのなら、政府が十分な資金援助をしたうえで、しばらくは完全に閉店してもらうしかないだろう。

中途半端な援助で、できれば店を閉めてほしい、お客にも行かないでほしいとお願いしていても、だらだらと被害は拡大するだけなのではないか。

このページの最初に戻る

コロナの不公平

コロナウイルスによって世界がパニックに陥っているが、経済面を見た場合、業種によってその影響度には不公平とも言えるほどの大きな差がある。

被害が顕著なのは集客の必要な商売、およびその関連企業。店舗(特に飲食店)、エンタメ業界、映画館などの娯楽施設、ライブハウス、コンサートホール、交通、航空会社など。

また、オリンピックをはじめとするスポーツ関連行事の中止や延期。

店舗や企業は、規模の縮小、閉店、倒産が相次ぎ、そこに働く人たちはアルバイトも含めて職を失い、死活問題となっている。

しかし、コロナが流行ったとはいえ、実際には食料がなくなったわけでも、何かの資源が枯渇したわけでもないので、お金さえあれば生活に困るわけではない。それ以外の業種の人たちは、不自由さは感じても経済的に困ってはいないだろう。

パニックにも種類はいろいろあると思うが、今回のような場合は集客の必要な業種が気の毒なことになってしまった。そして、それは運が悪かったとかで済ませていい問題ではなく、社会構造的に問題があるのなら、修正していかなければいけないと思う。

今回、経済的に被害を被った業種は、基本的な人の生活や生死に直接影響のあるものではないかもしれないが、人間が生きていく上で、最も愛され、楽しまれ、生活に潤いをもたらすものだと思う。

音楽、演劇、旅行、スポーツ。まさに趣味、娯楽の代表であり、飲食店などは、癒し、語り合いの大切な場である。

すべての人が安心して暮らせる社会にするためには、どんなことが起きても、どんな業種にでも、経済的その他で十分な援助ができるようなあり方を検討しておく必要があるだろう。

このページの最初に戻る

コロナの自粛

コロナ禍で、行動をどこまで自粛するかがいろいろ問題になっている。

そんな中、国会議員が会食をしてみたり、セレブ夫人が大人数のパーティをやってみたり。

コロナなどただの風邪だという人や、マスク警察まで、人の対応はさまざま。実際どうなのかはよくわからないし、デマを鵜呑みにするのも危険だが、少なくとも表向き、一応、世間に常識を疑われるようなことにならない程度の対応は必要だろう。

私の判断では、唾液の飛沫に含まれるウイルスによって感染するのであれば、なるべく面と向かって人と関わらないようにすることは必要なのだろうと思う。ただ、何人までの会食はいいとか、そういう決め方はナンセンスだろう。

理屈で考えれば、感染者がいなければ何人集まろうと問題はないし、相手が感染者なら二人でもうつる。ただ、無症状の感染者もいるから、人数が多ければ感染者が含まれる確率は増すし、なるべく人と接しない方が安全だとは思う。

しかし、全く人と接しないのはなかなか難しいだろうし、感染ルートがわからない感染も増えている以上、完全にシャットアウトすることは不可能かもしれない。

すでに医療崩壊も起きているようだし、各自がよく考え、できる限りの対策をする必要があるだろう。

このページの最初に戻る

コロナの今、考えるべきこと

コロナの勢いが収まりません。東京でも感染者数が第一波とは桁違いな増え方をしています。検査数が増えていることもあるでしょうが、感染者が増えていることに間違いはないでしょう。

ついに再び緊急事態宣言が発令され、飲食店の時短営業も始まりました。と言っても政府からの経済的保障は中途半端で、時短もお願いするに留まっており、徹底した対策はできていません。

もうこうなってしまうと、お金のシステムそのものをまじめに見直さなければ、らちが明かないのではないでしょうか。

私は再三申し上げてきましたが、お金に実体はないのです。お金は「交換の権利」を数字で表したものに過ぎず、その数字を誰の通帳にいくら書き込んだからと言って、誰も痛くもかゆくもありません。

ここで必要なのは、政府がそれを決断することです。政府あるいは国家にそんな権限を与えていいのかと思われるかもしれませんが、現在でも、国民がそれを勝手にできないということは、金融に関するシステムを決める権利は国家が持っているのです。

どのような形でそれを実現させるかは検討が必要ではありますが、コロナがなければあるはずだった収入分くらいは、国民各自が通帳に書き込めるようにしなければ、経済による犠牲者が増え続けるでしょう。

財源は必要ないのです。もともと実体のないものなのですから。少なくともこの緊急事態の間だけでも、それが実現できるように、早急に発想の転換をしてください。

このページの最初に戻る

コロナ禍の今、気づいてほしいこと

コロナ禍でたくさんの店や会社が閉店したり、倒産したりしている。コロナは第二波、第三波が来て、これからもどんどん増えそうだ。別にコロナに感染したからではなく、ただ、お金が入らなくなっただけで。

