5月
5月2日(水)  若い人たち・その1

大泉学園・inFにて、喜多直毅(vl)さん、北村聡(bandneon)さんと演奏。北村さんとは初めての共演。バンドネオン奏者と演奏するのは小松亮太さん以来のことになるから、ちょうど十年ぶりくらいになる。そ、そ、そんなに月日が流れているのか・・・。

北村さんは小松さんの弟子にあたるそうだが、小松さんと異なり、即興演奏もする人だった。佐藤芳明(accordion)さんもそんな感じがするけれど、北村さんもどことなく少女漫画の人気者の好青年という雰囲気がある。喜多さんを含め、このように若い人たちと演奏できて、ああ、私は幸せ者〜と思う。


5月3日(木)  惚れ惚れ

松本・神宮寺の“尋常浅間学校”の授業、100回記念及び閉校に関連するコンサートで、小室等(vo)さん、坂田明(as,cl)さん、林英哲(和太鼓)さんと演奏。

この尋常浅間学校の校長は永六輔さん、教頭は無着成恭さんで、
「1997年6月、大いなる希望と野望を持って開校。「10年・100回キラキラ授業」という当初の目的通り、大々的な未履修問題も起こさず、いじめの実態もなく、順調に授業を消化し、いよいよ07年5月に100回目を迎え、閉校することになりました。」(神宮寺のwebより転載)

というわけで、お寺が中心になって、いわば子供も大人も受けられる授業を続けてきたもので、その授業内容は音楽のコンサートにとどまらず、対談や講演会など多岐に渡っている。その十年間の歩みをまとめた『奇跡の学びの軌跡 尋常浅間学校10年鑑100回顧』(金井奈津子&高橋卓志 編著)を眺めただけでも、その内容は圧巻で、すばらしい。

以前、ここで私は小室さん、坂田さんと一度演奏したことがあるが、今回は英哲さんが加わり、最後のほうでは全員で演奏した。

んで、何に惚れ惚れしたかと問われれば、

いやあ、そりゃあもう、その英哲さんの演奏姿でありまする。英哲さんと共演するのは初めてではないけれど、ピアノの蓋の向こう側で大太鼓を叩く、そのあまりにも凛々しい御姿に、耳には耳栓をしたけれど、目からはハートマークが出まくり。50歳半ばとはとても思えない若々しい感じで、めちゃくちゃ格好良い。久しぶりに男気を感じる男性に出会ったような気分。やっぱり身体と精神は鍛えなくちゃ。いつまでも男は男を、女は女を磨かないと、とつくづく感じ入った。


5月5日(土)  のけぞるギター

松本から大阪に出て、『春一番コンサート』で演奏。これはフォーク、ロック、ジャズ、となんでもありといった感じの野外コンサート。出番までにだいぶ時間があったのと、PAを通したサウンドを聴き続けていると、今の私の耳はとても疲れてしまうこともあって、広い服部緑地公園を散歩して、気持ちのいい時間を過ごす。また、こういうコンサートで面白いのは、他の人たちの演奏を次々に聴くことができることだ。

その中で、石田長生(g)さんが演奏していた、セロニアス・モンク作曲の「'Round about midnight」。このギター演奏に、ほんま、心底しびれたよって。めっちゃ格好ええで〜。コード進行だ、フレーズだ、とこだわっているような凡百のジャズ・ミュージシャンの演奏より、その音色といい、歌い方といい、はるかに訴えるものがあるねんって。木村充輝(vo)さんとの「見上げてごらん 夜の星を」のデュエットもすてきやったなあああ。

ともあれ、そのモンクの曲のギター・プレイに思わずのけぞった私の横で、「この曲を教えたのは、わし、じゃ」とささやいたのは坂田さん。そういえば、その坂田さんのグループで、いしやんとは多分15年前くらいに一度大阪で共演したことを思い出した。こんな私がシンセを弾いていた頃の話だけど。


