9月
9月2日(水)〜21日(月) 北海道ツアー

坂田明(as,cl)さんのトリオのメンバーとして、約三週間、北海道ツアーに参りました。ベーシストは水谷浩章さん。移動はすべて水谷さんの車・エスティマで、アンタハエライ!の自走にて、えっちらおっちら、ほいさっさの道中でございます。

2日に東京を出発し、車でひたすら北へ、北へ。その日の夜に青森に到着し、翌日、青函フェリーで函館へ渡って北の大地に上陸。そこからほぼ時計まわりで北海道を旅しました。

函館、稚内、札幌、網走、弟子屈、ウトロ、釧路、鹿追、帯広、計9か所で演奏して、20日に苫小牧からフェリーに乗り、21日に大洗に到着。というルートで帰京しました。

ちなみに、この坂田さんのトリオでの北海道ツアーは2001年から一年置きに行われているので、今回で5回目になります。いずれもすべて本土からの車移動、しかも自走の旅ですが、その行程の様子は少しずつ変化しています。

もっとも大きな変化は文明の利器の登場。

まずは携帯電話。町中でホテルの場所がわからない時には、車の中からホテルに電話をかけられるし、道に迷って到着時間が遅れそうな時は、主催者にすぐに連絡することができます。

さらに、水谷号の場合、彼の携帯電話がナビをつとめています。これがいわゆるカーナビと同様に、なかなか立派な働きをします。ただし、北海道の山の中では全然機能しないこともありましたが。

そして、音響機器。かつてのバカボン号にはカセットテープ・デッキがあって、電源ソケットにCDプレイヤーをつなげたりしていました。それが今や、小さなi-pod。

さらに、今年、前回の東北ツアーの時に搭載されたETC。これで会計係の私の仕事はちょっとだけ面倒になりました。現金が動かず、クレジット決済による立て替え状態になるので、きちんとメモをしておかないと、最後の決算の時にたいへんなことになるのです。

また、ミジンコ採集道具もかなりヴァージョンアップしていて、現在は立派な顕微鏡も車に積まれています。



以下に、そのツアーのことを少しだけ。ご興味のある方はどうぞお付き合いくださいませ。



9月2日(水) 青森へ

私にしては早起きをして午前10時には坂田さんが住む町へ。したらば、水谷号は9時頃には早々に到着して、荷物の詰め替えは既に終わっているとのこと。み、み、水谷君、き、き、気合い、入ってるじゃん。阿呆な顔してぼうっと駅で待っていたら、水谷号のクラクションがプップー。私を拾ってくれて、いざ行かん!

車は坂田さんと水谷君が交互に運転。坂田さんはブッキング&ツアー・マネージャー、宣伝部長、坂田旅行社の社長、毎夜の宴会部長のほかに、今回から運転手も兼任。私は今回も「今日もにこにこ明朗会計」の勘定奉行の役目を仰せつかる。

そして車はひたすらひたすら北へ北へとひた走る。岩手山にかかる雲を眺めながら、坂田さんは岩手県でお世話になった方たちに電話をしている。すすきの穂、赤とんぼ。初秋の風景は美しく、少し冷たい空気が気持ちいい。

夜7時頃、青森に到着。3人で食事をして「これからよろしく!」と乾杯。長距離運転でハイになっているのか、水谷君は初日からぶっ飛ばして、焼酎のおかわりが止まらない。後、ジャズのライヴをやっているらしいショットバーでお酒を飲んで、3人とも少々よろよろしながらホテルへ戻る。



9月3日(木) 函館へ

午前11時頃、青函フェリー乗り場に到着し、待つこと30〜40分。どでかいトラックやトレーラーが優先的に乗船するので、私たちは最後のほうに入れてもらう感じ。

出港してから約4時間、フェリーは海の上をゆっくりと走り、3時半頃に函館港に到着。下りる時もやっぱり大型車が先なので、結局私たちが陸地に降りたのは午後4時頃だった。

考えてみれば、私宅を出てから北海道の地に降り立つまで、約32時間くらいかかっていることになる。ふえ〜。

港には主催者が迎えに来てくださっていて、まずはホテルに荷物を置いて、即、演奏会場となるお店へ移動。

本番。「死んだ男の残したものは」のメロディーを奏でる、坂田さんのサックスの音色と歌い方がすばらしい。

終演後、そのまま会場で打ち上げ。二次会は店内全体が青い色をしたバーへ。その後、水谷君は主催者の方たちとカラオケ・ボックスに行ったらしい。彼曰く「史上最悪のカラオケ」に付き合って、朝帰りだったとのこと。



