3月
3月1日(日) 季節その1・申告

確定申告の準備。耳を患ってから定期的に整体に通っていることもあり、今年もまた医療費控除を受けることに。貧乏このうえなし。



3月2日(月) 季節その2・花粉

強い風に舞って、花粉が飛んでいる。ということがわかるようになってしまった。去年あたりからだろうか、朝起きぬけに必ずくしゃみが出るようになった。あーあ。



3月3日(火)  バルーニカを見た

夕暮れにふと思う。

世の中に譜面というものが出現して以来、人は譜面を見ながら演奏することを覚えた。何事にも良い面と悪い面とがあると思うが、譜面を見ながら演奏したり歌ったりすると、どうも肝心の音楽が人の心に届かないような気がしてならない。そう言いながら、自分も譜面を見ながらずいぶん演奏しているじゃない?と思うけれど(苦笑)。

そして、眼線は大事。特に歌手やフロントに立つ演奏者。眼線が定まらず、目が泳いでいたり、自立せず他の演奏者を頼って立っていると、言葉も音もそこに漂うだけになる。何か大切なことが伝わらない。

家の近くでライヴがあることを、たまたま発見。夜は雪が降るという予報の中、ちょっと行ってみる。以前、歯医者の帰りに何度かランチに入ったことがあるお店で、どうやらライヴをやるのは初めてらしい。

昼時はいつも子供づれの若いお母さんたちでいっぱいで、そんなつながりなのだろうか、今夜のライヴは、中川ひろたか(vo,g)さん、大友剛(vo,el-p,鍵盤ハーモニカ)さん、野々歩(ののほ)(vo)さん、という、自称“名も無きバンド”(笑)。

中川さんは子供のための歌の作詞や絵本の詩を書いたりしている方。以前より、妹が勤めている絵本の会社から出ている本を読んでいて、そのお名前は存じ上げていた。ちなみに、彼のレーベル(ソングレコード)の演奏には、太田惠資(vn)さんやサキソフォビアなども関わっている。

大友さんはおおたか静流(vo)さんとも活動されているご様子。幼稚園や子供たちを相手にしたコンサートなども数多く手掛けているようだ。野々歩さんは「ロバの音楽座」のリーダー・松本さんの娘さんとのこと。

その大友さんが演奏していた、タカハチペチカさんが作ったという「バルーニカ」という創作楽器。これがなかなかよろしあるね(笑)。鍵盤ハーモニカの吹き口に風船をかませたもので、仕組みとしてはバグパイプ。浮き輪やビニールプールをふくらます“空気入れ”を足で踏んで、風船に空気を送り込む。初期は口で風船をふくらませていたらしいので、息が切れて大変だったらしいが、この作り方だと肺活量が少ない人でも楽に演奏できるとのこと。世の中、山口とも(per)さんのみならず、ほんとにいろんな人がいるものだ。

うたが中心のライヴだが、途中でソロ・コーナーがあり、中川さんは自身の絵本の朗読を、大友さんはマジックを披露してくださる。別名“ピアニカ王子”とも呼ばれているイケメンの大友さんは、手品もできるピアニスト、なのだ。うーん、そういう手があったか(笑)。

終演後、ちょっとお声をかけさせていただく。したらば、びっくりされたご様子で、なんでも昨晩ちょうど私の話をしていたところだという。ということで、このお話の続きはエイプリルフールの時に(笑)。



3月4日(水) 酸欠

夜、大塚・グレコで、喜多直毅(vn)さん、北村聡(bandoneon)さんと演奏。超珍しいことに、二階のサロンに20人近くの人がいらしてくださった。酸欠状態にて、うれしいかぎり。喜多さん、北村さん、若い二人の大人気かな。プログラムは曲が中心。この3人で初めてピアソラの曲もやった。



3月5日(木) 立身中正

午後、太極拳の教室。五功を中心に指導していただく。終わってからお茶をしている時も、今日はずっとそうした話を伺う。いっしょにやっている人の中に、桐朋音大のピアノ科を卒業した大先輩がいるので、おのずと演奏法の話にもつながる貴重な時間。でもって、頭の中の知識のようなものだけはてんこもりになった。されど、この身体はまだまだ。とほほ。

「立身中正」
立っている時の姿勢。重要なのは身体の前面の力を抜いて、後ろの感覚を把握して背骨を真っ直ぐにすること。頭の先から尾てい骨までしっかり真っ直ぐにして、それから緩める。この「緩める」というのは、伸ばした状態をキープしながら余分な力を入れないということ。

「これができるとと立身中正になります」とは先生のお言葉なり。されど、このことが感覚でわかるようになるには、まだだいぶ時間がかかりそうだ。

例えば、ピアノをまったく弾いたことがない大人に、右手の5本指だけで、つっかえることなく、ドレミファソラシドという音階を弾いてごらんなさい、と言っても、まず弾けない。さらに、半音上げたところからドレミファ・・・と言ったら、まず絶対弾けない。

