『陰陽大戦記』劇中に登場する平安装束についてなにやら知ったかぶって解説してみたりとか。

 同人誌『神奈備』に収録されているものと(色が付いてる以外は)大体同じですが、後から資料を入手したりで新しく解ったことや間違ってた点の修正などはちまちまと入っています。



 

はじめに

●「装束」とは着衣のみならず、被り物、履物、装身具、持ち物、武具、更には家屋の内装や調度品までをも包括するものですが、ここでは主に服飾のみを取り出して説明します。

●実際の平安装束とアニメ劇中に描かれたものでは構成やディティールなどに幾分差異があります。大幅に違っている点に関しては「アニメでは〜」などと但し書きが結構やかましく入っていますがご了承下さい。

●各キャラの衣装についてはアニメ本編の画像から見て取れる程度の描写に準じています。オフィシャルの設定にはあっても画面上で確認できない部分に関しては書き落としている可能性が大いにあります。

 

参考資料(書籍・サイト他)

●高田 倭男 『服装の歴史』(中公文庫)

●近藤 好和 『装束の日本史』(平凡社新書)

●『別冊太陽 源氏物語の色』(平凡社)

●風俗博物館

●綺陽会 装束の知識と着方

●トンパック工房
『ひかるにゃん氏のよくわかる十二単 束帯・直衣・狩衣』

素材

●有職素材 綺陽堂

(敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

束帯

 「束帯(そくたい)」は単体の衣服の名称ではなく、冠から靴、装身具に至るまで全ての必要なものを身に付けた「皆具(かいぐ)」の状態を指して束帯と呼びます。
 ひとくちに束帯と言っても(1)文官か武官か (2)物具〔晴れの儀式用〕か楚々〔通常勤務用〕か (3)年代はいつか ──などの要因によって皆具の構成や素材、形状などに違いがあり、更には着用者の身分・年齢、季節などにより使用できる色や文様、素材がそれぞれ規定されていました。
 とりあえずアニメ内で描かれている↑の束帯は文官用の楚々、平安時代後期の強装束様式と判断して以下に説明を続けます。

 束帯を着用できるのは朝廷を構成する男性の官人で、上は天皇、皇太子から下は初位(そい、第九位相当)及び無位の臣下まで、参内(宮中に勤務すること)の際の着用が義務付けられていました。
 文官用の束帯は肌着としての肌小袖大口(袴)単(ひとえ)、下着としての衵(あこめ)打衣(うちぎぬ)表袴・下襲(したがさね)裾(きょ)半臂(はんび)、上着である縫腋有欄袍(ほうえきうらんのほう)を着用し、頭に垂纓冠(すいえいのかんむり)を被り、石帯(せきたい)魚袋(ぎょたい)などの装身具と笏(しゃく)帖紙(たとう)を持ち、襪(しとうず)靴(かのくつ)もしくは浅沓(あさぐつ)を履いたフルセットを指し(衵や打衣、半臂などは省略しても可)、勅許を受けた高官のみ平緒(ひらお)餝剱(かざりだち=飾太刀)を佩くことができました(この場合の剱は儀仗であり、まず実戦には用いられません。三位以上の武官は兵杖も兼ねた毛抜形剱を佩きま す)。
 一式の装着手順はこちらに図示します。→(別ウィンドウが開きます)

 上着である袍には文官の着る縫腋有欄の他、朝廷の書記官制服や天皇の神事に用いられる縫腋入欄(ほうえきにゅうらん、有欄袍で蟻先となっている部分を内側に折り込みプリーツ状にした古形式)と公卿以外の武官が着る闕腋無欄(けってきむらん、サイドが縫い合わさっておらず「欄」の部分がなく後裾が長いもの)の三種類あり、いずれも「位袍」の別名の通りその色や文様、材質により一目で着用者の身分を明らかにする働きをしました。
 律令で定められている位階に応じた袍の色=当色は時代によりやや変動しており、年代が下るにつれ色数も減って行きましたがとりあえず 色数の合致する平安初期(弘仁頃)を目安にすると