9月4日(金) ニセコで

今日はオフ。午後、主催者の方のお宅に少し寄ってから、有志の方たちとニセコへ。午後1時頃に出発して、4時半頃に到着。いつもより道路は混んでいたそうで、思いのほか時間がかかったとのこと。

夕方、「雪秩父温泉」に行く。露天風呂がたくさんあって、とにかく気持ちいい。どろどろの温泉で、これがすこぶるお肌によろしある。が、全身、かぐわしき硫黄の臭いに包まれる。翌日に飛行機に乗ること、不可ざんす。

夜7時頃から11時過ぎまで、野外でバーベキュー。坂田さん、すかさず“炭奉行”に。手つきや段取りがほとんど職人技。“ドンペリ”の“ピンク”はやっぱり美味このうえなく。牛肉も秋刀魚も野菜も、とってもおいしい。子供たちといっしょに花火を楽しんだり。そして、夜空に浮かぶ満月の、なんと美しかったこと。

その後、部屋に入り、坂田さんのミジンコのDVDを観たり。さらに、この8月に日比谷外音で行われた、山下洋輔トリオ40周年コンサートの模様が放映されたテレビ番組のDVDを拝見。

森山威男(ds)さんとのトリオで演奏した曲で、坂田さんはずっと目を開けたまま、ぐっとふんばって演奏していた。あんな目つきの坂田さんはあまり見たことがない。みんな気合いが入っていて、本気、の演奏。そこには確かに“ある時代”があったことが、かつ、“今”を必死に伝えようとしている姿が、画面からも伝わってきた感じ。



9月5日(土) 稚内へ

気持のいい朝。午前10時頃、車のサンルーフを開けて首を出し、ニセコでみなさんに「サヨーーーナーラ、サヨナーラー」と歌をうたって、ハンカチを振って別れを告げ、私たちは再びひたすら北へ北へ。

まず小樽へ出て、そこから高速・札樽道に入り、道央道を経て行けるところまで行くというルート。で、下道をずっと走ってきて、その高速・札樽道に入り、水谷君がアクセルを強く踏み込んで、わずか2〜3分走った辺りだっただろうか。

急に、赤くクルクル回る物体を車の上に乗せた車が背後に近付いて来て・・・。「ここは80km規制なの、わかってるよね?」だって。

なんでも104km出していたということで、スピード違反でつかまってしまったのだった。それはフクメン、黒色のクラウンだった。明らかに「足立ナンバー」は目をつけられたのだった。カモよ、カモン、ってなもんだ。

水谷君にとっては、自分の車で初めて北海道に渡り、北の大地の高速に初めて乗って受けた、痛い洗礼と相成った。いい教訓と思うしかなく、その後の運転が慎重になったことは言うまでもない。

ちなみに、北海道の道はほんとうにまーーーっすぐ。で、時折、草むらにパトちゃんが停まっていることがあるわけだけれど、こちらのナンバーを見てか、たいてい対向車がライトをパッシングして、その危険を知らせてくれたりする。さらに、車の流れがあやしいと感じた時は、たいていそれがいるか、あるいはスピード・メーターが設置されているか、だ。さらに、北の大地では、熊や鹿に気をつけなければならないのであった。

さて、車は札幌を経由して、道央道を北上し、名寄バイパスから音威子府へ。音威子府では砂澤ビッキの美術館に寄ってみるも、既に閉館時間になっていて、今回は見学することができず、残念。

そして空が暮れていくサロベツ原野を左に見ながら稚内へ。月が美しい。

夜7時頃、稚内に到着。一日がかりの移動だ。主催者の方たちと、海の幸がいっぱいのお料理をいただく。水谷君は初日から飛ばし過ぎたせいか、二日酔いか、胃腸の具合が悪いらしく、お酒は一滴も飲まず、食事もほとんどせず、途中でリタイア。

私たちは二次会でスナックへ。でも、10時頃には早々に失礼して、坂田さんが出演されていたNHKの番組(驚異のホッケ柱)を観ながら、洗濯をして就寝。



9月6日(日) 稚内で

ゆっくり眠り、午後1時頃に食事に出る。久しぶりに一人でパンとコーヒー。

演奏会場は舞台が高くなっていて、お客様との距離がとても遠い。が、セミコンのピアノを舞台の下へは降ろせないとのことで、いた仕方ない。ベースアンプを使う以外は、生音で演奏。

その最後に、「稚内まではるばる車で来ると感慨はひとしお。友だちがいるから、ここに来ることができる」。そして、「一番大切なのは友だち」と言う坂田さんに、なんだか少し心が震える。

