7月 |
しちがつ |
7月1日(土) ふなっしーラッピング電車 今日、7月1日から、梨列車が走るなっし! 新京成電鉄70周年とふなっしー地上降臨5年で、千葉の新京成線でふなっしー電車が走るなっしー! 観に行くなっし、乗るなっし。 私とふなっしーの出会いは、自分が母の介護でちょっと疲れた一日の終わりに、夜な夜な、ふなっしー自身がへたくそな歌や踊りをYouTubeにアップしているのを観たことがきっかけだったが、まあ、よくも飽きずに、今でもtwitterをフォローしていると、自分でも思う(苦笑)。 それにしても、これで新京成電鉄はどれくらい儲かるのだろう?ちなみに、私が普段利用している京王線は、高尾山と東京競馬場で利用人数が大幅に増える。あ、多摩動物公園、もあったっけ。 |
7月2日(日) 都議選 都議選。我が住む東京の西の市は、都民ファーストの2人が当選確実と、早々に報道される。1人は民進党を離党してファーストから立候補、1人はIT関連企業に勤めていた新人。 現職の自民党候補は落選。若干28歳の共産党候補は動画でアップされていたインタビューでもガチガチだったが、別の共産党の小池さんが地元に来て演説していた模様。なれど、いかにも新人候補過ぎて、視野が狭い印象はぬぐえず。 現状、戦争への道を突き進めている安倍独裁政権に対して、私としては、民進党あるいはほかの野党には、明確なビジョンと具体的な政策を、堂々と私たちに投げかけて欲しかったと思っている。 今の野党には、かなしいかな、説得力のある話し方をする政治家がいないと思う。この選挙区には、3.11当時の総理大臣がいるのだが、この間、彼がビール箱の上で街頭演説をしていたときは、足を止める人は誰もいなかった・・・。 さらに、自民党を離党しているわけではなく、来たる衆院選では自民党を応援すると言っている小池さんが率いる都民ファーストは、果たしてどうなのか?と思わざるを得ない。 ともあれ、私が住んでいる市は昔から非常に保守的だと言われているが、自民党候補が敗れるということは、駅前に乱立している高層マンションの住人も含め、この市の有権者層の意識が変わってきているということだろうか?否、ファーストが二人当選ということは、結局、自民党、ということ?うんむう・・・。 |
7月6日(木) 首都大学東京 南大沢にある首都大学東京、その校内にあるフレンチ・レストランでジャズを聴いた。安カ川大樹(b)さん率いるピアノトリオの演奏で、この企画は“ジャズプラッツ”を主宰している大澤さんによるものだ。 首都大学東京のキャンパスは緑にあふれていて、そのレストランは校内をずーっと歩いて行った果てにある感じ。きれいな建物で、お料理もなかなか美味だった。これでコンサートもたっぷり2ステージ聴けて4000円は相当安い。 と、なぜここに行ったかというと、10月に喜多直毅(vo)さんと出演することになっているためだ。私たちはちっともジャズではないのだけれど、いいそうだ。ともあれ、ヴァイオリン奏者が演奏するのは、このコンサート企画のなかでは初めてとのこと。せっかく声をかけていただいたのだから、いいコンサートにしたい。って、喜多さんの演奏を聴いたら、みなさん、びっくりするだろうなあ。 |
7月8日(土) 延命措置について、そして誕生パーティー 午後、母の主治医と面談。母の嚥下状態について相談をする。また、現在服用している薬を減らしてもらうことにする。 さらに話しを聞くと、突然、生命の灯が消えることもあるという。この秋は、私は仕事で長期不在になるため、その間にもしものことがあった場合の延命措置についても話しを伺う。 たとえば、人口呼吸器は一度施したら命が終わりを告げるまで、何人もはずすことはできないという。経管栄養ははずすことはできるけれど、ほとんどの場合、はずすという決断を、家族はなかなかできないという。 ものすごく考えた。選択、決断をしなくてはならない。妹弟たちに余計な負担をかけないためにはどうすればいいか・・・。 夜は、評論家・関口義人さんの68歳の誕生パーティーに参加する。渋谷のLi-Poはすてきなお店で、小型のアップライトピアノもあり、ソロで1曲演奏。その後、謡曲「高砂」をプレゼントした。 後半にはネシェさんというベリーダンサーの方と初めて共演する。ネシェさんは成人した娘さんもいらっしゃるとのことだったが、いやあ、なんとなまめかしく、色っぽく、女性らしいことか。私がまったく生きられなかった人生を、彼女は生きていると感じる。 参加したミュージシャンのみなさんも楽しい方たちだった。弟さんの関口誠人さんはギター片手に義太夫のような雰囲気の歌をうたわれたが、それがすばらしかった。 また、関口さんご自身も歌われたのだが、それがなんとユーミンの曲。やわらかい声が曲によく合っていたと思う。ともあれ、なんだか楽しい一夜だった。 |