天皇

儀式・神事用斎服

禁色
(臣下は絶対に使用できない)

 

宮廷での位色

黄櫨染

 

日常(これは位色ではない)

青(この時代の「青」は黄色がかった緑色のこと)

 

皇太子

 

黄丹

 

一般皇族
(親王・王一〜五位)

上流貴族、公卿

黒(本来は紫の深浅で表していたものが、染色の困難さから紅の上に黒を染めて代用するようになった)

 

臣下一〜三位

臣下四位 

中流貴族、殿上人
(多少の例外有り)

深緋

 

臣下五位

浅緋(後に廃されて検非違使や弾正台、外記などの制服にのみ残る)

 

臣下六〜七位

下級貴族、地下(じげ)

深緑(後に緑の染料の褪色し易さから深縹に替えられる)

 

臣下八〜初位

深縹

 

無位・無官

 

 

 …こうなりますがなんとなく色の配当に釈然としないものを感じます
 まあ五人しかいないのに階級や官職をきっちり定めてあるとも思えませんが。

束帯

 なお、上で「強装束」という語を用いましたが強装束(こわしょうぞく)とは十二世紀ごろに流行してその後のスタンダードと化した装束の様式で、衣装の素材に厚織りを用いたり、布帛の上に糊や生蝋を引いたりして硬く、張りのある直線的なシルエットを追求したものです。それまでの旧様式は柔装束(なえしょうぞく)と呼ばれ、現在は源氏物語絵巻など十一世紀以前を描いた絵巻や神社の神像などでしか見ることは出来ません。
 神流のメンバーは1200〜1000年前(延暦〜寛弘)の出身なので強装束を着ているのはおかしいような気もしますが、もしかしたらタイザン部長あたりが業者に発注して新しく作らせたとかいう可能性もなきにしもあらずなのでさておくとして。

 柔装束から強装束への推移に伴って束帯は一人で着用することも難しくなり、石帯や袍などの形状にも変更が加えられましたが、一番判りやすく形状が変化したのは垂纓冠で、纓が直下に垂れ下がる形から、巾子の根元にある「纓壺(えつぼ)」に袖という突起を差し込んで一旦上向きに出し、その裾が下向きに垂れる現在皇室神事や神社の祭礼などで見られる形に……なぜか神流では冠だけ柔装束様式です。深く気にしないほうが良さそうですが。

冠

 冠には武官が闕腋袍で被る「巻纓冠(纓を巾子の後ろでぐるっと巻いて纓挟で留めたもの)」「細纓冠(地下の武官用、縁だけの纓を輪奈にしたもの)」や江戸時代以降の天皇の被り物とされた「御立纓冠(ごりゅうえい、纓が垂れ下がらず立ったままのもの。雛人形のお内裏様の冠はこれ)」などもありますがここでは割愛します。

 また、束帯から宿直(とのい、泊まり込み勤務)などの際に苦しくないよう袴だけを下袴と指貫に換えた「布袴(ほうこ)」や、そこから更に裾や平緒など構成物を省 いた略式正装の「衣冠(いかん)」、衣冠と同じ構成で袍を当色に定められたもの以外の色や文様で作り、冠を立烏帽子に換えたプライベートな装い「直衣(のうし)」というのもありますが、劇中に登場しないので (※)ここでは取り上げません。

