コンスタブル John Constable 1776‐1837



                

                                    フラットフォードの水門と水車場 (1812)







                 

                                       ストゥア川流域とデダム聖堂 (1814)








      

                                       ウィヴァンホー・パーク、エセックス (1816)








                 

                                                白い馬 (1819)








                 

                                        デダムの水門と水車場 (1820)








                    

                                    主教館の庭から見たソールズベリ大聖堂 (1820)








                 

                                            干し草車 (1821)








                   

                                 主教館の庭から見たソールズベリ大聖堂 (1823)








                    

                                      ギリンガムの水車場 (1824)








                  

                                      ヘルミンガムの小さな谷 (1825-26)








              

                                        チェイン・ピア、ブライトン (1827)








                 

                                 ハムステッド・ヒース  ブランチ・ヒル・ポンド (1827)








                     

                                  牧草地から見たソールズベリー大聖堂 (1831)








イギリスの風景画家。イングランド南東部,サフォーク州イースト・バーグホールトの生れ。父は,緩やかな起伏の丘陵地帯を流れるスタウア川に沿って,幾つかの製粉所を所有していた。この故郷の穏やかな風景を生涯描き続けたコンスタブルは,後に〈スタウア川の景色が私を画家にした〉と述べている。事実,彼は 1799 年ロンドンのローヤル・アカデミーの美術学校に入学したころにはすでに自分の道は風景画に,しかも伝統的な理想化された古典的風景画ではなく,イギリス南部の自然の刻々の姿をありのままに描くことにあると悟っていた。 1806 年ころから制作時の天候を記した,油彩スケッチを含む戸外での習作を描き始め,その習慣は終生続いた。

一方,彼の描く地域は故郷周辺から少しずつ広がり, 11 年から 29 年にかけてソールズベリーの大聖堂をくりかえし描いている。また 19 年以降は夏ごとにロンドン郊外のハムステッドを訪れ,ことに刻々と移り変わる空と雲の姿を追究した。このような彼の自然の探究はイギリスでよりもむしろフランスで大きな影響力をもった。 24 年フランスのサロン (官展) に出品された《乾草車》 (1821) が J.L.T.ジェリコーや E.ドラクロアに感銘を与えたといわれ,バルビゾン派への影響もしばしば指摘される。

晩年は妻の死 (1828) などによって幸福なものではなかったが, 30 年に《イギリスの風景画》と題する銅版挿絵入りの風景画の手引きを出版し,またローヤル・アカデミーでイギリス風景画史の講義をするなど,画家としての己の道を確実に歩んだ。これらの理論的発言においても実作においても,彼は〈自然のキアロスクーロ (明暗法) 〉,すなわち風景画における光源である空,および空の光によって微妙に変化する事物の的確な表現を重視している。 K.M.クラークは,コンスタブルの風景画には絵画史上例を見ぬほど多量の視覚的データが集積されているが,限定された画面の中でまとまりを作品に与えているのは, C.ロランや N.プッサンなど古典主義の風景画の構図法の記憶である,との見解を述べている。つまり,コンスタブルは,〈ありのままの自然〉という風景画における近代性と,古典的な伝統との融合に成功した画家であるといえよう。