『ある女王へのレクイエム』

風詠 著

あるところにケーテ=クインシーという名前の女の子がいました。ケーテは北方辺境伯令嬢でいずれはその地位を継ぐ立場でした。お父様の辺境伯セシル=クインシーは優秀な魔導師で、お母様のマチルダ=ケリーは国王ギュスターブの四番目の子、つまりは王女様でした。

ギュスターブ王には一人の男の子と三人の女の子がいましたが、長男アーネストは皇太子となり、妹姫達のうち長女のアグネスと次女のアガサは政策のため外国に嫁ぎました。三女のマチルダだけは武勇に長け、戦術に詳しく育ったので、紛争の多い北方辺境伯妃にしたのでした。セシルとマチルダは政略結婚とはいえ、幼い頃からお互いを知っている間柄なので、良い夫婦となりました。そして恵まれた初めての子がケーテでした。しかしケーテは父の魔力も母の武勇も受け継がない、身体も精神も弱い子でした。それに、彼女はこの国では「悪魔の色」と忌み嫌われる黒い真っ直ぐな髪の毛でした。お父様のセシルは銀髪、お母様のマチルダは淡い栗色の髪なのでおそらく隔世遺伝でしょう。セシルのお母様、つまりケーテのおばあ様は黒髪でした。おばあ様はそれを嫌っていつも髪を薬剤に浸して亜麻色にしていました。さて、ケーテが生まれた直後から北方で紛争が起こり、セシルもマチルダも戦場に赴かなくてはなりませんでした。両親は心配してケーテにセーラという三歳年上の聡明な少女を学友としてつけました。

紛争は長く続き、ケーテは両親の顔を知らずに育ってゆきました。
ケーテは成長しても少しも体が丈夫にならず、精神も弱く何かあるとすぐ気を失いました。頭のほうもお世辞にも良いとはいえません。「悪魔の色」と嫌われる黒髪も伸びてゆきました。この国では女性は髪を伸ばし結わずに垂らす風習です。ケーテが十歳になった時、学友のセーラが「御髪をお染になってはいかがですか?」と持ちかけましたが、ケーテは長い黒髪を染めたりせず、人目も気にせずマントの外に出して、なびかせていました。ケーテは何をしても駄目な自分のことがほとんど嫌いでしたがこの黒髪だけは気にっていたのです。ある月の美しい晩、自分の髪が月光で輝くのを見てから気付いたのです。夜空と同じ色だと。

ケーテが十七歳になったある日悲しい知らせが届きました。お父様のセシル=クインシー辺境伯が戦死したというのです。魔力を使いすぎた為でした。ケーテは否応無しに辺境伯を継ぐことになりました。ケーテは長い黒髪をなびかせた姿で就任式に臨みました。あれこれ悪口をたたく人もいましたが、多くの人はその神秘的な姿、歩みに合わせて輝き揺れる膝近くまである黒髪に見とれました。お父様が亡くなったのは本当に残念なことですが、一つだけうれしいお話もありました。マチルダ前辺境伯妃がセシル辺境伯との子を身ごもっていたのです。ケーテはすぐにでもお母様にお会いしたいと思いましたが、就任直後の辺境伯がそう簡単に領地を離れることは出来ませんでした。やがてマチルダ前辺境伯妃は紛争地帯の北方で子を産みました。セーラの幼い弟はペルセウスと名付けられました。ペルセウスは家臣たちと共に領地に帰り、入れ替わりにケーテ新辺境伯が副官となったセーラを伴って紛争地帯に赴きました。ケーテは戦場でもそこに至る旅路でもまったくの役立たずでした。馬に乗れば落馬し、高熱で寝込み、戦術などまったく考えられず、兵士を鼓舞するために歩いて回った後は神経衰弱で倒れました。対照的にお母様のマチルダは前線で指揮を取り亡きセシルの意思を継ぐべく紛争を終わらせるために最善を尽くしました、しかし、なんと悲しいことが続くのでしょう。産後すぐで体力が落ちていたのか、運が悪かったのか、流れ矢が頭に命中し、マチルダ前辺境伯妃は戦死してしまいました。その後の指揮をとったのは副官セーラでした。セーラはみごと北方隣国軍を退け、十六年続いた紛争を終結させました。セーラは英雄と称えられましたが、あくまでケーテをたてました。ケーテはセーラの隣で青白い頬をひっぱたいて顔色をよく見せ、軍服に黒髪をなびかせて微笑んで見せました。強い風が長い髪を巻き上げました。