※よく考えたら対ライホウ戦の幻覚攻撃の中でヨウメイが着ていましたが神流じゃないのでとりあえず置いておきます。

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狩衣

 猟衣、雁衣、狩襖(かりおう)とも。
 「狩衣(かりぎぬ)」の名の通り、狩猟や野遊びの際に着用されるいわばアウトドア/スポーツウェアであり、その動き易さから貴族が私邸でくつろぐ際の日常着ともされました。
 元々は庶民や下級武士のワーキングウェアで仕立ても麻布製の裏地や紋様のないものでしたが、貴族の私服として作られるものは絹製で裏地が付き、宮中でのしきたりを離れて自由な色目(但し束帯の当色以外)や紋様が楽しまれました。絹製の物が登場してからは麻製のものは「布衣(ほい)」と呼んで区別されるようになります。
 また、神職が神事の際に着る白一色のものは「浄衣(じょうえ)」、下級の役人が貴人の供をする際の白い麻に張りを持たせた生地の物を「白張(はくちょう)」、薄紅色のものを「退紅(たいこう)」と呼ばれますが、形状的にはどれも同じです。

 狩衣の一番の特徴は身(本体部分)の幅が束帯や直衣などの二幅に比べ、一幅と狭いことで、そのことにより袖を全部縫いつけてしまって窮屈となるのを解消するため、袖は後身の一部にのみ縫いつけ、肩から前身にかけては全く身に留められていません。
 もう一つの特徴は、袖口に「袖括の緒」が通っていることで、これは原形が作業着だった名残でもあり、何かをする際に袖が邪魔にならないよう袖口を絞ったり袖ごとたくし上げたりするために用いられました。

 なお狩衣とは上着のみを指し、肌着(肌小袖・下袴・単)の上に時に衵を着(着ないことも)、指貫(さしぬき)または狩袴、布衣の場合は小袴などを穿き、その上から狩衣を着用し、腰に当帯(あておび、狩衣と同じ生地で作った帯)をして前身のたるみを調整し、素足に浅沓を履きました。
 被り物は立烏帽子平礼烏帽子風折烏帽子(かざおりえぼし)のいずれかで、貴族は立烏帽子などを、地下の役人や武士は風折烏帽子を被ります。風折烏帽子を形状固定した折烏帽子、別名侍烏帽子は室町時代以降の成立です。

狩衣

 指貫は奴袴(ぬばかま)・布袴(これは「ほうこ」ではなく「さしぬき」と読む)・差袴などとも言い、腰二本(腰が束帯の大口・表袴のように繋がっておらず前後に離れている)・八幅・裾長とゆったりとした作りの袴です。裾括りの紐が付いているのが特徴で、裾をつぼめ足首のところに紐を括って着用しました。
 指貫の中には肌着である下袴(したのはかま)を着け、その指貫よりも更に長い裾を足首周りにたるませて指貫の膨らみを出しました。

 指貫と同じ構造で六幅のやや狭いものは襖袴ないしは狩袴と言い、狩衣などの下に着用します。
 同じく六幅ないしは四幅で対丈(足首までの長さ)の小袴は膝下に裾を括るため臑が露出し、専ら水干や直垂などと併せて身分の低い者が着用していました。

指貫

 狩衣の構造に手を加えたバリエーションとしては、貴族の童用に後身を短くした「半尻」、束帯や直衣のように欄と蟻先を付けた「小直衣(このうし)」、下級武士が武官束帯に準じる制服として細纓冠・石帯などと共に着用する制服「褐衣(かちえ)」などがありますがここでは取り上げません。

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水干

 「水干(すいかん)」は狩衣と同じく、庶民の平常着を発祥とします。
 構造は狩衣と大差ありませんが、とんぼと受緒ではなく紐を結んで首上を留めるようになっている点、袴に着籠めるために裾丈が短い点、そして胸・袖付・袖などの縫い目の上に補強の意味で付けられた(のちに単なる装飾化)菊花型総状の菊綴(きくとじ)がある点が大きな特徴です。
 なお水干とは元々素材の名で、水に晒した後に天日干しをし、張りを出し水分を吸いやすく加工した麻布を言いました。ゆえに本来は麻などの布製で裏地も付いていませんが、その動き易さから貴族の日常着や子供服として用いられるようになると絹製で裏地の付いた高級なものも作られました。 なお色、紋様は狩衣同様に自由です。

