記事タイトル:かぐや姫=髪長姫(藤原宮子)説 

タイトル&名前: wind    URL

髪長姫=藤原宮子ゆかりの道成寺に、420年ぶりに鐘が戻る、という記事があったので、
藤原宮子のことをネットで調べてみたところ、かぐや姫のモデルは藤原宮子である、
という論文があるのを見つけました(金谷信之著 URL参照)
 初出:関西外国語大学研究論集68号(1998年8月)「「かぐや姫」藤原宮子説」
 改題次出:北河内地域文化誌「まんだ」第66・67号
   
 金谷氏は、かぐや姫に求婚する5人の男達は全員実在のモデル(「壬申の乱」関係者)
があるのに対し、主役のかぐや姫だけが架空の人物であるのは不自然だ、
としてかぐや姫のモデルを藤原宮子に求めています。
この説の妥当性について判断する能力は持ち合わせていませんが、
漁師の娘から貴族の養女となり、天皇の妻となり、そして心を病んでしまった髪長姫=宮子と、
林業(竹取)の夫婦に育てられ、高貴な男達に求婚され、そして月へと帰っていったかぐや姫とは
似ていると言えば似てますね。
   

[2004/09/18 23:20:43]


タイトル&名前: 迦具夜比売 イロコ。   

ほうぅ。
かぐや姫は奈良時代より前の人なんですねえ。
つい平安後期の人かと思い込んでしまいますね。
絵本のヴィジュアルによる刷り込みは恐ろしいです(笑)。
そういえば『宇宙皇子』(歴史ファンタジー小説。
699年藤原不比等の陰謀で役小角が伊豆に流されるあたりから始まる)には、
「なよ竹」という登場人物が出てきますな。
   
さて金谷氏の論の妥当性についてですが・・・
この方は工学部出身だそうで、趣味で書かれているのでしょうか、
ちょっと「?」と思う点が・・・。
私も軽く古典全集の解説を読んだだけなので、
多くの論文にあたってみてはいないのですけれど。
たとえば、五人の求婚者の実在モデルについて、
「もはや誰一人異議をさしはさむ者はない」
と書いていますが、
片桐洋一氏は丹比嶋真人と藤原不比等の2人については
「根拠薄弱で用いるに足らない」
と否定しています。
別の注釈でも「車持皇子(藤原不比等)」を「くらもちの皇子」とするのは
疑わしい、としています。
国文学のほうの研究では、
『竹取物語』には「3の法則」というものがほぼ定説となっていて、
求婚者3人という形が本来であった可能性が高いそうです。
また、金谷氏は五人の求婚者を
「文武天皇の大宝元年(701)の廟堂を構成した」人たちとしていますが、
論文中の生没年に従うと、5人の年齢は701年当時はそれぞれ
77歳、42歳、66歳、55歳、61歳
となっていて、ちょっと年を取りすぎているような気がします。
(うち3人は701年に亡くなった・・・文武天皇は18歳で若すぎ。)
   
これが壬申の乱(672年)当時なら、
五人の官職は違うかもしれませんが、その年齢は
48歳、13歳、37歳、26歳、32歳ですね。
時代設定を
文武天皇でなくて、天武天皇の御世とするほうがいいのではないですか?
登場人物の一人、「内侍中臣のふさ子」という呼称は
669年から698年ころの人物のものらしいですし。
中世の『古今和歌集序聞書 三流抄』には
「日本紀云ふ、天武天皇の御時、駿河の国に作竹翁といふ者あり」
と伝えられているそうですし。
   
髪長姫的には
(ちなみに『竹取物語』にはかぐや姫に髪の長さについての描写はありません)、
この「駿河の国(=富士山)」という点が残念です(?)。
紀国の髪長姫であったなら、
天武天皇の時代の人とも伝える史料(『筆のまにまに』)が
あるそうですから。
ただ、この手の天女やらかぐや姫やらまた髪長姫やらのお話というのは、
似たようなものが各地にあるそうで、
そこはやはり柳田民俗学を避けて通れないようです。
金谷氏自身も最後に付け足しておられますが
(ああいったことわりを入れるなら、はじめから削ればいいのに)、
中国の「班竹姑娘」という説話の扱いも
これが『竹取物語』の起源だとか単純なものではなく、
慎重になさなければなりません。
むしろ『竹取物語』が「班竹姑娘」に影響を与えたとか。
   

[2004/09/23 20:08:14]


タイトル&名前: wind   

なるほど。
 門外漢(ぼく)が何となくおもしろそうと思って書いたことに、
きちんと文献をあたって議論をしていただくと、すごくトクした気分になります。
いや、なんだかイロコさんの頭を使って勉強してしまったようで申し訳ない。
   

[2004/10/05 00:35:16]
 


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