1月
1月1日(金) 初春

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

(昨秋、長いツアーに出て以来、この日々雑感『洗面器』の更新を怠っていてすみません。追々アップしていく、かも?)



大晦日、紅白を観る。前半、出場者をよく知らないので、19歳になったばかりの姪っ子に解説してもらいながら、ほとんど社会勉強のような気分で眺める。彼女はAKB48の女の子たちの名前を全部言えるらしい。

後半は知っている歌手もいて、ほぼ同世代のサザンの桑田さん、だいじょうぶかしら、と思ったり。

ちなみに、昨年、北島三郎、細川たかし、香西かおりの公演に行った。いろいろ思うところはあるけれど、どなたもあっぱれ。お見事の舞台だった。

でも、作詞家、作曲家、レコード会社といった構図の中にあった演歌は、もう風前のともしび状態だろう。なにせ、観客中、私くらいの世代が一番下なのだ。それにCD売り場のド真ん中に、カセットテープが平積みされていたのには驚いた。

その後、東京12ch(と言う日ももうすぐ終わってしまいますね)で放映された、コバケン指揮・東フィルのカウントダウン・コンサートを見ながら元旦を迎える。友人は鮮やかな緑のドレスを着てハープを演奏していた。同期ががむばっている姿は励みになる。

正午過ぎから、NHKhi-visionで再放送されていたドキュメンタリー『伝統芸能の若き獅子たち』を観る。その修行ぶり、親や祖父、師匠といった先達の芸と自身の格闘、自分と向き合う苦悩などが描かれていた。

文楽の人形遣い・吉田蓑次(桐竹勘十郎の息子)は人間国宝・吉田蓑助の弟子筋にあたる若い人。その師匠と弟子の芸の質があまりに違うことは、素人が見ても気の毒なくらいよくわかる。

「気配を消す」

人形はまるで人間のように生きているかのようだけれど、それを操っている人間の気配が、蓑助師匠にはほとんどない。息遣い、目線、動作、立ち姿、在り様、どれをとっても蓑次とは全然違っていた。文楽において、人形遣いには人間の気配があってはいけないのだそうだ。生きているのは、人形。実に面白い。

文楽、狂言、歌舞伎。それぞれものすごい体力と技術が必要だ。足腰がしっかりしていないと、とてもじゃないが、できない。余談だが、畳の上で生活する、トイレではしゃがむ、着物を着るなどなど、昔の日本人の生活様式は、自然に足腰を鍛えるようにできていたことを思う。

午後、母と神社へお参りに行き、帰りがけにお団子を買って帰る。夜はおせち料理やお雑煮をいっしょにいただく。今年も共に新年を迎えることができてよかった、としみじみ思うことが年々深くなる。



1月2日(土) まぶしい遼君

箱根駅伝を見ながら、年賀状の宛名書きをする。いまどき、手書きで書く人なんてほとんどいないだろうと思いつつ。どうも年が明けないと年賀状を書く気にならなくていげない。

テレビを観ていると、石川遼(ゴルファー)君がよく出ている。19歳。とてもまぶしい。まぶし過ぎる。



1月3日(日) 祈る

今日もまた箱根駅伝を見ながら、年賀状を書く。なんだかんだで220通を超えてしまったので、例年になくちょっとたいへん。

夜は知人のお通夜へ。

舞台照明をやっていた相川正明さんが、12月29日の朝、心不全で突然亡くなられた。61歳。前日の夜も仕事をされていたと聞いている。

現役で仕事をされていたので、寒空の下、弔問客が長い列を作っていた。彼の幅広い人脈を語っているかのようだ。舞台関係者、役者、舞踏家、ダンサーといった人たちが多い感じなので、なんとなく一般的な葬儀とは異なる雰囲気がそこかしこに。

相川さんがいなければ、私は演劇とかかわることがなかっただろう。当時、故千田是也率いる“ブレヒトの会”の役者と私を直接引き合わせたのは、相川さんだった。さらに、1988年、“ORT(オルト)”で世田谷美術館で演奏することができたのも、彼の力があったからだったと思う。今から約23年前のことだ。