5月7日(月)  若い人たち・その2

大泉学園・inFで、喜多直毅(vl)さん、西嶋徹(b)さんと演奏。この三人での演奏は何故かとってもサウンドしている気がする。んなわけで、今回で二度目の共演になる。

西嶋さんのようなコントラバス奏者がいると思うと、これからの日本のコントラバス界も捨てたもんじゃないと思えてくる。西嶋さんも、同じく若いコントラバス奏者・鳥越啓介(b)さんも、ジャズはもとよりタンゴ音楽も演奏している。私とほぼ同世代の斎藤徹(b)さんが非常に苦労しながらピアソラの音楽を演奏していた時代を思うと、彼らはなんだか非常に新しい世代のような気がしてくる。

ちなみに、西嶋さんは井野信義(b)さんに学んだそうなので、井野さんの次の次の次の世代くらいにあたるのだろうか。(井野さんの次の世代に、斎藤徹さんがいる。)そして今日もまたこうして若い人たちと演奏できる私は幸せ者〜。

さらに、後半のセットには会田桃子(viola)さんと翠川敬基(cello)さんが加わって演奏。をを、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、という編成の中で演奏する日が自分に訪れるとは。少なくとも十年前の自分にはあり得ない光景が広がっている現実を目の前に、まるで夢の中にいるような心持ちだった。なんて豊かな弦楽器の響きなんだろう。ますます時代は変わりつつあることを感じた一夜。


5月8日(火)  二つの番組

夜、テレビ番組を二つ観る。

一つはTBS『学校へ行こう』。みのもんたとV6のメンバーが出演している番組だ。

この中に、天才エレクトーン少女が出てきた。派手な衣装を着て、髪をバシッと決めた少女が、首を激しく上下に振りながら鍵盤を弾いている。その首振り状態は三半規管がどうかなってしまいそうな勢いだ。さらに、顔の作り笑いもたいしたものだ。

なんでも、コンクールで何人も優勝させているとかいう、カリスマ教師と呼ばれている先生の元で習っているらしい。って、だんだんその少女や後ろで演技している少女たちすべてが、その先生の指示通りに動いている人形のように感じられてきた。ほとんど北朝鮮の○○組のように見えてくる。

これが音楽、か?
ブラスバンドを含め、日本の音楽教育のすごく良くない一面を見たような感じがして、ちょっと気持ちが悪くなった。

もう一つはNHK『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』で、マイルス・デイビスについて語っている菊地成孔さんの番組。10年という時系列で区切って、帝王マイルスの生涯と音楽を語ろうというもの。

第一回目は「お坊っちゃまとジャズの革命」。菊地さんの語り口がなかなかイケている。マイルスは裕福な歯科医のぼんぼんだった。ビバップはゲームだ。などなど、その表現はおよそ一時代昔のジャズ評論家と呼ばれるような人たちのそれとは大きく異なる。浅田彰が出てきた頃に盛んに使われた“ポストモダン”というのももはや古臭い感じがするが、さらにさらにポップな感じの言葉遣いで、対する人の目を決して見ずに、観ている者を肩でかわしている感触。

こういう風にジャズを語る人間を、例えば団塊の世代の人たち、すなわちその大学時代はまさにジャズという音楽が同時代音楽で、もっともヒップだった時に青春を生きた人たちは、LPの溝が磨り減るまで聴いて、自分の耳でコピーしまくった人たちは、どう感じるのだろう?そして、今や、この菊地さんの講義を聴いた東大生が社会に出ているのだ。

菊地さんがキーワード的、記号的な表現を用いているにしても、どうもなんとなく音楽から身体が消えていくような感覚に襲われる。ま、私には旧い身体性があるのかもしれないが。


