7月
7月2日(木) 腰が

ツアーから戻ったら、即、整体。ということで、夕方、整体に行く。腕はそうでもなかったと思うが、やはりぎっくり腰が少々残っている状態で旅に出たためか、腰がやばい。って、また旅に出るから、身体のメンテナンスはかかせない。



7月3日(金)〜7日(火) ペルソナ・ツアー

カルメン・マキ(vo)さんのCD『ペルソナ』の発売記念、そしてマキさんのデビュー40周年を記念したコンサートが、7月に組まれました。まずは、マキさん、太田惠資(vn)さんと三人で、ちょいと九州、関西方面へ。



7月3日(金)

午前中の飛行機で福岡へ向かう。そこから小倉へ出て、さらに戸畑という駅に直結しているホールで演奏。ピアノはほとんど弾いたことがないカワイのフルコン。倉庫にはスタインウェイのフルコンの御姿あり。夜は北九州小倉の旦過市場の中にある小さなお店で打ち上げ。

主催者の方はとてもたくましくしっかりしている女性で、路上生活者のためのNPO法人にも関わっておられるという。責任感も強く、非常に社会意識の高い方だった。決して大きくはない身体で、精一杯がむばっておられる姿が心に刻まれる。



7月4日(土)

新幹線で姫路駅で乗り換え、JR塩屋駅から高台の方へ歩いて5分くらいの所にある、旧グッゲンハイム邸へ。

この建物は1909(明治42)年頃に造られたものだそうで、今年でちょうど100年を迎えるそうだ。異人館という言葉がぴったりくるような、この歴史的な建物は、音楽のみならず、様々なパフォーマンスにも開放されながら、維持管理されているという。これまで様々な人の所有になったらしく、隣接した所には建て増しされたアパートがあり、その1階は共同スペースになっているのも面白い。

ピアノはもともと大阪・ブリッジにあったものだそうだ。PA設備はごく簡単なものがあって、モニターはないので、サウンドチェックに多くの時間を割く。また、部屋が2つに分かれているため、座っている場所によって、音楽の聞こえ方がまったく異なる。ともあれ、演奏する方も、お客様にも、もっともいい状態で音楽が聞こえるようなセッティングを模索する。

夕飯を塩屋駅の近くのお好み焼き屋さんですませる。少々酔っ払ったおじさんにマキさんはちょっと絡まれる。「私はカルーセル麻紀ではありません」。これまでもきっといろんな目に遭われているんだろうなあと思う。

この日は大勢のお客様に足を運んでいただいた。夜は海風が心地よい旧グッゲンハイム邸で一杯。それから明石駅近くにあるホテルまで車で送っていただく。太田さんとツアー・マネージャーの大木さん(今回の一連の『ペルソナ』ツアーのプロデューサー/下北沢・レディージェーン店主)は、グッゲンハイム邸に宿泊。

ホテルに着いてから、部屋を取り替えてもらう交渉をしていたら、マキさんもまた部屋を変えてもらうために階下へ降りて来られていた。いやはや。



7月5日(日)

入り時間まで明石駅周辺を散策。「玉子焼き」に行列ができているので、何だろう?と思ったら、いわゆる「明石焼き」、ダシ汁に付けて食べる「たこ焼き」のことだった。

海の方にも行ってみる。そのままフェリーに乗れば約15分くらいで淡路島に渡れたのだけれど、そこまで観光している時間はなく、引き返して魚市場へ。そこでお兄ちゃんやおばちゃんにひっかかる私。かくて、そっか、このツアーはめでたいのだ、ということに気づき、お頭付きの鯛、明石のタコ煮などを買い込む。もちろん打ち上げでみんなで食べるためだ。

今日は昨日に比べてお客様は少なかったけれど、小屋の全体の響きや、お客様と私たちの距離も、いい雰囲気だったと思う。



7月6日(月)

