1月
1月1日(金)  初春

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

嗚呼、新しい年が明けたとて、今日は昨日のつづきでやってきた。この三が日の間は、年末に起きた問題やら、ずっと抱えている諸事情に頭を悩ますことはやめることにして、お雑煮を食べて過ごそう。

いつものように神社に参拝にでかけ、いつもなにかと参拝しているからと、長い列には決して並ばず。横をまわって本殿に近づいて、あまりに多くの神頼み。神様も疲れるにちがいない。

日本の風景の中から、だんだんお正月らしさが消えていく。

年末の大掃除は家族総出できれいにしたものだ。障子の張り替えの時、まず障子にぼこぼこと穴をあけるのは、子供心に妙に楽しかった。障子を張る糊はお米を溶かして作ったっけ。白、がまぶしかった。水はおそろしく冷たい。それでも、昔の水はしばらく流しているとだいぶぬくんできた。

年の瀬も押し詰まれば、家の中はいろんな料理の臭いに満たされた。手作りのごちそうがつまったたくさんの重箱。普段は買わないローマイヤのハム。高級な蒲鉾。

子供の頃、大晦日には年末に新しく買ってもらった服を枕元に置いて眠り、元旦ともなれば、とてもあらたまった気持ちになった。どことなくぴんと張り詰めた空気。池には氷が張り、土には霜柱。

七輪の上でぷくっとふくらむお餅。それを焼いていた着物姿の父が「あちっ」と耳たぶを触るしぐさ。羽根つきの音。庭の木に糸がからんだ凧。

今年、母は初めてデパートで売っている“おせち”を買った。何万円もする。聞けば、私の同世代の友人たちも毎年買っているという。おいしくないわけではないけれど、なぜかやっぱり手作りのほうが重箱から早く消える。毎年、お正月に必ず食べていた“バクダン”も、今年は初めて作られることなく。

今年は、たくさん「感じる」ことにしよう。



1月3日(日)  タブリンな幕開け

今年初めての演奏は、大泉学園・inFにて、吉見征樹(tabra)さんとデュオ。タブリンな幕開け。くろりんは正月ボケやんけ。指が動いてまへんがな。

この日は吉見さんの誕生日。終演後、ケーキに立てられたろうそくを吹き消すタブリン。別に作られていたタブラの形を模した小さなケーキは、心がこもっている逸品。ほとんど同じ歳の吉見さんと初めて出会ってから、おそらく20年くらいになる私だが、パチパチパチ、おめでとう。



1月6日(水)  よもぎ蒸し

いつも行っている整体院で、全身“よもぎ蒸し”になってみる。漢方薬系の臭いが嫌いな人には耐えられないスチームサウナ。これ、椅子に改良の余地ありと思えども、かなり血のめぐりが良くなる。

目の前の世界がぱあーっとはっきり見えて、その後ハイテンションになってしまい、町に出たら予定外の買い物をしたり、徘徊したり。以前、鍼百本の治療を受けていた時もそうだったけれど、血の循環が良くなると、どうも私はナチュラル・ハイになる。

私が体験したよもぎ蒸しは、これ



1月7日(木)  空間は私を問う

扉を開けると
そこは薄暗く

光がゆれている
透き通った風船たちもたゆたう

その世界になじむまでの時間
ゆっくり
じわじわと
身体にしみわたってくるまで


ひらかれている


とじている

そう感じた瞬間に
やわらかな風が
ふわあっと

ここに入ってもいいんですよ
と監視する人が言う
ので
靴を脱いで
身体を陳列してみる

さて
どう見えただろう

そして
何を見ただろう

外へ出れば
天には青空

二本のリボン

たわむれ
けっして
からまることなく
ひらひら

つながれているから
どこかへ飛んでいってしまったり
しない



たとえば「自由とはなんだ?」とか、この展覧会に付されている長い副題「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」(ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』の中の一節)を引用しながら、なんらかの理屈を述べることは、そう難しいことではないだろう。

鎌倉にある神奈川県立近代美術館で開催されている『内藤 礼 展』に行った。1961年生まれの彼女の作品は、便宜的に現代アートとか空間芸術と呼ばれるようだが、実際、こうした作品に触れていると、京都のお寺の庭をずっと眺めているような心持ちになった。ただそこにある風景が、私が私を問うような時間をくれる。