こうした指の動きを「運指」というが、自分は既に無意識のうちに動かしている。という風には、自分の太極拳はまだ全然ならない、ということに等しいだろう。

その他、ここのところ「意識」ということも頻繁に出てくる。考えることに集中すると、動作は止まってしまう。また、ある一点だけに意識を集中すると、他が自由に動かなくなる。また、「一動全動」ということも。他にも、ある方向へ動こうとする時に、一部だけを動かすのではなく、身体全体を使う、などなど。・・・ふむふむ。



3月6日(金) 雨の三鷹

また、雨。三鷹・ブルームーンで、澄淳子(vo)さん、伊勢秀一郎(tp)さんと演奏。ここで演奏するのは確か3回目だったと思うが、いつも、雨。

白肌も肩もあらわに、網タイツ姿の淳子さんは相変わらず麗しい。体重の増減を繰り返している私はたしなめられる。もっと体重を減らして、セクスイ〜になりなさい、と(苦笑)。



3月8日(日) 必殺シリーズ

昨日半日かかって掃除した家で、気分良くベートーヴェンと向き合う。ペダルは一切踏まないで練習する。が、モーツアルトもそうだが、練習しているうちに、ごまかすことができないという強迫観念に徐々に襲われる。譜面に書かれている一個一個の音、そのすべてを指がきちんと歌っていないと、曲が壊れる。困った。

それはともあれ、土・日曜日は時代劇チャンネル『必殺仕事人』が観られないのがさみしい。

先月まで放送されていた「シリーズ4」。中村主水(もんど)はご存じ、藤田まこと。奥さんはりつ(白木真理)、母上は管井きん。なんでも屋の加代(鮎川いずみ)、医者を志している学生の順之助(ひかる一平)。その順之助を追い回すオカマ役の男性も毎回彩りを添える。

そして、飾り職人の秀(三田村邦彦)、三味線屋の勇次(中条きよし)が活躍する。「シリーズ5」では、秀と勇次に代わって、花屋の政(村上弘明)、組紐屋の竜(京本政樹)が登場する。

悪い奴らの命を仕留める“殺し”のシーンは、水戸黄門の如く、ワンパターンといえばそれまでだが、まあ、なんて格好良いこと。当時20代だったという、細身の秀や政が闇夜の中を走れば、若い女性はワー。めちゃくちゃ艶っぽい勇次や竜が流し目なんぞをした日にゃあ、若い女性はキャー。というのがすごくわかる(笑)。

その格好良さだけではなく、なんたって中村主水の情けなくユーモラスな婿養子ぶりが、いい。この日常的なユーモアが悲惨な話や殺しを救っている。

ちなみに、「シリーズ5」で、仕事人全員が集まって仕事料を分配する時に流れている歌は、京本政樹の歌で「哀しみ色の…」 というらしい。これが悪くない。めったにやることはないカラオケのレパートリー第二曲目にしようかしら(笑)。

ちなみに、両シリーズともに、少しだけ、おりく(山田五十鈴)が登場する。これがまあなんとも美しい。もうああいう居ずまいの女優は出てこないだろうなあ。




3月10日(火) 二つのバンドネオン

意を決して、美容院に行く。その美容院の美容師さんと初めて出会ったのは、おそらく20年前くらい。ここ5年くらいは全然行っていなかったのだけれど。とにかく、あらかじめ予約をして決心をしないとなかなか行けない。だって、カットして染めてパーマをかけて、やっぱり4時間半近くかかるのだから。4800円もするというシャンプーも買ったりして、費用も3万円を超えるのだもの。そうおいそれとは行けましぇん。

行かない間に、店舗が一件増えていて、新しいほうに足を運ぶ。店内のBGMはレゲエかジャズ。他のは聴かない、これしかかけない、という。そして左右に4つのJBLのスピーカー。近年ますますオーディオにも凝り始めたとのこと。左右のスピーカーの位置(高低)が異なることもあって、どうも音質がちょっと違って聞こえてくる。ともあれ、ああ、泥沼の道ではないの(笑)。それで、岩手県一関・ベイシーに行くことを勧める。

夜は調布市文化会館たづくり・くすのきホールにて、小松亮太さんの“プレミアタンゴライヴ”に行ってみる。副題に「超スタンダードへのトリビュート」とある。なんでも、タンゴの超有名曲に挑戦する、ということらしい。

ただ、私がこのコンサートに関心を持ったのは、若干邪道な動機から。現在共演している喜多直毅(vn)さんと北村聡(bandoneon)さんが出演するということで、この二人がどういう演奏をするのかを外からちょっと聴いてみたかったのだ。