しかし、お金とは実体のないもの。通帳に書いてある数字でしかない。誰の通帳にいくらの数字が書いてあろうと、誰にも何の影響もない。

そして、コロナ禍とはいえ、食料がなくなったわけでも、資源がなくなったわけでもない。人との接触を控える必要があるだけで、生活するには何の支障もない。

だったら、このコロナが収まるまで、誰でも通帳に必要な額の数字を書いていいことにすればいいではないか。そして、コロナが収まったら、店でも会社でも再開すればよい。

その数字は、誰かがあげる必要もなければ、どこかに財源が必要なわけでもない。お金とはただの概念なのだから。

それをしないと、一度つぶれた店や会社はコロナが収まっても復活できない。お金という実体のないもののために、そんなナンセンスなことが実際にたくさん起きている。

そして、これを機に、お金中心のこの社会を見直してほしい。お金の存在しない社会を想像してほしい。

このページの最初に戻る

ここらでやめてもいいコロナ

突然襲ってきたコロナ。この先いつどうなるかは全く見えず、会社や店は倒産が相次ぎ、失業者は増え続けている。

食糧や資源は一切なくなっていないのに、お金が手に入らないと生きていけない経済社会。

実体のないお金。数字でしかないお金。人間の作った幻想に、人間が首を絞められている。

♪ここらでやめてもいいコロナ(自動車ショー歌)

このページの最初に戻る

ボロボロ政府

コロナ感染者数はうなぎのぼり。感染者数は検査数が増えれば増えるわけだが、症状の出ない人もいるし、検査を受けている人はごく一部なのだから、参考程度にしかならない数字だが。

第一波がそこそこで収まった時には他国に「おまえらとは民度が違う」などと言っていた政府だが、にっちもさっちもいかなくなっているようだ。

とにかく人と人の接触によって感染するのだから、会食はするな、帰省もするな。でも、GoToキャンペーンはやる。

飲食店には営業を自粛してほしいが、店を閉めればつぶれてしまうし、補償金はもう出せないからあまり強くも言えない。

やはりお金は、当面必要なだけの数字を通帳に書いていいことにしたらどうか。あるいは確定申告の実績などから見込まれた収入分を書かせる。

どのみち、誰の通帳に数字がいくら書かれたとしても、何の資源も要らないし、誰も痛くもかゆくもないのだ。

実際、今は以前のような経済活動ができなくなっているだけで、資源や食料がなくなったわけではない。コロナが落ち着くまで、お金と称する数字さえある程度あれば、また再開できるはずだ。

このままこんな状態が続けば、かなりの数の店や会社はつぶれ、失業者が続出するだろう。本当の敵はコロナではなく、経済なのではないか。

このページの最初に戻る

アベノマスク追加配布

あの、何の役にも立たないアベノマスクを、240億円も使って追加配布するんだって(^^ゞ。もう笑うしかない。

最初のだって260億円も使って、結局いらなくなった頃にしか来ないし、誰も使わないし、安倍さんは辞任する責任くらい十分あると思っているのに。

予算が決まっていたからという理由らしいが、いくらなんでもそんなのってあり?お金もだけど、材料も労力ももったいない。

こうなると本当に、初めから誰かにお金を儲けさせるためにやっている以外に理由が見つからない。

このページの最初に戻る

コロナの快適

外出もままならない不自由な生活を強いられるコロナだが、いいことがないわけでもない。

映画館や劇場に行くと、隣の席が空いているからゆったりできる。隣の席に荷物も置ける。

飲食店ではテーブルや椅子など、アルコール消毒までしてきれいにしてくれる。

私は、握手など外国式の挨拶や人込みはあまり好きではないので、人に近づかないソーシャルディスタンスも悪くない。

私は普段から、帰宅すれば必ず手を洗うし、みんなが習慣としてそれをやってくれるようになればうれしい。

このページの最初に戻る

コロナ、どうなりゃいいわけ?

東京では第二波が来たようで、感染者がうなぎのぼりのコロナだが、結局どうなりゃいいんだろう。

PCR検査で陽性でも症状の出ていない人は、本人はわからないわけで、知らずに人に移してしまう可能性は大(だから増えてるんだろうが)。

一度かかったら風疹や水疱瘡のようにもうかからないのなら、一度はかかるしかない。私はどちらも30歳過ぎてやったので、特に水疱瘡はたいへんだった。

ただ、コロナウイルスは進化するらしいから、何度でもかかるのかも。だとすれば、それに勝てる人しか生き残れないということか。

ワクチンができたらインフルエンザのように、毎年予防注射すりゃいいのか(私は予防注射はしたことなくて、2度ほどかかった)。

マスクやソーシャルディスタンスでいくら防いでも限界はありそうだし、いつまでもこんなことはしていられないだろう。

このまま行けば経済社会の存続は無理かもしれないが、結局、どうなればいいんだろうか。

このページの最初に戻る

GoTo Travelキャンペーン

以前私が投稿した『GoTo キャンペーン』は、旅行に関しては「Go To Travelキャンペーン」というようで、補助金額も最大、旅行費用の半額が出るそうだ。

先日政府より、正式に7月22日から施行するとの発表があったが、東京発着の旅行、東京在住者の旅行は対象から除外だったり、条件や計算方法がとても複雑な内容になっている。

また、この決定により、宿泊施設などには既に予約した人からのキャンセルが殺到しているそうで、業界は混乱を極めているようだ。

結果的に果たしてどのくらいの経済効果が出るのか知らないが、コロナも全く収束が見えていない中、ご苦労なことだ。

このページの最初に戻る

GoToキャンペーン

政府が、新型コロナウイルスによって冷え込んだ経済を活性化するために、旅行費用を最大2万円まで援助するという『GoToキャンペーン』。

7月22日からの開始が予定されているが、PCR検査によって東京では連日100人、200人の陽性者が出ている現在、中止を求める声が全国各地から上がっている。

それはそうだろう。現在は、世間の風潮として、東京から他県に出かけることをなるべく自粛しようとしており、東京からの帰省すら他県の家族が止めているという状況。

政府も、緊急事態宣言は出さないまでも、なるべく不要不急の外出は避けてほしいと考えているに違いないにもかかわらず、それと正反対のキャンペーンを打とうとしているのだから。

経済社会を成り立たせるためには、こういう矛盾も直ちに訂正できないという顕著な例。

お金中心の国は情けない。

このページの最初に戻る

コロナの今後は?