結局、去年2月、3人のダンサーとの公演で、ものすごく久しぶりに相川さんと仕事をできたことが、今となっては神様の導きだったように思える。

そして12月、両国・シアターカイで行われた高瀬アキ(p)さんと多和田葉子(朗読)さんの公演で照明をされていた相川さんにお会いしたのが最後になってしまった。その両国からの帰り。駅で切符を買う、どことなくさみしそうな背中姿を見かけた時、声をかければよかった・・・あとのまつり。

お通夜では、その2月の時に共演したダンサーや制作の方ともお会いしたが、精進落としの後、劇団の仲間たちと天国にいる相川さんに杯を捧げる。相川さんがいなければ、こういう出会いはなかったことを語り合う。

心から合掌。



1月4日(火) テーマ

今年の私のテーマは「捨てる」。
なぜか去年暮れ頃から、そういうささやきがずっと聞こえていた。

したらば、巷ではそういう本が売れていることを、妹から聞く。それとは全然関係なく、とにかく、捨てる、のだ。

そのほか、今年の企画や計画、やってみたいこと、やるべきことなどを書き始める。年々、親しい人の死に向き合うことが多くなっていて、自分に残された時間のことを、どうしても考えてしまう。



1月5日(水) 身体メンテ

夕刻、耳を患って以来通い続けている整体へ。かなりゴリゴリと揉まれているにもかかわらず、静かな部屋で心地よく眠ってしまう。ひと月に一度、自分に許しているリラックス・タイム。身体はほんわか温かくなり、目はパッチリして、世の中がよく見えるようになる。



1月6日(木) 身体メンテ・つづき

午後、太極拳の教室。身体はすっかりなまっている。準備運動で行う下半身の歩型のつらいこと。練功十八法では身体のどこの部分をどう意識するかが甚だ甘いことを思い知らされる。八法ではお尻が出てしまう。などなど、学ぶべきことは多々ある。

その後、雲はもくもくと湧き立っていたけれど、夕焼けがちょっときれいだった空に誘われて、明日の仕事始めを前に、車を飛ばして藤野の温泉に行く。

帰りがけに、カフェレストラン・Shuに寄り、おいしい手打ちうどんをいただく。最近店主はうどんを打ち始めたとのこと。

コーヒーも飲んで、さてぼちぼち帰りましょうと思っていたところ、「ピアノ、弾いてく?」と言われて・・・そりゃ、弾いてしまうのだった。

したらば、そのうちご近所から何人かいらっしゃって、店内はあっという間に“歌声喫茶”的様相に変貌。メロディーさえ知っていれば、適当にコードを付けたり、転調することはできるので、どんどん弾く。どれも小学生、中学生の頃の歌で、まあ、自分でもよく憶えているものだと感心してみたり。

いったい何曲カラオケの伴奏をしただろう?ピアノで弾くのは初めての曲もたくさんあったような気がする。最後は赤い鳥の「翼をください」。何年ぶりに弾いただろう。

結局、藤野を出たのは夜11時頃になってしまった。外の気温は零下2度。寒い。温泉で温まった身体もすっかり冷えて、帰路を急ぐ。




1月7日(金) 初仕事

渋谷・公園通りクラシックスにて、坂田明(as,cl)トリオで演奏。

演奏中、リハーサル後に3人で食事に行った“シロクマ食堂”の話題なども上りつつ、今年も元気に幕開け。この2月で66歳になられる坂田さんはますますブリブリ。



1月8日(土) 初笑い

府中の森芸術劇場ふるさとホールで行われた『笑劇場 新春まわり舞台』に足を運ぶ。

会場は7分入りといったところだろうか。チケットを買いに行った時、小朝師匠などが出演する時は、即日完売の勢いがあるそうだが、今回は売れ行きが悪いと劇場の女性は言う。

それで「いや、市馬さんはすんばらしいじゃないですか!」と私が言うと、「あなたは玄人好みですね」と言われたことを思いだす。どうも私はどこまでもマイナー路線を歩いているらしい。