そんな私にとってもっとも興味深かったのは、やはり二人のバンドネオン奏者が舞台にいた時。北村さんは小松さんの弟子にあたる20歳代の若き演奏家だが、この二人の演奏姿勢、身体の使い方、足さばき、蛇腹の開き方、呼吸、音色など、ずいぶん違っていた。なんてことを書くと、またマニアックな、と誰かに言われそうだけれど、仕方ない、今の私はそういうことに非常に興味がある。なんたって、人間が音楽を奏でているのだから。

何の因果か、このお二人と演奏する機会に恵まれた、元々はジャズ出身の私なわけだけれど。喜多直毅(vl)さんがライヴの時に北村さんによく言っている「マスクがとてもよく似合う」ということが、まったく似合いそうにない小松さんという点において、このことはほとんど両者が抱えている音楽の本質のようなものを語っているような気がした。

ヴァイオリン奏者も二人いる。小松さんの奥様になり三児の母となった近藤久美子さん。(ちなみに、私がいっしょにやっていたのは、小松さんの公式デビュー以前のことであり、結婚前のことになる。)そして、もう一人は喜多直毅さん。なんとなくお互いに意識し合っている気がしたのは気のせい?ともあれ、これもまた全然違うわけで、だから音楽は面白い。

そして、甚だ余計なお世話ながら、小松さんはどこへ行こうとしているのだろう?

終演後、楽屋へちょっと顔を出し、近藤さんとしばし歓談する。「あの頃は何もわかっていなかった」と二人で話す(苦笑)。でも、あの妙に熱い季節は必要だったと思う。とにかく、わかっていなくてもいないなりの、ピアソラに鋭い目つきで挑んでいくような、喰らいついていくような、若いエネルギーに満ち溢れていたように思う。あの時はほんとうにしんどかった。期間限定だったとはいえ、毎回のライヴでへとへとになって死ぬかと思ったもの(苦笑)。CDとして当時の音楽が残ったのは奇跡に近いかも?ひどく懐かしい。

この日、私の隣の席には早川純さんが。彼もまた小松さんに師事した若きバンドネオン奏者だ。バンドネオンの未来は明るいか?否、明るくする人がだんだん出現してきているか?答えはこれから。時代を創っていくのは小松さんに続く彼らにかかっているだろう。それには、「タンゴ」という領域からこのバンドネオンという楽器を拡張するだけではなく、なによりも、自身を掘り下げる以外に、道は拓けない。



3月12日(木) どすこい

午後、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第三番の初めてのリハーサル。とりあえず、通してやってみて、第一楽章を細かく見る。

弾けない私は笑われ、全体に一所懸命弾き過ぎていて重過ぎると言われる(苦笑)。なんたって、こういうフレーズを弾くのは高校1〜2年生の時以来のことだ。ぎこちないこと、このうえなし。しかも特に左の指がまわりましぇん。

というより、練習していてもっとも感じたのは、これはバッハだ、ということだった。かなり対位法が残っている。だから、右手も左手もそれぞれ独立してきちんと歌をうたってないと、音楽にならない。そのあたりの作り方が、これまでピアノトリオで挑戦したブラームスやメンデルスゾーンとは大きく異なっている。小学校の時にバッハのインベンションをやって、なんだこりゃ、と思って以来、バッハを満足にやっていない私にとっては、これはたいへんなことなのら〜。

どすこい、どすこい。

と気合を入れて、夜は太黒山のライヴ。山口とも(per)さんのパフォーマンスは変わらずすてきだ。この三人(ほかに、太田惠資(vl)さん)による完全即興演奏は千変万化、色彩多彩。クスッと笑ったり、わけのわからない言葉をつぶやいたり叫んだり。ひょいと止まったり、あっちにもこっちにも行ける。



3月13日(金) 変わる声

カルメンマキ(vo)さん、太田惠資(vl)さんと、横浜・ドルフィーでライヴ。マキさんは長年吸っておられたという煙草をやめられて、声質が変わったとお話しされていた。そのことにご自分がとまどっておられるとのこと。そんなこともライヴの中で話されていた。ご自身がおっしゃるように、確かに太い感じがちょっとなくなったかもしれないけれど、声質全体は若々しくなられたような気もする。



3月14日(土) シフ

昼間、NHK3chで放映されていた『スーパーピアノレッスン シフと挑むベートーヴェンの協奏曲』の最終回を観る。アンドラーシュ・シフが講師となって、あれこれを指導する番組。

面白かった。これは再放送を観なければ。今、たまたま自分がベートーヴェンの曲を練習していることもあって、たった25分間の番組ではあったけれど、得るところが多々あった。

もっとも驚いたのは、シフが奏でる音、否、音楽が、生徒のそれとはまったく違っていたことだ。シフはすべてを歌っている。そしてそれらは様々な情景やイメージに喚起されていることもわかった。そういう意味では、その教え方は18世紀以前のそれに近いだろう。それが現代の若い人たちにアクチュアリティを持っているというところがまた面白いと思う。