多少収まったかに見えたコロナも、少なくとも数字上は、東京を中心にまた感染者が増えてきた。政府も、これ以上経済をストップさせるわけにもいかず、緊急事態宣言も出せないでいる。

政府としては、強力に自粛を要請すれば、金銭的な補償を求められるし、どうするかは個々人の判断に任せるような曖昧な対応にならざるを得ないのだろう。

この先どうなるかはわからないが、自粛すれば店や会社がつぶれる、自粛しなければコロナが蔓延するということになるかもしれない。

とりあえず、預金通帳に必要なだけ数字を書いていいことにすれば、しばらく店を閉めようと、できる限りのコロナ対策をしながら営業を続けようと、安心していられると思うのだが。

このページの最初に戻る

アベノマスク、記録的無駄遣い

アベノマスク。当初、製作、配布にかかる費用は466億円の予定だったが、260億円に収まる予定だと。安くなってよかったとでも言いたいのか。

普通のビジネスなら、そんないい加減な見積もり出したら、ど叱られるぞ。

だいたいそんなにかかるなら最初からやめるべきだったのに、勝手に進めちまった挙げ句、もういらないのに多くのところではまだ届いてない。

おまけに、誰がデザインを決めたのか知らないが、小学校の給食当番用みたいな古臭い中途半端なサイズのマスク。安倍さん以外、大臣たちだって誰もしてないじゃないか。

たくさんの会社がつぶれ、たくさんの店が閉店したってのに、260億もドブに捨てやがって。

こんなふざけた話が許される国、日本しかないと思う。

このページの最初に戻る

ソーシャルディスタンス

コロナも一応収まってきたかに見えるが、3密などをこの先どうするかの判断が難しいところだ。私は専門家でないから、言うことを鵜呑みにはしないでいただきたいが。

確率で考えると、表立った感染者は0.1%以下だ。外に出ても感染者に出会う確率は非常に少ないと思う。ただ、症状の出ない人がいるから本当の感染者数はわからないが。

テレビではバラエティ番組などで、出演者の距離を置いたり、アクリルパネルを挟んだり、グリーンバックで合成したり、自宅から中継したりと、涙ぐましい努力をしている。

もっと困るのは、スポーツ、演劇、ライブ、合唱、オーケストラなど、集団で近距離にいないと成り立たないもの。

これからはソーシャルディスタンスがスタンダードになって新しい習慣が始まるとも言われているが、私は、そろそろ限界ではないかと思う。

ワクチンが開発され、特効薬が見つかればコロナもインフルエンザと同じような扱いになるかもしれないが、まだ時間がかかりそうだし。

一応コロナが落ち着いて、医療崩壊もしないで済みそうだったら、以前のように再開してみてはどうだろうか。とりあえずやってみて、感染者が出たら対処する。

実際、途中で撮影できなくなっているドラマや、スポーツ大会だって、ソーシャルディスタンスを解禁しないことには今後もやれなくなってしまう。下手をすれば、役者やスポーツ選手という職業は成立しなくなる。

東京オリンピックはただでさえ怪しいが、オリンピックの歴史もこれで終わることになる。

このページの最初に戻る

今までの発想にとらわれない対応

緊急事態宣言も解除されつつあり、いよいよコロナ騒動も収束に向かうのかという期待もあるが、気を緩めればどうなるかわからないし、果たして経済は元に戻るのだろうか。

物理的に人と人との距離を置かなければならないということは、店にしろ、劇場などの娯楽施設にしろ、しばらくはたぶん半数以下の入場者数しか見込めないわけで、今後も売り上げは低迷すると思う。

それでやっていけるだけの体力のあるところしか生き残れないとすれば、この先も閉店や倒産は相次ぐだろう。

コロナウィルス感染拡大が始まった頃、安倍首相は、「今までの発想にとらわれない対応を検討」とおっしゃった。

どうも消費税率引き下げ程度の、のん気な発想だったらしいが、私に言わせれば、本当に今までの発想にとらわれない対応を実行しなければ、この危機は乗り越えられないのではないかと思う。

私の提案は、経営の見通しが立つまで、経営者は、必要なだけの金額を通帳に書き込んでよしとすること。また、失職してしまった人も、見込んでいた収入分は書き込んでいいことにする。

別にちょっと多めに書きたい人はそれでもいい。とにかく手続きは最小限にして、一刻も早くそれを実行すべき。

所詮、お金など実体のないもの。財源などなくていいし、誰の通帳にいくら数字が書いてあろうと、関係ないのだ。

しかし現実は、もうもらってもしょうがないアベノマスクすらまだあまり届いておらず、焼け石に水の10万円の給付金も、システムの不備で大混乱。いったいこの先、日本はどうなるのだろう。