7月9日(日) 一噌さんの公演 国立能楽堂で行われた『一噌幸弘の能楽堂へ行こう2017』シリーズ第二弾、「受け継がれる伝統 創造する伝統 一噌幸政十三回忌追善会」に行った。一噌さんのお父様・幸政さんを偲んで行われた公演は、途中3回ほど休憩はあったものの、午後1時半から5時半までの長丁場の公演だった。 基本、第一部は能楽の伝統(といっても、一噌さんは即興演奏もしているが)にのっとったもの、第二部は一噌さんの作曲及び編曲の作品が、吉野弘志さん(コントラバス)、壷井彰久さん(ヴァイオリン)、辻本好美さん(尺八)も加わり、演奏された。 まず、これだけのプログラムと出演者を束ねた一噌さんに、大きな拍手を送りたいと思う。正直、狭い客席で聴いているほうも疲れたが、それ以上に、一噌さんはくたびれたにちがいない。でも、とにかく、あっぱれ!そう感じた。一噌さんは多くの人から天才と言われている方だが、そのなせるところかと思った。 いまさら言うまでもなく、一噌さんの活動は能楽の世界にとどまっていない。能楽界において、おそらく、その活動は多くの人から批判や非難を受けているであろうことも想像にかたくない。 でも、一噌さんには、笛という楽器の領域を、能の音楽の可能性を、広げ、深め、さらに、はるかに超えていこうとしている意思が満ちあふれており、その根底には能楽の世界観がしっかり息づいていることを、今日のプログラムに立ち合った私は強く感じた。 能楽業界のことは私にはよくわからないが、一噌さんのような伝統としての能楽をはみ出すような活動に、少なからず共感する能役者や囃子方の方たちが、今回の公演には参加されているのだろうと思う。 梅若玄祥さん、観世銕之丞さんは新作能にも積極的に関わられ、現代劇との関係も深く、その双璧とも言える重鎮のシテ方でいらっしゃるかと思うが、このお二人は対照的な感じで、それぞれすばらしかったと思う。第二部の舞囃子「盤渉楽 対旋律付」及び最後の「変幻化」では、お二人がいっしょに舞う姿を拝見した。 また、一噌さんとは対照的な雰囲気を感じた笛方・藤田六郎兵衛さんも、一噌さんの音楽を理解しているように思われ、すばらしかったと思う。 私がもっとも感銘を受けたのは、第一部の最後に行われた半能『融』だった。シテは観世銕之丞さん。一噌さんが子どもの頃にお父様の“早舞返シ”を聴いて、たいへん感動した演目だそうだ。 この早舞返シには流派によって様々な小書きがあるそうだが、パンフレットによれば、「本日の早舞返シは、二段の替えの譜、三段オロシでクマタギ、吹きソラシを吹きます。そして、迫力ある急ノ舞へと展開し、舞返すのが見所・聴き所です。また、出端で太鼓がモジリという特別な手を打ちます。こちらも聴き所です。・・・」 って、なんのこっちゃよくわからないと思うが(笑)、ともあれ、太鼓の一音で、急の舞へ展開する瞬間はゾクゾクした。一噌さんの演奏はたいへん気合が入ったものだったと思うし、囃子方のみなさんの演奏には一筋の道があり、その気合に呼応するかのように、美しい金色の装束を身にまとった銕之丞さんの舞は、それはもうすばらしかった。 かつての栄華を思い起こさせる華やかさと、いつの時代でも花びらは必ず舞い落ちる運命にあるというはかなさが、時にはやわらかい風となって、時にはすべてを吹き飛ばす風のように、私の胸に飛んできた。 実は、私は出版社に勤めている頃に、一噌さんのお父様、すなわち、十三回忌を迎えられた幸政先生に、能管を習っていたことがある。稽古場は四谷にあったマンションで、稽古に行くたびに、私の耳にはキーンと耳鳴りが残り、脳内の毛細血管が明らかにブチ切れていると感じた。稽古が終わった後は、もう頭がくらくらしていた(苦笑)。 1年くらい通った後、プラスチックではなく、幸政先生が選んでくださった本物の能管を購入してから、ほどなくしてやめてしまったのだけれど。 会場内には、幸政先生のお写真や、若き一噌さんの写真、親子で写っているものなどが展示されていた。帰りがけに、深く頭をさげ、私は会場をあとにした。 帰宅してから、競馬場で打ち上げられている花火を、遠くから見る。花火大会のときに音楽が付くようになったのはいつ頃からだっただろう?おまけに、今回は花火を説明する丁寧なアナウンスも流れていた。夏、だ。 |