すべてを受け止める。そこに在るものは肯定する。全世界を受け入れる。そこから始まる、という考え方はわかるにはわかる。特に病気をしたり、人生においてとても困難なことに立ち向かう時には、否が応でもそう思わざるを得ない。

のだが、では、なぜ自分は音楽をやっているのか?しかもお金にならないような即興演奏をやっているのか?と問うと、そのこたえはどうもそこだけにあるわけではないような気がする。

ほかに、江戸時代の雛人形を見たり、同美術館の鎌倉別館で開催されていた『イギリスの版画展』にも足を運ぶ。ウィリアム・ホガーズ(1697年〜1764年)の風刺版画は圧巻。とても面白かった。

七里ガ浜に向かって歩けば、目の前には夕陽と富士山。沈んで行く夕陽を眺める時間を持ったのは、いったい何年ぶりのことだっただろう。

神奈川県立近代美術館のwebはこちら
『内藤礼展』は今月24日まで。



1月8日(金)  音にいのち

大泉学園・inFで、“太黒山”のライヴ。山口とも(per)さんは、そこにある、名もないものに、音のいのちを与えている。「こんな音が!」というよろこびは、生まれたての赤ん坊の笑い顔に似ている。



1月9日(土)  いろもの

午後、府中の森芸術劇場で行われた、四代目江戸家猫八襲名披露公演に足を運ぶ。

昨秋、縁あって、猫八さんの盛大な披露パーティーで、ハナモゲラさんとちょいと演奏してきたってえのはあっしのことなんだが、ま、家から歩いて2〜3分のところでやるってえんだから、こりゃ、行かないわけにはいかない、ってなもんよ。

前半は落語家三人のお噺。中でも、披露パーティーの時にも美声を轟かせた柳亭市馬さんの「転宅」は面白く、その声の調子も語り口も落ち着いていて、私しゃ、ファンになることに決めた。

後半は襲名披露口上から。ここでも市馬さんは木遣りを一声。うーん、いいわ〜。

それから、林家二楽さんの“紙切り”。紙を切っている間、笑い話でつないでいる。片手には鋏、もう一方の手には紙。しゃべりながら、紙を切る、というのは、さぞかしたいへんなことではないかと想像したりする。感覚としては、話しながら、ずっと演奏しているようなものだろう。面白いことに、紙を切っている間、二楽さんの身体はずーっと揺れている。あの“揺れ”が彼の手元を支えている。

そして、最後に猫八さんの“物まね”。客席の笑いをとりながら、にわとりの鳴き声、犬の遠吠え、鳥の声、こおろぎ、鈴虫などなど。なんだかものすごく懐かしい風景と共にあるような「声」たちと再会したうな気分になる。

こうした後半の“芸”は、寄席では「いろもの」と言われるそうだ。そこには、本筋の芸からは一段下がって見られるようなところがある(?)らしいが、これだけの技術を身につけるのは並大抵なことではないだろう。

事実、猫八さんはものすごく研究熱心な方らしい。披露パーティーには、動物園の関係者、野鳥の会や鳥類保護団体の人たち、環境エコ関係のお役人といった人たちもずいぶん出席されていた。

三代目猫八(この四代目猫八のお父様)さんのことは、幼い頃にはよくテレビで観ていた。実際、披露パーティーの時もそうだったが、ほとんどの人が、このお父様のことを話す。還暦になって、やっと襲名する気持ちになったという子猫さん(四代目)の内心を慮ってあまりあるものがある。

が、そんなこたあ、あんた、よけいなお世話ってもんだよ。なにはともあれ、これからもこうした“芸”をやり続けていってくれりゃあ、それでみんなが笑って、福が来る、ってなもんでしょ、おまえさん。・・・おあとがよろしいようで。



1月10日(日)  糸

坂田明(as,cl)さんとのデュオで、渋谷のお店で演奏。このお店に新しくアップライト・ピアノが入って、その最初のライヴになるそうだ。

ピアノの細かな部品の交換や調整をしてくださったのは、かれこれ20年のお付き合いになる調律師の辻秀夫さん。どの部品を全部交換したのかを、最後に教えていただいた。いやあ、実に細かな作業をされたことがよくわかった。グランド・ピアノにはない“糸”を初めてちゃんと見た。