出演は、松元ヒロ(時事漫談)、ケーシー高峰(維持漫談)、仲入り後、三遊亭歌武蔵(落語)、柳亭市馬(落語)。

松元ヒロさん。苦みのある内容(政治家批判ネタなど)の話が、芸の軽さに救われて、そのパントマイムもすばらしく、楽しい。

ケーシー高峰さんは77歳とのこと。自身の腰が痛いそうで、声も小さく、全然元気がない。腰を押さえながらえっちらおっちら退場する後ろ姿は、正直、もう舞台を降りたほうがいいと思った。会場の空気がどよんとしたように感じられた。

後半。元力士だったという歌武蔵さんはけっこう早口で、どうも私の好きな“間”ではない。噺も上半身と下半身が別々のところに仕事に行くという、ユーモラスなものだったが、なんだかお正月という気分ではない感じ。なんたって、上半身と下半身がバラバラになるわけだし・・・。

と、なんだか気分が盛り下がったところで、昨秋、四代目江戸家猫八師匠の襲名披露宴で初めて知った、私のお目当て、市馬師匠の登場。やはり、落ち着き具合といい、“間”といい、たたずまいといい、うっふん。それに、やっぱり“喉”がすばらしい。枕では「相撲甚句」も披露して下さり、噺は「七段目」。声色を使いながら、歌舞伎役者のまねごとをする若旦那や番頭さんを演出。舞台に春の梅がほころんだよう。



1月9日(日) ハープ

夕方から、中学、高校と同じ学校で学び、某オーケストラに在籍する友人宅に行く。思いきって自転車で風を切ってまっすぐ北へ走ること約45分。バスを乗り継いで行くのと、ほとんど変わらないことを知る。

彼女の家にはグランド・ハープが2台。それにノン・ペダルハープが1台。さっそく弾かせてもらう。今、アカギレで指先が割れているので、充分に弾くことはできなかったけれど、なかなか楽しい。弦が揺れる響きが独特な体感。

ノン・ペダルのほうは上に付いているレバーで半音を作るのだけれど、それで適当にリディアン旋法で、左手でパターンを、右手で好き勝手に旋律を奏でていたら、台所にいた彼女が「全然違うことを弾くんだあ」と笑いながら言う。つまり、彼女が普段弾かないようなことを私はやっていたらしい。自分にはよくわからないのだけれど。

その時、アントネッロ(古楽のグループ)の西山まりえさんが演奏するゴシックあるいはルネッサンス・ハープはどう感じるか?と尋ねられたので、私はいつもあまりの気持ちよさに心地よい眠りに落ちてしまう、と正直に応えたら、彼女も同じうような感想を抱いていたらしい。それくらい、グランド・ハープとは違う響きが生まれているようだ。多分倍音などの音の成分が異なっているのだろう。

その後、持参した白ワインと、彼女のプチ・イタリアン料理で、それはもうそれぞれの業界やら音楽について、あれこれ話す。

彼女のほうは、明日で約6時間かかる「トリスタンとイゾルデ」が終わるそうで。今年に入って、この長いオペラを皇太子が聴きに来たらしく、そんな時に限って起きたハプニングのことやら。某楽器店がいかに演奏家の立場に立って考えていないかといった愚痴を互いに言い合ったり。

彼女が所属しているオーケストラは、交響曲からオペラ、その他ポピュラー音楽など、幅広く手がけていることもあるとは思うが、彼女自身の音楽の考えた方などがすごくやわらかくて、こんな私とも話をしてくれるので、とてもうれしい。お互い、クラシック音楽に、あるいはジャズに、それぞれ凝り固まっている人と話すより、ずっと楽しく、なんだか有意義な感じがするから面白い。