マキさんや太田さんたちとは別行動で、単独で京都入り。正午過ぎには着いてしまったので、以前連れて行ってもらったことがあるフランス料理のお店に行ってみる。地元の人といっしょでなければ入れないような路地の奥にあるのだが、やっぱりちょっと勇気を出して行ってみて大正解。シェフ1人で料理を作っているお店だが、ランチもすこぶる美味で、全然手を抜いていない。大満足。

それでもまだホテルのチェックインまでには時間があり、あちこち散歩する。

京都では磔磔 (たくたく)で演奏。アップライト・ピアノの様子がなんだか以前と違うと思ったら、入れ替えてからまもないという。うれしい。私の勘違いで、調律師さんとお会いできなかったが、お名前を伺ったら、以前にも何度かお世話になった方だった。会えなくて残念。

PAの方が丁寧に対応してくださって、お客様は少なかったものの、とてもいい感じでライヴは終了。

終演後、お疲れになったマキさんはホテルに戻り、太田さん、大木さんと深夜遅くまで、ホテル近くのイタリアンで話し込む。



7月7日(火)

出発はそれぞれバラバラ。私は以前TシャツやGパンを買った、和柄を取り入れているお店に足を運ぶ。ここでまたしても散財。ギャラより高いお買いもの(?)をして、帰京。




7月9日(木) 身体メンテ

午後、太極拳の教室へ。

「練功十八法」の後段に入る。かなりきつい。前段と異なり、難度がとても高くなっている。就いていくのに必死だ。これから年齢を重ねていくとやばくなっていくであろう各関節が柔軟性を失っていることを感じる。こりゃ、たいへんだ。

夕方には整体へ。とても長くやっていただき、身体は軽くなった。



7月10日(金) 再び仙川

午後、突然、小学校の時の友人から連絡あり。近くのファミレスでランチする。したらば、宗教の勧誘を受ける。今のところ、まったく興味がない。ので、ごめんなさい。

この歳になると、何年も音信不通だった友人から突然連絡がある場合、たいていは借金の話か、宗教の勧誘か、選挙に絡んだ政治的なお願いか、だいたいそんなところになるのだろうか?

夜は調布・仙川にあるせんがわ劇場で、カルメン・マキ(vo)さんのコンサート。太田惠資(vn)さんと3人で。午後3時に会場に入ると、ピアノの調律の最中。ここでもまた“辻ボード”(ピアノの3本の足の下に敷かれている、辻さん特製のインシュレーター)がすばらしい威力を発揮するのは、去年の秋に実証済み。

お客様はちょっと少なかったけれど、いいコンサートだったと思う。あとで、母校の現役の校長先生が来てくださっていたことを知る。ほか、高校の時の友人たちも何人か。感謝。



7月11日(土)〜12日(日) 大田原

坂田明(as,cl)さん、佐藤有介(b)さんの3人で、栃木県大田原市へ。新幹線の那須高原駅で下車し、車で約30分くらい走った所に突然現れる近代的な建築物内にあるホールで演奏。このコンサートは、この地がご出身だという中村達也(ds)さんの同級生の方たちが企画されたもので、私は坂田さんのメンバーとして演奏に参加した。

ホールはどちらかというとクラシック音楽専用という感じ。生音の響きは気持ち良い。こういう場合、もちろんサックスの音が一番大きいのだけれど。

夜は打ち上げ。親不孝通りと呼ばれている歓楽街の一画にある、カラオケ・スナックにて。みなさん、意気揚々と歌っておられる。私は途中で患っている耳がしんどくなり、早々に退散させていただく。



7月13日(月) リハーサル

午後、喜多直毅(vn)さん、齋藤徹(b)さんとリハーサル。喜多君の曲をテツさんと演奏するとどうなるか、楽しみ。



7月16日(木) 瀬音

夕方、突然思い立って車を飛ばし、武蔵五日市の奥にある秋川渓谷“瀬音の湯”に向かう。お湯はちょっとぬるぬるしている。露天風呂はそこそこの広さ。木々を眺めることができ、かなかな蝉が鳴いていたのがよかった。ただ、建物の設計がイマイチ?お湯からあがった後、なんとなくゆったりできない感じ。