さらに「あと2〜3回は会いましょう」という言葉に、自分もまた非常に切実な“時間”を感じ、あらためて“今”をかみしめる。

夜は、地元の方たちと打ち上げ。あれやこれやのお寿司やカニなどなど。いかにも港町という雰囲気で、東京にいては味わうことができない、ガラッパチな陽気さのようなものを感じる。かつ、喫煙率がとても高い。店内はモクモクだ。二次会にはフルーツバーというお店に行って、ビタミンCを補給してから眠る。



9月7日(月) 札幌へ

午前10時にホテルをチェックアウトし、少し雨が降っていたノシャップ岬から、すっかり晴れていた宗谷岬へ。

間宮林蔵に思いを馳せながら、いつも帆立ラーメンを食べている食堂がお休みだったので、別の食堂で大きなエビフライをいただく。おみやげもたくさん購入。カルビーが出している北海道限定のお菓子「じゃがポックル」はおいしいのだ〜。

午後1時過ぎに宗谷岬を出発して、浜頓別から南下。再び音威子府でビッキ美術館に寄ってみたが、あいにく休館日でまたまた残念。道央道に入ってから激しい雨に見舞われたが、坂田さんが踏むアクセルは全開。一路、札幌を目指す。

札幌で降りてから、ガソリンスタンドに寄る。水谷号、もうほとんどエンジンオイルがない状態だったことが発覚。よくエンジンが火を吹かなかったものだ。

午後9時頃に、“焼き鳥ジャンボ”に行き、人心地を得る。温かい人情にあふれるお店に、久しぶりに入ったような心持ちになる。夜中の12時頃にラーメンなんか食べちゃって、メタボへの道をまっしぐら。



9月8日(火) 札幌で

午前中、洗濯をしまくって、ランチは近くのイタリアンで済ませる。やけに話しかけてくるおばさんが接待してくれる。古本屋をのぞいたり、パン屋さんでコーヒーを飲んだり。少しゆっくりする時間を持ってから、本番。

ライヴハウス「くう」のマスターたちもお元気な様子。私はこのお店がオープンしたばかりの頃に呼んでいただいているので、とにかくお店が続いていることをうれしく思う。打ち上げはそのままお店で。いつも来てくださるマッサージ師のプロに身体を揉んでもらって、極楽〜。



9月9日(水) 札幌にて

今晩は東京でライヴがあるという坂田さんは、単身、一度東京へ。残された私たちは完全オフの一日。

ということで、ゆったりと時間を過ごす。午前中、再び洗濯をして、ランチにスープカリー“ヒリヒリ”を食べて、その後はひたすら歩く。毎日が車移動なので、実はほとんど運動していないのだ。

目指すは円山公園。その入口にある喫茶店“宮越屋珈琲店”でおいしいコーヒーをいただいてから、原生林として残っている円山公園を散策。とても気持ちいい。そして、白熊の双子がいるという、円山動物園へ。園内の一番奥にある、そのツインズは、さすがに大人気。動物園もなかなか楽しい。

感心したのは、宿泊したホテルにもその募金箱があったけれど、この動物園を地元のみんなで維持して行こうとしている“地域の意識”だった。このことは、今回の北海道ツアーで、とても感じたことのひとつだ。

歩きまわって疲れ果て、六花亭の喫茶店で休憩。店内は広々としていて、お菓子がおいしいのはもちろんだが、コーヒーが無料でおかわりできるのがうれしい。少し雨が降って来た中、ホテルに戻る。夜は誘われていたライヴ・パーティーに行くのを断って、一人で夕飯をとって、静かに過ごす。



9月10日(木) 網走へ

午前中、“銀座屋”でパンと牛乳を買って、北海道立近代美術館の庭園内にあるベンチで朝食。

美術館では、北海道版画協会の創立50周年記念展が開かれていた。金子誠治、佐藤克教、木の瀬博美、金澤博子(シルクスクリーン)、田崎敦子、といった作家の作品が印象に残る。

版画の技法は木版と銅板が多かったと思うが、会場にいた版画協会の人に、新しい技法のことや、その手法による作品のことを尋ねても、ほとんど答えは返ってこなかった。美術の世界は個人の作業だから、基本的に他人のことにはかなり無関心なのだ、とも言われる。

また、その多くは同美術館の常設展で鑑賞することができた、一原有徳さんの作品は圧倒的だった。一原さんは小樽の郵便局に勤務しながら、40歳を過ぎてから美術作品を作り始めた人らしい。