5月9日(水)  リベンジの夜

代々木・ナルにて、澄淳子(vo)さん、吉見征樹(tabla)さんと演奏。去年夏、耳を患ったためにキャンセルさせていただいた演奏のリベンジ。

実は、この三人での演奏は吉見さんが大阪から出てきてすぐの頃に始まっている。そやから、今から20年近く前になると思うねん。ひえ〜っ。

んで、今宵はずんこ姉がのっけからハイテンション。変わらず日本語の歌を発掘し続けていて、なんだか妙に楽しく演奏。


5月10日(木)  ああ、再びブラームス

翠川敬基(cello)さん主宰「クラシック化計画」の“裏ヴァイオイン・サミット”なる企画に、私は1曲だけ参加させていただく。

最初は、喜多直毅(vl)さんが現代曲のエチュードを数曲演奏する。超絶技巧を要するものらしい。
その次に、私がソロで、ブラームス作曲「ラプソディ ト短調」。
前半の最後は太田惠資(vl)さんと渡部優美(p)さんによる、フランクのヴァイオリン・ソナタ。第二楽章の冒頭の低音部の演奏が、私には深く印象に残る。あまり普段は見られない太田さんの表情を見たような気がする。

後半は、会田桃子(viola)さんと渡部優美(p)さんの演奏で、レベッカ・クラークというイギリスの作曲家が書いたというヴィオラ・ソナタ。作品が面白く、二人の息もよく合っていて、とてもいい演奏だった。絶品。そして、ヴィオラという楽器の良さを再認識させられた。その音色にあらためて惚れる。
最後はモーツアルトが16歳の時に書いたという、弦楽四重奏曲。

私が演奏したブラームスの「ラプソディ ト短調」は、高校2年生の時に、結局やらずにピアノのお稽古をやめてしまって、手元には先生から預かったぼろぼろの譜面だけが残ったという一曲。だから、最初の一頁くらいはなんとなく指が憶えていたものの、あとはもう、この歳になって、えっちらおっちら、どひぇ〜、と練習した曲。事実、せいぜい6〜7分の曲なのに、一回弾くと、もはや息がぜいぜい言っているという一品。

その先生も生きておられるのか、どうされているのか。少なくとも音信はとだえたままで、ま、そんなこんなで、個人的にはおとしまえをつけたかったという気持ちもちょっとだけ入っている。あと、この日は翠川さんの誕生日ということもあったので、下手糞ながらも心ばかりのプレゼント。

ああ、それにしても、その場の雰囲気、話の流れは恐〜い。耳のことがあって、練習をこなす自信が持てず拒否していたのだけれど、ついちょいと勢いで、「ソロでなら」と参加表明をしたのがウンのツキ。そこから始まったことだったが、ともあれ約三十年以上ぶりに、この曲を最初から最後まで演奏できる機会に恵まれてうれしかった。

友人から借りたCDも含めて、11人のピアニストの演奏を聴いてみて、イメージとしてはアルゲリッチとルビンシュタインを足して2で割ったような感じで創ってみたかったのだけれど。なにせ“狂詩曲”だ。音の強弱、特に音色、陰影、テンポ感を含めたドラマ性のようなもの、などなど表現についてはあれこれ考えをめぐらせてはみたけれど。されど、この指たちがそのように動いてくれたかどうか。・・・さてはてどうだったか。

そして、やっぱりブラームスが好きらしい私。しっかし、緊張するなあ。指は震えて、硬くなって全然動かないし。平常心になるのに多分1分くらいかかった。ああ、嫌だ、嫌だ〜。と言いながら、何故かおばさんは無謀にもさらに未知なる荒野を目指す、か?


5月13日(日)  昼から燃える

個人のお宅で開かれたホーム・コンサートで、喜多直毅(vl)さんと演奏。ランチ・タイム前に演奏するとのことで、朝8時半には家を出る。午前中からの演奏では頭も身体もほとんど寝ているに違いないと思いきや、昼間から二人で燃え上がる。おばさんは若者にたきつけられたわいわい?