7月11日 琵琶湖方面日帰り 今年の秋、谷川賢作(pf)さんの代役で、小室等(vo)さんや坂田明(as)さんたちと、フランス・ナント市での公演に参加することになっている。今日はそのためのリハーサルで、滋賀県湖南市(目安は琵琶湖?)へ日帰り。こんな距離を日帰りするのは、おそらく初めてのことだ。 この仕事は、社会福祉法人Glow(グロー)に長年かかわっていらっしゃる小室さんからお誘いいただいたもので、湖南の知的障がい者施設で行われている, ダンスのワークショップに参加している方たちと共に、ナント市で公演をする、というものだ。 今日は、彼らのダンスと共に、およそ45分間×2回ほどリハーサルをした。音楽は私一人のピアノソロのみで行う。私の背中で、みなさんは踊っていたので、細かな動きなどはよくわからなかったのだけれど、初回にしては、それなりにコミュニケイションはとれたのではないかしらと勝手に思っている。 |
7月12日(水) ラフ 現在携わっている映画のラフ編集ができたとのことで、試写に足を運ぶ。さて、これから、だ。 |
7月14日(金) 意味不明 市の健康診断の結果を聴きに行く。悪玉コレステロールと中性脂肪がバツ。それ以外は何の問題もなかったのだけれど、つまりは、メタボ予備軍。薬を飲みたくないので、半年後の血液検査までに、なんとか体質改善をしようと思う。 夜は、横浜・ドルフィーで、坂田明(as)さんに声をかけていただいた、Joe Talia(ds)さんと3人のフリーセッション。ドラマーと共演したのも、何ひとつ事前に決めないフリーセッションを2セット行ったのも、とても久しぶり。 坂田さんとの共演も久しぶりだったが、坂田さんはもうある境地に達しようとされている感じがした。 坂田さんが新しく出されたCD『Bonjintan』の中ジャケットには、 梵人譚は意味不明であります。 考えたい人はご自由にどうぞ。 而して音楽も意味不明。 すべからくこの世もあの世も意味不明、 ただ夢のごとし。 と、書かれている。 生きていることに意味を求めているのは人間だけだ、と以前から坂田さんはおっしゃっていたように思うが、「ここに在り、音を出していることがすべて」と、坂田さんの演奏を聴いていて感じたのだった。 ただ、そこに在り、ただ、演奏する、ということ。実は、これが難しい。そんなことを、私は坂田さん、さらに、渋谷毅(pf)さんから学んでいる。 さらに言えば、それは「これでいいのだ」につながっていくように感じた。赤塚不二夫さんの葬儀の際に、タモリさんが読まれた弔辞はすばらしいと思っているが、最終的に、全肯定する、という考え方や生き方は、なかなかできないと思っている。 |
7月16日(日) 小林貴子さんと 大泉学園・inFにて、歌手・小林貴子さんとデュオで初めて共演する。前日のマスターからの連絡では予約4名様だったが、結局25名くらいの方が足を運んでくださり満席に。20年ぶりくらいに会う友人たちもいて、とてもうれしかった。お越しいただいたみなさまには、この場を借りて感謝いたします。 前半は日本語の歌を、後半は彼女と私のオリジナル曲を中心に、プログラムを組んで演奏。小林さんは曲によって喉の使い方や声を変えて歌われる。その変化に、私の指も変わる。こういう歌い手は数少ないと思う。 それにしても、貴子さんは真面目過ぎる?(笑)あんなに自分を追い込む人に久しぶりに出会った。このままでは、彼女は自分で自分を壊すのではないかと心配するくらいだ。もっと力を抜くことを、彼女の身体と心が自然にできるようにならないと、このままではもたないのでは?とさえ感じた。とはいえ、ま、人は、そのようにしか生きられない、のも、またことわりなり、か。 