3月
さんがつ

3月9日(日) ピアノのムシ


いつもお世話になっている調律師さんが、調律師が主人公の漫画『ピアノのムシ』を送ってくださった。現在、二巻目まで発売されていて、4月に第三巻が出るらしい。

芳文社コミックス『ピアノのムシ』(荒川三喜夫)

(試し読み、はこちら)

超マニアック、超トリビアルな漫画。私にはすこぶる面白かった。

ピアニストにとって調律師さんという存在がどれほど大切なものか、その信頼関係のこと、さらには、地方で演奏した時に出会った調律師さんのことなども含めて、これまで散々書いてきた私だが、この漫画、調律師の裏の世界や、ピアノという楽器の細かく、深い世界を、もっと知ることができる。

くすっ、へえ〜、えええっーーーっ、ふんむう、わっはっは、という感じで読めます。ピアノ、ピアニスト、調律師、楽器メーカー等の業界などについて興味のある方には、強くお薦めします。




3月11日(火) 黙祷

昨晩、宮城・仙台で活動している劇団・ココロノキンセンアワー(演劇部)の芝居『カレー屋の女』を観て来た。舞台の真ん中にはカレーを煮ている大きな鍋。(そういえば、あの事件はどうなったのだろう?)まわりはすべて新聞紙で作られたあるいは包装された椅子やテーブルや何やかや。

ここでは内容については語らないが、そのインスタレーションは津波の後のガレキのようにも見えた。そのガレキが新聞であることで、ゴミと化したマスコミを象徴しているようでもあり。また、設定が陸から離れたどこかの島になっているので、私にはそれらが波のようにも感じられたり。

主宰・演出の茅根(ちのね)さんは、震災当時、多くの演劇人や劇団が東北に慰問に訪れるなかで、その演劇の内容や在り様にイライラするものを感じたそうで、「ブラックユーモアをぶちこみたかった」と言っていた。そっか、NHKで繰り返し歌われているソングと真逆のベクトルかな、と私は勝手に思ったのだけれど。

また、主役のカレー屋の女主人の役を演じた若い女性は南三陸の出身で、津波ですべてを失ったとのこと。彼女にとって、震災は自分のすべてを変えた、そうだ。でなければ、舞台に立っていなかった、と。

このお芝居は、本日(11日)マチネとソワレを残すのみ。新宿二丁目・タイニイアリスにて。

ちなみに、彼らは本番終了後、即、撤収作業をして、深夜の夜行バスで仙台に帰るのだそうだ。演劇をしぶとくやり続けている人の根性を目の当たりにすると、演奏が終わって飲んだくれて家に帰る(演奏前から飲んでいる人もいる)ミュージシャンはやわやわな気がしたり。ま、それもまたいいのだけれど。

そして、先程、福島関連の映画を観た。現在、、FaceBook内で、期間限定で無料公開されていて、誰でも観ることができる映画『フタバから遠く離れて』。(←FaceBookに飛びます)。約90分の映画。エンディングテーマの音楽と演奏は坂本龍一。2011年の秋頃までの双葉町を追ったドキュメンタリー映画。

恥ずかしながら、双葉町がフクイチの第七号機、第八号機を新設しようとしていたことを、私はこの映画を観るまで知らなかった。原発を誘致した地方の小さな町の苦悩、その選択が行きついた現状と現実の生活、そして私たちに突きつけられている問題を、今、あらためて深く考察するきっかけになる映画だと思った。

個人的には、監督の視点や言いたいことが凝縮された感じで、もう少し突っ込んだ内容になっているかと思ったのだけれど、例えば、それは永山則夫を徹底的に追った女性監督のそれとは異なり、という印象。というか、2011年、このような感じのカメラワークで、現実をひたすら映す以外にはなかったのだろうなと思う。

ちなみに、映画『遺言 原発さえなければ』。これは現在、東中野にあるポレポレ座で上映中(3月14日まで)で、3時間45分の長編。毎回、ゲストによるトークが予定されているようで、これはとても観たかったのだけれど、今回は私は行けそうになく、残念。

3.11 黙祷。




3月11日(木) 黙祷 追記

以下、昨年末、茅野市で行われた公演『とことこ』でいっしょに創作活動をした、林未知さんがFaceBookにアップしていた文章を引用いたします。彼女は旦那様と共に小さなお子さんを二人連れて、震災の三日後に日本を発ってタチヒに移住した方です。

