記事タイトル:家畜飼育について 


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お名前: 魔   
めんどくさすぎ
[2007/07/02 12:11:56]

お名前: 大学生   
中川先生や多くの皆様、お返事ありがとうございました。

中川先生の家畜飼育に対するお考えがわかってすっきりすることができました。

家畜飼育は学校の環境や子どもの命に対する概念の発達段階が適切なものであるなら
ば効果があるということ、しかしその効果だけが先行して広まってしまっては、環境
が整っていない学校が無秩序に家畜飼育に乗り出し、子どもに逆効果を与えてしまう
危険性がある、ということですね。

愛情飼育が充分なレベルにないところに家畜飼育を急に実施することは危険です。また、
実践する先生の覚悟や意識が弱いと本当に中途半端に終わりかねないことが考えられます。

チーママ様の
「家畜飼育が良いのか愛情飼育が良いのかは、
その学校がどのレベルにあるかによると思います。
条件が整ってこそ、効果の期待(あくまでも期待!)が出来るものなのです
家畜を飼う前に、
小動物をちゃんと飼えるようになるのが先です。」
というお言葉、本当にその通りだなあと思いました。

私の書き込みの中に「高学年だから愛情飼育じゃ役不足」というような表現があり、
誤解を招く表現だったと反省しています。
言い訳になりますが、私の大学がある地域は、非常に総合学習や生活科が盛んであり、
先進的な地域です。私が観察した子どもたちも、生活科などからずっと愛情飼育を経
験してきた子どもたちでした。このように、愛情飼育の経験があることを前提として
「高学年ではもっと・・・」という発言をしてしまいました。すみません。

しかし、高学年の学びの理想の姿を持っていたことは否めません。きっと先進的な
学校の取り組みを多く見ることによって、その高いレベルを普通と感じるようになっ
ていたのだと思います。しかしそれは私の住む環境にたまたまそのような学校が多
かっただけなのでした。全ての学校が違った環境にあるのに、一括りにして考えて
いた自分に気付くことができました。ありがとうございます。

私の、家畜飼育実践に対する賛成の思いは変わってはいませんが、これからはその
教育効果だけを声高に叫ぶのではなく、効果があったのは子どもたちの過去の体験
や周囲の恵まれた環境があったからからこそであるということを強調して周囲に報
告しなければいけないということに気付くことができました。ありがとうございま
した。
[2006/01/16 13:28:01]

お名前: 為谷 邦男    URL
はじめて書き込みいたします。
「Pちゃんと32人の小学生」の本は読んでいませんが、テレビ放映はたまたま見ました。
結果としてPちゃんは食肉処理場へ送られました。
もし逆だったらどうだったのでしょう?その後も飼育したとすると、
学校側の負担も大きかったでしょうね。
で、私の思いは、豚や牛などもウサギやアヒルと同様に、飼って欲しい、
ということです。飼えるだけの場所を作っても、です。
ただし、2〜3年飼って食肉処理場へ送るのではなく、
天寿を全うするまで飼って欲しい、ということです。
ウサギやアヒルなどはよく飼われていますね。でも食肉処理場へは
送らないでしょう?
それと同じように、死ぬまで飼って欲しいのです。
豚や牛の寿命が私は何年か知りません。10年?15年?20年?
エサ代もかかるでしょう。糞尿の処理も大変でしょう。
でも、飼って出荷するのであれば、畜産業者とおんなじです。
子どもたちには豚、あるいは牛が何年生きるのか、生きながら人間と
どのようにコミュニケートしていくのか、を学んで欲しいと思います。
大量のエサが必要であることも、糞尿の処理も大変であることも含めて
知って欲しいのです。
なにが言いたいか、と申しますと、
豚も牛も、人間に慣れる、なつく、ということです。一緒に遊んでくれます。
日本人が好んで飼っているペットの犬や猫みたいな存在になりうるのです。
そういう事を身をもって体験させてあげたいのです。
また、大量のエサが必要なこととか、糞尿の処理の大変さとかも
知って欲しいのです。
それは学校教育でしかできません。
動物を自然死するまで飼うことができないのなら、
学校で飼育はするべきではないと考えます。
[2006/01/14 22:26:16]

