9月
9月3日(金)  録音器械

午後、梅津和時(cl)さんと“ひそかなたのしみ”のための初めての練習。ブラームスが最晩年に作曲したクラリネット・ソナタは美しく、面白い。

それから急いで喜多直毅(vn)さんの作詞作曲の歌をピアノで5曲ほど弾いて、MDに録音する。もしかしたら某歌手がうたってくださるかも?

大昔はカセットテープ、それからMD。今や、もっと超小型化した高性能のものが多く出回っており、そのデータはPCでの作業を通して、簡単にCD-Rにすることができる。ちょっと良いマイクで録音さえできれば、それを商品として売っている人もいるとか。いやはや、だんだん時代についていけなくなるか、私?

夜は大泉学園・inFで、完全即興演奏ユニット“太黒山”(太田惠資(vn)、山口とも(per))でライヴ。今日もまた初めて見るともさんの手作りの楽器が。それは瓢箪かヘチマの皮でできているような、なんとも情けないトランペットのよう。



9月5日(金)  不覚の落涙

黒田京子トリオの二枚目のCDの最終マスター音源を聴く。不覚にも最後に何故か涙してしまい、翠川敬基(vc)さんと太田惠資(vn)に「胸がつまった」と電話する。こういうことはめったにない。どうしちゃったの、私?



9月6日(土)〜7日(日)  上越へ

6日

朝7時前に起きて、8時半に山口とも(per)さんと待ち合わせ。9時におおたか静流(vo)さんをピックアップして、みんなでいっしょに車で上越へ向かう。午後3時頃、現地に到着。

今回の公演は一応一般には非公開のかたちをとっている、上越市の私立保育園協会の行事でのコンサート。『みんなともだちげんきっこ』と題されているもので、既に16年続いているそうだ。前半はともさん、おおたかさんと時々やってきた「わねわね音楽会」のコンサート、後半は保育園児たちのお遊戯会が次々に披露され、最後に子供たちと私たちでいっしょに歌を2曲ほど演奏することになっている。

上越文化会館に着いてから、サウンドチェックやリハーサルなどを行い、夜は地元のおいしい魚料理などをいただく。その席で、保育園の先生方ともお話をしたのだが、やはりNHKの力は偉大なようだ。保育園ではおおたかさんが関わっている「にほんごであそぼ」や、かつてともともがUAとやっていた「ドレミノテレビ」も観ていたそうで、子供たちはみんなわらべうたなどを口ずさめるらしい。これが海外でもそうらしいから驚く。

7日

朝8時過ぎにホテルのロビーに集合して出発。ホールの開場は午前9時だったと思うが、既に入口には長蛇の列が渦巻いているのが見える。なんでも席取りのために父兄が早くから並ぶのだそうだ。いやはや。かくて、会場は約1500人の子供からお年寄りまでの人たちで埋め尽くされていく。

午前9時40分からコンサート。こんなに朝早いホールでのコンサートは生まれて初めてだ。自分でも驚いてしまう。指は動くの、頭は働くの、私?みたいな気分。「でんでらりゅーば」も「ぴっとんへべへべ」も、子供たちは振り付きで歌える。ともともの新聞紙を使ったパフォーマンスにも大喜び。客席がハイテンションなので、こちらも無理矢理にでもテンションをあげないとならないような雰囲気。

後半の子供たちのお遊戯は途中まで観ていたが、ホールのスピーカーの高音がどうしても耳にきつくて退散。でも、その姿を見ているだけでも、なんとなーく子供の性格のようなものを感じられるのが、なんだか面白かったような。最後は200人以上の子供たちといっしょにステージに上がり、大合唱。

終演後、近くのお寿司屋さんで昼食。これも美味。この辺りは寿司飯のお酢が少しだけ甘いかしらん?

その後、上越市内の一番大きなお寺、浄興寺へ。2年前、耳を患ったためにキャンセルしてしまった、ともさんとおおたかさんとのコンサート会場だった所だ。とにかくその時のお詫びに伺う。なんでも親鸞上人の遺骨や遺品がちゃんと納められているお寺だそうだ。その時、みんなは“白い蛙”を見たそうだが、今回はお目にかかることはできず。

この浄興寺では一年に何回か音楽のコンサートをされているらしい。でもって、広い本堂の両脇に、でででーんと置いてあったのは、二台のフルコンサート・グランドピアノ。1つは以前からあったヤマハ。もう1台は1年半前くらいに購入したというベーゼンドルファーのインペリアル。これまでもずいぶんたくさんのお寺で演奏して来たけれど、フルコンが二台あるお寺さんは初めてだ。びっくらこいた〜。