・・・・・・・・・・

やっぱりこの日が近づくと、胸のあたりがざわざわする。
ある友人も、同じことを言っていた。
その友人は今も同じ場所で生活している。
私たちはここにいる。
他の避難した人たちは、その地で生活し続けてる人もいれば、戻った人もいる。戻ろうと考えている人もいる。やはり去ろうと考えている人もいる。
どちらも同じ時間が流れている。
失ったもの、守らないといけないもの、新たに芽生えたものを考えつつ。
「前をむいて生きていこう」なんて思わない。
下を向いて、振り返って、上を眺めて、横にいる人を感じ、ただ生きる。

三年前の14日、空港に向かう私たちは、小さなリュックサック二つ。
中身はパスポートと数日分の着替えとお金と生後三カ月の息子のおむつたくさん。
荷造りをしながら「必要なものってあまり無いんだね」と夫に話した。
大切にしていた本たちに、時々会いたいなぁと思うけど、
新しい大切な本も出来た。
あの店の、あれ、食べたいな、と思うけど、
新しい店の割と好きなものも出来た。
大きくて無愛想で怖いと思っていた人たちは、
笑いかけたら体全体で笑ってくれた。
私はもう、ここに含まれている。

・・・・・・・・・・

この文章中、私は一段落目の最後の二行に、深く共鳴しました。

東北を訪れるたびに非常に違和感を抱いた「がんばろう」もそうでしたが、誤解をおそれずに言えば、常日頃より「前を向いて生きていこう」とか「前に進まなければならない」といった言葉に、私はほとんど共感できずにいる自分を感じています。

ただ生きること。今、ここに在ること。深くかみしめたいと思います。



追伸
昨晩の演劇のアフタートークで、「前に向かって進んでいかなくては」と言っていた方がいましたが、ごめんなさい、私はやはり違和感を抱きました。

この芝居は、再演をするなかで、震災のことを組み入れたり重ねたりしてきたようなのですが、本来は、まず演劇として屹立しているべきではないかと思うためです。

敢えて書きますが、震災を経た時間が流れるなかで個人が感じた周辺情況への不満や、この芝居にかかわることで自分の生き方が大きく変わったり、といったことは、きわめて個人的なできごとであり、この演劇の質の高さとはまた別のことではないかと思うところがあり、そこはしっかりと意識的であるべきではないかしらと、私は思いました。

『カレー屋の女』の原作(佃典彦)を読んでいないのですが、この芝居は、何を言いたかったのだろう?と、実は今でもちょっとよくわからないでいる私です。人が生きていく(子どもを産むことも含む)ということには、必ず、そこに人の死がある、ということ?このあまりにもドライな死が、震災で流された多くの涙(実は被災された多くの人たちが長い期間泣けずにいたことは知っています)に楔を打つ感じ?茅根さん、教えて〜(笑)。

かつて、大田省吾さんが主宰したワークショップに行った時(あ、そうだ、岸田理生さんもいらっしゃいました)、“演劇は社会を変えられるか?”という命題で討論が行われていた風景を、今、急に思い出しました。

その時、私に残ったことは、みなさんが演劇に懐疑的であり、かつ、信じている、ということでした。その姿勢は、今の私の音楽に対する考え方に反映されていると思います。




3月21日(金) クラウディオ・モンテヴェルディ

夕刻開演のアントネッロ主催・自主公演、クラウディオ・モンテヴェルディ作曲『歌劇 ウリッセの帰還』(初演 1640年 ヴェネツィア)に足を運ぶ。会場は川口総合文化センター・リリア音楽ホール。

濱田芳通(指揮、コルネット)さん率いるアントネッロは、昨年からモンテヴェルディのオペラ、三作品に取り組んでいる。『ポッペアの戴冠』、『オルフェオ』に続いて、今回で完結。私はこれら三公演をすべて観て、聴いた。

今回も決して広くはない舞台を上手く使い、装置や衣装、照明といった演出もよく考え抜かれていた。また、歌手、演奏者たちがいかに稽古を積み、本番に真摯に臨んでいるかもよく伝わってきた。無論、その底辺に、濱田さんがモンテヴェルディの音楽に向き合った時間の重さと深さを感じたことは言うまでもない。