そこの左手はタイプライターを打っているところじゃない、ダンスだ、と身振り手振りでユーモラスに身体を動かすシフ。ここはドイツのビールで乾杯の音楽。ここはスイスのヨーデルのように・・・などなど。

ほ〜ら、言っていたじゃないの。「バッハを練習しろ」と。そうなのだ、ベートーヴェンを弾くには絶対バッハ、なのだ。

それにしても、生徒として弾いていた小菅優さん。眉間に深刻そうな皺を寄せて、その顔はまるでお寺の山門の金網の向こうにいる仁王様のようだった。もしかして日本人はベートーヴェンをこんな形相でもってずっと理解してきたのではないか?

ああ、ともあれ、立ちはだかるは、今度はベートーヴェン、か。ピアノトリオのベートーヴェン、翠川さん、太田さんと、この三人でどう仕上がっていくだろう?いや、仕上げていこうか?下手くそにも下手くそなりの意地を見せましょか、って、ん〜(^^;)?




3月15日(日) 同窓会

小学校を卒業して40年になるらしい。それで、同窓会大好きな同級生のヤッチャンが提唱してくれて、小学校の時の3クラス合同の同窓会が開かれた。パンチではないけれど、ちょっと髪の毛にソリが入っている彼が話す声は、ますます迫力が増した感じ。「毎日、何してるの?」というストレート過ぎる質問には、「何もしていません。遊んでいます。でも、毎日一所懸命遊ぶのもたいへんなんだよ。」・・・この後、誰も何も訊けなくなる(^^;)から、きっと常套句にしているのだろう。

ちなみに、そのヤッチャン、小学生の時は頭脳明晰、スポーツ万能。高校生の時に三島由紀夫や「葉隠れ」に出会ったと、約10年前のクラス会の時に話を聴いた憶えがある。その当時の愛車はジャガー。お父様は学校の先生。お兄様は東大出身。

当時の担任の先生方は3人とも揃って出席してくださる。一番年上の私たちのクラスの担任の先生は今85歳だというから、“次回”の同窓会に3人とも揃うということがあるや否やは天のみぞ知る。同級生も約半数の60人くらいが集まったと聞いているから、なかなかたいした集まり方だ。

医者、上場企業の取締役、大学教授、教師、DVカウンセラーのようなことをやっている人、不動産収入があって遊んでいる人などなど、様々な職業に就いてがんばっているおじさんたち、おばさんたち。

中高で生徒会長をやり、ソフトボール部ではキャッチャー兼キャプテンをやっていた親友は、去年から某市役所の管理職になったという。大学を出てからずっと地方公務員として勤めているのだが、女性で管理職になるというのはかなりたいへんなことらしい。今でも根強く差別は残っているという。

みんないろんな目に逢って、今に至っているのだろう。みんないろんなものを背負ったり抱えたりして、今日はここに来ているのだろう。そんな風にしみじみ思う。

同窓会の最後にはみんなで校歌を斉唱。伴奏を頼まれていた私はピンク色の鍵盤ハーモニカを持参。振り返れば、こうして小学校の頃からずっと伴奏をやってきたような気がする(^^;)。

中高一貫教育の学校だったので、小学校からそのまま上がり、最後に校歌を伴奏したのは高校の卒業式の謝恩会だった。当時、反体制的な思考をしていた親しい友人は、「卒業式反対」と書いたビラをゲタ箱に配っていたが、私は「ごめん」と言ってそれをせず、その最後に歌われた校歌のピアノ伴奏をしながら、みんなと涙ぐんでいた記憶が蘇る。ま、この軟弱さがなければ、私は音を奏でていなかったかもしれない(苦笑)。

ちなみに、私が育った小学校(中学、高校も)には、通信簿がない。中間試験とか期末試験もない。給食もない。「仰げば尊し」を歌ったことは一度もない。こういう同窓会に出席すると、今の自分がいかにその頃に創られたかが、あらためてよくわかる。



3月17日(火) 強い風

庭の沈丁花たちの薫りがすばらしい。すーっと気が遠くなるような芳香。思わず咆哮してから、ふらふらと彷徨したくなるような季節の変わり目。

でも強い風が吹いているような天候の日は、どうもほんとにふらふらする。先週半ば頃から、久しぶりに眩暈が続く。地球がぐら〜っと動く感じ。更年期も重なっているかもしれない。そんな時は耳鳴りの音程が必ず1オクターヴ上がっていて、地下がしんどくなる。新宿西口などの地下街を歩いていると、どうもくらくらしてくる。