帰りは電車。なれど、事前に切符を購入していなかったため、直江津から越後湯沢までの“ほくほく線”は指定席を取れず。超満員の電車のドア付近に立ったまま約50分間がむばる。その後、新幹線で帰京。夕方はまたもやものすごい雷雨。タクシーもなかなか来なくて、少々くたびれた。



9月8日(月)  休業した銭湯

朝から家の掃除をしまくって、たくさんの花を飾る。

夜、いつもの銭湯に行ったら、「9月1日から休業します」との貼り紙。絶句。昔ながらの銭湯で、けっこう広く、なによりも天井がものすごく高いので、開放感にあふれていたのに・・・。450円の休息の場がなくなってしまった。

仕方ないので、駅の南側の銭湯に行ってみる。昔は古い建物で木製の番台があった所だったが、今は自社ビルを建てて、上階をマンションにして、その一階で銭湯を続けている。でも天井はとっても低いし、ちっとも広くない。それに太った母親と超太った息子の愛想のなさといったらなく、あまり気分がよくない。ともあれ、このところの燃料費の高騰で、日本の銭湯も経営していくのはたいへんなのだろう。



9月9日(火)  学ぶ力

午前中、市の無料健康診断を受けに行く。完全にデブでメタボな私。「運動をしましょう」といつものように医者からは言われる。血液検査の結果は待たなければならないが、それ以外はいたって健康。ま、眼と耳がもうろくしているかも〜。

その順番を病院で待っている間に、普段まったく読まない週刊誌を手にしてみる。中に、五木寛之と姜尚中の対談が掲載されていた。『悩む力』を書いたのは姜さんで、以前NHKで放映されていた番組でも、その意見を聴いたことがあるのだが、人間、こうした悩む力、それに自ら気付く力、学ぶ力、というものは、誰に教わるものでもない、ほとんど才能に近いものではないかとふと思う。

生徒のレッスンを見ていてよく思うことの一つに、以前に教えたことをちゃんと積み重ねているか、それを自分の力で応用しているかどうか、ということがある。そこにあるのは学ぶ力だ。これはミュージシャンとて、いや一般の社会人とて同じことだと思うが、世の中にはそういう才能にあまり恵まれていない人もいるような気もする。



9月10日(水)  祝いの宴

夜、その昔ちょうど2年間だけジャズピアノを習ったことがある、高瀬アキ(p)さんの“赤いちゃんちゃんこだ、わーい”のお祝いの宴に出席する。

私は'82年から武蔵野音楽院というところで教えを受けたのだが、アキさんは自宅でも個人レッスンをされていたし、当時立ち上がったばかりのメーザーハウスでも少しだけ教えていた。

でも、1986年に、アキさんはベルリンに行ってしまって、その2年後に青天の霹靂でドイツのジャズ界の大御所、シュリッペンバッハ(p)さんと結婚してしまった。以来、還暦を迎えられた今でも、バリバリ現役ピアニストとして、主としてヨーロッパを中心に活躍されている。はっきり言って、とてもそのお歳には見えましぇん。

今晩の宴のことは、その当時習っていた人で、消息がわかる人たちに連絡しまくってみた。したらば、いわば門下生が13人も集まった。約十年ぶりの同窓会といった感じ。

みんなそれぞれをよく知っているわけではないので、順番に自己紹介をやったり、その当時の様子を語ったり、その都度アキさんがエピソードなどを話されたり。2時間飲み放題のコースだったのだけれど、店長さんがずいぶんおまけをしてくれて、気がつけば既に4時間半の時間があっという間に流れていた。

その話の中でもっとも印象に残っているのは、「それぞれみんなまったく個性や音楽が違うね」とよく他のミュージシャンから言われる、というものだった。当時習っていた人の中には、現在、ピアニストとして演奏活動している人や、音楽に携わっている人がけっこういて、AさんのこともBさんのことも知っている何人もの人が、そう言ったらしい。

そして、それは「ジャズとはこういうものだ」とか「ジャズとはこうでなければならない」というようなことを、アキさんが決して言わなかった、教えなかった、からだろう、という話。実際、それぞれ相当個性的で、バラエティに富んでいるかも。

お祝いにはきれいなピンク色の薄いショールやひざ掛けになるのようなものを。刺繍してもらった言葉は「To Aki from your children」って、臭過ぎるってかあああ〜。