このページの最初に戻る

スピンオフ(理想的なコロナ後)

お金は、誰でもいつでも必要な金額を、預金通帳に自由に書き込めるようになった直後、それまでの仕事を辞める人はたくさんいました。

辞める人が多かったのは、サラリーマンでした。大学を出て会社に入ったけれども、一番入りたかった会社ではないし、あまり向いていないと思う仕事を与えられ、ノルマに苦しめられ、上司にいびられ。お金のために今まで我慢して仕事を続けてきたが、もう嫌な仕事を続ける必要はない。今まで休めなかった分、しばらく休んで、やりたいことが見つかったら働こう。

廃業、縮小する会社もたくさんありました。お金のために無理に作っていた仕事、余計なサービスなどが一切いらなくなったからです。もう、業績を伸ばす必要もなければ、本当に世間が必要とするもの以外は作る必要もないし、買ってもらう必要もない。それで別に誰も困りませんでした。

株式会社は、株のシステムの意味がなくなり、株主もいなくなったので、自由になりました。証券会社は無くなりました。保険会社も無くなりました。

年金や生活保護も無くなりました。あらゆる手当も無くなりましたが、税金が無くなったので、税務署も無くなりました。確定申告も無くなりました。

パチンコやカジノは、ゲームとして残りました。競馬、競輪、競艇は、スポーツ観戦の一つになりました。

泥棒や詐欺も無くなりました。警察の仕事はかなり減りました。麻薬もお金にならないので、誰も作らなくなりました。麻薬中毒の人はしばらく苦しんでいましたが、治らざるを得ませんでした。

こうして、世の中の仕事は激減しました。人々の労働時間は、以前の3分の1以下になりました。

物に値段はついていましたが、その生産者、作者は別にお金をもらわなくてもいいわけだし、払う方もいくらでも払えるので、そのうち、お金をやり取りするのが面倒だということになりました。

そして、貨幣制度が廃止されると、通帳を管理していた銀行も無くなり、カード会社も無くなり、キャッシュレスの機械も全て町から消えました。

※実は、自由に通帳に金額を書けるようになった時点で、お金と労働が完全に切り離され、実質的には「お金のいらない国」になっています。この前に、書ける金額に上限を設けるなどの段階が必要かもしれません。

このページの最初に戻る

理想的なコロナ後

※これはフィクションです。

コロナウィルスの感染拡大は世界中に大変な事態をもたらしました。たくさんの人に感染し、たくさんの人が亡くなりました。たくさんのお店や会社が閉店、倒産。たくさんの人が仕事を失いました。

そして、やっとコロナが収まった頃、人々はお金について真剣に考えるようになっていました。

この経済社会はおかしい。実体のないお金というものを今までのようなルールで流通させていては、今回のような非常事態が起きた時、大変なことになる。

そして、ついに政府もそれに気づき、お金は、誰でもいつでも必要な金額を、預金通帳に自由に書き込めるようにしました。

それまでお金の心配ばかりしていた人々はとても喜びました。通帳に大きな数字を書き込んで、大邸宅や高級車を買ったり、海外旅行に行く人もいました。仕事はせずに、毎日遊んだり、一日中寝ている人もいました。

でも多くの人は、ほぼ今まで通りの必要な金額を通帳に書き込むだけで、相変わらず働いていました。だから日常生活には、誰も何の不自由もありませんでした。

しばらくすると、遊ぶのに飽きてきた人も仕事を始めるようになりました。必要以上の大きな家に住んでいた人も、誰もうらやましがってくれないので小さい家に引っ越したり、みんなそこそこのものしか持たなくなりました。

世の中が落ち着くまでに、そう長い時間はかかりませんでした。そして、お金の心配のなくなった人たちは、とても安心して暮らせるようになりました。

それどころか、貯金しておく必要もなくなったので、富裕層がなくなりました。貧富の差がなくなり、世界中が平和になりました。

人々はだんだん、これならもうお金というものは、あっても意味がないのではないかと考えるようになりました。そしてある日、ついに政府が発表しました。

「今日から貨幣制度は廃止します」

※これがフィクションでなくなることを祈ります。

このページの最初に戻る

コロナウイルスより恐ろしいこと

コロナ騒動での緊急事態宣言、自粛により、閉店に追い込まれた店、倒産した会社が数多くある。

そういう店や会社は、コロナが収まっても復活できない。また、非常に残念なことに、それによって自殺された人もいる。もちろんその人は帰ってこない。

なぜ、そうなってしまったのか。店や会社が火事でなくなったわけではない。食料や資源が失われたわけでもない。足りなくなったのはお金だけ。

ただ、実体のないお金、マネーゲームという仕組みによって、悲劇は起きているのだ。

緊急事態宣言をするなら、その時だけでもゲームのルールを変えて、通帳に必要なだけの数字を書けることにすればいいではないか。

たしかにどんな場合にいくら書き込めるのかの判断は難しいだろう。でも、所詮はただの数字なのだ。それこそ緊急事態なのだから、多少のルール違反はかまっていられない。

コロナウィルスはたしかに恐ろしい。しかし、それより恐ろしいのは、お金が人の命まで奪うこと、社会がマネーのゲームから抜け出せないことだ。

このページの最初に戻る

お金は実体のないもの

お金とは人間の考え出した幻。実体はありません。だから本来、誰がいくら持っていようといなかろうと、人々が生きるのには何の影響もないはずのものです。

言ってみれば、おもちゃの人生ゲームのお金と同じ。ゲームの時だけしか意味がありません。

この社会でやっていることはマネーゲームです。平時にはゲームも楽しいかもしれません。でも、こういったウィルスが蔓延し、人類の存亡にかかわるような事態になったら、遊んでいる場合ではない。