すばらしい公演だった。

このような舞台、もの創りの姿勢を真正面から受け止めると、自分のやっていることがどれほどのものかを問われる。かけた時間はかけた分だけ、思いが深ければ深いほど、人に伝わるのだというあたりまえのことを、どこか反省と共に感じている自分を見る。それは指揮をする濱田さんの背中が教えてくれた。そして歌手、演奏者の呼吸と指づかいと音色、音楽が、伝えてくれた。

この作品の冒頭、「人間のはかなさ」を弥勒忠史(カウンターテナー)さんが歌う。これから始まる物語のプロローグという感じだが、その声が会場に響き渡り、これがなんとも心に突き刺さる。

ギリシャ神話、さらにはキリスト教、あるいはイタリアやヨーロッパの歴史といったことには、とんと疎い私なのだが、三作品を通してもっとも感じたことは、時の流れのなかで、人間の心はいかに揺れ動くかということだった。そして、人間の存在そのものに対する深い問いかけだった。

それが神様たちに翻弄された人間の在り様という段階になると、“神”という概念をどうとらえたらいいか判然としない私には、ちょっとわからない領域もあることを感じるのだけれど。(それは、デカルトの『方法序説』を初めて読んだ時の感覚に似ている。つまり、神にゆるされて在る自分、という自己認識の仕方が、うまく理解できない、という感じ。)

とにかく、オペラそのものが内包している、欲望、妬み、苦悩、弱さ、脆さ、そして、よろこび、愛、愉悦、幸福まで、そのごちゃごちゃ度と揺れ幅のようなものが、ものすごいと感じた。実に、ああ、これが人間というものか、としみじみ感じられた。

言葉と音楽、うた、旋律、奏でられる楽器の響き(サウンド)。一人一人の息づかいが空気の中に響き合っている。ああ、オペラ(「歌劇」と書かれている)とはこういうものなんだなあ、と思った。

濱田さんは「モンテヴェルディの音楽を涙しながら考えていた」そうだけれど、この三作品はまぎれもなく濱田さんが考える、濱田さんにしかできないモンテヴェルディの音楽世界になっていたのではないかと思う。

さて、実は、私の隣の席に座っていたご夫婦の奥様が、こっそり録音をしていた。暗い客席で妙に光る物体が目に入ったので気づいたのだけれど。(あの光は舞台からもわかったと思う。舞台から案外目につくことを、私は経験済み。)よっぽど注意しようかと思ったけれど、その立場にはない自分をようやくなんとか押さえた。(正直、今、やはり言うべきだったと後悔している。一人の音楽家として。)

実際は「あなたは佐村河内さんですか?」(つまり、開演前のアナウンスが聞こえなかったですか?マナー違反です)と思いっ切りイヤミな感じで切り出し、「恥を知れ」と言いたかった。

濱田さんが身を削り、命を張って、今、ここで、信頼する多くの仲間たちと音楽を創って、私たちに聴かせてくれている幸福な時間を、しっかり受け止めて心に刻め、と言いたかった。

録音をしていた人はおそらく古楽関係者か愛好家だとは思うけれど、ほんとに大人がダメな世の中になったと思う。

でも、最後は、前の座席に座っていた子どもに、私は救われた。お父さんとお母さんの間にちょこっと座った、多分10歳にもなっていない男の子。もしかしたら演奏者の誰かに習っているのかもしれないけれど、途中で寝るだろうなという予想をはるかに裏切って、17時開演、20時半終演まで、しっかり聴いていたようだった。

終演後、「ああ、面白かったあ、踊りたくなっちゃったよ」と言っていたのを耳にして、この子が将来音楽家になろうがなるまいが、この日の音楽経験は、これからの彼の人生のどこかに、きっと生き続けるだろうなと思った。思わず「ああ、よかったね、濱田さん」と心の中でつぶやいた。音楽家ができることは、多分、そういうことだ。

なお、モンテヴェルディが作曲した譜面は、どうやらほとんど残っていないらしい。また、残っている楽譜を、どう読み解き、どう表現するかは、楽器の選択も含め、編曲者の大きな仕事で、それゆえ、Aさんが手掛けたものとBさんが手を施したものとは、全然違ったものになるそうだ。このあたりの音楽の妙味について、これからもう少し知りたいと思っている。