9月11日(木)  さるがぼ

ここのところ、頭の中が「さるがぼさるがぼさるがぼさるがぼさるがぼささるるががぼぼささるるががぼぼ、がーがっぼぼぼぼぼ」と鳴っている。

今月末、フランス・パリにある日本文化会館で、鬼怒無月(g)さん率いる“サルガヴォ”の公演があり、それに参加できない林正樹(p)さんのかわりに、私が行くことになっているため、来週の横浜・ドルフィーでのライヴも含め、予習奮闘中なのだ。

で、今日は正午からリハーサル。この8日にヨーロッパから帰国したばかりのメンバーのみなさんは、かなりお疲れの様子。時差ボケのひどい人もいれば、何の因果か昨日が引っ越しの日で、今日もこの後に別のリハーサルがあって、まったく休めないと目が泳いでいる人もいる。帰国直後に電話をくれた鬼怒君はものすごいハイテンションだったので、ちょっと心配していたのだけれど、さすがにちょっとくたびれているかも?みたいな。

ま、なんとかみんなの足を引っ張らないように、と思っている。鬼怒君の“バンド・サウンド”に、どこまで自分の力を発揮することができるだろう。どこに私の居場所があるだろう。私の役目は何だろう。そんなこんなを考えつつ、こうして若い彼らから声をかけてもらえる自分を、ほんとうに幸せに思う。



9月12日(金)  弦の響き

夜、大泉学園・inFで、喜多直毅(vn)さん率いる“煩悩六重奏団”(ヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、ピアノ1人、という編成)のライヴ。今日で4回目になる。みんな、なんとなくだいぶ慣れてきた感じがする。即興演奏の部分では、それぞれの性格や個性がよくわかってきたような気もしたり。

終演後、来てくださっていたお客様とひとしきり耳の病気の話などを。その後、喜多君と三日後にライヴをするバンドの話を。喜多君が言うところの「痛み」の話はよくわかる気がした。でも、お客様のいる前で、ちょいといろいろ深い話しをし過ぎたかも?帰宅して、少し傲慢な発言をしたかもしれない自分に気付いて反省。



9月13日(土)  勉強方法

午後、生徒のレッスン。「どうやって勉強したらいいのか?」と質問されるので、割と真面目に答える。この間も、某ミュージシャンから、「即興演奏というものはどうやって勉強するの?」と訊かれたことをふと思い出す。佐藤允彦(p)さんなどは“フリージャズ”は教えることができる、と言っていると聞いたこともあるけれど。

だから、とにかく、学ぶ力、なのだ〜。自分で学びとっていく以外に、方法はない。日本の音楽大学はどうしてそういうことを教えないのだろう?

よく聴く。たくさん聴く。
自分としっかり向き合う。自分をちゃんと問題にする。
身体や心を意識する。特に呼吸。
これらは前提。

そういったやや抽象的なこととは別に、はからずも、私が高瀬アキ(p)さんに習っていた頃の練習の仕方を具体的に話す。そんなことを生徒に話していて、あらためて自分も勉強したような気持になる。有り難いことだ。




9月14日(日)  映画と音楽の

夜、下北沢・レディージェーンにて、“映画と音楽のシンクロニシティ”と題が付いた企画で演奏。

前半は日本映画学校の卒業制作として作られたドキュンメンタリー映画『あゆむ街』(監督 須藤瑞)の上映。下北沢の再開発をめぐって、区役所のお役人たちと激しく折衝するレディージェーンのマスター、大木さんの姿も映し出されているもの。ほかに、世田谷区に長年住んでいる人たちの話なども。ただ、映画自体の作り方は、自ら出演し、自身のことを語っている監督のモノローグになっているため、作品自体が何か強いヴィジョンを提示するまでには至っていないように感じられた。

で、後半にカルメン・マキ(vo)さんと初めて二人だけで演奏。マキさんとの出会いは今年になってからだが、これまでは太田惠資(vl)さんと三人で2回ライヴをやったことがあるだけだ。あと一人いるかいないか、は大きな違いなわけで、ちょっと緊張。おそらくマキさんは今晩の私の演奏に少し疑問を抱かれたのではないかと想像され、そういう意味では少し課題が残ったライヴになったかもしれない。でもそれは先につながることだと思う。



9月15日(月)  さるがぼ

ああ、付いていくのが精一杯のお姉さまはドキドキのさるがぼ。おばさんと言わずに、お姉さんと呼ぶことを許して〜。

夜、横浜・ドルフィーにて、鬼怒無月(g)さん率いる“Salle Gaveau”のライヴで演奏。(このバンドのレギュラー・ピアニストである林正樹さんの代わり私が演奏する経緯については前述した通り。)

