4月 |
しがつ |
4月11日(月) ピアノ 先月末、26日(土)に、盛岡・すぺいん倶楽部で、初めてソロ・ピアノでライヴをやらせていただいた。かつて伴天連茶屋(ジャズのライヴハウス)をやっていた瀬川さんが呼んでくださった。ちなみに、調律は東北地方に行く際には必ずお願いし、信頼している調律師・只野さんが引き受けてくださった。 2013年にピアノ・ソロCD『沈黙の声』を発表した際、東北地方を一人で回ったときは、盛岡ではBarS(津波に遭ったベーゼンドルファーがリペアされて設置されている)で演奏したので、盛岡でのソロは実際は2回目になるけれど。 振り返れば、すぺいん倶楽部で演奏するのは、2011年震災から三ヶ月経った6月以来になる。坂田明(as)さんのトリオのメンバーとして演奏したのだが、そのときの店や人の雰囲気は、今でもはっきりと憶えている。(3月の『洗面器』を参照してください) 久しぶりのピアノ・ソロで、正直、緊張した。普段はほとんどあがらないのだけれど。最初のステージの1、2曲目でかく汗によって、自分が緊張しているかどうかが自分でわかる。 最初に演奏する曲として選んだのは「Lonely Woman」。でも、どうもエンジンのかかりが悪い。ここでもがくとさらにドツボにはまることは経験上わかっているので、なんとか自分の気持ちを逃がしながら、自分をニュートラルに戻すことをこころみる。 後半になると、楽器自体もだいぶなじんできて、鳴るようになってきた感触。指先が感じるタッチも、耳が聴く響きも、だんだん自分の音になってきたように感じられた。聞けば、調律師さんも同じように感じていたことが、あとで話しをしたときにわかった。 そして、終演後の打ち上げで、これまであまり言われたことがないようなことを、瀬川さんから言われる。「あなたはピアニストではなくて、ピアノそのものだ」と言われたのだ。このことの意味を、私はまだ言葉にできずにいる。 ライヴの翌日は、雫石のほうに行き、おいしい十割蕎麦をいただき、網張温泉でほんのり硫黄臭い湯につかり、日本一美味しいと評判のジェラートをいただき、東京・南千住の“カフェバッハ”で修行した方が豆を焙煎している喫茶店で美味なる珈琲をいただき、帰京。 ・・・・・・・・・・ さらにその翌日、28日(月)の夜は、両国門天ホール主催の企画『みんなの知らない調律師の世界』に参加した。 これは、このホールのピアノのメンテナンス及び調律をされている調律師・岩崎俊さんが、「調律」ということについて話しをしたり、質問を受けたり。さらに、少々驚いたことに、参加者全員に調律作業をさせてくださった。 参加者1人に1音を担当させ、たとえば上のほうの音ならば、1音に対して張られている3本の弦のユニゾンを揃える(今回は、真ん中の弦には触らず、それをもとにして、左右の調弦を行う)という調律作業を、岩崎さんの道具でやらせてくださった。その作業にあてがわれた時間は、ユニゾンができてもできなくても、1人2分。 そして、その状態で「トロイメライ」を弾くと・・・。まあ、音程のバラバラだったこと。私が担当した音も、ユニゾンはとれてないなあという状態で、制限時間にて終わってしまったから、当然ひどかった。 その後、岩崎さんが、私たちが触った弦を1音ずつ、もとに戻していき、その状態で私たちは再び「トロイメライ」を聴いた。美しい。 このような参加型の催しとは思っていなかったので、様々な質問を用意してきた私だったのだけれど、やはり実際に作業をしてみるのは、正直、とても面白かった。これまで、それこそ、もう何百回と「調律」の場に立ち会ってきているけれど、自分でやったのは初めてだった。 また、このときメモした紙がどこかに行ってしまったので、細かなことは思い出せないのだが、岩崎さんのお話しのなかで、私がもっとも印象に強く残ったことは、調律作業をしているとき、自分は音を聴いていない、というような表現をされたことだった。聴こうとすると、聞こえない。なんとな~く、漠然とした空気のようなもののなか(響き)で音を聞いているらしい。