追記:今年六月に、濱田さんは、今度はJ.S.バッハ『マタイ受難曲』の公演をされる。ほとんど命を賭けている仕事の仕方だと思う。お願いだから、死なないでね。



って、この翌日(3月22日)は、喜多直毅(vn)さんのカルテットのライヴを聴いた。その名も『カイン』。こりゃ、もちょっとキリスト教のことを勉強しないといけないかなあ。

ライヴは約90分間の1ステージのみ。演奏者も聴衆も、極度の緊張と集中力を要求されたが、良いライヴだったと思う。昨年末に行われた前回のライヴ『吹きすさぶ針』からは確かに一段上がったように感じられた。




3月26日(水) 青ざめた桜の花びら

横浜美術館で開かれている『魅惑のニッポン木版画』に足を運んだ。開館25周年記念の企画であるこの展覧会では、幕末・明治から大正、昭和を経て、現代に至るまでの“木版画”が網羅されている。期間は3月1日から5月25日まで。

日本の木版画と言えば、真っ先に「浮世絵」が浮かぶが、その緻密な線や繊細で微妙な色合いのぼかしやグラデーションなどは、実に見事だ。その技術の高さと美しさには、ただただ感心するばかり。

その次に浮かぶのは、青森の棟方志功だろう。眼が悪かった志功の、あの独特な作業姿、いかにも木を彫って生命を吹き込んでいるような作風は、誰が見ても圧倒的な棟方志功とわかる。

そうした木版画の、現代の最先端にいる一人に、吉田亜世美さんがいる。彼女の作品は、エスカレーターで上がった入口の右横の広いスペースに展示されているので、最初は通り過ぎてしまう。順番に回って観て、途中でこのスペースに出るように順路が仕組まれている。

まず目に入るのがジャングルジム。(その時、思わず、五輪真弓の歌を口ずさんだのは私。って、勝手にやってなさい。そんなことはともかく)他には砂場。青い花びらのようなものが地面にたくさん落ちている。そして3つの壁に樹木。あ、何かが上から落ちてくる。それは花びらの影の映像。全体で大きなインスタレーションの作品になっていた。

しばらくその世界に佇む。うろうろ歩く。壁に自分の影も映ることに気づく。うろうろ。あ、また落ちた。うろうろ。うろうろ。

私は青い花びらを拾いたい衝動にかられる。あるいは、どうせなら、どこか片隅に、誰でも一枚花びらを摺れるようにして、参加型にしても面白いとさえ思った。

『YEDOENSIS divine』と名付けられた作品。

そして、彼女の言葉が書かれたものを読む。
(前略)
“500年後の桜”
品種改良で生まれ挿し木によってのみ繁殖してきたソメイヨシノは、新たなる進化を遂げる。閉鎖花は蕾のまま落下し地中で発芽を待つ。深化を遂げた動植物だけが存続を許される未来。古く錆びた鉄の遊具は人口減少を示唆し、時の経過と人間の痕跡だけを残す。未来の日本に長閑な空気感はあるのだろうか・・・」

おそらくかなりの日数を海外で過ごすことが多い彼女が、その胸の内に抱いている現代のそして未来の日本への思いが、ここにこめられている。それはおそろしく重たいものだ。

ペンキの剥がれかかったジャングルジムには、誰もが幼い頃遊んだ記憶を、否が応でも呼び起されるだろう。その郷愁や夕暮れ色に染まったような切ない思いは、なぜか、青く着色された、つまり青ざめた花びらたちの洗礼に見舞われる。その瞬間、心の色が変わる。

これは桜、でしょ?ならば、薄いピンク色でしょ?なぜ青いの?木々も落ちている花びらも、なぜ青いの?「devine?」

2011.3.11。地震。津波。放射能。夏のオリンピックを招致するために、世界に向けて大きなウソをついたこの国の首相。憲法改正。集団的自衛権の行使。特定秘密保護法。新聞もテレビも信頼できない。戦争ができる国へ、全体主義化へ、じりじりじわじわ歩みを進めているこの国。・・・といったことまで、当然、想いが及び、今度は自分が青ざめてきた。