だから、必要ならいくらでも配ればいい。財源などいらないんです。もともと何もない、ただの数字なんですから。必要な人にはどんどん与えればいい。実はそれで、誰も痛くもかゆくもないんです。

このページの最初に戻る

緊急事態宣言緩む

コロナウィルスの日々の感染者数が減ってきて、いよいよ緊急事態宣言が緩みそうだ。しかし、もう安全だからではない。これ以上自粛が続いては経済的にやっていけなくなってしまうから、もう限界ということだ。

自粛中に十分な収入の補償があるなら、精神的な苦痛は伴うが、もう少し自粛期間を延ばして、徐々に様子を見ながら解除していくべきだろう。

結局まだ10万円すらもらえないこの情けないシステムの中では、いちかばちか経済活動を開始するしかなくなったわけだ。

この社会ではこんな危険な賭けをしなければならない。お金のいらない国なら当然、こんな危険は冒さない。

第二波、第三波で大変な事態にならないことを祈る。

このページの最初に戻る

ワイドショーを見ていて思うこと

テレビのワイドショーでコロナ関連の話し合いを見ていると、政府に、この先の見通しを求めている意見をよく聞く。

いつまで自粛すればいいのか。緊急事態宣言はいつ解除されるのか。そこまで頑張っても、また先に延ばされては困る云々。

正直、これは政府もわからないと思う。基本的にはコロナが収まるまでの緊急事態宣言、自粛要請であり、コロナがこの先、いつどうなるかは誰にも分らない。

そして、その前に経済活動を再開してもお客さんは来ないだろうし、来てもそこからコロナが蔓延する可能性はある。

結局、いつまで緊急事態宣言や自粛が続いたとしても、少なくとも経済的にはみなが安心して暮らしていられるようにするしかないのだ。

でも、生活補助のためにお金を支給するにしても、政府が財源を気にしているような今の社会では、ほぼそれは不可能。

この先、コロナが収まらなければ、危険を無視して、いちかばちか経済活動を再開するしかないかもしれない。

うまくいけば以前の社会に戻り、いかなければ死体の山。国を挙げてのロシアンルーレットだ。

もう一つ、自粛要請をするなら補償をセットにしてくれという意見もいつも出る。これも政府にしてみれば、財源に限りがあるのにそんなには出せないというのが正直なところだろう。

やはり、政府にも国民にも、根本的にお金の仕組みを考え直してもらわないと、解決の道はない。

私がひとつ、政府に言いたいのは、正直になろうよということ。コロナがいつまで続くかはわからないから、緊急事態宣言もいつまで続くかはわからない。財源がないから大した補償はできない。

適当にごまかそうとするから国民は納得できない。

このページの最初に戻る

コロナで起きる人災

コロナウィルスによる発病、死亡。これは確かに怖い。しかし、それよりあってはならないのは、経済による自殺。噂では、これが既にかなり起きてしまっているらしいし、このまま行けばどんどん増えるだろう。

閉店、倒産、失職。お金の社会では、外出できない、働けないことは死活問題となる。

巷には食料もある、日用品もある、資源はなくなったわけではない。お金さえあれば生きられるのに、それが買えない、家賃が払えない、光熱費が払えない。この先の見通しも立たず、絶望して死を選んでしまうのも、仕方のないことかもしれない。

でも、これは明らかに経済社会が生んだ人災だ。こんな悲劇があってはならない。今すぐお金の社会を見直さなければいけない。

お金は実体のあるものではない。誰がいくら持っていようと、食料や資源には何の影響もない。だったら、必要な人にはいくらでも与えるべきである。政府は通帳にただ数字を書き込むだけ。なぜそれができない。

財源など必要ないのだ。数字を書かれたときにお金は生まれる。とりあえずコロナが収まるまででいいから、お金の必要な人の通帳に、必要なだけの数字を書き込んでほしい。

私たちが選んだ国民の代表者たちの理解が及ばないのだから仕方ないのかもしれないが、結果として政府は、経済による犠牲者を見殺しにしているのだ。

貸し付けなどとケチ臭いことを言っている場合ではない。一刻も早くお金というものの本質に気づき、お金のために国民が犠牲になるのをくい止めてほしい。

もちろん、政治家だけが悪いわけではない。この世の中、お金の存在しない社会など想像すらしたことがない人が99%だ。これがなんとも歯がゆい。

このページの最初に戻る

コロナ騒動。お金のいらない国だったら

この度の、世界を揺るがすコロナウィルスの騒動が、お金のいらない国(お金の存在しない社会)で起きたらどうなるかを考えてみましょう。

お金のいらない国には、貨幣制度、結婚制度など、現状の社会のように、人間の作った制度はありません。

人から人に感染するコロナウィルス。政府(みんなの代表で、社会に必要なことを取りまとめる人たち)は人々に、感染の危険が収まるまで、不要不急の外出の自粛を求めました。