基本的に、モノタイプ(要するに一点物)の作品だが、その中に限りない即興性と一回性を、私なんぞはものすごく感じてしまう。反復することの妙味(元版は同じでも、刷られたものは絶対に同じにならない)も加えて、版画の面白さはやはりそうしたところにあるように思う。

午後、再び札幌に戻ってきた坂田さんを駅に迎えに行き、午後3時過ぎに出発。再び道央道を走る。いったい何度同じ道を走っていることか。

時折、小雨などが降ったりしながら、それでも晴れているような微妙な天気の中、私たちの目の中に飛び込んで来たのは、とっても大きな虹。しかもダブル・レインボウ。自然の光の贈り物をもらった気分。

で、上川ICを降りてから、雨の中、暗い山道を走り、層雲峡を経て、網走へ向かう。結局、着いたのはもう夜8時をとっくにまわっていた頃だったと思う。

夕飯は、到着を待っていてくださった主催者の方たちと。網走へロケに来た映画関係者がよく訪れるという、地元ならではの居酒屋で、おばさんが煮付けてくれていた金目鯛をいただく。美味〜。しじみ汁もおいしかった。

その後、スナックに行ってお酒を飲む。主催者のうちの一人の方は、元は電車の車掌さんだったそうで、そのアナウンスを披露してくれて、笑いころげる。



9月11日(金) 網走で

山の上にあるホテルの窓からはオホーツク海や街並みが一望。それはもうすばらしい景色だ。お昼には山の中のお蕎麦屋さんへ。すこぶる美味。

夜のコンサート(網走ジャズフェスティバル)はいわゆるタイバンなので、午後、早めに会場入りしてリハーサルをする。ピアノはスタインウェイのフルコンだったが、ちょっと気になるところがあって、女性の調律師さんとあれこれ話をする。

本番では、故赤塚不二雄さん直筆の原画が、網走の小学校からみつかったとのことで、私たちの演奏前に、坂田さんはしばしトーク。それからガツンと演奏して、公共ホールにも関わらず、退館時間15分前に演奏が終わるということに。終演後は宿泊しているホテルで軽く打ち上げ。



9月12日(土) 弟子屈へ

いい天気。正午にホテルをチェックアウト後、お昼は今度は海沿いの国道に面したお蕎麦屋さんへ。これもまた美味。

ここ、網走には東京農大があるのだが、途中、その農大の“エミュー牧場”に寄る。エミューというのはダチョウのような感じのオーストラリア産の鳥。ここの従業員さんで、相撲をやっているという方に強く推薦されて、「エミュー油」を購入。決して安くはないが、とにかく筋肉痛にめっちゃ効くというのだ。

その後、道路沿いにあった足湯に浸ったりして、3人とものんびり過ごす。小清水峠からは抜群の眺望。屈斜路湖が目の前に広がる。また、川湯温泉駅の喫茶店にも寄って、コーヒーとケーキ。

弟子屈に着いてから、「牛のおっぱいミルク」という牛乳を飲む。久しぶりに飲んだ牛乳は濃くて甘くて美味。この牛乳は地元の牧場が独自に開発したブランドだそうで、それを地元の人たちが使ったり、売ったりしているそうだ。いわゆる「地産地消」だ。

お世話になるペンションには私たちだけが宿泊。順番に洗濯やらお風呂やら。夜は、主催者の方や屈斜路湖畔に住むアイヌの方・アトゥィさんたちも来てくださって、11時頃まで「地域活性」のことなどについて話し込む。鹿肉もおいしかった。私はほとんど飲めないのだけれど、かたわらを見れば、日本酒の一升瓶はからっぽに。



9月13日(日) 弟子屈で

朝食にいただいた鮭がおいしい。後、もう少し眠ってから、散歩に出る。道端に咲いている小さな花々が美しい。

午後3時に会場に入ると、いつもの調律師さんと笑顔で出会う。会場のピアノは1980年頃のヤマハC7。モノは決して悪くない。でも、私が2年前に弾いてから、一度だけ発表会で使われた形跡はあるものの、かわいそうなことにほとんど弾かれることがなかった様子。でも調律師さんのご尽力をいただいて、気持ちよく演奏させていただく。

会場はよく響くのだが、なにせなんたってサックスの音が一番大きい。ので、少々腕は無理したかも?って、「エミュー油」を塗りませう。

夜はスナックで、スタッフのみなさんと打ち上げ。町議会議員さんや、郵便局長さんや、喫茶店の経営者や、いろんな職業の方たちが、町の振興のために、こうしてみんなで協力しながら、1つのコンサートを実現させていることが伝わってくる。みなさん、すっかり気心の知れた仲間という雰囲気。