なお、彼女には信仰がある。かつて、私にはゴスペルのユニット“Vesse”l(1999年9月、代々木・ナルで初めて共演)と長く演奏活動を共にした時期があるのだが、その頃と今回の貴子さとのライヴでは、自分の感じ方が変わっていることに気づいた。 Vesselのいわば歌の伴奏奏は、技術的にはやろうと思えば続けられたとは思うのだけれど、彼女たちのキリストに対する思いに、私の気持ちがどうにもついていけなくなったということがあった。God、King、Lord・・・etcと彼女たちが一所懸命歌えば歌うほど、自分の気持ちが置いていかれるという感じだっただろうか。 では、宗教が違うから、その神様への信仰がないから、いっしょに音楽ができないか?と言われたら、できる。それが明らかに政治目的や利益目的でなければ。音楽はそうしたことを超える何かがあるように思っているし。 そして、時を経て、貴子さんと共演して、今回もまたJesusのことを彼女はたくさん歌ったわけだが、深い信仰を持っている人を、以前よりは客観的に感じられるようになったのかな、と思ったりした。音楽を少し広く見渡せるようになったかも?みたいな。 共演者としては、濱田芳通(リコーダー、コルネット)さんや喜多直毅(vn)さんも洗礼を受けているわけだが、それぞれ、個人、ということを、自分が少しだけ認められるようになり、さらに尊敬を持って接することができるようになったのかもしれないと思う。 というより、このお二人の名前を挙げただけでもわかるように、それぞれ、個人の内側に抱えている苦悩のようなものは並外れて大きく、つまり、それは、それだけ、とても“人間”だ、ということだと思っている。彼ら自身は神様ではないわけで。だから、彼らが奏でる音楽は、仮に神様を賛美するようなものであったとしても、私にはとても人間のどうしようもなさを感じる音楽になっているのだと思う。 さらに、ヨーロッパの古楽における神を賛美する歌と、アメリカに渡った歌とは、というか、貴子さんの場合は、特に黒人霊歌の色が強いのだが、それらは全然違う、ということも実感した。 いったい何が違うのだろう?としばらく考えたのだが、おそらく、それは“ブルーズ”だと思い至った。ブルーズの話しを始めると長くなるのでやめておくが、私がジャズに魅かれたのも、もとをたどれば、そこに行きつくだろうと思う。つまり、それは、私の場合、音楽そのものへの問いにつながっていく。 このような機会を与えてくださったinF店主の佐藤さん、そして、共に音楽を創ってくださった貴子さんに、あらためて感謝します。 |
7月19日(水) スズメバチ駆除 朝、庭を掃除していると、大きな蜂が飛んでいることには気づいていたのだが、まさか、玄関から門へ行く通路脇の植え込みに、スズメバチが巣を作っているとは思ってもいなかった。その巣を発見したときは、びっくりした。 ということで、市に連絡して、業者に駆除してもらった。ちなみに、スズメバチの駆除のみ、市が費用を負担してくれる。 夜8時半過ぎに業者はやってきたのだが、暗い時間のほうが蜂が巣に戻っているので、一網打尽にできるためだそうだ。 私は以前に一度アシナガ蜂に刺され、ひどい目に遭っている(完璧にアナフィラキシーショック状態)ので、もし今度蜂に刺されたら、マジ、生命が危なかったわけで、ともあれ駆除に来てもらって安堵。 |
7月20日(木) いまどきの車 今どきの車は、話し、学習する。 昨秋、この車が生涯最後と思って愛していた車が、八ヶ岳の山の中で故障してしまい、今年2月に買い替えた車は、エンブレムに6つの星が施されている車だ。 まず、初めて乗ったとき、「車がしゃべる」ということに驚いた。一時停止の標識や踏切が近づくとしゃべってくれるし、前の車が発進したらピピッツと教えてくれるし、速度超過したときには警告のお言葉をいただいている。そのたびに、「はい、はい」「どうもすみません」などと受け答えをしている自分がいる(笑)。 ほかにも、自動運転システムなど、いろいろ搭載されているようなのだが、今のところ、カーナビさえも初めての私は、まったく使いこなせていない(苦笑)。ちなみに、アイドリングストップ機能にはどうしてもなじめず、いつも解除じて運転している。 そして、今回、一応、半年点検に出した。自分の運転の仕方が関係しているとは思うが、ギア・チェンジが少しスムーズにいかないところがある気がしたので、それをあらかじめ伝えておいたところ、「念のため、ATの学習促進を致しましたので、様子を見てください」と言われた。へえ~、私の運転のクセ、アクセルやブレーキの踏み方などを、どうやら車が学習できるようになっているらしい。 いやあ、もう、おばさんはついていけません(笑)。 |
