髪長姫(藤原宮子)の墓があったと伝えられています。(「佐保路をめぐる(3)宮子の墓?黒髪稲荷」(スズメ♂さんのページ)より)
増尾正子さんの「奈良の昔話 第55回」によると、かつては、
「祠のまわりには、長い黒髪を半紙で束ねたものが、いくつもぶらさげられてあって、その髪の毛には女の執念がこもっているような気がして気味が悪かった。」
のですが、現在は、
「黒髪がぶらさがっているようなお祠と違って、赤い鳥居が沢山たった明るいお社」
になっているとのことです。
現在は奈良ドリームランドがあって俗化していますが、元々は万葉集に歌われる名山です。
「佐保路をめぐる(3)宮子の墓?黒髪稲荷」(スズメ♂さんのページ)に以下のような紹介があります。
「黒髪山」の地名の由来については、垂仁天皇の時の沙本比古(狭穂彦)王の反乱に関する伝承があるようです。王が反乱を起こした時、その妹で天皇の后だった妹の沙本比古(狭穂姫)は板挟みとなり、結局兄とともに滅ぶのですが、天皇側が彼女を救おうとします。姫はこれを拒み、兵に髪を掴まれないようにと、あらかじめその黒髪を切ったという話が『古事記』にありますが、その黒髪を埋めた地がこの「黒髪山」であるというのです。
同様の話は、増尾正子さんの「奈良の昔話 第55回」にも掲載されています。