希望がない。もし私だったら、小さな花びら、一枚だけ、青色ではない花びらを混ぜたかもしれない。いや、しない、か?余計な意味にしかならないかもしれないもの。でも一枚だけ異なるのを見た人は、そこで必ず足を止めるだろう。それが大切な気がしたりもする。

もしこれが音楽だったら、私だったら、それでも、どこかに希望や救いを求めて、音を奏で、音楽を創るだろう。たとえそれが情緒的過ぎる、ロマンティック過ぎると言われても。やれやれ、そんなことまで考えてしまった。

えっ?8万枚?この8万枚とは、すべて、彼女の手によって摺り上げられた桜の紙片の枚数だそうだ。腱鞘炎、大丈夫?といたわりたくなった。

吉田さんはいわばサラブレットだ。お祖父様、お父様、お母様、全員、版画家の家系で、彼女はその長女として生まれている。(この企画展では、お父様とお母様の作品も展示されている。)

図録に記載されている太田雅子さんの文章を引用すれば、

「木版画の概念をくつがえすような作品を発表している吉田亜世美であるが、その制作の背景には環境問題への深い関心がある。1985年、日本がまだバブルに沸き大量消費を礼賛していた頃、吉田は留学先のドイツで森林伐採や温暖化など地球環境が切迫した状態にあることを知った。

もとより木版画の制作のために紙と版木を使用することに様々な矛盾と疑問を感じていた作家は、1993年、木版画の制作工程のなかで消費され、排出される彫り屑と版木、そして摺った版画を並列させ、大量消費社会のあり方を問う作品を発表した。

それは版画作品で何を伝えるべきかという自身の問いに対する一つの答えであり、版画から一歩次の表現へと向かうターニングポイントであったという。」

木を彫る。普通は彫られた木の板のほうが問題になる。それが作品として成立するものだからだ。が、捨てられる運命にある、彫られた木片のほうに、彼女は目と意味を注いだのだ。その発想がすばらしい。

また、彼女は“プロセス”にとてもこだわっている。通常、美術作品は、はい、これです、と完成品が展示される。けれど、彼女は違っていて、創作過程をなんとか定着させたい、伝えたいというようなことを話していたのを思い出す。私のような音楽家は、いわばそのプロセスをみなさまに聴いていただいていることになるから、その時の彼女の思いはわかるような気もした。

こうした彼女の姿勢は凛として貫かれている。私は2001年に府中市立美術館で、2005年に練馬区立美術館で、彼女の作品に直接触れたことがある。府中の時は“公開制作”だったし、練馬に行った時は、そのエントランスで、彼女は脚立に乗っており、何人かのスタッフと共にまだ作成中だった。要するに、そのプロセスも見せる、というものだった記憶がある。

今回も、彼女の展示作品だけが図録に差し挟まれている。つまり、図録の印刷に間に合わなかったということだろう。そう想うと、彼女の中には無論確固としたイメージがあったと思うけれど、時間の感覚が他の作者と少し違っているのではないかしらと思った。その場で、すなわち、美術館に来てからでないと創れない作品(展示できない作品)という点において。インスタレーションへの志向は、彼女の版画家としてのスタンスと、作品をどうとらえるかという時間感覚とよく合っているのだろう。

実は、彼女は小学校から高校生までの同級生。母校にも彼女の作品が展示されている。私は彼女のような同級生がいることを、うれしく、誇りに思う。



追記
彼女の作品の設営風景が、4月6日(日)、NHK新日曜美術館で放送されるそうです。興味のある方はぜひ。

追追記
上記、4/6のNHK新日曜美術館は「ウォーホルを“読む”」となっていました。
なので、吉田さんの作品の設営風景が放映されるのは、最後のほうのアートシーンのコーナーで、多分、そんなに長い時間ではないと思われます。(ウォーホルはシルクスクリーンの作品もたくさん作っていますが、その流れで放映されることはないように想像します。)
ともあれ、番組のどこで放映されるのかはわかりません。ただ、放映されるというのは、吉田さん本人がしらせてくれたことなので、間違いないと思います。

また、横浜美術館では、作家が自作について語る「アーティストトーク」が企画されています。
吉田さんは4月19日(土)午後2時から
参加無料(当日有効の観覧券が必要/申し込み不要)











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