お名前: 川村幸治(ムクムク)    URL
学校で動物を飼育すると言うことは

そこに当然教育的見地というものが存在します。
教育的な目的がなければ学校で動物を飼育する必要がない。
小学生を対象として考えてみましょう。
1.自分より力の弱いものをいたわる精神が養われます。
2.誕生より死まで経験することにより、命という概念が認識される。
 (ゲームと違って一度失ったら二度と復活などしないんだという)
3.休み中も交代で当番をすることにより責任感と辛抱強さが養われる。
他にもあるとは思うのですが、家庭のペットが求められるものと異なると
考えています。
かわいいだけで飼育するのなら家畜のレンタルが一番お手軽でしょう。
ただ、123の効果はいかがでしょう。
子ども達に小動物まかせっきりというわけにはいかないですね。
学校側は健康的な飼育を心がけ、近隣の獣医師が定期的に訪れて指導すると
いうのが理想かなと考えています。
ようは、学校で動物を飼育することは人を育てる上で教育の一環と位置づける
べきでしょう。
[2006/01/13 16:55:14]

お名前: 中川美穂子   
チーママ様
 ご投稿ありがとうございます

 2つだけ
  アヒルは水鳥ですので、いつも池に浮かんで足を休める種類です。
 ところが学校では 池が充分でなく、水があっても浅くて足を休められない場合
が多いです。そうすると数年のうちに足を痛めてひきずるようになります。
あるいは池があっても直ぐに汚れて腸炎を起こすので、水替えが大変です。
 だから、掃除をしなくても良い位の池のある施設なら(頭もよく意地もあり、夜も
  目が見えて番犬ならぬ番鳥になりますので)おすすめですが、そうでなければ
  おすすめしていません。

豚の話、(Pちゃんと32人の小学生)という10年後に書かれた本があります。
  書いてあることは、「あの時こどもたちは考えてもみないような反応を次々
  起こしていった」「10年経ってもこどもたちと話しあっていない」「悲しみ
  を共有した」ということです。
   しかも経過のビデオをずっと撮っている人があり、最後に教育テレビに持ち込ん
   だそうですが、教育テレビの人が見ている内に怒りだし
   「こどもたちが可哀想でならない。これは教育でも何でもない、トライ  
    アンドエラーだ」と言って、放映を断ったそうです。
     その後、フジテレビに持ち込み放映され、こどもたちが悩んだのが良い
   とのことで、賞をとり、この先生は、今大学の先生になっています。

    しかし 大きな勘違いです。子どもは飼育をしていて一番嬉しいのは、
   良い糞をしたとき、といいます。それは母親がまずおむつをみて、
   良いうんちだとほっとする、と同じです。
    3年生という多感な頃から かわいい子豚を飼い始め、3年間も
   名前をつけて可愛がった末に、大人達からいわれて、自分たちで
  と殺場に送る、と、決心させられた、と言うことです。
   大人はよってたかって、子どもを、「我が子を殺す親に育てたいのか」
   と、・・・絶句します。


  多くのテレビの人は、珍しいもの、話題性のあるもの、に飛びつき、
 学校も特色ある学校として、目立つことをしたがりますが、
 子どもの許容度、本来の姿は、変わりのないことです。
   本当にやるべき事を大事にして、人間を育てて欲しいと 親としては
 あ、(もうおばあちゃんですが、)思います。

 なお、昨日テレビ関係者と話した折り、この豚の話がでましたが、
ちょうど教育関係者もおられましたので、そのかたが、一番まずい事例だと
評しました。
 「教育とは、どうしたいかを、教師が見通しをもって行うことであり、
 この豚の話は、それが甘く、こどもたちを傷つけた、
  現に、最近の成長後の報告のテレビ番組で、「良い体験だった」と話したお子さんも
 いたが、何人か子にモザイクがかかっていたが、思い出すのも嫌や、
 もう関わりたくない、考えたくもないと思っている子なんだろう、」

 と、テレビ関係者に、報道のあり方をお願いしていたようです

実は、私は講演の中で、Pちゃんをと殺場におくらざるを得なかった
、また号泣してトラックに追い込んだ子どもたちの話しをするとき
用心しないと泣いてしまいます
 生木を裂くような話しだと思っています。

 飼うときには、結果を予想して 飼って欲しいわけです。

   なお 私は動物好きですので、
   シジミでもお鍋で砂抜きしているときに、ピューと潮をふくと
   可愛いですが、さぞ熱いだろうと思いながら、後ろめたい気持ちで料理します。

