バトル・オブ・ブリテンとは、その名のとおり、ごく簡単に言うと、1940年7月、イギリス本土上空で行われた当時の一流空軍同士、ドイツ空軍対イギリス空軍の航空戦史上初の大航空会戦のことである。 1939年にドイツによるシュツーカ(爆撃機)と地上軍の電撃的なポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発したのだが、当時の情勢は政局的にはソビエトとイタリアがドイツについており、日本はドイツ寄り、米国は中立だった。
また、軍事的にはドイツはその後デンマークとノルウェーを制圧し、ヨーロッパを席巻してゆく。
そして、フランスが予想以上にあっけなく陥落した為、必然的にドイツはイギリスとの対決という局面を迎えざるを得なくなったのだ。
ヒトラーはイギリスに降伏を迫ったが、当時のイギリス首相チャーチルはこれを断固拒否。
そこで当時のドイツ空軍最高司令官ゲーリングの指揮の下、強大なドイツ空軍をイギリス本土へ差し向け、イギリス上空の制空権を獲得すべく目標を英空軍基地とし、イギリス空軍を叩き潰す作戦に出た。
ところが、結果としてイギリスの強固な防空作戦等により、ドイツ空軍の損害が拡大し、ヒトラーはやむなく「この作戦は延期する」と声明を発表し、その後の再開は二度と行われなかった。
何故強大なドイツ空軍がこの戦いで被害が拡大したか、様々な要因があるが、専門家による見方は大体こうである。
まず、ドイツ戦争指導部の作戦に徹底さがなかったこと。
ヒトラー自身が、予想を上回ってはるかに早い展開でイギリスとの対決を迫られた為、イギリス本土上陸作戦に関しては確固たる作戦を持っていなかったようだ。
そして命令を下す幹部も、意見の統率がなされず新しい作戦を試みては効果が出るまで待てずに次の作戦に移る、といった曖昧な戦争計画で、当初ドイツ空軍の攻撃に瀕死の状態にあったイギリス空軍も、目標が国民の戦意をくじくための市街地攻撃へと移された為、息を吹き返し、またそういうドイツに対し、イギリス国民は一丸となって粘り強く戦ったのである。
また、ドイツ空軍の特性を理解していなかったゲーリングは、本来要撃戦闘用のメッサーシュミット109に援護任務につかせ、防御の弱い爆撃機の側を離れるなと厳命したため、戦闘機は鎖につながれた犬同様、自由に空戦が出来ず被害も拡大したと言われる。
また、もともとドイツの主力は地上軍であり、数々の国々を征服していったのは地上軍との連携プレーにより効果をあげていたのだ。だからメッサーシュミットも航続距離の問題は関係なく地上戦向けに設計されていたのである。
しかし、ヒトラー以下軍事指導部はドイツ空軍の力を過信して空軍だけでイギリスを押さえられると楽観視していたのだった。 |