実のところ、鬼怒さんからこの話があった時は逡巡した。彼らのCDやライヴは聴いていたが、私なんぞが到底できる音楽ではないと思っていたからだ。なにせ、これは鬼怒さんの“バンド”だ。さらにタンゴというよりは、タンゴの形式を引用した、全員が全力疾走するようなフィジカル系プログレッシヴ・ロック、だろう。

振り返ってみれば、こうしたきわめてロック的なバンドなどというものを私は何年やっていないだろう?みたいな感覚。記憶をたどれば、大学時代にちょっとだけやっていた社会人バンドまで一気に遡ってしまった。ディープ・パープル、ツェッペリン、サンタナ、オールマン・ブラザース・バンド、リー・リトナー、デビュー仕立てのカシオペア・・・といったバンドのコピーをしたっけ。まだありまっせ〜、アドリブをコピーした譜面。

それでも引き受けたのは神様の声?なんちゃって。それはやはりナイス・ガイの鬼怒さんの気持ちに応えたかったこと。それに、それぞれとはデュオなどで演奏したことがある若きメンバーの喜多直毅(vl)さん、佐藤芳明(accordion)さん、鳥越啓介(b)さんたちと音楽を創ってみたかった、というところだろうか。

そのために、リハーサルは必ずやって欲しいこと、パリに行く前に国内で必ずどこかでライヴ(本番)をやって欲しいこと。私は林さんではないので、トラというよりは、ゲストとして考えて音楽創りをして欲しいこと、などなど、リーダーの鬼怒さんとはそれなりの時間を費やして話をした。

さてさて、本番。メンバーのみんなはまったく譜面など見ておらず、すべて暗譜しているではないの。ひえー、その時点で、譜面にかじりつき、全体がまだよくわかってはいない私は、既にハンディを背負っているようなものだ。ぐやじい。

でもって、まあ、なんというか、私一人だけ、キメは合わない、変拍子はズレる、いやはや交通事故多しかな。それでも迷った指で音を奏でては音楽が壊れるから、出すべきところは意思を持って音を出すように心掛ける。そして、演奏中、みんながなんと温かいまなざしを投げてくれたことか。このようなやさしさに包まれながら演奏したことは近来ないぞ、私。

終演後、反省を含めて、自然にいろいろな話になる。帰りは鳥越さんに車で送ってもらったのだけれど、車中、彼曰く、これまでサルガヴォでこんなに真面目に音楽のことや曲のことを話したことはない、と言う。そっかあ。甚だ僭越ながら、もし私がサルガヴォに参加したことの意味が仮にあるとしたならば、こんな時間を持てたことが、ちょっとは役に立てているのかしら?と思ったり。というか、疲れた〜。明日は整体を予約してあるぞー。



9月17日(水)  先生と言うな

11月1日に予定されている舞踏、音楽、朗読の公演『まるめろのにほひのそらに』の初めてのリハーサル。これはなんと約40年前の小学校の時の先生とのコラボレーション。私は一貫教育の学校にいたので、その先生とは小・中・高とお世話になっているから、なんだか自分でもたまげてしまう。

朗読には、宮沢賢治が書いた詩「原体剣舞連」が使われる。正直、これ、難しい。うーむ、どうアプローチしようか。

で、もう一作品、朗読されるお話があるのだが、それは秋田出身の井山さんが秋田弁で話すというもの。これはユーモアもあって、なかなか面白い。日本語は実に面白いと感じる。それに伴って、いつもの野口さんの舞踏の方法ではないものを提案してしまったが、それは余計なお世話だったかもしれないと反省。

ちなみに、舞踏と音楽は基本的には即興という方法をとる。そして、公演をやる時は対等なのだから、野口先生と言うな、というお達しの元、私は恩師のことを、これからは野口さんと呼ばなければならなくなった。



9月18日(木)  大人の音楽

『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成二十年秋の陣』の第一回目。

前半は渋谷毅(pf)さんと石渡明廣(g)さんのデュオ。渋谷さんのピアノに対する姿勢、そして石渡さんのちょっと浮遊感のあるギターの音色のアプローチが、お二人の独特な世界を映し出している感じ。

後半は吉森信(pf)さんと小川美潮(vo)さんのデュオ。これもまたすばらしかった。実を言うと、美潮さんとはこれまで何度かお会いしているものの、じっくりライヴを拝聴するのは初めて。その音楽へのスタンスや立ち方、曲作り、ヴォイスの使い方など、学ぶことがとても多かった。リハーサルをして臨んでくださったという吉森さんとの息もよく合っておられた。

願わくば、もっと多くの人に足を運んでいただきたかった。この秋の『くりくら』も面白いですよー。ぜひ足をお運びください!



