館内に孔子を祀ったわけは弘道館記に明記されていることであるが、文武周公の平天下治民の教えが、孔子によって中正を得、淳化し発展したその徳を弘道館では敬慕し、その教義を採り入れたので「大和の道」が一層明らかにされ、大いに発展した。このことを人々に、また後世に知らしめるためである。すなわち鹿島神社に建御雷の神を祀って日本古来天祖の訓えるみちを本体真髄とし、廟を建て孔子を祀って儒教の道徳、政教をとって肉とし衣服とし、この両者によって水戸学の真姿を表現したのである。
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