午後、一人生徒のレッスンをみた後、夕方からはカルメン・マキ(vo)さんと喜多直毅(vn)さんとのリハーサル。

夜、久しぶりに、1枚目のソロのCDのジャケットを描いてくれたおじさんの飲み屋に顔を出してみる。おじさんは元気で、まだ店があった、というのが奇跡に近い(^^;)。薬膳料理が抜群においしい。彼のライフワークである“巫女”の撮影はほぼ終わったらしい。彼は実際に東北の山奥に足を運んで、盲目の巫女たちのドキュメンタリー映像を撮り貯めている。(ちなみに、その最初の作品に、私は音楽をつけている。)そうした巫女さんたちももはやほとんどいなくなっているということだったけれど。



3月18日(水) リハーサルで

午後、再び新宿ピットインのスタジオで、坂田明(as,cl)さん、井野信義(b)さんとのリハーサル。大きなほうのスタジオでは梅津和時(as)さんの大編成のバンドのリハーサルが行われていた。このまま夜のライヴに突入するらしい。リハーサルとはいえ、何人ものミュージシャンに会えるのは、なんだか楽しい。昔のピットインのような感じがした。



3月19日(木) 手助け

午後、生徒のレッスン。彼女は歌手。弾き語りもする。まっすぐな気持ちで素直な声でうたを歌う。なんとか彼女の音楽の幅を広げる手助けになれば、と思う。



3月20日(金) 地産地消

午前中、みんなでお墓参りに行き、お昼ご飯を共にする。国道沿いのファミレスのようなところに入ったら、超満員。席が空くのを待つ人たちが後を絶たない。どこが不景気なのかと思うような光景が広がっていた。まだ、定額給付金は支給されていないんだけどなあ。

で、午後は買い物に。

その吸引力がほとんどなくなった掃除機を買い換えることにする。大手の量販電器店で購入したほうが幾分か安いことはわかっているが、“街の電器屋さん”の販売促進会に足を運ぶことにする。会場に行っただけで、お味噌やらお米などをもらえ、サイコロを振って出た目の数だけティッシュの箱がもらえたりする。ジュースなどもサービスしてくれる。小さなお店が生き残っていくのもたいへんだ。

でも、この電器屋さん。○○が壊れた、と連絡すると、いつでも来てくれるお兄さんがいて、すぐに直してくれるのだ。高齢の母などは子供たちをあてにせず、そのお兄さんをよく呼んでいるらしい(苦笑)。電球の取り換えを頼むと、電気器具のカサまできれいに掃除してくれるのよと、それはうれしそうに母は話す。

実際、この頃、「地産地消」のようなことをよく考えるようになった。私が住む町には大手デパートが招致されているが、そんな開発の仕方をしたため、もはや商店街はなくなってしまった。人と人が顔を合わせて言葉を交わし、何かしらの物を買うというような、手渡しの感覚がどんどん消えている。

そんな思いも少し手伝って、地元で80年くらい続いている店で、初めて眼鏡を新調してみることにした。この町にも安売りメガネチェーン店はいくつかあるが、このお店の方針はそうしたところとの差別化を徹底的にはかっているのだろう。四代目の店長さんは直接ヨーロッパなどにフレームの買い付けに行っているそうで、お店にはいわゆるデザイナーズブランドの、ちょっと一風変わったデザインの眼鏡フレームがたくさん置かれている。買った眼鏡が似合うように、やっぱりあと10kg痩せないといげましぇん、私(^^;)。

他にも、「サクラ」と名の付く競走馬を持ち、焼き肉屋やパチコン屋を経営している、この町にやはり古くからある会社もある。そのスーパーでは、地元の農家と直接取引をした新鮮な野菜を売っている。小松菜とかほうれん草とか、土が付いている葱とかとか。つい、買ってしまう。




3月21日(土) らくや

夜、とても久しぶりに中目黒・楽屋(らくや)で、カルメン・マキ(vo)さん、喜多直毅(vn)さんと演奏。喜多さんが作詞作曲したものをマキさんが歌うと、なんとも言い難い味があるように感じる。

明日はなにせ午後2時から奈良県・生駒で演奏しなければならないので、新幹線の出発時間が早い。そのため、今晩は自主的に前乗り。普通に夜のコンサートだったらこんなことはしなかったのだけれど。五反田駅近くのビジネスホテルに泊まる。



3月22日(日)〜26日(木) 生駒、神戸、京都

22日(日)
朝6時半に起きる。もし自宅に帰っていたらほとんど眠ることができずに、5時起きだ。新幹線で京都まで、そこから近鉄で生駒へ向かう。

今日から、生駒、神戸、京都と3本、坂田明(as,cl)さん、井野信義(b)さんのトリオでコンサート。ベーシストが一人替わっただけで、音楽は大きく変わる。井野さんとはこれまで時々デュオで演奏してきたこともあり、なんとなく安心した心持で演奏する。ほんとに大きなキャパシティのある方だ。ピアノはヤマハのフルコン。だが、弦は約一年前、ハンマーを取り替えたのは約一か月前だそうで、音はまだ眠りから醒めないような、ちょっと若い感じ。