主催した方の依頼で、“みんながよく知っている曲”も演奏。そりゃ、メロディーはみんな知っているであろう曲だったと思うけれど、果たしてあのような演奏を聴いたことがおありだったかどうかは定かではありましぇん。「アルハンブラの思い出」も、スコット・ジョップリンの「エンターティナー」も演奏したが、テーマも中身もテンポもなにもかも、時には自由に空を飛び、時には大地で歌って踊っている感じだ。

喜多君とはあらかじめ何の打ち合わせもせず、何一つ決めていなくても、呼吸や意思をよく感じ合い、すべてを聴き合いながら、曲を創っていくことができる。テーマの変奏も、その後の即興演奏の展開も自由自在だ。もともと黒田京子トリオもそうだったし、今もそうなのだが、どうやら私はこういう演奏が好きらしい。とっても楽しい。

それにしても、お客様のうち男性はただ一人。あとはすべて女性。すてきにお歳を召した方たちが大半だったが、女性のほうが外交的で活動的で、自分の時間を好きに過ごす術を知っている気がした。

★ ★ ★ ★ ★

<おしらせ>

去年から企画制作を始めた、門仲天井ホールでのコンサート・シリーズ『くりくら音楽会 ピアノ大作戦』。今年の秋の陣の出演者が決定しました。
ぜひっ、ぜひっ、ぜひっ、おでかけください!

9月13日(木)
      青木菜穂子(pf) & 会田桃子(vn)
      近藤達郎(pf) & 梅津和時(as,cl)

10月18日(木)
      井上郷子(pf) & 木ノ脇道元(fl)
      黒田京子(pf) & おおたか静流(vo)

11月15日(木)
      ウーゴ・ファトルーソ(pf) & ヤヒロトモヒロ(per)
      高瀬アキ(pf) & 井野信義(b)


5月17日(木)  うたの日だった

『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成十九年 春の陣』の最終回。

港大尋(pf,etc)さんはピアノだけではなく、ギターも演奏しながら、自作の歌を弾き語りされる。歌詞がなかなかシュールですてきだった。それにヒップホップ系のダンスを踊る坂本沙織さんが呼応する。

後半は清水一登(pf)さんとれいち(vo)さんのユニット“アレポス”が、やはりすべて自作曲の歌を演奏。詞とメロディー、さらにメロディーとそれにかなりハイパーなハーモニーを付けているピアノ奏者の関係が面白かった。れいちさんはよく歌えると感心することしきり。ちなみに、「歌の伴奏をしているつもりはない、僕は彼女と対峙しているつもりです」とは清水さんの言。

ということで、春の陣は3月と4月はかなり濃密な完全即興演奏、5月は歌、という音楽内容になった。

この場を借りて、足を運んでくださったみなさまに御礼申し上げます。
“秋の陣”もかなりバラエティに富んだ、濃い内容になりそうな気配です。ぜひぜひおでかけくださいますよう。


5月19日(土)  アラン・プラテル

アラン・プラテル・バレエ団の公演『聖母マリアの祈り vsprs』(全一幕)を、渋谷・オーチャードホールに観に行った。

正直、勉強不足を否めない私は、今回のこの公演について多くを語ることができない。

アラン・プラテルはピナ・バウシュに続く逸材として注目を集めているそうだ。ダンサーたち全員による振り付けが基本になっている点は、ピナと同じ手法を取り入れていると言っていいだろう。1956年生まれ、ベルギー出身。大学では心理学と特殊教育法を学んだとのこと。そうしたことにも関心があるためか、ダンサーたちの身振りや踊りには、“神経症”(痙攣など)の動きが一つのモティーフのようになっている。

ダンサーの中には驚異的な身体の柔らかさを誇る人もいたし、群舞というより、かなり個人を尊重した創り方になっていたと思う。また、一所懸命覚えたであろう日本語の言葉を話したり、ステージ以外に客席も使ったりしていたけれど、例えばピナを観た時のような、なんだかわからないけれど何かを感じて涙が出そうになる、という気持ちにはならない。