帰り、武蔵五日市駅のところで右折するのを忘れ、暗闇の中をそのままどんどん走っていく。・・・明らかに山を登っている。むむむ、これはおかしいと気づき、もとの道へ引き返すことに。そのまま行っても青梅辺りへ出られたのだろうけれど、怖かった〜。カーナビもETCも、まだ付いてないアナログ車なのだ。



7月17日(金) 60回目の

夜、大泉学園・inFにて、黒田京子トリオで演奏。今日はお店の誕生日でもあるのだが、店主によれば、私たちの出演は今日でちょうど60回目とのこと。振り返れば、2003年に一度演奏して、2004年からほぼ毎月一回は演奏してきているから、そんな勘定になるのだろう。この3人でよくやり続けて来ているものだ。なんとも感慨深い。

私たちからはお店にお菓子をプレゼントし、お店の方からはエーデルワイスの鉢植えをいただく。



7月18日(土) 花火

岩波ジュニア新書『表現する仕事がしたい!』を購入。おおたか静流(vo)さんが文章を寄せていて、それはとても心を打つものだった。彼女が幼稚園の時に直面した生と死が、その歌の奥底に響いていること、様々な色彩を放つ「祈り」に通じていることを感じる。

夜は久しぶりに調布の花火大会へ。妹たちが椅子&テーブル席をリザーヴしてくれていて、そこでちょうど1時間くらい、約12000発の花火を、耳栓をしながら堪能する。見事だった。不景気な世の中にあって、この花火大会は、出資している地元の企業や多くのボランティア・スタッフによって成り立っていることにも思いを馳せる。



7月19日(日) イカ墨パスタ

午後、友人が手伝いに来てくれて、庭の草むしりにいそしむ。汗だく。夜はイタリアンで食事。どのお料理もなかなか美味。特にイカ墨パスタはとても甘く、おいしかった。



7月20日(月・祝) 全員集合

甲府・桜座にて、カルメン・マキさんのライヴ。この甲府のみ、レコーディング・メンバー全員が揃うとあって、東京からも友人たちなど大勢の人が聴きに来てくださる。太田惠資(vn)さんのほかに、吉見征樹(tabra)さん、佐藤芳明(accordion)さんが加わり、緊張感のある演奏の中、マキさんも声がノっている感じで、とてもいいライヴだったと思う。

夜は近くのラーメン屋さんで打ち上げ。いろいろ美味〜。深夜になり、私は泊まらず、車を運転して帰京。途中、別のICから乗ってきた、デザイナーさんが運転する大木さんと芳明君が乗った車と遭遇。その後、抜きつ抜かれつのバトル(?)に相成り、普段はあまり出さない速度ですっ飛ばしてみたりして。



7月21日(火) 兄と弟?

大泉学園・inFで、喜多直毅(vn)さん、齋藤徹(b)さんと演奏。喜多君は思いの丈を、自身が奏でる音やテツさんに、全身でぶつけている感じ。思えば、喜多君、よくぞここまで喜多、じゃない、来たものだ、と思う。とても感慨深い。

かくて、喜多君は最近の彼にしては珍しく遅くまで残り、あれやこれやと話し込む。よっぽど楽しかったのだろう。テツさんと喜多君の出会いのきっかけを作ったのは私ということになるが、なんというか、テツ兄とナオキ弟の間で、時にはおろおろ、時にはにやにやの私、という感じだろうか。かくて、車を運転している間に夜が明けそうな感じの時刻に帰宅。



7月22日(水) 皆既日食

世の中は皆既日食。東京の空は曇っていてよくわからず。私はテレビで鑑賞。生きて、次、を観ることはないだろうなあと思う。



7月23日(木) 歩型

午後、太極拳の教室。今日は“歩型”。これがまたえらくたいへん。足腰は鍛えられると思うが、その前にへこたれて倒れそうだ。



7月25日(土) つぼくろりん

大泉学園・inFにて、壷井彰久(vn)さんと、はじめまして、こんにちは、のデュオでのセッション。曲はそれぞれ持ち寄りで、本番前にリハーサルをして臨む。

ちなみに、壷井さんはこのお店の出演が、今日でちょうど100回目になるとのこと。それでお店には花籠などが届けらていた。愛されているのねえ。なんともうらやましい限りの人気ぶりでござる。

