2月2日(日) 天国に行った友人
先月、1月23日夕刻、かつて1980年代後半に私が主宰していたユニット“ORT”のメンバーだった、“シマちゃん”こと、コントラバス奏者・島田康雄さん(現姓 横田康雄)さんが急逝したという報せを受けた。
最初に連絡をくれたのは、やはり当時のメンバーだった池田篤(as)さんで、FaceBookのメッセージを通して、私はその訃報を知った。その後、24日も終わろうとする夜遅くに、奥様から直接電話をいただいた。具合が悪いということで、20日に入院してからみるみる容態が悪化し、あっという間に遠くへ行ってしまったとのことだった。
その夜、当時いっしょに活動していた人たち、すなわち、村田陽一(tb)さん、岡淳(ts)さん、大友良英(turntable,g)さん、北里義之(評論家)さん、さらに検索して貴田薫(ds)さん、などにメールを送った。
あの若い時から四半世紀。新宿ピットインが紀伊國屋の裏辺りのビルの地下にあった頃、主に“朝の部”で演奏していた私たちは、みんなでリハーサル代を出し合い、練習をし、ライヴが終われば、近くの居酒屋や喫茶店で、ジャズとは?即興演奏とは?ノイズとは?歌とは?なんだかんだ、ああだこうだ、ケンケンガクガク、何をそんなに話すことがあったのだろうと思うほど、いっぱい話しをしながら、それぞれの道を探っていた。
この“ORT”は、“機械じかけのブレヒト”のユニットのメンバー(故篠田昌巳(sax)さん、広瀬淳二(ts,noise)さん、大友さん)と梅津和時(as)さんをゲストに迎えて参加した、1990年大晦日に行われた大きなフェスティバルで、活動を休止した。
その後、池田さん、岡さんは、それぞれアメリカに渡り、ジャズの研鑽を積んで帰国。村田さんはポップスの分野でもアレンジの腕を発揮し、大友さんは映画音楽も手掛け、年末の国営放送の歌番組では、村田さんは福山雅治のバンドのメンバーとして、大友さんは「あまちゃん」で、それぞれ大きく映っていたことは記憶に新しい。
シマちゃんと貴田さんは、実質、プロとしての音楽活動をやめた。けれど、シマちゃんは故郷の新潟・村上に戻ってからも、音楽から遠ざかることなく、自分のCDを作ったり、地元のミュージシャンと演奏活動を続けていた。また、地元のホテルでの仕事に、澄淳子(vo)さんと呼んでくれたこともあった。坂田明(as)さんのトリオのツアーを引き受けてくれたこともあったし、私のトリオ(太田惠資(vn)さん、翠川敬基(vc)さん)のライヴを聴きに、仙台まで来てくれたこともある。
ちなみに、横田康雄で検索すると、画像のトップに、奥様と二人で並んでいる写真を見ることができる。私は村上で行われた結婚式に出席しているのだけれど、あの時は披露宴の席で、私は「高砂」を謡い、シマちゃんはコントラバスを演奏したのだったと思う。あまりに突然のことで、奥様の心中を察するにあまりあるものがあり、胸がつまる。
心からご冥福をお祈りします。
(なんとなく、「逝く」と書けないので、「行く」と書いておくことにします。)
シマちゃん、やすらかに。
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