町に人通りは少なくなり、人々は家の中にこもっています。飲食店などのお店は閉まりましたが、食料品や日用品を提供する店は開いています(必要なものはタダでもらってくることができます)。

マスクの需要が増えたので、作れる人たちが大量に作りました。みんな外に出るときは高性能のマスクをしています。

人々は、自由に外に出られない、友だちと遊べないので、ちょっと寂しい気持ちでいるようです(でも、お金の心配はないので、安心して過ごしています)。

会社に出勤することがなくなったので、日頃、夜以外はあまり一緒にいなかった、同じ家で暮らしていた男女が一緒にいる時間が多くなり、トラブルが起きるようになりました。

あ、男性が家を出ていきました。他の家で暮らすことにしたようです(でもそれだけのこと。住む家はいくらでもあるし、結婚制度はないので、コロナ離婚もありません)。

子供たちは学校に行けないので、家で好きなことをしています(もともと学校にカリキュラムなどはなく、各自が好きな時に学びたいことを学ぶだけなので、学業の遅れなどはありません)。

みんなコロナが収まるまで家でのんびり過ごし、感染の危険が無くなったら自由に外に出て、やりたいことをするつもりです。

このページの最初に戻る

役割分担の社会

コロナ騒ぎになって改めて思うのが、この世は役割分担の社会だということです。

大昔なら多くの人が、自分や身近な人が食べるものを、獲ったり作ったりして生きていたのでしょうが、今はみんながそれぞれにいろんなことをしています。

もちろん食べ物を獲る人、作る人もいます。そしてそれを運び、届ける人がいます。お店を開いてみんなに売る人や、お店で食べさせる人がいます。

同じように、着るものを作る人がいます。家を建てる人がいます。いろんな道具や、生活に必要なものを作る人がいます。届ける人がいます。

さまざまな研究をする人や、本を書く人がいます。スポーツや、音楽や、お芝居でみんなを楽しませる人がいます。

この社会には数えきれないほどのいろんな仕事があって、みんながそれぞれの役割で、その能力を生かしながら社会の役に立っています。そのどれもが必要で、大事なもので、みんなで支え合って生きているのです。

だから社会は、どんなことが起きても、どんな仕事をしている人でも、誰でも安心して暮らしていけるものであるべきです。

たとえば今回のように、外に出られない、人が集まれない、お店を開けない、というような状況になった時、それに関係なく仕事ができる、あるいはお金の貯えのある人だけが生き残れる社会ではおかしいわけです。

もちろん、食料や水がなくなったり、生活に必要なものが足りなくなれば、今まで通りとはいかないでしょう。その時は、みなで分け合うのがベストですが、奪い合いになる可能性もあるかもしれません。

でも、今はまだ食料などがなくなったわけではないのです。先のことはわかりませんが、少なくとも今は、何がなくなったわけでも、電気ガス水道が止まったわけでもなく、生活に必要なものは今まで通り、すべて揃っているのです。

それなのに、もう、店を閉めなければならない、今までやってきた仕事は続けられないという人が続出しているこの社会。

今までのお金のシステムがいかに危険なものであったか、役割分担の社会にとって、いかに不完全なものであったか、この機会に大いに反省し、見直すべきだと思います。

このページの最初に戻る

神々のいたずら

「地球はいつ見ても美しいな」

「ああ、俺たちの自信作だ。
これを作るために、100億年もかけて宇宙から作ったんだからな」

「太陽から光が当たるように。水に空気に。
生物の生きられる環境を整えて、いろんな生物を作ったよな」

「ああ、動物に植物に微生物、細菌まで。とても楽しかった」

「この、ヒトってサルだけがちょっと誤算だったな」

「ああ、せっかくの環境を破壊しやがって。
他の動植物に迷惑かけて。何考えてんだ」

「ヒトが、カネとかいうものを作りやがったのが間違いのもとだ」

「何なんだ?それは」

「よくわからんが、食えもしないし、生きるのには不必要なものだ」

「そうか。じゃあ、消しちまおうか」

「そうだな。それがいいかもしれない」

「どれだよ、カネってのは」

「この四角い紙切れと、丸い金属と、
あとこの通帳ってのに書いてある数字と」

「数字?」

「ああ、ただの数字で実体はないんだ」

「そんな数字で何するんだ」

「わからん、サルの考えてることは……。
あとな、そのデータが金融機関ってとこに山ほどある」

「よし。じゃあ、全部まとめて消しちまおう」

「わかった。じゃあ、やるぞ」

「はい、消えた!」

「あはは。サルの奴ら、慌てふためいてやがる」

「や〜い、バカザル。ざまみろ。地球を汚した罰だ」

「ははは。しかし、不思議なもんだな、あんなに慌てて。
食料も資源も、環境は何一つ変わってないのにな」

このページの最初に戻る

総理、お願いです

総理、お願いです。財源を気にせず、困っている人に、必要としているだけのお金を支給してください。

このままコロナが収まらず、非常事態宣言が続けば、生きていけなくなる人が続出します。たぶん、ホームレスや自殺者も激増するでしょう。

幸い、現在は食料や生活用品がなくなったわけではないのです。人々は、お金さえあれば生きていけます。

お金は実体のないもの。本来、誰がいくら持っていようと、地球上の資源には関係ないのです。

マネーゲームも平時にはいいかもしれませんが、こういった有事の際には人民の命にかかわります。コロナより怖いのは、経済によって人命が奪われることです。

とりあえずコロナが収まるまで。総理は国民の通帳に数字を書き込ませるだけでいい。10万では全然足りません。毎月10万か、もっと必要なだけのお金を支給してください。

財源を気にする必要はありません。お金はただの数字でしかありません。

ぜひぜひ、ご検討のほどよろしくお願い致します。

このページの最初に戻る

今後の予測

政府が財源を考えないで、すべての人に十分なお金を支給できれば、外出をしない、店を営業しないなどの自粛はしばらくは可能と思いますが、それができなければそう長くは続けられないでしょう。その場合の今後を少し予測してみましょう。