その辻さんの努力で、今宵はとても気持ち良く演奏することができた。心から感謝。ピアニストにはアップライト・ピアノでは演奏しないという人もいるようだけれど、私は弾きます。ので、演奏のご注文をどうぞ。



1月14日(木)  虚歩

午後、太極拳の教室。片足を虚歩(きょほ)にして、片足を軸にして立つ。というのがまったくできない。「十六式」もなかなか覚えられない。不出来な生徒。私が先生だったら、とっくにやめさせているかもしれない。先生にはずいぶん辛抱してもらっていると思う。でも、週に一度、身体を動かすのは気持ちがいい。



1月15日(金)  プロの仕事

来月の「We dance」の打ち合わせで、横浜・開港記念館へ。山田うんさん以外のダンサーの人たちとははじめましての出会い。当初、私がお相手するのは一人だと思っていたら、三人、ということで、これはもう風邪なんかひいていられない。

夜、駆け出しの頃に下北沢でハコでやっていたお店で知り合った方たちと新年会。思えば、20年以上のお付き合いになる。さらに、そこで働いていた従業員の女性と20年ぶりくらいに会う。さらに、さらに、やはりそこで働いていた男性がやっているバーにみんなで行ってみる。やっぱり会うのは20年ぶりくらいだ。

いい男に、プロ、なっていた。カクテルを作る時に、さっと照明がともる。一種のパフォーマンスだが、これがなかなかすてき。格好良い。シェイカーを振る時の腰つきに根性が入っている。ちょっと照れ臭そうな表情も、にくい。さっぱり系のおまかせでお酒を注文したら、苺を使ったスペシャル・カクテルを作ってくれた。美味。

金曜日ということもあったと思うが、20名ほどで店内はいっぱいになるものの、夜11時過ぎに10人以上はお客さんが入れなくて帰って行った。固定客がついているのだろう。お酒しか出さない、葉巻を置いているなどのこだわりが徹底していて、久々にプロのバーテンダーに出会った。多分、上大岡にあった、異常なこだわりを持った人以来のことだ。これからの彼を、心から応援したい。

今週行った渋谷の店もそうだが、一杯390円のチェーン居酒屋ではなく、こうした個性あふれる、ちょっと人間臭い若い人たちががんばっているのは、そして、そこに多くのお客さんが足を運んでいることは、こんな不景気とはいえ、なんとなく世の中捨てたもんじゃないかも、という気分にさせてくれる。渋谷はお料理もおいしいけれど、渋谷のお店もこの恵比寿のお店も、おいしいお酒、が飲めます。




1月16日(土)  原さん

夜、原マスミ(vo)さんのバンドの演奏を聴きに、吉祥寺・スターパインズカフェへ行く。超満員。イラストレーターとしても活躍されている原さんは、ちょうど個展を開催中ということもあってか、客層の年齢も幅広い。

声質は知久寿焼(vo)さんのような感じ。と思ったら、話しによれば、知久さんのほうが弟子という関係にあるらしい?思えば、原さんは私よりも年上でいらっしゃる。

終演後、バンド・メンバーである近藤達郎(p,key)さんを通して、原さんをご紹介いただく。



1月18日(月)  webをリニュアール

ふと思い立って、この2〜3日で、webのトップページをリニューアル。黒田京子トリオの足跡を追いながら、自分が書いた文章などを読み返したりしていたら、あちこち整理し始めてしまい、そういうことになっていた。

夜は母の誕生日を祝う。野菜中心のヘルシーな鍋で、身体を温める。ついでに心も温まりたいものだが、そうもいかないようで。



1月19日(火)  ギターとピアノ

鬼怒無月(g)さんとデュオで演奏。「きれいなメロディー、へんてこりんなメロディー」の二回目のライヴ。今宵はどちらかというと、きれいなメロディー、真っ向勝負という感じだったかもしれない。

以前も書いたと思うが、多分、彼が聴いてきた音楽と、私のそれとに、少しリンクするところがあるのだろう。演奏していると、その領域と周辺が次第に温度と色彩を帯びてくるように感じることがある。

ギターとピアノは和音を奏でることができる楽器で、一般的には、だから音がぶつかる、とよく言われるのだが、これはもう楽器というより、人、だと思う。ということで、こんな私にもなんとなく相性の良いギタリストは何人かいて、鬼怒さんとはこんな風に続いている。