9月19日(金)〜22日(月)  北陸へ

19日金沢、20日福井、21日富山で、カルメン・マキ(vo)さん、太田惠資(vn)さんと北陸ミニ・ツアー。この三人でライヴをするのは今回で3回目だ。


19日(金)
午前中の飛行機で小松空港へ。午後2時前にホテルに到着。したらば、朝8時頃に車で東京を出たというスタッフのみなさんも、しばらくして到着。なんでも6時間ほとんど運転しっぱなしの状態でやって来たらしい。すごーい。

リハーサルまで少し時間があったので、21世紀美術館の辺りを散歩する。きれいな町だ。美術館は時間があればゆっくり観たかった。今度、また。

今晩は金沢・もっきりや、でライヴ。このお店の名前はずっと知っていたけれど、実際に演奏するのは初めて。ピアノは古いベーゼンドルファー(?だったと思う)。今回初めてやる新曲もあり、リハーサルをしたものの、私は曲の感じが完全に掴み切れていなくて大失敗したものも。普段あんまりこういうことはないつもりなのだけれど、曲があまりよくわかっていないというのはかくも怖ろしいかな。

終演後、隣の“酒と人情料理”と看板のある居酒屋さんで打ち上げ。お刺身がすこぶる美味。白海老の刺身というものを初めて食べた。蟹も甘い。その後、もう一軒。ウィスキーを飲んで、就寝。


20日(土)
よく晴れている。朝、なかなか車が来ないので、近くの喫茶店でコーヒー。その後、みんなでまずは自殺の名所と呼ばれている東尋坊へ。断崖絶壁。それからまたしばらく車で走って、海岸線沿いにある、ちょっとしゃれたお店で遅めのランチ。気持ちいい気分。

夜は福井、武生・クラシックスでライヴ。今日になって予定していた会場が引接寺からクラシックスに変更になっていたことを知る。あらまあ。クラシックスは適度な小屋の響きがあり、気持も開放されて、なんとなく三人のサウンドが心地よくブレンドする感じ。マキさんの声もどんどん前に出ている。今晩も私は1曲何か失敗したような記憶が残っているが、いいライヴだったと思う。

終演後、蔵を改造して経営しているお店で打ち上げ。「へしこ」と呼ばれるものを初めていただいた。とにかく、食べ物が美味。


21日(日)
午前中、武生にて、越前蕎麦をいただく。まずまず美味。塩そばというものを初めて食べてみた。お蕎麦にお塩だけを振って食べるもの。・・・ちょっとよくわからなかったというのが正直な感想。それよりもまったく気が利かないアホな女性店員が気になったのは私。

それから車は富山へ。先に会場入り。ライヴをやるところは三階にあり、芝居小屋のような雰囲気。音響的にはかなりデッド。ここで富山で演奏した時に何度かお会いしている調律師さんと再会。廃校になった小学校から譲りうけたというピアノをなんとかしていただく。こうして各地方にコミュニケーションをとれる調律師さんがいてくださるのは、ほんとうに心強い。

この三日間、移動して会場入りしてリハーサルをしてホテルで仕度、というのがかなりタイトなタイムテーブル。女性の場合は着替えたりあれこれ準備があるから、これでなかなかたいへんなのだ。で、今晩も急いで夕飯を。老夫婦がやっているような、なんともひなびた洋食屋さんという雰囲気のお店で、太田さんと私は同じものを注文して、同じようにハンバーグを残す。

富山・日の出劇場は満員のお客様。やっと少し曲や呼吸やいろんなことがわかってきた感じがした。「かもめ」のコード進行も変えて演奏。三人の合意も含めて、少しずついろんなことが一つの方向に収斂されていくような感じ。

打ち上げはジャズのライヴをやっているというお店へ。スタッフの方たちとわいわい。私は調律師さんと長い時間話したり。


22日(月)
ホテルをチェックアウトして、そのままタクシーで富山空港へ。おつかれさま〜。

あらためて、今回初めて旅をしたマキさん、いろいろ気を遣ってくださった太田さん、そして下北沢の某店主さま、武生出身という某レーベルの社長さま、さらに運転手や雑務をこなしてくださったYさん、みなさんに感謝。




9月24日(水)〜10月1日(水)  ぼんじゅーる







2008年8月の洗面器を読む

2008年10月の洗面器を読む

『洗面器』のインデックスに戻る

トップページに戻る