●「うまくいった場合」
コロナ感染者数がどんどん減り、6月頃に緊急事態宣言は解除され、人々は自由に外出、店は開店し、以前の日常に戻る。

●「まあまあうまくいった場合」
緊急事態宣言は解除されないが、営業せざるを得なくなった店が開店し始める。人々が出歩く。でも、抗体を持っている人が既に結構いて、感染はそれほど広まらず、以前の日常に戻る。

●「うまくいかなかった場合」
営業せざるを得なくなった店が開店し始める。人々が出歩く。コロナ感染者が激増し、医療体制は崩壊。町には死体が溢れる。

●「無理に自粛を続けた場合」
ほとんどの店は閉店。会社は倒産。職を失い、無収入になる人が激増。ホームレスが町にあふれ、暴動、略奪の社会に。

さて、うまくいく可能性はどのくらいあるのでしょう。

政府が財源を考えない十分な支給さえすれば、少なくとも人々から金銭的な不安は消え、私は、時間はかかってもコロナから立ち直れる可能性は高いと思います。食べることもできない、実体もない、人間が作り出した、たかがお金に、人間は命も、社会も奪われるのでしょうか。

このページの最初に戻る

コロナウイルスの問題点

ほんの一部ですが、身近な問題点を整理しておきます。

1.外出の自粛
これは自粛でも強制でもいいのですが、要するに、コロナウィルスに感染しないため、広めないために、なるべく家から出ないようにする、人と接しないようにするということです。自覚症状の出ない人もいるようなので、気づかぬうちに人に移してしまうこともあります。集まりは避ける、人にはなるべく近づかないことは必要だと思います。

2.緊急事態宣言はいつまで続くのか
とりあえずGW明けの解除はなさそうです。日々の感染者が減っても、油断すれば第二波、第三波が来る可能性もありますから、安易な解除は危険を伴うと思います。どのくらい続くかはわかりませんが、どんなに続いても生活はできる状態を保つ必要があるわけです。

3.収入が得られない
店が開けられない、お客さんが来ない、働き口がなくなった。この状態が続けば続くほど、収入がなくなる人が増えます。でも、食費、光熱費、家賃は払わねばならないわけで、多くの人の生活が困窮することは目に見えています。

4.食料、資源がなくなったわけではない
しかし、食料や、生活用品が生産できなくなったり、電気ガス水道などが止まったりしているわけではないのです。外出や、今までのような仕事はできなくても、お金さえあれば生きていくことはできるのです。

5.財源を考えない支給が必要
政府は、人々が生活に必要な額のお金は、財源を考えずに支給すべきです。お金を必要とする社会なら、上に立つ者はそのくらいの発想の転換ができないと、病気ではなく経済によって、人民の命を奪うことになります。

6.もし、それができなければ
この先、コロナがいつまで続くかはわかりませんし、食料や生活用品が不足する事態になるかもしれません。人々に十分なお金が行きわたらなければ、最悪の場合、町はホームレスであふれ、暴力や略奪の世界になるかもしれません。

7.そもそもお金というものは
そもそもお金は食べられるわけでも、実体があるものでもありません。このような状態になった時に、それがなくて人々の足を引っ張るようなものが、なぜ必要な社会なのか、この機会に考える必要があります。

8.うまくコロナが収まっても
最悪の事態になる前にコロナが収まっても、今回のことは政治家も一般人も、肝に銘じなければいけません。多くの人が信じて疑わなかった経済社会というものがいかに脆弱で危険なものであったか。そして、次にこういったことが起きる前に、お金の存在をなくすか、適切な対処ができるような準備が必要です。