終演後、雨の中を、即、車で神戸へ向かう。この3月に新しく高速ができたそうで、大阪や神戸に出るのにとても便利になり、時間も速く着けるようになったらしい。実際、50分〜60分で着いたのだったと思う。

夜は「ここがあやしい」という三宮・トアロード沿いにある中華料理二軒のうち、まずは黄色い看板のほうへ。神戸には中華街があるが、そこよりも、この辺りのほうが元々の中華街というか、ビルなどの店舗のほとんどは中国人の所有によるものらしい。で、このお店はその中国の人も美味と言っているところあるよ、とか。事実、なかなかリーズナブルで、おいしかった。


23日(月)
WBC(対アメリカ戦)を観終わってから、午後、トアロードを上がり、異人館通り、北野坂辺りを、ぐるっと散歩する。途中のおいしそうなパン屋さんには女性客が列を作っていた。異人館通りはその名のとおり、なんとなくヨーロッパの小さな町にやってきたような趣き。途中、ブティックに足を踏み入れたのがウンノツキ。一着、衣装を買ってしまった。どうも“一点もの”という言葉に弱い私(苦笑)。

午後3時からリハーサル。神戸・MOKUBAでは、深川和美(vo)さんも加わって3曲ほどいっしょに演奏することになっている。夕飯は昨日チェックが入った、もう一軒の渋い中華料理店で。井野さんがカレーライスがうまい、というので、それを食す。中華屋さんでカレーを食べたのは生まれて初めてだ。

そうそう、約12年ぶりに愛称“とんぼ”さんに会う。震災後のことで、まだその爪痕が残っている神戸に、小松亮太(bandoneon)さんがメンバーとして入っていた、斎藤徹(b)さんのピアソラユニットでツアーした時に初めて出会った方だ。その時は、私はドイツでの演奏を終えて、帰国した翌日からこのメンバーで横浜で演奏して、そのまま車で移動という強行スケジュールだったことを思い出す。編曲家が変拍子でアレンジした、譜面に書かれたピアソラ作品を、私の練習不足で演奏できなかったことも思い出した(苦笑)。

夜はライヴ。私のすぐ横で坂田さんがサックスを吹くこともあって、音がガラス窓にも反響するためか、途中で耳栓をする。ピアノは大切にされている小さなアップライト。終演後、お店で軽く打ち上がる。


24日(火)
ホテルをチェックアウトして、お店へ。その後、約3時間、WBC決勝戦(対韓国戦)を全員でテレビ鑑賞。日本が勝った瞬間、マスターや坂田さん、井野さんたちと握手を交わす。なかなかハイテンションになり、興奮して、ちょっと疲れる。

それからやっとこさと腰をあげ、昼間の割引切符を使って、三宮からJRで京都へ向かう。阪急、地下鉄と乗り継いで、ホテルへ到着。夜は三人で木屋町通りにあるお店であれこれ話をしながら食事をする。いわゆるズージャのような業界用語も飛び交う。バカボン鈴木(b)さんとトリオでやっていた頃はほとんどなかったジャズ的会話。


25日(水)
午後、寺町通りにあるお蕎麦屋さんで食事をする。ふわふわの納豆がかかっているのが特徴。それから足を踏み入れた店がまたもやウンノツキ。おそろしく美しい刺繍と江戸時代以来の染色技術が施された、Gパンと藍染のTシャツを購入してしまう。かなりの決心が要ったが、やはり“一点もの”に弱い(苦笑)。というか、日本古来の“色”や職人技には非常に惹かれる。

それから三条通りを東へ向かい、東山で南へ下り、一澤信三郎帆布へ。窓ガラス越しに職人さんたちが一針ずつ縫っている光景を見て、お店へ足を運ぶ。なかなかの混雑。一澤帆布が分かれる以前、信三郎さんから一つバッグをいただいたことがあるのだけれど、それとはちょっと異なる柄のものを購入。

と、まあ、神戸、京都、で、ちょっと時間があるというのは、すこぶるやばい。クレジットカードに羽が生えてしまう(笑)。とはいえ、普段はほとんど買い物らしい買い物をしたりしないので、こういう時は自分を許すことにしましょか。

夕方、コンサート会場である、元立誠小学校へ。日露戦争の戦利品とも言われている、約百年前のグロトリアン(スタインウェイの前身)を、再び弾くことになるとは思ってもいなかった。調律は前回お願いした方が昼からやってくださっていて、再会の握手を交わす。したらば、いきなり「やばいんですよ」と言われて、すぐにピアノの整調作業に入られた。ちなみに、この方は調律師というよりは、生粋のピアノ工房の職人さん。