1月10日(月・祝) ブッキング

今年春の『くりくら音楽会』、秋の『耳を開く』コンサートについて考えをめぐらせ、ブッキングを始める。

夜は母と七草粥。



1月11日(火) ヴァイオリンとチェロ

夜、大泉学園・inFへ、喜多直毅(vn)さん、翠川敬基(vc)さんのライヴに行く。

前半はそれぞれJSバッハの無伴奏。後半はヴィオラのパートをチェロに替えて、モーツアルトとヘンデル「パッサカリア」の編曲版がデュエットで演奏される。

強弱などの細かい表現も含め、演奏方法などを工夫していることがわかる。喜多さんは座りながら、楽器をかなり下にさげて、ノン・ヴィブラートで演奏していた。ノイズ成分の多いバッハという感じ。

クラシック音楽を演奏するので、お酒を飲んでいないだろうと思っていたら、翠川さんはけっこう飲んでおられた。のを、若い喜多さんがぐいぐいと引っ張っていく。

アンコールに、「みんなで」(?)ということで、やはり聴きにいらしていた早川岳晴(b)さんと私が呼ばれて、翠川さんの曲「seul-b」を演奏。クラシック音楽から解き放たれて、喜多さんも翠川さんものびやかに演奏されていた。



1月12日(水) 調律

午後、約2年弱ぶりに、私宅のピアノの調律に、辻さんが来てくださる。いつものように掃除機から。タッチが全然変わる。

夜は友人と辻さんとノンアルコールで食事。辻さんはマッサージもお上手で、これからはピアノの調律の後に、マッサージも付いてきます、ということで売り出したらどうでせう?と笑いながら話す。“人の身体の調整もできるピアノ調律師”は、マジ、引っ張りだこになるのではないかしらん。ああ、“辻ボード”と共に、ツアーに付いて来ていただきたい(笑)。



1月13日(木) ハンガーで吊るされるように

午後、太極拳。

自分の上半身がハンガーで吊るされているような意識を持つように、最後に言われる。先週も同じことを注意されている。多分、ピアノを弾く姿勢と関係している気がする。どうしても前向き、やや前かがみになっているのだろう。気をつけよう。




1月14日(金) ヨサ

午後、生徒のレッスン。

夕方から、YOSA(よもぎ蒸しサウナ)に入りに行く。1時間やると汗だくになるが、その汗は全然べとべとしていない。終わった後は身体が軽くなってシャキッとする。ここのところ寒いので、身体全体の血行が良くなり、ぽかぽかする。

今日はYOSAの後に、フェイシャルをプラス。チタンエッジでマッサージしてもらうと、いわゆるほうれい線が消えている。おそるべし、チタンエッジ。これが欲しいなあと思って尋ねれば、ケタの違う値段だそうで、断念。

ドラマー・古澤良治郎さんが亡くなったことを知る。突然のことだった。

古澤さんは、実は、私がアルバイト、さらにそのまま勤めた出版社が入っているマンションの上階に住んでおられた。こちらが仕事中、風に乗って、よくジャズが聞こえてきたものだ。

折りしも、当時、私はジャズを習い始めたばかりだった。出版社勤めのアフターファイヴに、きわめて軽いカルチャースクールのノリで“ジャズ”をたしなんでいた感じだった。

で、上のほうからC.パーカーのブルーズなどが流れてくると、わけがわからないながらも、自分の耳でコピーしたフレーズを少しだけ口ずさめることが、ちょっとうれしかったりした。

その後、古澤さんとは何度か演奏する機会を得た。名古屋で「あなたはこういう演奏するのねえ」と言われたことを、なぜか思いだす。あのスネアの音と、話し方のイントネイションは忘れられない。

心からご冥福を祈る。



1月15日(土) サウンドする

夜、大泉学園・inFで、鬼怒無月(g)さんとデュオで演奏。

当初、エレキギターも持ってくるものとばかり思っていた私は、甚だ勝手に曲のイメージなどを抱いていたけれど、本日、鬼怒さんが持ってきたのは、ガットギターとフォークギターで、アコースティック2本。

これまでデュオでは3回ほど演奏してきているが、演奏する曲については、基本的にお互いのオリジナル曲はやらない、という感じでやってきている。私などは普段あまりやらない傾向の曲もあって、ブルーノートなんか使っちゃって、これがなかなか楽しい。