二次会は、弟子屈に山下洋輔トリオを初めて呼んだという方がやっているジャズ喫茶“キングコング”という店へ。変わらず店の床はすばらしく傾いていた。水谷君曰く「遊園地のビックリハウスみたい」。深夜1時頃、私はペンションへ戻るも、あとのお二人のご帰還は明け方だったらしい。



9月14日(月) ウトロで

午前10時半頃に朝食。秋刀魚が美味。

正午頃に弟子屈を出発して、斜里を経由、海岸沿いの道路に出て、知床半島のウトロへ。

午後3時頃にはホテルに着き、夕方にリハーサルを済ませて、夜8時頃から約1時間演奏。

主としてホテルの宿泊客を対象にした無料コンサートなのだが、ところがどっこい、みなさん、音楽にとてもよく耳を傾けてくださる。お客様が浴衣を着ていようがなんだろうが、私たちはこういうところで決して手を抜いたり、油断をしてはいけない。

こちとら、「エミュー油」の効果覿面で、指が軽く感じられて、なんだかよく動くではないの。調律師さんからは「弦が切れるかと思った」とまで言われたけれど。おかげさまで、実はツアー中、CDがもっとも売れたのだった。

夜10時頃に夕飯。テーブルにはたくさんの御馳走。これじゃ、毎日、メタボ、だ。深夜、たった一人で、ものすごく広い温泉でゆうゆうと過ごす。極楽〜。



9月15日(火) 釧路へ

午前11時、ホテルをチェックアウトして、アイヌの方がやっている民宿“酋長の家”へ。いきなり訪れて、「何か食べさせてください」と言う私たち。で、いいのか?これでいいのだ、みたいな。ホッケの煮付けやアイヌ料理がとても美味。

お礼というわけではないけれど、お店でたくさんのおみやげを購入。三人、お揃いのムックリもここで入手。アイヌの木彫りのケースに入った、金属製のムックリで、首からぶる下げられるようになっているもの。以降、水谷君はこのムックリで言葉を話すという芸に磨きをかけ続けることになる。

ウトロから、再び弟子屈を経由。渡辺体験牧場で、これまた「牛のおっぱいミルク」を購入しようとしたら、10本もいただいてしまう。なんだか今日は人からたくさんの恵みを受ける日である。

その後、美しい摩周湖へ。いつ来ても、なんとも神秘的な湖だ。ここで「まりもっこりパンツ」を買っていた水谷君は、やっぱりヘンタイ?

そして、屈斜路湖畔にある、やはりアイヌの方がやっている“丸木舟”へ。建物は改装されていて、なんと温泉があるという。いいかな?という坂田さんのひとことで、ここでもまたお風呂をいただく。またもや、いただきもの、だが、ともあれ、ものすごく身体が温まる。

お風呂場は2面のガラスになっている2階の角にあり、立ち上がると、ほとんどルノアールな私は、外からは丸見えになるというおおらかさ。そして夕飯には“野生丼”と名付けられた、鹿肉の焼肉と行者にんにくが入ったご飯をいただく。美味。わおーーーん。野生になっちゃうぞー。

釧路に着いたのは、午後7時半頃だっただろうか。明日演奏することになっている老舗のライヴ・ハウス“ジス・イズ”では、今晩、2階のスペースで落語会があるという。

それで、上方落語の林家卯三郎さんのお噺をたっぷり楽しむ。「時そば」ならぬ「刻うどん」という関西ならではのお噺など。生の落語というのも、とても面白い。

終演後、釧路市内からは車で40分くらい離れている、ジス・イズのマスター曰く“バンガロー”へ。要するに、個人のお宅に泊めていただくわけだが、ここで卯三郎さんたちといっしょに、やんやの大宴会。



9月16日(水) 釧路で

午前11時頃、鮭が抜群においしかった朝食をとってから、バンガローの奥様が「裏山に行きましょう」と言うので、みんなでトヨタ・ランクルででかける。

車一台が通れるか通れないか、というような山道を、奥様はずんずんと運転されている。この道は阿寒へ抜ける道路になる予定だったらしいが、計画が頓挫して、今はもうほとんど誰も通らないという。帰り道の途中で、鹿の親子に出会う。

夜は“ジス・イズ”で演奏。ここのところ体調があまり良くないとおっしゃられていたバンガローのご主人も奥様と来てくださり、最後まで聴いてくださる。うれしいこと、このうえなし。