7月21日(金) 藍染 夕刻、東京八重洲口近くのギャラリー・モーツアルトで行われていた、佐藤文子さんの藍染展に足を運ぶ。 佐藤さんがその手で染めた藍色の作品たちは、どれもすばらしかった。一点、ものすごく欲しい衣類があったのだけれど、今の私のお財布状態には少し厳しく、購入を断念。 「植物から出るブルーは うすい色ほど真夏の青空に似て美しいです。 空の色は藍を建てるわたしの原点です。」 これは佐藤さんのwebのトップページに掲載されている言葉だ。 興味のある方は、webに遊びに行ってみてください。 佐藤文子さんのwebはこちら |
7月23日(日) こいしいたべもの これまで朗読の仕事でときどきごいっしょさせていただき、友人でもある、エッセイスト・森下典子さんが、今月、文春文庫から『こいしいたべもの』を出版された。 森下さんはこれより以前に『いとしいたべもの』という本を出されているが、これはその続編となるもので、今回もまた彼女自身によるイラストが描き添えられていて、珠玉のエッセイ集になっている。 ポストに入っていた文庫本をそのまま手に持って外出し、電車のなかで、まずは「はじめに」と「おわりに」を読みながら、私はうっすら涙ぐんでしまった。 この本には様々な“たべもの”が出てくるのだが、そのたべものをめぐって綴られている文章は、とてもやわらかい風のように、私の心に触れた。 そして、そのぬくもりは、自分自身の遠い日の記憶や風景へと、私を一気に運んだ。おかげで、文庫本の後ろのほうは鉛筆書きのメモであふれている。 私の記憶。 初めて食べたインスタントラーメン、はチキンラーメンだったかサッポロ一番だったか?その昼食を作ってくれた父。そして、海苔巻きやオムライスも作ってくれた父。 いただきものの泉屋のクッキー。 秋の運動会に食べた緑色のみかんとその酸っぱさ。 桃やパイナップルの缶詰を開ける器械が面白かったこと。 祖父の家で大勢で食べた出前のちらし寿司。 七輪で焼かれた秋刀魚や松茸。 海苔鰹節海苔鰹節の層になっている、母が作ってくれたお弁当と、妹と柄違いの赤い色のお弁当箱。 裸電球に照らされた六畳間の食卓。 夏の蚊帳のなかに放たれた蛍。 台風で停電になって灯された蝋燭、そして洗面器に落ちる雨漏りの音。 ・・・などなどなどなど。数えきれない記憶が鮮やかによみがえった。 森下さんは1956年(昭和31年)生まれ。昭和30年代から40年代前半にかけて、ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、幼少期、小学生時代を過ごした人たちにとっては、たまらない心持ちにさせてくれる一冊かと思う。 単に昔を懐かしがるということではなく、たべものをきっかけにして自分の半生を振り返り、記憶の棚に自分をしっかり納めることができるかもしれない。って、あ、そっか、もしかしたら、これはボケ防止に役立つかもしれません?(笑) 気軽に、あっという間に、読める文庫本だ。普段、推薦などということはほとんどしない私だが、暑い夏に、ちょっとご紹介してみたくなった。よろしければ、お手にどうぞ~。 |
7月25日(火) 『ガイヤの夜明け』を観た 夜、7chの番組『ガイヤの夜明け』を見る。 「密着!会社と闘う者たち 第2弾」と題された、現代の労働問題について、具体的な企業名を表に出しての放映だった。 “温野菜”というチェーン店で、長時間労働を強いられたバイトの大学生の実態と訴え。「4ヵ月間連続で休みなし」「1日23時間の長時間労働」という信じられない労働時間のことや、「殺してやっから!」と店長から怒鳴られるパワハラ音声データ。また、学生の主張では、最大で月400時間以上働いていたというが、会社側の記録データでは約月100時間程度しか働いていないことになっていた事実など。