(「聴く」と「聞く」の表現を分けて書いているつもりです) これにはとても合点がいった。何かを感じ取るときに、とても大切な態度だと思った。見る、あるいは、観る、ときも、おそらく同じだと思う。そして、この“身体性”を自分でコントロールして持ち、保つのには、おそらく相応の経験が必要なのではないかと思う。 さらに、岩崎さんはちゃんとした調律師が少なくなってきていることに危機感を抱いておられた。今回の企画を行ったのも、そのことが動機になっているとのことで、もっと多くの人に、ピアノという楽器の面白さや、調律への興味を持ってもらえればうれしい、と話していた。 おそらく、この岩崎さんの危機感は本物で、たとえば、今度の6月には、調布の音楽祭でこのような催しが企画されている。子ども向けのようだけれど。 『楽器たんけん隊 ピアノ組み立てコンサート』 なお、岩崎さんは調律のみならず、様々な部品開発もされている、いわば発明家でもある。その中の「R-bit」は都内の多くのジャズクラブにも施されている。興味のある方は岩崎さんの会社のwebへどうぞ。 株式会社山石屋洋琴工房 |
4月11日(月) 逝く春 出会いと別れとはよく言うけれど、私にとってこの春は別れのほうが重たい。 四代目江戸家猫八さんが3月21日に亡くなられていたことが公けになった。進行性胃がんだったそうで、2月のTV番組『徹子の部屋』の収録が最後の仕事となったと聞いている。二代目子猫を継いだ息子さんとの出演で、猫八さんもうれしかったのではないかと思う。これからは息子さんがしっかり芸を受け継いでいかれることだろう。 私は、坂田明(as)さんが猫八師匠と親しくされていたこともあり、2009年の四代目の襲名披露宴や、そのほか、地方での仕事も含めて、猫八さんとは何度かごいっしょさせていただいたことがある。 非常に研究熱心な方で、動物や鳥の鳴き声をこと細かに説明しながら聞かせてくださるのだけれど、それがあまりにも細かいビミョーな差異で、違いがわかるようなわからないような・・・で、笑ったことなどを思い出す。 競馬もお好きでいらして、銀座での公演の際には、往年の名騎手・岡部幸雄さんもいらっしゃていた。 私が小さい頃は、なんといっても、お父様の三代目猫八さんがテレビなどで大活躍されていたから、その印象がとても強く、四代目猫八さんは子猫さんという記憶のほうが正直強い感じだ。 という方も少なからずいると思うのだが、猫八さんは60歳になられてから、やっと四代目を襲名されたわけで。襲名披露宴の席には、こうした「襲名」をする方々(落語家、歌舞伎役者、相撲取りなど)がたくさんいらっしゃったが、こういう世界も複雑なのだろうなあと思ったことをよく憶えている。 心からご冥福をお祈りします。 さらに、もうひとり。また、もうひとり。 札幌でのライヴなどによく来てくださっていた、高森憲昭さんが3月29日に亡くなられた。 実は、私は高森さんが「びーどろ」をされていた頃などはよく存じ上げない。でも、昨年9月、石狩当別・紙ひこうきで行った、喜多直毅(vn)さんとのライヴに、奥様とわざわざ足を運んでくださり、少しお話をさせていただいた。結局、お会いしたのは、それが最後になってしまった。 北海道在住のピアニスト・福居良さんも亡くなられたと聞いている。私はその演奏を聴いたことがないのだけれど、お名前だけは昔からよく存じ上げていた。 最後に。この2月に、盛岡に住んでいた叔父が急逝した。御茶ノ水大、長崎大、上越教育大、盛岡大など、国立大学の学長を勤め、教育委員長も兼任。教科書問題にも詳しく、基本、リベラルな意見を持っていた学者だった。はきはきとものを言う叔母、そして2人の息子たちはそれぞれまったく違う分野で大活躍しているから、今頃は叔父も天国から見守っていることと思う。 どうかやすらかに。 |