提案した自作曲はかなり古いものも持っていったのだが、壷井さんにはやはりよく合っていたと思う。このデュオは何か非常に危険だとか、気が狂ったようだとか、思いがけないことが起きるとか、そういう感じではなく、むしろ予定調和的と言ってもいいかもしれない。おそらく彼と私は資質が少し似ていると感じた。

そして、なんとも独特なやわらかくて懐の深い世界観のようなものがふわ〜っと匂い立ったような感触も残った。それは彼が演奏した楽器、すなわち五弦のエレクトリック・ヴァイオリンが2丁、生ヴァイオリンが1丁、これら3つの楽器を選んだ壷井さんが、なによりもそのやさしい彼の音色が創り出している世界のように思われる。

遅刻するのが好きで、時折理解不能な言葉で歌をうたうヴァイオリニスト、ヴァイオリンのコマを割ったり弦を切ったりするのが得意なヴァイオリン奏者・・・、そうした人たちと共演する機会が多い私にとっては、、壷井さんはもうほとんど紳士的と言っていい。それぞれほんとうにすばらしい個性を持った奏者たちだと思う。



7月26日(日) やけくそ花火

夜、東京競馬場の花火大会に行く。ちょうど30分間、6000発が、競馬場の真ん中の所から打ち上げられる。

午前10時半には席取りをしてくれた友人の言葉に甘えて、夜7時頃にのこのこでかけたら、どうやら席が奪われている様子。そこでちょっと一悶着あった。なんとなくアキバ系の男性が一人でぽつねんと、でもじめっとした感じで座っていて、多分他人とコミュニケイションをうまくとれないタイプの人間ではないかと直感され、あまり話をする気がなくなった。

ってなこともあったけれど、まんず、おかまいなしに花火は打ち上げられる。スタンド席にいたので、もっと下のほうに座っている人たちもたくさんいて、そこにはケータイのカメラやデジカメの青白い花がいっぱい咲いている。あーあ、時代だなあ、と思う。

また、ここの花火は打ち上げられている間、ずーっと音楽が流れている。花火に音楽は必要か?おおいなる疑問。

観ることも、聴くことも、つまり「感じる」ことには、その場や空間、さらに時間の中にいるという、大きな空気のようなものも大切だと私は思っている。でなければ、私たちのような仕事は成り立たない。

だから、こんな風にデジカメに風景を収めて見たり、花火そのものの音ではなく、“コラボレーション”とやらの音楽を聞く(聴く、ではない)というような、いわば鑑賞をパッケージ化することで、何かを感じたような気になったり、納得したような気分になるのは、どうしても感じることの本質から遠いことのように思えてならない。こういう状況は貧しい感性しか育てないのではないかしら?と思う。

最後のほうの花火はナイアガラのようになって、これでもか、これでもかとたたみかけるような、ほとんどやけくそかと思うような勢いで、どんじゃか打ち上げられていた。フィナーレはなかなか圧巻。

終了後、こんなところにこんなバーがあるのね、というお店で、みんなで乾杯。バジル(ハーブ)がよくきいているお酒がさわやかでおいしかった。



7月28日(火) 夏場所

大泉学園・inFにて、“太黒山”で演奏。

山口とも(per)さんが首に締めていた緑色のネクタイがすてきだった。彼はいつも古着屋さんでいろいろみつけてくるらしい。



7月29日(水) 迎賓館見学

午後、暑い日差しが照りつける中、抽選に当たった迎賓館の見学に母と行く。ちなみに、修復作業を経て、迎賓館が一般公開されるのは4年ぶりのことらしい。

入口で持ち物検査などを受け、バッジを付けて入場する。彩鸞の間、花鳥の間、2階大ホール、朝日の間、羽衣の間、と館内を見学。ラジカセから聞こえる案内放送のほかに、各部屋ごとに説明係の人たちがいて、丁寧に話をしてくれた。どこの部屋も実に豪華だが、過剰な雰囲気はあまり感じられず、むしろ職人の技や工夫が凝らされていることに感心する。