そして、この公演のもう一つの動機になっているのが、クラウディオ・モンテヴェルディ作曲『聖母マリアの祈り』(1610年)で、アラン・プラテルは16歳の時にこの曲と出会って、すべてを口笛で吹くことができるくらい、よく聴いていたそうだ。

音楽は生演奏。音楽・編曲はファブリツイオ・カソルという人で、サキソフォンを演奏。他に、彼のバンドのメンバーであるギタリストとドラマー。そして、ロマ音楽のバイオリン奏者とコントラバス奏者。古楽アンサンブルの人たちやトロンボーン奏者。さらに、オペラ・現代音楽・ジャズ・即興音楽となんでもやるらしいソプラノ歌手が一人、といった編成で演奏される。

ただ、舞台の幕が開き、通常のドラムセットが見えた時に、これはちょっと、と直感した印象はそのまま最後まで尾を引いた。ジャズとロマ音楽と古楽、を融合したから、なんだと言うのだろう?私にはその編曲がちょっと陳腐に感じられた。というか、途中で、エリック・クラプトンの曲でお涙頂戴的になっているし、モンテヴェルディといっても、かなり換骨奪胎されているように思われ、想像していた音楽とはかなりかけ離れていた。

(この件、もう少し勉強してから、再度とりあげます。)


5月20日(日)  競馬ピクニック

をを、晴れて、心地よい風も吹いているではないの。新しいスタンドが完成した東京競馬場の中に入っていく時、空がまるで切り取られたかのように見えた時は少々感動した。マルグリッドが描くような、雲が浮かぶ空、だ。

ということで、緑の芝生が美しい内馬場で、お弁当広げてビールやワインを飲みながら、今回はずいぶん大人数でわいわいと過ごす。馬券を買いたい人はそれぞれ適当に勝手に賭ける。メインのG1レース「オークス」は一着馬は予想通りだったものの、あとをはずして野口英世が3枚ほど消えた。

二次会の飲み会もわいわい。最後に入った喫茶店辺りから、頭ががんがんしてきた。熱中症だったかもしれない。家に戻ったらそのままダウン。ほんでも、な〜んも考えない楽しい一日だった。


5月21日(月)  トリオの楽しみ

大泉学園・inFで、黒田京子トリオで演奏。3月と4月はゲストが入ったので、三人だけで演奏するのはなんだか久しぶりの感覚。んで、やっぱりなんだか楽しい。

終演後、翠川敬基(cello)さん曰く、「このトリオは下手なのよ」の一言に妙に納得。決して上手くはない、躓きがある、訛りがある、洗練されていない・・・云々、がいい、のだろうと思う。


5月22日(火)  音響装置としてのピアノ

東京オペラシティで行われた、レクチャー・コンサート『西村朗 ピアノ曲の世界』に行く。これは作曲家である西村さんが自作曲を解説しながら、中川俊郎さんが実際にピアノで演奏をする、という企画のコンサート。

西村さんという方、ちょいとユーモアもある感じでお話も楽しかった。そのコンセプトや考えが明確で一貫しているように感じられ、少なくとも今回の公演では筋が通った形でまとめられていたと思う。

「ヘテロフォニー」、さらに「同質性と異質性の共存(あるいは、同質性の中にある異質性)」という考えは面白かった。というか、ピアノという馬鹿げた楽器を前にすると、だいたいそういうことを考える方向に行くような気がする。

ちなみに、私がアイヴスのモティーフを借用して作った曲に「inharmonicity」という曲があるが、これは「非調和性」という意味。これは、ピアノという楽器のことを勉強していると、必ずぶちあたる概念だと思う。西村さんの言葉による「ピアノという楽器は最初からヘテロフォニーだ」というのと、ほぼ同じ意味だと思う。