店内満員状態の中、坂田さんは前半からブリブリ吹きまくり、一人勝ち。私は後半のソロでマスターに富樫さんの曲を捧げたものの、いかにも中途半端な演奏をして猛反省。

終演後、バンガローに戻って、みんなで打ち上げ。坂田さんの知り合いの白糠のアイヌの方たちがくださった毛蟹や生帆立など、すこぶる美味。

午前5時少し前、携帯メールが入って目を覚ます。外を見ると、朝もやにかすむ山々がとってもきれい。



9月17日(木) 鹿追で

午前11時頃、朝食をいただいて、正午頃に出発。白糠を通って、山へ入り、鹿追へ。約3時間の移動。という現実が、楽に感じるようになっているのだから、なんというか、まあ、北海道はほんとに広い。ちなみに、道東では、通称“ムネオ道路”なる高速が、いずれは札幌から阿寒へ通じるらしい。

本番。ピアノは4年前にも弾いたベーゼンドルファー。あの時の印象はものすごくよかったのだけれど、どうやら今はあまり稼働していないらしい。景気が良くなくて、使う人がずいぶん減ったのだそうだ。もったいないなあと思う。

夜は主催者の方たちと軽く打ち上がり、私たちは然別湖畔にあるホテルへ移動。午後10時頃で、すれ違った車はわずか2〜3台という感じ。約30分で到着。ゆっくり温泉につかってから就寝。



9月18日(金) 帯広へ

ホテルをチェック・アウト後、然別湖畔にあるレストランで食事。

その後、“然別湖ネイチャーセンター”で働いている方の指導で、生まれて初めてカヌーに挑戦!水谷君と2人乗りのカヌーで、私が前のほうに座って、後ろに座っている人に水がかからないように漕ぐ。途中、「もう少し一所懸命漕いでください」と言われたりしながら。

これが、もう、めっちゃくちゃ気持ちよかった!湖のほぼ真ん中で大きな声を出して、返ってくるコダマを聴くのも楽しい。とてもリラックスした1時間強を過ごす。

一方、坂田さんはと言えば、遊覧船乗り場の桟橋で、ミジンコ採集に懸命になっておられる。したらば、これまで見たことがない、透き通った青い卵を抱えたミジンコが!とっても美しい。みんなで興奮してわあわあ言いながら、顕微鏡を覗く。

帯広に着き、夕飯を求めて、町をさまよう。ここでミュージシャンの鼻がくんくん。「ここ、どうだ?」と入ったのは、細い路地裏にあるお店“李白”。これが大正解。料理人の手が入ったすばらしくおいしい料理の数々を堪能する。あとで地元の人に尋ねたら、よくそういうお店を探しますねえ、と感心された。

その後、“北の屋台”へ。ブラジル料理を提供しているお店に入り、しばし飲みながら談笑。そこにいたお客様に、ほとんど無理矢理明日のコンサートのチケットを買ってもらったり。こういう時の脅し文句は「明日来ないと、あなたは生涯、後悔しますよ〜」。

ホテルに戻って、再び顕微鏡の世界へ。ヒドラー、がすごい。勝手に伸びたり縮んだりする生き物で、みんなで、わをー、と叫びながら、お酒も飲む時間。夜はこれまたゆっくり温泉に入ってから就寝。



9月19日(土) 帯広で

午前9時頃、ゆったりと朝食を済ませ、散歩にでかける。気持いい天気の中、広い公園を抜けて、ずっと歩き、遅い昼食をランチョ・エルパソでとる。以前挑戦して「?」と感じた豚丼に再び挑んでみたが、やっぱり「?」だった。

その後、北海道立帯広美術館で行われていた「アイヌの美 〜カムイと創造する世界〜」を観に行く。週末ということもあって、もっと混んでいるかと思ったが、訪れている人は少ない。放映されていたビデオも全部観る。それから帯広百年記念館で展示されていた「描かれたアイヌの世界」にも立ち寄る。

アイヌの人たちを縛り続けてきた「北海道旧土人保護法」が廃止されたのは1997年(平成9年)のことであり、さらに国連宣言を踏まえて、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択されたのは2008年(平成20年)のことだ。

恥ずかしながら、私がこうしたことを知ったのは、あるいは意識するようになったのは、坂田さんとの2001年の北海道ツアー以降のことになる。旅をすると、人はほんとうにいろんなことを学ぶと思う。

今晩は最後の演奏。このツアーでは全箇所グランドピアノを演奏したが、ここが一番小さいピアノ。調律師さんのお力を借りて、力を出し尽くす。

打ち上げは駅近くの居酒屋さんで。ここで食べたおでんが美味。さらに、またまたカニとお寿司の山。その後、“北の屋台”へ。

“北の屋台”は、webから一部転載すると、

「自分達の資金と行動力でまちづくりに参加しようという、市民ボランティアで組織された北の屋台ネット委員会から生まれました。実施主体である北の起業広場協同組合は、委員会メンバーで構成。市民の声から生まれた中心市街地活性化事例として、全国から注目をいただいています。」