どうして悲しいことはこれほど続くのでしょう。ギュスターブ王と皇太子アーネスト、そしてアーネストの姫君ミリアムが馬車の暴走事故で同時に亡くなってしまったのです。

ギュスターブ王の血を引くものはもう外国に嫁いだアグネス王女とアガサ王女そして姪にあたるケーテとその幼い弟ペルセウスしか居ません。ケーテの母国は南方に港を持つ交易の要所で、あちこちの隣国から狙われていました。外国に嫁いだ王女を即位させることは国をのっとられる危険を伴います。やむなく前王の姪、王女マチルダの娘ケーテが女王に即位することになりました。ケーテ二十二歳の時のことです。ケーテは気を失いそうになりながらも気丈に馬車に乗り込み、副官セーラとまだ五歳の弟ペルセウスを伴ってまだ見ぬ王都へ向かいました。戴冠式でもケーテは長い黒髪を王衣の背になびかせていました。シャンデリアの明かりを受けて黒髪はきらきらと光ります。それでも人々の中にはこんなことを言う者もいました。「悪魔の髪の女王。きっと国を滅ぼす」

ケーテは即位後すぐ弟ペルセウスを立太子しました。身体の弱い自分が子を望めるかどうかわからないことでしたし、外国人と結婚すればそれこそ国をのっとられる危険があったからです。

ケーテは名ばかりの女王でした。しょっちゅう寝込み、政治も軍略も分からずセーラに頼り切っていました。セーラは心配して忠実で優秀な家臣達でケーテの周りを固めてゆきました。

ある夜、寝込んでいるケーテを心配してセーラが女王の寝室を訪れました。

「セーラです。入ってよいですか?」「どうぞ」の声にドアを開けたセーラは驚きました。ケーテはもう身の丈ほどになる黒髪をなびかせ、寝巻きの裾を翻して故郷の古い歌を口ずさんで舞っていました。髪が月明かりを受けて輝き、流れるように波打ちます。セーラはこれまで風評被害を恐れてケーテに髪を染めるよう薦めてきましたが、この瞬間あまりの美しさに魅了されて声も出ませんでした。

悲劇は翌年やってきました。北方隣国の国王ヴァシリがケーテに求婚してきたのです。これは明らかに国土の簒奪が目的でした。しかも、応じなければ軍を動かすという水面下の脅しもありました。ケーテは悩みました。セーラ達忠実な家臣たちも必死で政策を考えましたが結論が出ません。

しかし、ケーテは一人決断を下しました。私が女王だからこんなことになるのだ。ペルセウスが即位し、成年に達するまでセーラが摂政を務めればいいと。−つまり自決の決心をしたのです。

ケーテはセーラとペルセウスに最後の手紙を書くと身元の分かるものをすべて外し、マントで髪を隠しそっと城を抜け出しました。

「セーラ、長い間ありがとう。ペルセウスを立派な王に。ペルセウス、セーラや家臣たちに良く学びこの国を守りなさい。ケーテ女王はこの国のため命を絶ちます。王たるものが戦い以外で血を流すなど無様なことなので私はニケ大河に身を捨てます。愛するものよ、悲しむなかれ。何も出来なかった私は今始めて国を守れるのだから。」

ケーテはニケ大河に架かる橋の上でマントを脱ぎ捨て、髪をあらわにしました。この日もやはり月がありました。つやつやと輝き光を映す髪をしばし眺めてから、ケーテは一気に欄干を上り流れに身を投じました。その顔はどこまでも穏やかでした。何かを成し遂げて死んでいった者の苦しみから解放された穏やかな顔でした。

次の日ケーテの遺書が発見され宮中は大騒ぎになりました。ニケ大河では必死の捜索が行われました。身投げが行われた橋からそう遠くない場所で黒髪の女性の遺体がうちあげられたという情報が入ってきました。身元の分かるものは何一つ無く、また黒髪は不吉だからとすぐに薪を積んで焼き、灰はニケ大河に流したというのです。念のためにと似顔絵と身体の特徴を記録していた者がいたのでケーテだと分かったのです。

人前で涙など見せることの無いセーラもこの時ばかりは橋の上で声を上げて泣きました。

ケーテの苦しみに気が付かなかったこと、「不吉」を承知でそのままにしていた髪を一度も褒めてあげなかったこと、後悔は後を絶ちません。

その時セーラは、一瞬ケーテの姿を幻に見ました。「私はもう苦しくないから」幻はそう言ったように思えました。

時は流れ、ペルセウスは成人し立派な王になりました。ケーテの自決は結果的に国を侵略の危機から救いました。いつしか彼女のことを人々は「護国女王ケーテ」と呼ぶようになりました。今でもケーテが身を投げたあの日の夜には国王から庶民までが河に向かってケーテの名を呼ぶのです。ケーテ女王、護国女王ケーテと。

 


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