つまり、現代のピアノは平均率で調律され、美しいハーモニーを私たちに届けている(ように感じられる)けれど、乱暴な言い方をすると、ピアノという楽器が鳴るのは実はちっとも調和していないためだ。常に自己矛盾的な状態にあるといってもいいかもしれない。

そして、今回のコンサートでは、ダンパーペダルを踏みながら弾かれるトリル、ソステヌート・ペダルが作り出すエコー、倍音、音色、といった効果。歌うのではなく語るように、物語の中でこれまでの語法を活用する、最後はそれまでのすべてを含んだ“魅惑の音響の母体”としてのピアノと演奏者の身体性。・・・といった風に、時系列に並べられた6曲が演奏された。

ピアノという楽器の構造がもたらす倍音、その響き、という点については、私も以前からちょっとだけその奏法を試みたりしてきたつもりだが、今回のレクチャー・コンサートではより具体的にピアノの響きを身体で感じることができた。って、途中で気持ちよくなって、ちょいと眠ってしまったけれど。

そう考えると、先月『くりくら音楽会』で演奏したフレデリック・ブロンディさんのプリペアド及び内部奏法は、鍵盤を弾くという方法以外での、ピアノの“響き”の可能性を探ったものであることは明らかで、正直、私も聴いてみたかったというのが本音だ。

けれど、調律師さんがする整調作業と同じように、ピアノの内部をすべて外に出して、そのハンマーに細工をするのは、そのピアノの生命を奪う行為だ。ピアノはほとんど瀕死の状態になる。傷ついたピアノは決して元には戻らない。このレクチャーの途中で、並べられた二台のフルコンを目の前にして、「これでマンションが買える」と笑いながら話していたのは西村さんだけれど。


5月24日(木)  どう理解する?

こまばアゴラ劇場主催公演、劇団ハイバイの『おねがい放課後』を観る。

私は絶対笑わないような箇所で、私の百倍は笑っていた人、それも若い人、がたくさんいた。という現実。どこか乾いた笑い。どうして殴り合っているシーンであんなに笑うの?そのお客さんの反応に、私はとても困惑した。背筋が寒くなるような“時代”を感じてしまった。それは電車の中でマンガを読むサラリーマンや、化粧をする女性や、携帯電話をいじくっている人たち、を初めて目の当たりにした時のショックと似ている。

さらに、この劇団を主宰し、作・演出をしている岩井秀人さんという、1974年生まれの方。桐朋の演劇科を出ているそうだが、なんでも16歳の時から4年間、ひきこもりだったそうだ。

例えば、そのブログには「こっちゃ、引きこもったり喋れなくなったりやららなんやらで、ただただ他人を見続けて何年も潜伏してたんだ。目には自信がある。」とか、そのフライヤーには「今までハイバイは作演の僕「岩井秀人」の古傷や生傷をお皿にモリモリ盛って並べてきましたから」ともある。

で、驚いたのは、終演後のアフタートークに実のお母様が登場されたことだった。そのお母様は心理療法士をされているということだったが、作・演出家が実の母を招いてなにやらを語る、という事態に遭遇して、やはり戸惑った。

どう理解したらいいのだろう?

この芝居の主人公を演じるのは志賀廣太郎さん。「当の私が面喰っています」というチラシは、真っ黒な中に半裸の中年の身体をした志賀さんの写真だけが載っている。ご本人曰く、「旗揚げの時から注目していた数少ない劇団のひとつです」という一文が気になって、私は足を運んでみることにしたのだが。

その志賀さん。なんというか、このチラシの写真の志賀さん、そのものだったような気がする。芝居の中では、一年に3つ歳をとるという奇病を持つ、大学の演劇部に所属する、演技の上手な“志賀クン”という学生役を演じている。頭が禿げているので、カツラをかぶっているという設定も重要なポイント。志賀クンは相当威圧的な有名演出家にそのカツラを剥ぎ取られてしまったり、頬にビンタを喰らったりする。ほかに、オナニー・シーンや真っ暗闇の中でのセックス・シーンなどもある。