1月21日(木)  張る意識

午後、太極拳の教室へ。五功の太極式には“張る”意識がなければならない、と教わる。張るというのは力を入れるということではないのだが、これがたいへん難しい。

張ると言えば、春。今日は昼間はずいぶん暖かった。で、そういえば、先日、思いっ切り突っ張っているような60年代末の映画を観た。

日本映画専門チャンネルでは、“ATGアーカイヴ・新宿文化の記憶”というシリーズをやっていて、去年はとても若くてめちゃくちゃ格好良い、バスドラを踏んでいる富樫雅彦(per)さんを観たり、山下洋輔トリオの音楽が流れる学生運動の映画を観たり。

今回観たのは、『薔薇の葬列』(松本俊夫 監督 1969年/音楽は湯浅譲二)。「薔薇族」という言葉が流行ったもとになった映画で、16歳のピーター(池畑慎之介)のデビュー作品だ。そのメイクは今のメイクにとても似ていて、現在の渋谷を歩いていれば、そういう女性にたくさん出会うような感じ。

そして、新宿の光景。私が知らない所にある、新宿ピットインの看板が目に入る。途中で、若き蜷川幸男、篠田正浩などなどのインタビューもドキュメントで差し挟まれている。途中の危ない煙を吸っているシーンの後にインタビューを受けていた女性は、なんだかどこかで見た記憶があるような。

今晩遅くには『書を捨てよ街へ出よう』をやっている。17日に急死された浅川マキ(vo)さんが出演している。私は一度も共演したことはない。けれど、以前、酒井俊(vo)さんのバンドのメンバーだった頃、新宿ピットインにふらっといらっしゃったことがあった。そのリハーサルを聴き終わった後、「ここで演歌をやっているのは、あなたと私だけね〜」と、暗闇から聞こえてきた声のことを鮮明に憶えている。心からご冥福を祈る。



1月22日(金)  トリオ

黒田京子トリオ(翠川敬基(vc)さん、太田惠資(vn)さん)で演奏。その内容は決して悪くないと、手前味噌ながら思う。ある一定以上の良質な音楽を奏でていると思う。

また、このヴァイオリン、チェロ、ピアノという楽器編成による、こうした演奏は、ほかの誰もやっておらず、他所では聴くことができないだろうと思っている。もっと大袈裟に言えば、仮にジャズ史上にこのトリオのことを載せたとすると、その歴史に残るようなことを実現できているという思いさえある。

まるで、すべて、譜面に書かれているかのような即興演奏。イントロはどうするのか、誰がメロディーをとるか、どんなリズムにするかなどは、あらかじめ決められていないことがほとんどで、演奏しながら作曲していく。こうした妙味は、このトリオの一部を言い表していると言っていいだろう。

ピアニッシモからフォルティッシモまで、奏でられる倍音や交ざり合った響きが、空気を織り成す。呼吸を聴き合い、紡ぐ時間。選択の自由が生き生きとしている関係。私にはこのうえなく楽しい音楽創り。

こうしたことは、決して誰とでもできることではない。

そして? だから?

聴きに来てくれた友人の批評を読んで、私は結局「譜面」にとらわれていたことにようやく気付いた。というか、そういうところにとどまっていては、そのことしか人に伝わらないのではないか、と思ったり。トリオについて考える時間が続いている。



1月23日(土)  原宿に

午後、明治神宮にお参りに行く。降り立った駅は原宿駅。なんたる人の多さであることよ。くらくらしそうになった。明治神宮もお賽銭をあげるのに、長い列に並ぶことが必要だった。

折りしも、地元の商店街と青森県がタイアップして行っているらしい“青森ねぶた”を少しだけ見る。彼らは大いなる交通渋滞を起こしながら、道路を練り歩いていた。人混みの中で、ちょっと気分転換。



1月24日(日) バンドと孤 

『ビートルズを知らない子どもたちへ』(きたやまおさむ 著/アルテスパブリッシング)を読了。この本は、もともとは1987年に出版されたもので、私が読んだのは、それが改訂増補された単行本。

元ザ・フォーク・クルセイダーズのメンバー、北山修さんが書いた本で、精神科医として活動している彼の視点と、論考を展開する根拠と内容は一貫していて、なかなか興味深く、面白かった。