4月11日(月) 戦争への道 5月末に予定されている公演『カバレット 阿部定の犬』の稽古が、今月1日から始まっている。これは去年の再演になるが、今回は演出家が入り、台本も若干書き改められている。 この公演のきっかけになったのは、2014年4月に、俳優・服部吉次さんと2人で取り組んだ、両国門天ホールで行ったカバレット・シリーズの『剃刀横町のオペラ』だ。これもまた元は「三文オペラ」が下敷きになっているものだが、このとき、このブレヒト演劇のリアリティを感じたことを、そして戦争へ歩み始めたこの国の足音のようなものが聞こえていたことを、今でもはっきりと思い出す。 この2年の間に、特定秘密保護法案が国会を通り、この1月からマイナンバー制度が開始され、先月末には集団的自衛権の行使が可能となる安全保障関連法が施行されてしまった。この国は戦争ができる国になろうとしていると思う。その時代はひたひた、じわじわと。 昨年末、京都に行った際、自衛官募集の大きなポスターや、公民館に置いてあるパンフレットなど、ずいぶんたくさん目についた。自分の意識や関心のせいもあるとは思うが、この状況には少なからず驚いた。 そして、最近知った、この幼稚園。 塚本幼稚園『軍艦マーチ』 (ほかに、動画はたくさんアップされている。幼稚園のwebも、くりびつてんぎょう。) なんでも、安倍昭恵首相夫人が名誉校長をつとめる大阪の幼稚園だそうで、子どもたち(4歳児)が掃海艇,護衛艦などの軍用艦船の前で、「軍艦マーチ」を演奏させられている。 このYouTubeを見た人の中には、音楽的な見地から意見を書いている人もいて、たとえば、 「許せないのはこのようなグロテスクな指導が「子どもの情操を培う」音楽指導の名を借りて行われていることだ。こういうものを強制され、何日も何時間も練習させられた子ども達の「音楽を楽しく感じる心のつぼみ」が摘まれてしまうことを危惧する。 しかもその目的が戦前の愛国心だか忠誠心だかの表現であるということに目を覆いたくなる。」 ま、実際、シンセの音はひどいし、小さい頃に、こんな音楽の指導を受けていたら、耳は鍛えられないと思うし、逆に、打楽器で耳を壊すのではないかしら?と心配してしまう。 さらに、8日(金)に見たNHK番組『ドキュメント72hours』。今回は「昭和歌謡に引き寄せられて」ということで、昭和歌謡のLPやCDを販売しているお店、新宿・ディスクユニオンに来る人たちが取り上げられていた。(この「72時間」は割合に好きで、見ることができるときは見るようにしている。が、今回はあまり面白くなかったかな・・・。) 最後のほうだっただろうか、80年代アイドルのLPを購入し、夜はアニメ映画を観に行くという、17歳の男性がインタビューに応えていた。将来、彼は自衛隊に入りたいと言う。その理由を聞かれた彼は「いずれ誰かがやらなければならないから」と話していた。 彼が自衛隊の厳しい訓練に耐えられるとはとても思えなかったけれど、私にひっかかったのは、「いずれ誰かがやらなければならないから」という言葉だ。しかも、これをNHKが放映しているということだ。NHKが彼へのインタビューを選んだ、ということだ。これが何を意味しているかを考えるのは、考え過ぎだろうか? いずれにしても、このようなことを考えている若者がいる、ということが、私にはショックだった。時代はここまで来ているのか?という思いでいっぱいになった。 ちなみに、5年後の東京オリンピックを控え、中学や高校では、オリンピックのヴォランティアに参加するかどうかが、その子の内申書に大きく影響するそうだ。このことにも、私は驚いた。体育やオリンピックに関心のない子どももいるだろうに。 教育。洗脳。社会に役に立つ人間になる、ということ自体は悪いことではないけれど、「社会(国)に貢献する」という言葉が合言葉になり、いろいろな色がどんどん単色に染められていく時代の流れを、私はけっしてよいことだとは思わない。 そして、来月、私は黒テントの創立メンバーの大先輩たちとの『阿部定の犬』の公演で演奏する。初演から40年。この公演が、今、再び行われることの意味は大きいと思う。 (『阿部定の犬』のチケットは、私のほうでも扱っています。ご覧になりたい方は、気軽にご連絡ください。なお、今回は全席指定とのことで、良いお席から順番に埋まっている状況です。詳細は、拙web、スケジュールへ。5月26日ソワレ、27日マチネ、です。) |