In order to secure animal right, what should we do ? 

    
             Circle to Study How to Live(e-mail masayama@mtc.biglobe.ne.jp )

The purpose of this homepage is to ask everyone for the action to decrease the suffering given to animal by human being and to secure animal right.To achieve the purpose,I offered the following message in this homepage.
(1)I showed the cruel facts of killing animal through the description of Tolstoy and Kamata.
(2)I showed the principle on which animal life should be respecteed through the description by Komaki,Bentam and Singer.
(3)I showed what to do for the decrease of animal suffering through the activities of animal welfare organizations.

「私が立っていた扉の向こう側から大きな赤いよく肥った牛が曳かれて入って来た。二人の男がそれを引きずってきたが、それが入るや否や、私は屠牛者が小刀をその首に加えこれを刺すのを目撃した。件の牡牛はまるで四足を急になくしたもののように、どっかとその腹を地につけ、忽ちにして一方にひっくり返り、その足とその臀部をじたばたし出した。すると直ちに他の屠殺者は反対側から牡牛のじたばたする足部に身を躍らせてゆき、その角をおさえ、その頭を地に捩じ伏せた。そこを他の屠殺者が小刀を揮って咽喉を切った。首は下から赤黒い血をほとばしらせたが、その血の流れをば少年が来て赤く血塗られた水盤に受けた。牡牛は絶えず起きあがろうとするが如く、その足を震わせていた。そしてその四足をば空中に動かした。水盤は血で忽ち一杯になったが、牡牛はまだ生きていた。」
                                        トルストイ(1828 ― 1910)

「囲いに追い込まれた牛は、額に銃撃(ピストルの銃口から針が出る)を受け、全身硬直する。と側面の鉄板がひらかれ、その瞬間、どうとばかりに牛は斜面を滑り落ちる。待ち構えていた労働者が一瞬にして額にあけられた穴にワイヤーを通す。完全に神経を麻痺させておかないと、あとで暴れだす。片足で逆さに吊るして、喉から放血させる。」
                                          鎌田 慧 (1938−   )

「とにかくも、これらの勤労者には何の責任もない。これらの勤労者には、何の責任もないが、牛を食う人々の側には責任がある。牛は機械的に無造作に殺されてゆくが牛を殺すのはこの善良な勤労者の意志ではなくして、牛を食う人々の側の意志なのである。その意志がこの形容に絶する酷薄なる行為を朝な朝なに、仏教の都、京都の場末の一角において"奇跡なしに"繰り返させているのである。 私はもう落ち着いていたが、牛の苦悩はありありと感得せられた。そのかっと見開いた大きな目は、この人間の暴挙を憤っているようにも見えたが、また、哀願しているようにも思えた。 やがてその目がどんよりと曇りを帯びて光を失い始める頃、牛はうすれゆく意識で最後にぶるぶるっと怒り震えた。そうしてもうぐったりとした。 こんな残酷な行為に対して、断乎として反対して起つ者はいないのであろうか。では、私が起とう。起って世界の津津浦浦にまでこの心ある生命の兄弟の怒りを伝えよう。 またもや、牛は重病人のようにうめいた。 腹部が波打っている。目はかっと見開いている。動物だから苦しみが少ないのだと誰がいうのだと言っているように。」 
                                           小牧 久時(1926−   )

人間以外の動物たちが、暴政の手によっておしとどめることのできない諸権利を獲得する時がいつかくるかもしれない。皮膚の色が黒いからといって、ある人間にはなんらの代償も与えないで、気まぐれに苦しみを与えてよいということにはならない。フランス人達はすでにこのことに気づいていた。同様に、いつの日か、足の本数や皮膚の毛深さがどうであるから、あるいは仙骨の末端(尾の有無)がどうであるからというので、ある感覚をもった生きものをひどい目にあわせてよいということにはならないということが、認識される時がくるかもしれない。いったいどこで越えられない一線をひくことができるのだろうか?分別をもっていることだろうか、それともおそらく演説する能力だろうか?しかし、成長した馬や犬は、生後一日や一週間、さらには生後一ヶ月の人間の人間の乳児に比べても、明らかに高い理性を持ち、大人の人間との意志の疎通もスムーズにできる。だが馬や犬がそうした意志疎通の能力を持っていないとしたら、人間の役に立つだろうか?問題となるのは、理性を働かせることができるかどうかとか、話すことができるかどうか、ではなくて、苦しむことができるかどうかということである。
                                     ジェレミイ・ベンサム(1748−1832)

全ての人間は平等であるという判断の根拠になっている倫理上の原理は、動物に対しても同様に適用されねばならないことを、われわれに要請している。」 
                                       ピーター・シンガー(1946−   ) 

以上の省察は、われわれに次の行動を強く求めている。
第一になすべきことは、ベジタリアンになることである。ベジタリアンは、卵や乳製品も一切食べない厳格なものから、肉(哺乳類と鳥類)以外は何でも食べるゆるやかなもの(non-meat eater)まで幾段階にも分類される。私自身は、まだ完全な菜食を実行できないで、魚を食べている non-meat eaterである。


第二になすべきことは、全ての人間がベジタリアンになることが直ちに実現しないならば、せめて、動物が生まれてから命を失うまでの短い一生(飼育、輸送、屠畜の各プロセス)の間に人間から被るひどい苦しみを軽減することである。

第一と第二の目標を達成するために世界中で行動を起こしている組織の一部のホームページを以下に挙げた。それらの活動の中から自分にもできることを見つけられるであろう。理想の実現は不可能とあきらめて何もしないよりも、どれほど小さいことでもよいから自分にできることから始めることのほうが、はるかに価値のある生き方である。

 本ベジタリアン協会 このなかにある国際ベジタリアン連合(IVU)のホームページを開くと、そこから世界中のベジタリアン組織のホームページにリンクできる。

 Compassion in World Farming  動物福祉のために顕著な成果を収めているイギリスの組織。このなかにある USEFUL LINKS から、他の英米の活動団体のホームページにリンクできる。                      

★ 自然と動物を考える市民会議  「動物の保護、及び、管理に関する法律」改正のため、首都圏の諸団体が加盟している「動物の法律を考える連絡会」の事務局になっている。

 日本動物福祉協会

 地球生物会議

 動物実験の廃止を求める会