さらに、彼の場合、ビートルズと同時代を生きたことが、つまり、当時のメディアの問題や社会状況も含めて、切実な実感を伴っていることが、たとえば「ビートルズが教えてくれた〜」(吉田拓郎)と歌える私を少し熱くした。

もっとも、ビートルズの来日時にはまだ小学生だった私は、ほとんど彼らの音楽を通っていない。その時代、それはすこぶる不良の音楽であり、やかましく、騒々しく、おまけに彼らの髪の毛は長くて、私は両親からは「近寄ってはいけない」と言われて育ったうちの一人だ。

ここでは多くを語ることは避けるが、「二重構造」の話や、自我とそれをマネージャーする自分という考え方は、現代に生きる人間の問題でもあり、音楽をやっている者にとって、マスメディアに乗るメジャーだろうが乗らないマイナーだろうが、非常に切実な認識だと思った。

大切な人と別れて心はぐちゃぐちゃなのに、人前で美しいメロディーを奏で、楽しそうなリズムに乗って演奏しなければならない、というような、自己が引き裂かれるような状態は、誰にだってある。

また、きたやまさんは言う。「何においても、まずひとりの人間を見つけてくることだけでも、大変」「誰かと誰かを出逢わせるというのはもっと大変」。

そして、「さらに、ビートルズのすごいところは、四人が平等にクローズアップされていたことですよね」と言う。

・・・“バンド”って、何だ?

そんなことを考えていたら、ジム・オルーク(g,etc)さんがプロデュースしている、バート・バカラックの作品を集めたCDのサンプル盤が届く。私は一昨年の秋に行われたレコーディングに参加して、5曲ほど演奏している。

このアルバムには、ピアニストが3人かかわっている。クレジットを見ずに耳を傾けていて、「あら、これ誰?」と思ったら、・・・自分だった。いったいいつから私はこんな演奏をするようになったのだろう?と自問自答してしまった。

そのピアノの音色とタッチは、とてもやわらかい音でCDに収められていた。無論、すべてにジムの手が入っているから、曲によって、ピアノの質感はかなり異なっているのだが。

一昨年の秋頃は、あまりに忙しくて、この『洗面器』は空白になったままなのだけれど、その空白の中に、このジムとのレコーディングもある。その二日間に渡る録音作業は、私には非常に印象に残るものだった。こんなレコーディングは初めての経験だった。

まず、現場に、ほとんど譜面がない。譜面らしき、メモ程度のものはある。あるいは、目の前で、メモ程度のものをジムが書いている。(通常のスタジオ仕事とはかなり違うから、正直、最初はちょっととまどう。)

必要があれば、その場で元の歌を聴く。コード譜だけでは絶対に演奏できず、知らない曲であれば、なおさらメロディーは必要不可欠な私は、その場でメロディーを採譜する。

ジムの頭の中には、明確なイメージがあって、それを演奏者に口伝えする。それを聴いた演奏者に、もし別のアイディアがあり、それをジムが気に入れば、そのアイディアが取り入れられる。

ロビーで談笑する中で、「チャールス・アイヴスが好き」という話が出ると、「あ、じゃ、それ、やってみて」となって、そのままスタジオへ。試しにぱらぱらと弾いてみたりして、これから本番と思って合図を送れば、「今のを録音したから、多分、これでいいと思う」と、ガラスの向こうのジムは確信的に言う。実際、その後に弾いたものは、ダメだったと自分でも思うし、多分ボツになっている。

とにかく、かくの如く、すべてにおいて、ア・プリオリに、演奏者は自発的でなければ、さらに、やわらかに対応する即興精神のようなものがなければ、この天才・ジムには対応できない、と悟った。それはまるでジムならではのマジックの世界に触れるような時間だった。

そういう意味での「即興」が、ここにはあった。そして、即興という方法は、どうしようもなく、“孤”に支えらているように思われた。



1月25日(月)  ヴォーカル二人

午後、緑内障の検査を受ける。要注意状態くらいらしい。以前の検査時より、視野が少し悪くなっているところがあった。

夜、伊藤大輔(vo)さんと高瀬“まこりん”(vo)さんのデュオを聴きに行く。

前半はそれぞれのソロが中心。伊藤さんはシーケンサーなどを駆使して、若者らしいパフォーマンスを。まこりんさんは小物を使ったりもして、素直に歌をうたっておられた。失礼ながらご本人にも申し上げたが、CDで聴くよりずっとすてきだなと感じる。

