ダビッド Jacques Louis David 1748‐1825


                    
                                   施しを受けるベリサリウス (1781)








                  
                                      ホラテウス兄弟の誓い(1784)








                    
                                          ソクラテスの死(1788)








                
                                            テニスコートの誓い(1791)








                              
                                          マラーの死(1793)








                    
                                         サビニの女たち(1799)








                
                                             レカミエ夫人(1800)








                           
                               サン・ベルナール峠を越えるボナバルト(1801)








          
                                     ナポレオンの載冠式(1805-07)








                                  
                                         書斎のナポレオン(1812)








フランス新古典主義の代表的画家。フランス革命初期の数年間は熱烈な革命派として,ナポレオン台頭後はその主席画家として,革命およびナポレオン時代の諸事件の視覚的な記録を後世に残した。パリに生まれ,1766 年,絵画における新古典主義様式の創始者の一人ビアン J.Vien の弟子となる。 74 年,数度の失敗の後にローマ賞を獲得,翌年から 5 年間ローマに留学。この間ルネサンス以降のイタリア絵画から堅固な造形法と力強い陰影法を学び,また批評家カトルメール・ド・カンシーとの交友を通じて古代芸術の様式の構築性と古典的主題の偉大さに目覚め,ロココの軽妙洒脱を放棄するに至る。こうした新古典主義的な理想はパリ帰還後の, 《ホラティウス兄弟の誓い》 (1784),《ソクラテスの死》 (1787) などによって達成され,パリ画壇の新潮流となった。 89 年,革命勃発直後のサロンにローマ共和政の理想をたたえた《ブルトゥスのもとに息子の遺骸を運ぶ警士たち》を出品,自他ともに認める革命派の芸術家となった。国民議会の委嘱により《ジュ・ド・ポームの誓い(テニスコートの誓い)》 (未完) 下絵を制作, 92 年国民議会議員となり,ジャコバン派に属しつつ革命の綱領に沿うべく美術教育の再編成を行う。 93 年《マラーの死》制作。 94 年国民議会議長に任命されるが,ロベスピエール失脚とともに投獄される。 99 年,《サビニの女たち》によって画家としての名声を取りもどし, 1801 年《サン・ベルナール越えのボナパルト》を描く。 04 年,ナポレオンの皇帝即位とともにその主席画家に任命され,大作《ナポレオン戴冠式》をはじめ,皇帝を称揚する絵画を次々に制作する。ナポレオン失脚の後,ブリュッセルに亡命し,再三の帰国の機会を無視して同地で客死した。

 ダビッドの芸術は,その最良の部分においては,フランス新古典主義の頂点を画すと同時に,西洋近代絵画の生んだ最も優れた写実主義を示している。しかし,むら気な性格であったといわれる彼は,生涯にわたってしばしば,青年期のロココ的雰囲気を漂わせた通俗な神話画を描いたり,理想化を伴わない無味乾燥な写実的技法による肖像画を描いている。