よくサウンドしている、と思う。すべてが自然に流れる、特に気負うこともなく、という感じ。

ピアニッシモからフォルテまで。奏でられる旋律。歌う、歌う、歌う。

5年間かかって、やっと鳴るようになってきたという鬼怒さんのフォークギター。もしかしたら、フォークギターと演奏するのは、私は初めてだったかもしれない?フォーク歌手(たとえば小室等さん)の方と共演する以外では。

でも、かくいう私はフォーク少女だったので、その辺のテイストは身体に沁み込んでいる。ということが、実は演奏している最中に鮮やかによみがえってきた。

ともあれ、なんだかいい感じ。ということで、4月にも再び演奏することに。

そして、多分20年以上ぶりくらいに演奏した、林栄一(as)さん作曲「Memories」を、古澤良治郎さんに捧げた。



1月16日(日) 不睡眠

ここのところ、あまりよく眠れない。更年期か?眠りについてから約3〜4時間で目覚めてしまうこともしばしば。それではいけないと、蒲団の中で寝ているのか起きているのか、うっすらと夢を見たりもしながら、その後、最低3時間余りはなんとかするようにしている。

そんな眠り方をしていて、今日は気づいたら正午をまわっていて、焦った。その後、母の確定申告の準備。



1月17日(月) ふりふり

午後、生徒のレッスン。全盲の方が盲導犬とご自身のことを綴った歌詞に、生徒が作ったという曲を見る。

その中に「ふりふり」という歌詞が出てくる。これは犬が尻尾を振っている様子を表している。この言葉に、この方が盲導犬と出会って生きる喜びを見出したことが集約されているように私には感じられる。

曲はやや“みんなのうた”風なれど、全体に素直で、彼女の声にもよく合っていると思う。

一所懸命取り組んでいる彼女を応援したい。と気付けば、あっという間の、予定を過ぎた2時間半。

夜は、大学時代の友人たちと、パンダレストランで新年会。昔話に花が咲いて、笑いころげる。

同輩の男性たちは、先輩に眉毛を剃られたり、ネクタイを引きちぎられたり、吐きまくるまで飲まされたり、池に突き落とされたり、それはもういろんな目に逢ったらしい。今だったら、逆ギレされて、訴えられているかもしれないくらいの感じかしらん?



1月18日(火) 若者たち

久しぶりに、新宿ピットイン・昼の部に足を運んでみる。Oncenth Trioの演奏。

ドラマーは古澤さんの弟子だったそうだ。私よりひとまわり上の世代、あるいは同世代を師匠とする若者たちがたくさん出てきているんだなあと感じる。

帰りにケーキを買って、夜は母の誕生日を祝う。



1月19日(水) フォークギター

午後、生徒のレッスン。彼女が作ってきた新曲などを見る。教え始めるとキリがない。今日も3時間近くやってしまった。

浅川マキさんの本『ロング・グッドバイ』(白夜書房)を購入。チラッと読んだだけだが、マキさんの発言はぐさっと鋭く、黒く重い存在感にあふれている感じ。

でもって、なぜか、吉田拓郎とハイファイセットのベスト盤も買ってしまう。予定外の出費。

うんむ、鬼怒さんがフォークギターを持って来たことが引き金になっているかしらん?もう何年も蓋を開けていないギターケースから、自分のフォークギターを出してみましょか。って、カビだらけだろうなあ。



1月20日(木) 足を鍛える

午後、太極拳の教室。

太極拳はまず下半身が鍛えられていないとどうにもならないだろうとは思っていたものの、いざ自分がやるとなると、これがもうまったくダメだ。少ない筋肉がブルブル震えている。いやはや。