(なお、その演劇部の演出家は、実際の蜷川幸雄をパロっている。ちなみに、現在、世界の蜷川は桐朋学園芸術短期大学の学長も勤めている。作・演出の岩井さんも志賀さんも桐朋の演劇科出身。さらに、今、志賀さんは演劇科の講師を務めていたと思う。いいのか?って、いいんだろうなあ。)

昨年は「アンフェア」(民放のTV番組)や今年は「ハゲタカ」(国営放送のTV番組)などで、いわば名脇役のような感じで仕事をされていた志賀さん。一方で、「僕は平田オリザという人と出会って本当によかった」(志賀さんは平田オリザ主宰の青年団の役者さん)という彼は、この作・演出家の何に共感して仕事を引き受けたのだろう?ということが気になった。実際、平田オリザと同じように、口語演劇、それも実に学生言葉っぽい語り口で、すべてのセリフは作られているのだが、単純にそうした方法論だけに共感したわけではないだろう。

その辺りのことは話を聞いてみなければわからないけれど。ただ、何故か、志賀さんがどうして“役者”という仕事を選んで、舞台の上で生きているのか、がなんとな〜く、ものすご〜く、感じられた芝居だった。一役者としての“志賀廣太郎”を感じられたことが、正直、今晩の芝居を観に行った私を救った。


5月26日(土)から31日(木)  酒と洗濯の日々・その1

「酒とバラの日々」ならぬ、「酒と洗濯の日々」が始まる。実際、毎晩、お酒を飲む。って、私はコップ一杯のビールで昇天してしまうのだけれど。そして、溜まるのが洗濯物。普段着と演奏時に着る服とで二倍の量になる。これらを狭い洗面台でしこしこ洗って、ホテルの室内に干すことを繰り返す。宿泊した所にコインランドリーがあれば争奪戦が始まる、なんちゃって。

5月26日から6月7日まで、坂田明(as,cl)miiでの東北ツアー。今回もバカボン鈴木(b)さんが運転する車“バカボン号”で、仙台、盛岡、大槌、三陸町、一関、花巻、と6ヶ所で演奏する。さらに、今回は3回も温泉に入るという豪華オプション付きだ。

東北ツアーというよりは、岩手県ツアーと言うほうがふさわしいかもしれない。この坂田さんのトリオ“mii(みい)”が結成されたのは2000年のことで、ほぼ最初の仕事だったのがこの岩手県ツアーだ。その時のことは『聴く鏡』(菅原正二 著/ステレオサウンド)の「刺激的な友人の誠実な音楽に」の箇所でも綴られている。ちなみに、その中で、私は“正体不明”になっている。

岩手県ツアーは今回で4回目。すべてバカボン号での移動で、miiの活動も丸7年、8年目に突入したことになる。思えば、北海道から九州、ヨーロッパまで、まあ、実によく旅をしているトリオだ。もはやもうほとんどそれこそ“バカボン一家”という感じで、お互いの良いところ悪いところもすべて飲み込んで、時々ミジンコ観察をしながら、全員で「修行」をしているようでさえある。(そうなると、今回も盛岡、一関、花巻と加わる坂田さんの息子さん、学君はいわば“はじめちゃん”だ。)

盛岡でかつて伴天連茶屋をやっていた瀬川さん、大槌でクイーンというジャズ喫茶をやっている佐々木さん、一関・ジャズ喫茶ベイシーの菅原さん、花巻でぐがんというジャズ喫茶をやっていた浅野さん、いずれも40年を超えるジャズ歴を持っている、いわば岩手県のジャズ文化を担って来た重鎮とも言うべき人たちだ。これらの人たちが、坂田さんのために、動く。