このページの最初に戻る

財源を考えない支給

コロナはまだ当分続きそうだ。こうなると、多くの人の収入がなくなり、経済社会では死活問題となる。

発想の転換が必要になるが、緊急の経済対策として政府にお願いしたいのは、財源を考えない支給だ。

お金というのは実体のないもの。そして、誰がいくら持っていようと、地球上の資源の量は変わらない。実のところ資源さえあれば、お金に関係なく、人は生きていけるのだ。

それなのに、この社会で生きていくのにお金が必要なのは、人間がそういうシステムを作ってしまったからに過ぎない。

しかし、ことは急を要する。お金がなければ生きていけない社会なら、すべての人の預金通帳に生きていけるだけの数字を書き込めばいいだけ。

財源はなくていいのだ。ベーシックインカムのように国民一律でもいい、企業に振り込んでもいい、コロナがなければあるはずだった収入を、ただその数字を書き込むだけ。

それで当面、この経済社会でも生きては行けるはず。そして政府もこの機会に、お金というものについてまじめに考えてほしい。

このページの最初に戻る

生きること、働くこと、お金のこと

自然界の動物は、自分で狩りをしたり、草などを食べて生きる。それが仕事。子供は親に餌をもらうが、年取って自分で狩りなどができなくなれば死ぬしかない。

現在の人間の社会は役割分担が細かくできているから、いろんな仕事に分かれている。年をとっても、誰かに面倒を見てもらえれば生きていけるのが普通。

また、それぞれの仕事を通じて、お金を得、それを使って必要なものを手に入れて生きるのが経済社会。

今のお金の仕組みでは貧富の差がついてしまうが、平時はなんとかそれでやってきた。でも、今回のように新型のウィルスが蔓延すればそうはいかない。

外に出られない、仕事ができない、お客さんも来ない。店を閉め、会社は倒産。お金を手に入れられない人が続出。

しかし、人間の社会はたまたま役割分担をしていただけで、すべての人に生きる権利はある。

ここで考えねばいけないのは、生きること、働くこと、あるいはお金を得ることは別だということ。

働けなくても、お金が手に入れられなくても、誰もが生きられる社会でなければいけない。

もちろん、誰も働かなくなれば誰も生きてはいけないが、働けない人、働きたくない人は働かなくてもいいくらいの余裕のある社会であるべき。

今の社会、お金のあるなしもたまたまで、決して平等とは言えない。お金などなくても、生きるのに必要なものくらいは誰でも手に入れられる社会にしなくてはいけない。

このページの最初に戻る

マスクのおうさま

ある国で、悪い病気がはやりました。
王様は考えました。

「国民はマスクがなくて困っているようだ。
そうだ。作ってみんなに配ろう」

王様は国民にそれを発表しました。

国民は、一瞬、それはありがたいと思いました。
でも、家族が何人でも、一軒につき2つであることと、
とてつもないお金がかかることがわかると
やめた方がいいんじゃないかと思うようになりました。

おまけに、王様がそれをつけて国民の前に出ると、
ちょっと小さいし、形も古臭い感じがしました。
それに他の大臣たちは誰もそのマスクをつけていません。

でも、それを誰も王様に言えないまま、
マスクは大金を使って国民に配られてしまいました。

優しい国民はそれでもあまり文句も言わず、
配られたマスクを解体して作り直す人さえ出てきました。
そして言いました。

「きっと、王様は悪い商人にだまされたんだよね」

このページの最初に戻る

お金社会の今後

そろそろ無理だろう。自然界には存在しない、不自然なお金というものを中心とした経済社会はそろそろ限界だろう。

いよいよこのコロナ騒ぎで、お店や旅館、会社などの閉店、倒産が多くなってきた。コロナはまだ当分続きそうで、こういったことはどんどん増えそうだ。

ほとんどの人は、毎日働いて生活費を稼ぎ、なんとか生きてきたこの社会で、収入がなくなることは死活問題。外に出られない、働けないでは、みんな生きていけなくなる。

政府の経済援助など焼け石に水。財源を必要とする補償では、すぐに限界が来る。実は財源などなくても、数字だけ支給し続ければ済む話なのだが、今の政府にそこまでの発想の転換ができるとは思えない。

こうなってみると、本当にお金のいらない国を実現させるしか道はないかもしれない。すべてのものは無料。食料も光熱費も家賃もタダ。

最低限社会に必要な仕事、やれる仕事がある人は続けてください。そうすればとりあえず、誰も生きていくのには困らない。

仮に世界中で一斉にそうすることは無理で、海外との取引でお金が必要になるなら、その時だけ支払いとして数字を書き込む。

コロナが収まったら、みんな外に出て、思いっきりやりたかった仕事をしましょう!もちろんタダで。

このページの最初に戻る

コロナ騒ぎにおける経済援助の方法

私の考える経済援助の方法。

国は、コロナ騒ぎが収まるまで、この先何ヵ月、何年でも、国民一人一人の預金口座に、毎月10万円(もっと増やしてもよい)を振り込む。

財源は考えなくてよい。金融機関はただ数字を書き込むだけ。お金など、もともと実体のないものだから。

これを足しにして、国民は、生活に必要な食料、日用品を確保し、家賃なども支払う。

食料、日用品の生産者、それを流通する人、電気ガス水道の関係者、交通関係、医者、その他生活に必要な仕事のできる人は、必要なだけ続けていただく。その他の人はできるだけ外出せず、可能なら必要な仕事を手伝う。

コロナが完全に収まる頃、社会の認識が変わっていれば、お金のために生まれていた無駄な仕事はなくなるかもしれない。

このページの最初に戻る

神々の会話

「おい、地球がえらいことになってるぞ」

「なんだこりゃ。木もはげはげだし、空気も水も汚れちまってるな」

「46億年もかけて作ってきたのに……」

「この、ヒトっていう猿が余計なことしたんだな」

「ああ、他の動物はおとなしくしてんのに、こいつらを作ったのが失敗だった」

「カネとかいうものを考え出して神のように崇めてるぞ」

「俺たちを何だと思っていやがる」

「この経済社会とやらをなんとかしないとな」

「ヒトを家から出られなくして、仕事をやめさせたらどうだ」

「そうだな。なんかいい方法はないか」

「新種のウィルスでもばらまくか」

「おお、それはいい。多少乱暴だがやってみよう」

このページの最初に戻る

トップページへ戻る