  また、キャベツを切るときも、電流を通して人と交流する植物や
  音楽を流すと良い花を咲かせる 等の話しを思い出すこともあります。

 なんでも命をいただいているわけで、チーママさんが
おっしゃるように、どこに境があるか、ちょっと分からない訳です。

 ウサギも鳩も 世界では食糧にしている国が多いです。
 みな痛み・悼みを伴って いただいていると思っています。
   

   
 
[2006/01/13 10:03:08]

お名前: チーママ   
はじめまして。藤井と申します。一主婦でただの母親です。

以前TVで豚の家畜飼育に関してみましたが、それの事でしょうか。
もっとも生かすか殺すかの判断に迷う姿に「何を今さら。君達が始めた事。責任取り
なさい」とあきれてみていたものですが。
幸い効果があったようですが、全員が全員プラスになったのかが気になりました。
結果は大人になってはじめて分かるものですからね。

中川先生は、家畜飼育に何でも反対なのではなく、効果ばかりを注目して家畜飼育を
安易に取り入れて欲しくない、と思っていらっしゃるのだと思うのですが。
家畜飼育は劇的な100%の効果があるかもしれないが、厳しい条件が必要だし、
万が一中途半端にした時の逆効果は計り知れない。
愛情飼育は平均60%の効果しかないかもしれないが、ほとんどの学校でやろうと
思えば実行でき、充分に活用すれば100%近い効果にもなり得る。
だからまずは愛情飼育を基本に考えて欲しい。
そういうおつもりではないかと・・・ いかがでしょう?
西洋医学と漢方医学みたいですね。

地域差というものは大きいですね。
全国一くくりに出来るものではないし、家畜飼育が良いのか愛情飼育が良いのかは、
その学校がどのレベルにあるかによると思います。
愛情飼育が充分なレベルにないところに家畜飼育がいきなり飛びこんでは、川村さん
がおっしゃるとおりに「命って簡単に消えるんだ。だから大切にしなきゃ」ではなく
「ふーーん。なんだこんなもんか。命なんてどって事ないじゃないか」となりかねません。
子供は結構白黒の世界、スイッチON・OFFの世界に生きているんです。
そうじゃないよ、白黒以外に白っぽい灰色も限りなく黒に近い灰色もあって、それが
世の中だって言う心の広さを持たせるのが、愛情飼育だと思います。
まずは愛情飼育ありきだと思うのです。

子供の成長過程を見ると、幼い頃は大変残酷な面を持っています。
アリさんつぶしちゃった。
チョウチョをとってギュッって握って死なせちゃった。
まだ命というものの本質を認識していないからです。
そこでもし親がきちんと対応できていたら、子供は次第に命について理解する
でしょうし、学校が大騒ぎで取り組む事でもありません。

また命を理解するのに年齢は関係ありません。
赤ちゃんの頃から人間以外の命が回りにあふれていれば、幼稚園生でもその子の
レベルなりに理解します。
反対にそういう環境になければ、高学年になろうが、大人になろうが分からない
ものです。
現代において、まず親が知りません。先生が知りません。
それでは、子供が知りようがないでしょう。
環境が整わないうちに、家畜飼育は出来ないのです。
家畜を飼う前に、小動物をちゃんと飼えるようになるのが先です。
中川先生は、そうした現状を経験なさっているからこそ、家畜飼育の効果ばかりが先行し
先走る事がないようにとの懸念がおありかと思います。

動物は薬ではありません。どこでも誰でも、一定の効果が得られる薬とは違うのです。
条件が整ってこそ、効果の期待(あくまでも期待!)が出来るものなのです。
ですから、小学校の高学年だから愛情飼育じゃ役不足なんて思っているとしたら、
それこそ子供というものを理解していないと考えます。
高学年だろうが愛情飼育から始めなくてはいけない子がいます。
低学年だろうが、家畜飼育が出来る子がいます。
それを十把ひとからげに「何年生だからコレ」というものではないのです。
そして多くの小学校では、家畜飼育を出来るレベルと環境が整っていないでしょう。
まずは鶏やアヒルやうさぎが健康に天命を全うできるレベルにあってこそ、
次の段階が家畜飼育だと思います。

