ギリシャ美術 (紀元前1000年頃ー紀元前1世紀末頃)






             

 女性像頭部(紀元前2700−2400頃)          黒絵式壷(紀元前600頃)                 赤絵式壷(紀元前515‐510頃)










 

                           アクロポリスのパルテノン神殿を飾っていた彫像(紀元前5世紀)

15世紀に東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国はパルテノン神殿を弾薬庫として使った。そのためにベネツィア軍の砲撃を受けたときに、神殿は大きな損傷を受けた。その後19世紀に、彫刻の大部分は大英博物館に買われたが、現在では返還運動が行われている。









  

                          アクロポリスのパルテノン神殿を飾っていた彫像(紀元前5世紀)










  

                           アクロポリスのパルテノン神殿を飾っていた彫像(紀元前5世紀)










                     

                           アクロポリスのパルテノン神殿を飾っていた彫像(紀元前5世紀)










  












     

                    ひざまずくアフロディーテ (紀元前3世紀のオリジナル作品を元にしたローマ時代の摸刻)










                        

                                     サモトラケのニケ (紀元前190頃)










     

                                  ミロのビーナス (紀元前100頃)










  

                          ボルゲーゼの剣闘士 (紀元前1世紀初頭)










      

                                          女性のトルソー







     


ギリシア美術とは,クレタ・ミュケナイ美術衰退後の前1000年ころから前1世紀末ころにかけて,ギリシア本土,南イタリア,エーゲ海周辺地方などで栄えた美術をさしていう。前12世紀ころからしだいにギリシアに侵入したドリス人は,先住のアカイア人の勢力をペロポネソス半島から駆逐し,クレタ的色彩の濃いミュケナイ文明の美術を完全に破壊した。こうしてギリシアは長い文化的暗黒時代に入ったが,この期間にギリシア人は自己の民族性に根ざした新しい美術を徐々につくり始めた。

このギリシア美術は,同時代の古代エジプト美術が3000年間にわたってほとんどその様式を変えなかったのとは対照的に,初期の古拙・幼稚な段階から驚くほどの速度をもってその様式を発展させ,前5世紀,前4世紀ころには,西洋美術の永遠の〈典型〉とされる,クラシック美術を開花させた。このようなギリシア美術の偉大さの原因が,ギリシア人のもつすぐれた芸術的才能にあったことはいうまでもない。それと同時に,ものごとの判断の基準をつねに人間に置く人間中心の世界観,神々を美しい人間の姿として思い浮かべる宗教観,極端・過激なものを排して中庸・適度なものを求める調和感覚,人間の裸体を尊重する気風,美を数的・合理的法則性によってとらえようとする主知的態度などが,ギリシア美術の理想主義的性格の基礎になっていることも見のがせない。

ただこの理想的な人体美追求の態度のために,ギリシア美術は一般に世俗性の強い美術のように誤解されることが多い。しかし彼らの彫刻の大半が神殿の礼拝像,神域の奉納像,墓地の記念像,神殿の装飾彫刻であり,工芸品の多くが奉納・葬祭用のものであり,また彼らの建築的努力がもっぱら神殿に注がれていた事実から考えても,ギリシア美術が,本来,古代オリエントや中世の美術と同様,非常に宗教的性格の強いものであったことが理解されよう。