さらに、盛岡では紅茶の店しゅんの松本さん、盛岡在住の方たちを中心とした岩手ジャズ愛好会のみなさん、大槌では“とびゃんこ”の方たち、花巻は“IAS(イーハトーブ・アート・ステイション)”の人たちなどなど、大勢の方たちが今回のツアーを支えてくださっている。(岩手ジャズ愛好会のBBSに写真などが掲載されています。)

最初に書いてしまうが、お世話になったみなさん、足を運んでくださったお客様、すべての方たちに、この場を借りて心から感謝いたします。

ってなことで、簡単にご報告〜。


★★★★★★★


26日(金)
正午少し前にバカボン号が迎えに来てくれて、坂田さん宅を経由して、東北道をひた走る。この道、いったい何度走っただろう。仙台に着いたのは夜6時半頃だっただろうか。夕飯は地元の人しか知らないような、すこぶる美味なお店で。お刺身、ウニなど絶品。

27日(土)
夜は主催者の方が借りた、仙台・VILLEVAN(ヴィレヴァン/ヴィレッジ・ヴァンガードの略だそうだ)で演奏。打ち上げはこれまたオーガニックの美味なところで。元生徒が来てくれていて、2〜3日後に誕生日だというので、みんなでお祝いの歌をうたう。

28日(日)
当初、二戸で演奏する予定だったのが消滅し、盛岡ICから約40分走った、岩手山のふもとにある網張温泉へ。ゆっくりお湯につかり、早めに就寝。ここのところちょっとひどかった左肩の痛みが消え、久しぶりに約8時間爆睡した。やっぱり温泉はえらい。

29日(月)
瀬川さんに連れられて、“ミジンコ探検隊”は秘境の沼へ。んが、普通の運動靴ではとても登れないような山道だったので、松本さんと私は途中で引き返す。それで小岩井農場の方へ散歩に行き、駐車場の向こうに広がる一面の菜の花畑に心を洗われる。岩手山を背景にする一本桜というのも見た。

予定の時刻になっても山から下りてくる気配がない3人がちと心配になる。もちろんケータイのアンテナは立たないような山奥だ。そうこうするうちに、1時間くらいしたら姿が見えた。ズボンの裾は泥だらけ、靴はびしょびしょ状態のみなさんだった。

それから遅めのお昼を食べて、そこでバカボン号のみなさんと別れ、私は盛岡市内へ。盛久旅館(今はやっていない/現在放映されているNHKの朝ドラの老舗旅館と間違えられるらしい)が一部を改造して造ったというギャラリーで、叔父たちが展示会をしているというので、それを観に行く。そこでいきなり東京からやってきた母と会う。母は日帰りするつもりだったようだが、結局ホテルに予約を入れ、とりいそぎ泊まるのに必要な買い物に付き合う。

夜は主催者の方たちなどと食事をして、ミジンコを観察する。ちなみに、今回はこれまでのツアーでもっともたくさんのミジンコ観察道具が車に載っている。新参道具は立派なデジカメ付きかつ照明付き顕微鏡。ミジンコを見て狂喜乱舞の時間を過ごし、その後、初めてじゃじゃ麺をいただく。

30日(水)
午後、地元のラジオ局の生放送に坂田さんとちょっとだけ出て、コンサートの宣伝をする。夜は盛岡・おでってホールで、坂田学(ds)君を迎えて演奏。音響の設定に少し時間がかかる。バカボンさんはドラムスが入ったことで、スティックベースも演奏。大きな音や電気系統の音に、この耳はまだ充分に対応できず、やむを得ず耳栓をする。


31日(木)
オフ。お昼に大根おろしでいただく、それは美味なるお蕎麦を食べて、遠野へ向かう。途中、千葉家の“南部曲り家”を見学する。小雨に煙る新緑の山々と田植えが終わったばかりの田園風景が美しい。夜は地元の人に紹介してもらった居酒屋で、店主のはからいもあって、おいしいお魚などをいただきくつろぐ。




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