 着用の際は烏帽子を被り、小袖や単を着た上から水干を着、それらの裾を全て小袴(水干袴と言って上着と同じ生地で作り、縫い目に同じく菊綴を施したもの)に着籠めました。水干の裾だけを着籠めずに上に出した着方は「覆水干(おおいずいかん)」と呼びます。履き物は素足に浅沓乱れ緒(草鞋)草履など。

 特殊な例として、白拍子の男舞装束として着用される際には水干袴ではなく女性用の緋の長袴に裾を着籠め、腰刀を差して蝙蝠扇を持ちました。

水干

 首上の右端と後ろ中央からはそれぞれ一本ずつ懸緒が出ており、それを結んで盤領(あげくび)に留めるのが正式ですが、襟を内側に折り畳みVネック形式に前を合わせる垂領(たりくび)という着用方もありました。この場合、端の方の懸緒は服の内側を通してサイドの開いている部分から出し、後ろの紐と斜め掛けに結び合わせます。

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直垂

 大陸の騎馬民族衣装の影響を受けた盤領の装束とは違って「直垂(ひたたれ)」は日本古来の襅(ちはや)様式を残しており、ながらく庶民や下級武士の服装とされてきました。
 身二幅で闕腋・腰丈(前身がやや長い)、一番特徴的なのは袵(おくみ)のない方領(かくえり)という襟の形で、小袖や単など他の垂領のものと違 い襟が垂直に下がっているため直垂という名が付きました。袵がないため前がはだけやすく、胸紐を結んで襟元を留めます
 おもに萎烏帽子(なええぼし)を被り、小袖・下袴の上に上着を羽織り、腰以外を上着と同じ生地で作った小袴に裾を着籠め、素足に草鞋緒太(おぶと、草履の一種)を履きます。
 元々は上着だけを直垂と言いましたが、時代が下ると共布の袴もセットにした一式をそう呼ぶようになりました

 平安時代末期にはやや水干の様式が混ざって袖が筒袖から広袖に変化し、背縫・前後の袖付・袖には水干と同じく菊綴が付き、袖括りの緒は外からは見えないよう内に籠めて通され(籠括)露だけが袖の下端に出されました。
 平安末〜鎌倉時代以降の武士階級の台頭に伴って直垂が支配階級の礼服として扱われ始めると生地も絹など高級なものを用いるようになり、直垂の中に更に身分の上下を差別化した↓以下のバリエーションが登場します。
 この頃には胸紐が完全に装飾化して位置を下げたり、袴も切袴と言って対丈で裾を括らないものを着けることがあったりと本来の様式からは相当の変化を遂げていました。

(1)直垂:出仕直垂とも言い、幕府に出仕する際の公服で絹製、菊綴は総ではなく組み紐を「もの字結び」にした結菊綴。色と紋様は自由。重ね小袖に大口袴と大帷(おおかたびら、布製の単の一種)を下に着ます。袴は時代と共に長くなり、室町時代には長袴になりました。烏帽子は低めの立烏帽子風折烏帽子、または折烏帽子(侍烏帽子)を被ります。
(2)大紋(だいもん):布製で裏地無し、色は自由ですが菊綴の位置に大型の紋を染め抜いてあるのが大きな特徴で、名前の由来でもあります。構成自体は直垂と変わりません。
(3)素襖(すおう):大紋と同じく布製の一重、菊綴と胸紐が韋緒(かわお、革製の細リボン)になっている点と、袖括が消滅しているのが特徴。小紋染めや無地のものが主流です。袴は素襖袴と言って六幅の切袴、丈は通常半袴、公の場では長袴で、腰紐は袴と共布で背側に台形状の腰板が付きます。素襖の上着と袴を併せて「上下(かみしも)」と言い、これが後の武家装束の原形へと発展していきました。

 ……というわけでタイザン15才(推定)が着ているのは大紋な訳で、1200年前ではだいぶタイムトラベラー風味ですが細かいことは気にしない方が いいようです。

直垂

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