今から少しずつでもやっていれば、家の中でころんで骨を折るような老人にだけはならなくて済むかもしれない。その前にボケてしまったら、何をか言わんやだけれど。




1月21日(金) 狂言の会

国立能楽堂で行われた『狂言の会』に足を運ぶ。通常、狂言は能の演目と共に演じられるのだが、今日は狂言のみで、3演目が行われる。

前半は、大蔵流の狂言師による『宝の槌』と『栗焼』。

『栗焼』のシテを演じた山本東次郎が、おいしそうな焼栗をほおばる様子が、たいそうこっけいで、狂言ならでは、と感じ、遠慮なく笑う。

休憩の後、素囃子『大ベシ』。そのまま囃子方は舞台に残り、引き続いて、和泉流による『鬼丸』へ。

シテの鬼丸は石田幸雄、アドの僧侶と観音と二役を演じるのは野村萬斎、小アドの祖父役には野村万作。

前知識など何もなく、この『鬼丸』を観たのだけれど、なんでも、和泉流にだけ伝わる稀曲中の稀曲、だそうだ。平成19年5月の「狂言の会」で、新たに台本を検討して上演し、好評を博した演目とのこと。清水観音の導きにより、鈴鹿山の盗賊・鬼丸が改心をとげる、という物語。

狂言というより、むしろ能のような構成や演出。狂言のパターンである、わがままな主人に振り回される太郎冠者の所作や言動を目の前にして、観客は大いに笑う、というものではなかった。能の前シテ、後シテがあるような構成で、特に後半、観音を演じる野村萬斎の舞いやたたずまいは気品があって美しく、すばらしかった。

そして、もっとも驚いたのは、いわゆる退場していく時、その観音が橋掛りを後ろ向きで去っていったことだ。揚幕に後ろ向きで入っていくという演出を、私は初めて観た。

去っていく時、舞台に残っている役者、というより、その空間(世界)に、背中を向けるか、前を向くか。たったこれだけのことで、これほどまでに印象が異なることに、私は心が震え、ほとんど凍りつきそうになった。

人生には様々な「別れ」がある。そして、いろいろな「別れ方」がある。さて、私はどちらを選ぼう。あるいは選んできたのだろう。はたまた、選んだ、のか?などと、思っているうちに、なんだか涙ぐんでしまう。

それにしても、前半の僧侶は切り戸口から退出したのだけれど、舞台後方を早足で駆け抜けている足音がドンドンと聞こえたのは、ちょっとだけ興醒め。野村萬斎さん、後半には観音になるために、早く着替えなければならないのはよくわかるけど。

って、国立能楽堂の裏、あんなに音がするのね。裏に行ったことはあるのだけれど、あんなに音がしたっけかなあ。



1月22日(土) 第3の技法

東京文化会館・小ホールで行われた、古楽のグループ、アントネッロの第5回定期公演に行く。このコンサートのタイトルが「第3の技法 〜17世紀イタリア・バロックの音楽の新しい風〜」。

古楽に関して甚だ初心者の私には、まだよくわからないことがたくさんあるのだけれど、ともあれ、「第2の技法」ということを、かの17世紀イタリアの大作曲家モンテヴェルディが提唱したらしく、それにあやかって、今回のようなタイトルが付けられたようだ。

アントネッロは濱田芳通(リコーダー、コルネット)さん、西山まりえ(チェンバロ、バロック・ハープ)さん、それに石川かおり(ヴィオラダ・ガンバ)さんの3人のグループだが、石川さんは病気療養のため降板され、今夜は2人だけのコンサートになった。

で、確か前半の2曲目だったと思うのだけれど、いわゆるジャズで言うところの、コード進行が決まった8小節を繰り返すという“アドリブ”を、濱田さんがやっているように感じられた箇所があった。

keyはAmで、彼がほんの一瞬、E♭のブルーノートを吹きかけて、おっとっとっと、と自分を引き戻されたように感じられた時は、思わず、うふっと思ってしまった。「イエイ」などと口ばしったような気もする。

(あとで聞いたところによると、その箇所は「その場での即興演奏」ではなかったらしい。)

また、「エコー」とパンフレットに書かれていた方法を使った曲も面白かった。ジャズで言えば、その誕生と言われるブルーズ、あるいは黒人教会の音楽などに見られる、コール&レスポンスのようにも感じられた。それは音楽というより、歌の生まれる時を、私に想起させ、また、とてもシンプルな音楽の役割のようなものを感じさせるものだった。