まことにひどい状況が報告される。 さらに、「アリさんマークの引越社」で働く現役社員の男性が、「月340時間の長時間労働」「交通事故を起こすと、会社が保険に加入しているにもかかわらず、高額な弁償金を自腹で払わされる」などを訴え出た。しかし、会社は男性をシュレッダー係という職場に異動させ、さらに懲戒解雇処分にした上で、社内に「罪状」と書かれた紙を張り出すなど、信じられないような対応をした等々。その男性、よく喰らいついてがむばったと思う。 いやあ、もう、ほんとうにひどい実態だ。嘘ばかりついているように思える、この国のトップにいる人たちの顔もひどいと思うが、こうした企業の上のほうにいる人たちの顔や態度もひどいと感じる。 なお、この番組は、来週は外国人労働者の問題を取り上げる。このことについては、既に何冊か本は読んでいるが、こちらもまた最低最悪の実態がある。同じ日本人として、恥ずかしいと思うような。 しかし、人手不足は深刻になってきていると実感しているこの頃。 この間たまたま入ったデパ上のトンカツ屋さんは、厨房とフロアを合わせても、多分3人しかいなかった。食べ終わってお客さんが帰った隣のテーブルの上は、40分以上片づけられないままだった。それも1テーブルだけではない。ご飯とお味噌汁、キャベツはおかわり自由にしていることもあって、あの広さでは客の対応に追いつけないのは目に見えている。かくて、従業員はフル稼働。イライラしている感じが伝わってくる。 今年に入って、24時間営業だったファミレスは午前2時までになった。中央の郵便局の深夜窓口も、これまで平日は24時間開いていたのに、今は21時で閉まってしまう。ポストの集配回数も減った。 また、外国人労働者を介護の現場に、という動きもあると聞いている。週に何度か現在の介護の現場を見ている私には、介護スタッフが今以上に仕事の負担をすることは、つまり、彼らに外国人労働者を指導する仕事が増えることは、とても無理ではないかと思える。国はもっと現場の実情を拾って、いきなり外国人労働者を介護の場に着かせるのではなく、何か施策をとるべきだと思う。 労働。ま、私のような音楽をなりわいとしている者は、結局、なんだかいつも仕事をしている感じになっている。さて、なんとか曲を書かなくては・・・。 |
7月28日(金) スイートレインで 中野にあるライヴハウス、スイートレインにて、喜多直毅(vn)さんとデュオで演奏。このお店ならではの雰囲気に、以前よりもこのデュオの音楽が溶け込んでいるような気がする。 今晩の喜多さんの演奏は、本人曰く、事務仕事から解放された、とのことだったが、なんだかまるで別人のように聞こえてきた。すばらしい。 |
7月30日(日) 明治大正の女性を唄う 午後、土取利行さんと松田美緒さんの、『明治大正の女性を唄う』というコンサートに、両国シアターカイまで足を運んだ。ほぼ満席。 これまで、添田唖蝉坊(演歌師)の唄をうたってきている土取さんが、美緒さんに声をかけて実現したものらしい。これがなかなか面白かった。久しぶりに、幸徳秋水とか堺利彦という名前も聞いた。 添田唖蝉坊は社会風刺の歌もたくさん作って歌っていたわけだが、やっぱり都会の唄なのだろうなと思った。 製糸工場に働きに行かされ、親のもとへ二度と戻れなかった、悲惨な女工さんたちのことを歌った唄。娼婦や郭で働く最下層の女性たちの唄。大正デモクラシー、「青鞜」などを踏まえた、職業婦人の唄。(職業婦人は、タイピスト、電話交換手、女性教員、カフェの女給、看護師など) また、美緒さんはこれまで意識的に避けていたという郭や芸者の唄もうたった。美緒さんは独自の道を歩き、日本の唄を追い求めている稀有な歌手だと思っているが、ほんとうに真摯に歌に向き合っている姿勢を、久しぶりに聴いた歌声からも感じた。 実は、現在、私は某ドキュメンタリー映画の音楽の仕事に携わっている。それは、日本の近代化における、とてもディープな問題を内包している。その映画で取り上げられている地方は、一時期、国内での産出量がトップだった筑豊炭鉱なのだが、そこで生活していた炭坑夫や女坑夫たちが口ずさんだであろう唄たちとは、今日聴いたものは全然異なるものだったとは思う。だが、それでも、同時代であったことを想うと、少しだけ視野を広く持てたように思う。 |