ということで、現在、、その成功例として、さらに民主党政権に変わったことで、全国から講演などの依頼が殺到しているらしい。

主催者の方はこの組織のトップにいる方で、その方と「地域の活性化」といった話をあれこれする。最近読んだ本で、イタリア・ボローニャのことを知った私だが、この“北の屋台”もそうしたイタリアの組合方式から多くを学んでいるという。

今回、北海道をまわってひしひしと感じたのは、やはりおそろしく景気が悪い、ということだった。はっきり言って、例えば4年前に比べると、私のCDの売上は4分の1くらいだった。ま、私の演奏内容の良し悪しはあるかもしれないけれど・・・。

そんな状況の中、非常に印象に残ったのは、北海道を愛し、少しでも地域を活性化しようと考え、実際に動いている人たちの心意気と背中だった。

この“北の屋台”でも、「地産地消」が推進されていて、どの屋台でも十勝で生産された野菜や肉といった食材を活用することが義務付けられている。

あるいは、ここで飲んだサイダーがものすごくおいしかったのだが、最近、ちょっと盛り返してきている、“ハイボール”よろしく、サントリーといった大企業とうまくタイアップしていく戦略などにも目がひかれた。よく考えられている、のだ。

こうした取り組みが東京でできるだろうか?と思う。東京の西のほうならできるかもしれない?とにかく、地方ならでは、地方だからこそできる、そんな風に感じた。



9月20日(日) 苫小牧から

午前11時、ホテルをチェックアウトして、帯広市内からちょっとはずれたところにある、めちゃくちゃおいしいお蕎麦屋さんへ。

そして、車は“ムネオ道路”から、日勝峠を越えて、夕張から道央道を経て、苫小牧へ。暮れていく港の光景が美しい。

苫小牧から出発する大型フェリーで一泊。台風の余波を受けて、少し波が荒れて船は揺れるかもしれないという館内放送が、私たちを脅す。

コンビニでおつまみなどを買い込み、当然、お酒も持って乗船。さらに、ウノとトランプも。

北海道ツアーの時は、いつもたいてい帰りはフェリーを使うのだけれど、今回の商船三井フェリーはこれまで乗ったフェリーと全然違う感じ。どう思い出しても、こんな立派なレストランはなかったと思うのだ。なかなか快適。部屋は二段ベッドが二つと、小さな座敷、テレビもあり、入口には洗面所がある。ここで3人で約19時間の船旅である。

夜、ジャケットを着て、みんなで甲板に出て、長い時間、ずっと星空を眺める。満天の星。「天の川も見えるよ」と教わる。沿岸の灯りも美しい。こんな時間はなかなか味わえない。

それから部屋に戻って、うれしいギャラの分配。もうほとんど「ドンバ」の世界だ。そして、次にやってくるのは、楽しい時間。近年は、私はフェリーに乗る時にしかやっていないポーカーを3人でやる。結果的にはおそらく坂田さんが勝ったと思うが、最後は私の手元にカードはいっぱい。うひゃひゃひゃ。



9月21日(月) 帰京

朝食はバイキング。昼食はカレー。なんのかんので、午後2時頃、ほぼ予定通りに大洗に到着。常磐道経由で、まずは坂田さん宅へ。荷物を積み替えて、少しだけ休んで、水谷号は私の家へ。連休、さらに中央道は事故で、帰りの道は渋滞。坂田さんの家から私宅まで2時間余りもかかってしまった。かくて午後7時頃帰宅。

おつかれさまでした〜。って、疲れたあ・・・。

今回、北海道ツアーでお世話になった方々に、心から御礼申し上げます。もちろん、坂田明さん、水谷浩章さんにも。




9月22日(火) パンパン

夕方、整体に行って、「パンパン」と言われた身体をほぐしてもらう。生き返る。



9月24日(木) 今宵は

太田惠資(vn)さん、翠川敬基(vc)さんと、黒田京子トリオでライヴ。

今宵、とてもいい演奏だった。



9月25日(金) 今を

夜、南大沢文化会館・交流ホールで、澄淳子(vo)さん、吉見征樹(tabla)さんと演奏。『ユニーク・ジャズナイト!』と担当者によって命名されたコンサート。公共ホールにしては珍しく、ホール内で飲食ができるので、お客様たちは気軽な感じで音楽を楽しむことができる。