後半はデュオ満載。基本的には声だけで、二人でできることが、ちゃんと伝わってきた、いいライヴだったと思う。

それにしても、まこりんさんの漫画(「ぼのぼの」)の朗読はすばらしかった。抱腹絶倒。聞けば、もともと演劇、ミュージカル畑にいた方らしい。なるほど〜。

かくて、そのまま残ってしばし談笑。あれこれ話ができて楽しかった。若いお二人は始発電車が出るまで店にいると言うので、おばさんは、否、お姉さんは付き合えましぇん、と3時過ぎに店をあとにする。


1月26日(火)  ランチ

高校時代の友人たちと、イタリアンでランチ。一人は毎年オペラ公演に参加して歌っている。もう一人は毎週のようにでかけては日本中のお祭りの写真を撮り続けている。半端じゃない趣味。あるいは、その領域を超えつつある。好きなことをやり続けている友人たちには励まされる。



1月27日(水)  春のくりくら

来年の春に予定している『くりくら音楽会』の打ち合わせ。この『くりくら』も足掛け4年目、7回目、になる。

今回のテーマは「ことばとピアノと」で行います。
4月は俳優・志賀廣太郎さんと私。
5月は詩人・谷川俊太郎さんと谷川賢作さん。
6月は歌手・イラストレーター・ナレーター・原マスミさんと近藤達郎さん。
が出演します。

みなさま、どうぞ、おでかけくださいますよう。
詳細はこちらへ。



1月29日(金)  三人を相手に

来月行われる、ダンス・フェスティバル「We dance」のためのリハーサル。午後1時頃から夕方5時まで、私はほとんど休みなく、入れ替わりやってくる三人のダンサーを相手に話をしてはピアノを弾く。さすがに、くたびれ果てた。想像以上に、体力と集中力が必要だ。

でも、三人三様、とっても面白い。だいたい「ピアノで踊る」ったって、何をやるか?が大問題なわけだけれど、それぞれまったく違う。

現在は自身の身体の在り様にこだわり、そこを根拠に踊ろうとしている人。ピアノ、すなわち私とのかかわりも含めて、空間全体を意識して、全体のおおまかなプロットを考えてきた人。やはり会場の空間を感じて踊ることを考え、単純な構成だけを提示して、相当な部分を即興の勝負にかけようとしている人。

この催しは、2月14日(日)に、横浜市開港記念会館で行われる「 We dance 」というものです。お時間のある方は、ぜひおでかけください。
詳細はこちらへ。
(チケットは、私に申し込んでくださってもけっこうです。前日までメールにて受け付けます。)

でもって、夜はとても久しぶりにホテルで演奏。誰も聴いていない場所で、これまた、久々に演奏する。

ホテルの裏側というのはなかなか大変な世界のようで、ボコボコになった壁を修理してある裏階段を歩いていると、ああ、人間、などと思ってしまう。



1月30日(土)  スモーク

京王線・八幡山に新しくできた劇場の柿落とし公演『歌謡曲。2010』を観に行く。実は義理の弟が主演している芝居。彼の大学時代の同級生に豊川悦司がいるらしい。主役のセリフは多いし、ほとんど出ずっぱりの1時間40分だから、さぞかし稽古もたいへんだったと思う。

小さな劇場だが、この日、ものすごいスモークがたかれていて、それが客席にも充満して、私は途中で気分が悪くなる。スモークは細かい油でできていて、決して安くはないと聞いている。あんなにスモークを使うなら、義理の弟のギャラをあげてやって欲しいぞ。

夜は、おおたか静流(vo)さんのソロ、ねこまんま舎が主催する『庭の千草 よっつめの冬』に足を運ぶ。会場はオペラシティ内、近江楽堂。

チケットを購入して行くつもりだったが、突然、手伝って欲しい旨の連絡が入り、チラシの折り込み作業や、CDなどの物販や、開場間際のお客さん対応などをする。

コンサートでは、用意された白い風船に、おおたかさんが曲名をマジックで書きながら、MCなどなく、次々にいろんな歌がうたわれた。






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