●正当な怒りであるなら

 タイソンの噛みつきはとても残念だったが、あまり非難する気にはなれない。も ともと極限状態のリング上だ。そして、強いボクサーとは、しばしば最も繊細な人 々だ。ひとつ間違えば、タイソンのようになったり、マッコールのようになったり することはありえると思う。タイソンの再起を期待したい。 僕にとっては、この 6月はもっと気になる「事件」があった。リック吉村−カズ有沢戦後の乱闘だ。試 合はとても良い試合だった。カズは若武者らしく挑んだが、リックのスピードとパ ワーは最近ではピカ一のものがあった。若さと熟練がぶつかり合い、ベテランの力 が上回った試合だった。  この好試合を、まずリックの応援団の黒人が汚した。エプロンに上り、カズのダ ウンシーンを滑稽に真似して見せたのだ。許せない侮辱である。当然、カズの応援 団のひとりが殴りかかった iあえて「当然」と言いたい。生命を賭けて戦った友人 がここまで馬鹿にされたのだから)。  だが、無念にも(?)殴りかかった方がカウンター一発でKOされてしまった。 これで、カズ応援団とリック応援団のいがみ合いが始まった。リング上から必死に 制止するリックの姿も目に入らず、両陣営がもみ合う。やがて、檄昂したカズ応援 団から、鉄製の折りたたみ椅子が飛んできた。あろうことか、次々と飛んできた。  僕はその時、リック応援団の近くに立っていた。飛んで来た椅子がまったく無関 係の女性に当たってしまった。倒れて動けなくなったが、なおも飛びかう椅子で運 び出すこともできない。もうひとり、傍らで女性が恐怖に青ざめて震えている。彼 女のお腹は大きく丸まっていた。臨月近い妊婦なのだ。ついさっきまで、「何ヵ月 ? 冷やしちゃ駄目よ」、「ありがとう」と微笑み合っていた人たちなのだ。 椅 子を投げた人には、女性や赤ん坊の命を奪う覚悟があったのか?そんなはずはない 。怒りはわかる。ただ、表現の方法を考えてほしい。 カズ応援団は、負けたこと が悔しくて暴れるような人たちではなかった。カズの名誉が汚されたから、正当に 怒ったのだ。ならば、正しく怒りを爆発させてほしい。 ボクシングは最も高貴な スポーツなのだから− 。