このグロトリアン。鍵盤の戻りが悪く、音が残ってしまうところが何箇所かある、最高音、最低音はほとんど出ない、とのこと。ハンマーが折れて接着剤でつながっているところもあるそうで、状態は一昨年11月に弾いた時より、悪くなっているという。そして“脚”が折れそうだ、という。

人間も足腰から弱るとは言うけれど、ピアノもそうなのね。馬も脚をやられると命が危ないと聞いているけれど、そう考えれば、ピアノのすべての重量を、細い脚3本で支えているのだから、その脚もたいへんな苦労をしょっていることになる。

ちなみに、同じく京都で、廃校になった小学校にあった古いチェコ製のピアノ、ペロトフもまず脚が折れたとのこと。でも、今はちゃんと修理されて生き返り、これを使ったコンサートが行われている。ここ、京都では、その地域の人たちや文化や伝統を守っていこうとしている人たちの寄付や努力によって、古いピアノが今を生きているのだ。

で、今晩演奏する楽器、グロトリアンはもう立派過ぎるおじいさんのピアノだ。(何故か、おばあさんという風には感じられない。)けれど、これがすごい。印象しては、やはり前回のほうが胸にぐっと響くものがあったけれど、スタインウェイでもベーゼンでもヤマハでもない、この温かく、深い、低音の響きは、ほんとに他では聴いたことがない。

それに今回新たに驚いたのは、タッチやペダルの細かい操作で、音色や響きの彩のようなものが様々に変わるということだった。その豊かさはたとえようもなく、その音の肌触りは柔らかいワインレッドのベルベットのようだったり、風にふわっと揺れるような薄い黄緑色の絹のスカーフようであったり、硬質な柿渋色の木綿だったり・・・。この匂い立つような音の感触は、他のピアノでは味わったことがないものだった。

というおじいさんのピアノを前にして、どうしても乱暴な演奏をする気持ちになれない。これは困ったとちょっと思いながらも、ピアノの声が聞こえ、それを感じている自分に正直に演奏(したつもり)。マイクの用意はあったのだけれど、結局、生音で演奏。

終演後は、地元の方々と会食。たいへん美味なお酒とお食事をいただく。素材、それに多分“塩”の質とその加減が抜群に絶妙な料理の数々なのだろうと想像する。

今日は朝から夜まで、なんとなく京都の職人気質に触れた一日と相成り候。


26日(木)
正午くらいの新幹線で帰京。夜は、昨秋、北海道でお世話になった方に、御礼をこめたお食事会を喜多直毅(vn)さんとプレゼント。実際、コンサートが実現されるまでに、いろいろ御苦労がおありだったことを知る。



3月27日(金) マクベス

午後、生徒のレッスンを一人見てから、整体へ。やはり左右の腕が疲労していることがわかる。揉まれると痛い。全身に血が巡っている感じになり、ひとしきり心地よく眠る。

夜は、俳優座劇場へ。ひとみ座公演『マクベス』を観る。これはひとみ座創立60周年記公演でもある。60年も続いているのだから、こりゃすごい。シェイクスピアの作品を観るのは、2006年の時に観た『リア王』以来のことになる。そのリア王がすばらしかったので、今回も観に行くことにしたのだが、やはりこれまたすばらしかった。

プロットはシンプルに整理され、使われている言葉はわかりやすく、無駄がない感じがした。舞台美術もシンプルで、照明による演出も効果的。音楽は生演奏で、登場人物の心情や場面に感情移入しない距離で演奏されている。音楽が劇を凌駕するようなことは決してない。

そして、今年喜寿になられ、ひとみ座に18歳の時に入団したという、片岡昌さんが担当されている登場人物の人形たちは、今回は“虫”だった。これがすごくよかった。三人の魔女たちは“人間”で、これがものすごい形相をしていて怖い。そして思う。果たして77歳になった自分が、これだけの創造力を持ち得るだろうか?と。

マクベスとマクベス夫人の悲劇というよりは、こうした権力争い、戦争といったものを、人間は繰り返し繰り返し行って来ている。そうした歴史を繰り返している。という人間の愚かさのようなことを、全体としては表現しているような舞台になっていたように思う。この抽象化されたテーマを実現させているのは、おそらく人形美術の“虫”によるところが大きいと思う。そして言葉の側面では、繰り返される言葉たち、すなわち「コロス」が支えている。

それにしても、いつも感じるのだが、人形はなんとリアリティに満ち溢れていることだろう。

日本の伝統芸能には文楽(人形浄瑠璃)があって、そこにもリアリティはあるが、音楽(語りと三味線)との関係において、その在り様と舞台芸術としての表現は、このひとみ座のものとはかなり異なる。能楽の面(おもて)はよくギリシャ悲劇の仮面と比較論考されることも多いが、生身の人間よりもそうした人形や仮面が、こちらに不思議な訴え方をしてくるのが実に面白い。