出だし、澄さんはアカペラで登場。次に吉見さん、私、という順番で、音が重なっていく演出を彼女が考える。昭和の歌謡曲、'60年代ポップス、童謡、ジャズのスタンダード・ナンバーなど、バラエティ豊かに選ばれた曲が歌われる。間の澄さんのユーモアのあるおしゃべりも楽しく、会場は温かい雰囲気に包まれる。

その声も、下のCまで、太く、深く響き、もちろんタブラの音は今日も冴えわたる。会場が円形で、スピーカーが上のほうにあるので、音響はちょっと難しいところがあるが、客席の作り方をもっと工夫すれば、とても面白い空間になる。もっといろんなことができるホールだと感じた。

澄さんと私の出身校の、当時お世話になった先生も来てくださって、たいへんうれしい。今や、その学校の校長先生になっている方だが、澄さんのMCに応えて、「色気あるぞー」なんて笑いながら言う先生は、なんてすてきなんだろう。

澄さんの歌は、いつも“今”を生きている。歌っているうたはすべて古いうただが、彼女はそれを今に生きるものとして、生かすべきものとして、自分の言葉と解釈(アレンジも自分でやる)で歌っていると思う。彼女との付き合いは実はとても旧いのだが、今でも時々こうして共演できることを、私はうれしく思う。



9月26日(土) たまごやさんで

埼玉・深谷にあるエッグ・ファームにて、喜多直毅(vn)さんとデュオで演奏。ピアノはニューヨーク・スタインウェイのフルコン。天井が高く、弦楽器の響きの良いところで、二人とも生音で演奏する。この空間は彼によく合っている。

その広い空間で、喜多君は自由に飛んだり跳ねたりしながら演奏している。顔もイッている。他にも、いろいろな奏法を試みている。それにしても、彼と出会った頃のことを思うと、その演奏の身体性、演奏する姿は、ほんとうに大きく変わったと思う。

今日は彼が新曲を3曲提案してきた。最近、シャンソンなどを持ってくることが多い。このレオ・フェレがうたうフランス語の歌を、ヴァイオリンでどうやって演奏するのだろう?と思ったりもしたが、彼は見事に歌っている。というか、語っていた。擦弦楽器の妙だとも思う。

昨年出したCDのタイトルが「空に吸はれし心」であることからもわかるように、彼には言葉、文学、歌、はとても大切な位置を占めている。

否、そんな浅薄な言い方は許されないだろう。彼はその曲が底のほうに、あるいは奥のほうに抱えているものをぐさっとつかんで、それを喘ぐように表出しようとしているように感じられる。私はそれをピアノでぐわ〜っと全体を持ち上げているような感じ?

二人でどっかに行った。
そんな気がした。

いいコンサートだったと思う。



9月27日(日) ネガ

それぞれ音楽の内容が異なる、濃い三日間を終えて、なんだかやっとひと息ついた心持ち。町へ出て、買い物をしまくる。何を思ったか、珍しく赤いカットソーも購入。

ツアーの写真、私はいまだにデジカメを使わず、アナログなネガ・プリントのものを使っている。んが、これ、今はもうほとんど需要がないらしく、これまで頼んでいた近くのお店では取り扱わなくなってしまった。

ので、写真屋さんに行ってみれば、24枚撮りの同時プリントで約1200円もかかる。普通のカメラが普及していた頃の2.3倍くらいの値段になるだろうか。やれやれ。

(後日、同時プリントで、同日仕上げでなくてもよければ、約800円くらいで済むところがあるのを発見。だとしても、やっぱりずいぶん高くなったものだ。)



9月29日(火) ヘン

午前中、健康診断に行く。いつも行っている所がたいへんな混雑だったので、初めて訪れた近所の病院だったが、なんとなく先生がヘンな感じ。ありゃ、絶対ヘンタイだ。多分、もう行かない。

夜、喜多直毅(vn)さん、北村聡(bandoneon)さんとライヴ。つい何日か前に、喜多君とはよく響く会場で演奏したばかりだったので、その響きのあまりの違いに、身体の感覚がちょっとへんな感じになる。



9月30日(水) やっとDM

午後、ボケ予防運動と称して母にも手伝ってもらい、コンサートのおしらせなどのDMをやっと出す。120通余りになるから、これでもけっこうたいへん。これだけの費用と時間をかけて、それに見合うインカムがあるかと問われれば、そういうことはなく。とほほ、なれど、みなさんに聴きに来ていただきたいのだから、やる、しかない。これも仕事。






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