会場では橋本晋也(tuba、セルパン)さんなどにもお会いしたが、某オーケストラに所属している友人は「濱田さんはますますジャズ化しているようだ」とも言っていた。さらに、休憩時のロビーの雰囲気も、普通のクラシック音楽のコンサートとはずいぶん違って、みんな服装もラフだし、気軽ないい感じだなあ、と話していた。

ジャズ化しているかどうかは、濱田さんの演奏を長年聴き続けているわけではない私にはよくわからないのだけれど、たとえば昭和歌謡の歌手・東海林太郎(・・・古い)のように直立不動で、あるいはクラシック音楽でございます、といった風には、彼は決して演奏しない。むしろ踊っていると言っていいと思うし、コンサートの途中でおはなしもする。

その身体の使い方や在り様は、やはりクラシックの畑にいながら、即興演奏をされている平野公崇(sax)さんによく似ているなあと思ったし、途中で気軽におしゃべりするのは、村田厚生(tb)さんのようなユーモアやふるまいがあるなあと感じた。

さらに、その演奏技術はすばらしく、様々な細かい技法を駆使されている。あのような表現方法(ポルタメントを含むピッチの変化、特殊なダブル・タンギング、尺八のようなノイズなどなど)は、おそらく17世紀イタリアにはなかったものではないかと想像され(?)、そんなこんなも含めて、濱田さんは身体ごと新しい道を切り拓いて行こうとされているように感じられた。

西山さんは、ほんとうにかわいらしい。ファンクラブがあるのも肯ける。身体感覚的に想像すると、ハープの弦をはじく指と、チェンバロを弾く指とでは、ずいぶん違うように思われ、楽器を替えながら、よく弾けるなあと思ったり。ハープを演奏することにちょとだけ憧れている私だけれど、・・・私にゃ似合わないか。

そして、彼女もまた、たとえば、山下洋輔(p)さんと平野(sax)さんと3人で演奏するようなコンサートの企画に参加したりしている。“即興演奏”ということを、どんな風に考えているのか、彼女とも一度話しをしてみたい。

かくて楽しい一夜を過ごし、終演後は両国bbに寄って談笑して帰る。



1月23日(日) 春のくりくら

2006年秋から企画制作主催しているコンサート『くりくら音楽会』の第8回目を、この春も門仲天井ホールで行う。ので、そのフライヤーのための文章を書き終える。

ということで、速報。

この春は、一夜に2人、計6人のピアニストの独奏を聴いていただくものにした。出演者は、西山瞳、森下滋、林正樹、ハクエイキム、阿部篤志(以上、敬称略)、そして私。

私以外は1970年代後半生まれで、普段からソロ活動や、いわゆるジャズのベース以外の楽器の人たちと頻繁にデュオをやっている人たちだ。

(ちなみに、この『くりくら』に既に2回出演してくださっている、谷川賢作、田中信正、近藤達郎、のみなさん、さらに、既にのべ27人のピアニストが演奏してくださっているのだが、上記以外の方たちには、また別の機会を期することにした。)

で、夜はこのコンサートの打ち合わせ。鍋をつつくうちに、温泉に行こうという話になる。



1月24日(月) PCの向こう側に

ほぼ終日、PCの前。演奏の仕事は超少ないのに、電源を入れれば、画面の向こうに仕事がつまっている感じ。今年の音楽計画について考え、いろいろ連絡をとる。



1月25日(火) PK戦

夜、サッカーをTV観戦。アジアカップ準決勝、vs韓国戦。最後まで緊張しっぱなし。PK戦までもつれこみ、日本が勝った。PK戦の1&2人目のボールを止めた、ゴールキーパーの川島選手に拍手を送る。