「そう、人形劇では、観客が登場人物(人形)に(意識するとしないにかかわらず)優越感を持っているから、より冷やかに、より客観的に物事を見られるよさがある。」

これは、パンフレットに記載された片岡さんの文章中の一部。




3月28日(土) 効き眼

新しく眼鏡を2つ購入。ところが、どうもレンズの度が合っていない感じで、非常に疲れる。検眼してくれた眼鏡屋さんの言によれば、左眼の度数を右眼よりも弱くしてあるそうで、いわば敢えていわゆるガチャメ状態にしてあるのだそうだ。でも、その状態に、どうも違和感が強く、なじめない。

また、利き腕というものがあるように、眼にも“利き眼”というものがあるそうで、私の利き眼は右眼だそうだ。要するに主として右眼でモノを見ている、ということから、敢えて右眼の度数の方を上げてあるという。さらに、近くのモノを見る時は弱い度数になっている左眼が働き、以前よりも少し楽に見えるようになっているそうで、それは事実、そんな風になっているような気がする。

これはこれで眼鏡屋さんの有り難いご配慮ではあるのだけれど、車を運転している時などはとてもつらい。一般に近視の人が裸眼で信号機や街灯、ネオンなどの照明を見ると、ぼうっと輪郭が大きく膨らんだように見えるわけだけれど、そんな感じになって標識などが判然としない。

でもって、よく見えないほうの左眼ががんばろうとするのだろう。だんだん涙目になってくる。疲れる。よくはわからないが、多分、この状態はレーザー手術をした左眼にものすごく負担がかかっているのだろうと思う。網膜に空いた小さな穴をレーザーで凝固しているわけだから、柔軟に網膜が働かないのではないか?

なにせ加齢なお年頃を迎えているので、もう少し時が経てば、おそらく車を運転する時、パソコンやピアノの譜面台に譜面を置いて見る時、文庫本を読む時、といった風に、その時々で眼鏡をかけかえる必要が生じる可能性が高い。遠近両用も便利かもしれないが、多分それだけではすべてをまかなえない予感がする。やれやれ〜。ちなみに、今回のレンズは非球面レンズの薄型で、片方で21000円。遠近両用の薄型レンズになると、なんと片方で38000円もするから、こりゃたいへんなのら〜。

ということで、レンズを交換してもらうことにする。

って、実は、“利き眼”があるということを、私は知らなかった。とすると、“利き耳”というのもあるのだろうなあ。私の壊れた右耳はどっちなんだろう?



3月30日(月) ひづめ

夜のライヴの前に、ベートーヴェンピアノ三重奏曲第三番のリハーサル。しばらく東京を離れていたことや急な野暮用が入ったりして、一楽章を除いてほとんど練習できず。

で、左手が動かない。弾けない。ので、黒田の左手は牛の手だ、とチェロ奏者から絶望的に言われる。かくて、私の別称は「黒田ひづめ」、もしくは「蹄 京子」に(苦笑)。もちろん、反論しましぇん。

あー、ほんとに、単純なフレーズ、すなわち、ドレミファソラシドやドソミソドソミソ、が難しい。これをよれずに、よたらずに、こけないように、まっすぐにしっかりと正確な音価で弾くことの、な、な、なんと難しいことか。修業。

で、夜は黒田京子トリオでライヴ。たった1時間(ちなみに、翠川敬基(vc)さんと私は、その2時間前に来ている^^;)でも、三人でリハーサルをやっていると、どうも本番の音楽も異なる気がする。三人の間に通い合う“気”のようなものやサウンドが良くなる。



3月31日(火) 初演

夜、横浜・ドルフィーで、喜多直毅(vn)さん、北村聡(bandoneon)さんのトリオで演奏。もし作曲して来なかったら、野毛の町を裸で走ると約束していた北村さんは、果たして、曲を書いて来たのでした(笑)。タンゴを学んだ、バンドネオン奏者ならではのバラード、という感じがする。

このへんてこりんな楽器の内声の動きや倍音を伴った独特な響き。それを奏する、喜多さん曰く「草食系」で、なんとなく白い雰囲気を持つ北村さん。どこまでも、あるいはいったいどこへ行こうとしているのか、片手に持つ弓に、どことなく暗く黒い思いのありったけを籠めるヴァイオリン奏者、喜多さん。その両者を時には温かいまなざしで見守りつつも、たまに発狂する赤いピアニスト(^^;)。

この三人が奏でる、倍音や響きが絡み合ったりほぐれたり、きらきらしたり、そんな色彩の風のようなものが、私には見える。そんな風に感じられることがある。このトリオ、とても好きだ。






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