そして、これらの部屋の中で、私がもっとも気に入ったのは、羽衣の間。3基のシャンデリアはもっとも豪華なもので、高さは約3m、重さは約800kgもあるという。その飾りには人の顔があしらってあったり。また、壁には楽器や楽譜などをあしらった装飾が施されていた。すてきだなあと思ったのは、それらのどれひとつとて同じものがなかったことだ。さらに、正面の中二階にはオーケストラ・ボックスがあった。舞踏会などをやるために造られたとのことだったが、実際は音楽が演奏されたことは一度もないらしい。

中庭なども自由に散歩することができて、なんとなくちょっと優雅な気分になる。東京にも空がある、と感じた時間。

その後、四谷三丁目まで歩いて、パフェがおいしいという果物屋さんがやっているお店へ。噂にたがわず、すこぶる美味。久しぶりにパフェなどというものを食べたが、これはおいしい。スタンプカードをもらってきたものの、季節ごとに行かないと満杯にならないから、どう考えても記念品をもらうには1年以上はかかるぞ。

夕飯は代々木へ出て、“ビストロひつじや”に。マッシュルームのスープはめちゃくちゃ塩辛く、血圧が少し高い母には残すように言ったが、気がついたら全部きれいになくなっていた。ほか、ちょっと脂っぽかったかなあと思ったが、元気に食べることができている母をうれしく思う。親孝行の一日。



7月30日(木) 座・高円寺

座・高円寺(ホール2/区民ホール)にて、カルメン・マキ(vo)さんの『ペルソナ』コンサートの最後。今日は太田惠資(vn)さんのほかに、佐藤芳明(accordion)が加わって、4人での演奏。

この座・高円寺はまだできてまもなく、ピアノも新品。小屋は音楽用には造られている感じではなく、ほとんど響きがない。音作りはかなり難しいと感じた。天井に吊り下げられている照明はかなりの数になるから、基本は芝居用なのだろうか。とはいえ、舞台袖や奥はかなり狭かったけれど。

今日は詩の朗読から始まる。これまでになかったやり方だ。幕開けの演出も提案されたマキさんは、なんとなく気合いが入っている感じ。また、佐藤君が加わることで、全体のサウンドは少し変わり、マキさんの歌の世界に別の色合いが加味された。

終演後、かつて関わっていた劇団の人たちと会う。また、おそらく15年ぶりくらいに、蘭妖子さんに会う。斉藤徹(b)さんに声をかけていただいた演劇で、何度かごいっしょしたことがある、寺山修司さん率いる天井桟敷にいた女優さんだ。ほか、マキさんによれば、唐十郎さんや、新宿梁山泊、天井桟敷に関わった人たちなど、演劇に携わっている人たちが多数足を運んでくださっていたらしい。

最後は焼き肉屋さんで乾杯。この一ヶ月、ほんとうにおつかれさまでした〜。



7月31日(金) ああ、利根川の鰻

横浜・ドルフィーにて、喜多直毅(vn)さん、北村聡(bandneon)さんと演奏。

演奏前の腹ごしらえに、北村君が「鰻が食べたい」というので、付き合うことにする。“利根川の天然うなぎ”ということで、なかなか立派なリッチな夕飯になってしまった。が、あとでお互いに顔を見合わせた時、「あれで、あの値段は、ねええ?」という意見の一致を見た。

金曜日ということもあってか、けっこう多くの方に足を運んでいただいてうれしかった。喜多君と北村君、個性がかなり異なる二人だと思うけれど、なんだか面白い。今後、この三人のための曲がもっと増えていくといいんじゃないかしら?とバンマスに伝える。






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