1月26日(水) 替わった楽器

夜、大泉学園・inFで、完全即興演奏ユニット“太黒山”で演奏。

演奏が始まって、なんだかヴァイオリンの太田惠資さんの楽器の音色や奏法がこれまでと違うなあと、耳が感じる。ずいぶんよく鳴っていて、これまでのノイズ成分みたいなものがあまりない感じ。それで、楽器をじろじろと見てしまった。

したらば、やはりこれまでと楽器を替えたという。

楽器を替えたのはずいぶん前のことらしい。そういえば、トリオが散開してからは、太田さんとはそんなに演奏していなかったことに気づく。

昨年末、トルコでのファジル・サイ(p)のフェスティバルで演奏し、ご本人曰く「落とし前を付けた」らしく。なんとなくあらたに根性が座ったような気もしたり、しなかったり。

この三人で初めて演奏したのは2003年12月。なので、早いもので、もう8年目になるらしい。あらまあ。そんなこともあってか、太田さんは次回は何か曲をやろうと提案される。実現する、か?



1月27日(木) 足の意識

午後、太極拳の教室。今月に入ってから、この教室では、足の力を付ける運動をしているのだが、腰を落とした時に、どうにもお尻が出ていけない。なんとまあ、姿のきまらないことよ。

先生は「五功、特に太極式において、足で立つ意識が欠けている」と言う。意識を内側に向けるのではなく、外側に向け、自分の身体、足を外(四方八方)に向けてしっかり広げるように、張るようにしなさい、と。

これが、できない。

という具合に、一週間にたった一度だけの教室だが、日常の動きが少し楽になったような気がするから不思議だ。教室が終わった後は、いつも足がとても軽く感じられるのだ。血のめぐりがよくなっているのだと思う。

浅川マキ著『ロング・グッドバイ』(白夜書房)を読み始める。すこぶる面白い。マキさんの強力な黒く重い存在感が、本を持つ手に“ごわっ”と残るような感触。



1月28日(金) 長いおつきあい

バブル期に、いわゆるハコで演奏していた下北沢のお店で知り合った方たちと新年会。

その中に、同じ大学の出身である方がいることがわかって、その頃、初めて葉山からヨットに乗ったこともある。生涯、おそらく、後にも先にも、ヨットに乗る、などということは、この時以外には訪れないだろう。思えば、なんてバブリンな。

でもって、今もなおライヴに来てくださったりしているのだから、実に有難い。振り返れば、既に23年くらいの月日が流れているというのに。

みなさん、既にリタイアされている方たち。やっぱり少し歳をとられたかなと思うけれど、その分、自分だってしっかり歳をとっていることに気づく。鏡を見ているような気分になりながら、新宿の街を歩く。



1月29日(土) つぼりんくろりん

夜、大泉学園・inFで、壷井彰久(vn)さんとデュオで演奏。壷井さんと演奏するのは2回目。

今世紀に入って、弦楽器奏者との共演がとても多くなった私だが、頻繁にかかわっているヴァイオリニストたちに比べると、壷井さんはもっとも丁寧に譜面に書いてある音符を弾かれる方だと思う。

「ジェントルマンだわ」と言ったら、「今日だけね」とはご本人。とてもユーモアもある、すてきな方だ。

そして、彼独自の世界観のようなものがある。それは、あの五弦のエレクトリック・ヴァイオリンが支えているような気がする。

私の変な先入観はいけないと思いつつも、私自身の演奏がプログレ志向になって、若い頃の自分がちょっとだけよみがえったりして。なんとなく音楽の質感や音色、全体のサウンドがめざす世界のようなものが見えてくる感じ。

終演後、サッカー日本代表のユニフォーム姿の店主は、もちろん、テレビの電源を入れる。結局、友人と2人でそのまま店に残り、サッカー、アジアカップ決勝戦vsオーストラリア戦を観る。

店主は一度も椅子に座ることなく、立ち飲み状態で応援。延長戦後半で日本が1点入れた時は、歓声と共に店主とハイ・タッチ。ゴールキーパー川島と、左サイド長友に拍手。

中学・高校時代、ハンドボール少女だったので、おゆるしを〜。






2010年12月の洗面器を読む



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