小学校において、家畜飼育は大変高レベルの教育であると思います。
どんなにしても、子供は一律同じではありませんので、トラウマを抱える子も
いるはずです。そうした場合の心のカウンセラーも必要です。
であれば、無理に家畜飼育に走らずとも、「命を考える」という目的は愛情飼育
でもかなりの効果が期待できます。
実際きちんと愛情飼育するという事は、動物の体のつくりを調べ、習性を調べ、
病気を調べ、定期的に健康診断し、どうしたら健康に天寿を全うさせる事が出来る
かを1日も休むことなく続ける事ですから。
ただ「好きになって、可愛いく思えればゴール」ではありません。

しかし、他の動物の命が自分の命をつないでいるのだという教育は、大変大事です。
魚は海に切り身で泳いでいるわけじゃありません。
豚は寝ている間に、ソーセージになるわけじゃありません。
動物を食べなきゃいいじゃないかと言う向きもあるかと思いますが、それは個人の
嗜好です。
ホモサピエンスは、動物蛋白も摂って生きるのが基本なのですから、その大元から
目をそらしてはいけません。動物と虫と植物との境目は何でしょうね。
命にかわりはありません。動物であれ、魚であれ、野菜であれ、命をもらっている
のにはかわりがなく、感謝すべき事なのです。
学校で可愛がっている鶏とスーパーの棚に並ぶ鶏肉とがイコールになる教育をすれば
充分です。可愛がっている金魚と魚屋さんの魚がイコールになれば良いのです。
学校の鶏の卵を食べる、飼っているヤギのミルクを飲む程度でも十分です。
何も「家畜を食べる」がゴールの飼育教育ばかりにあこがれる必要はないと思いますよ。
高度な条件が整うなら、家畜飼育は爆弾並みの威力はあると思いますよ。
そして、かかわる大人達が「子供達が愛情持って育てた動物を殺して食す」という事に、
何があってもサポートするという本当の覚悟があるなら。
[2006/01/13 00:35:03]

お名前: 川村幸治    URL
ちょっと横入りさせていただきます。
私は獣医師ですが、高校は農業高校の畜産科出身です。
畜産科というのは動物を利用して経営を学ぶところでしたが、私なんかは多くの学友と
同じく学校の動物を盆正月も関係なく学校に行って世話をしたものでした。
思春期の男の子ですから片想いの女性の名前を豚に付けてブラシをかけてやったりするのです。
でも畜産科ですから、ある日学校に食肉検査場から獣医師さんを招き、学校でそんな
風に育てた豚を自分たちの前でと殺しました。
いつもは軽口をたたき合っている私たちもこの時ばかりは神妙な面持ちで頭を下げました。
その後は収穫の祝いです。解体し、肉を切り分け、何日も学校に泊まり込んでハムや
ベーコンを作りました。 今になってはいい思い出というより、自分の人間形成に非
常に役立ったと考えています。 それまで手を汚さずに食べていたものが、どのよう
にして供給されているのか。 少し哲学的に言えば自分が何者なのかわかったような気
がしました。
自分の考えをまとめるというか、人間形成に畜産科にいたことは大変役立っています。
でも、同じことを小学校の時代に経験していたらどうでしょう。
逆に非常に無感動な人間になっていたかもしれません。
物事は人間の成長度合いに合わせて行うことが必要だと考えます。
15日の第4回学校飼育動物研究大会には、私の後輩が山羊の飼育で壇上に立ちます。
とても楽しみにしております。(笑)
[2006/01/12 20:10:04]

お名前: Brandy   
なぜ、動物を食べ物だと思わせる教育が必要なんですか?

動物を食べなくても生きていけます。そう考える親や子供の考えを無視して肉好きの
教師や子供達の為だけに学校で食の為に動物を育てるのですか?

畜産動物の現実を授業で話してもらうほうが、子供の為になると思います。

http://www.jazzmens.net/vegetarian/pics_killed.htm
[2006/01/12 15:33:41]

お名前: 中川美穂子    URL
どちらの大学生さんでしょうか?

誤解をなさっているように思います。
 コピーなさったように、私は以前から
「家畜飼育は、魅力は大きいのですが、手間も知識も費用も掛かります。とても、学校
だけの手には負えないでしょう。地域の農家、獣医大学、畜産大学
の手助けなど、地域の協力の度合いにより行うもので、無理して行うべきではありま
せん」と
 言っております。つまり全面的な支援があるなら、出来るとの意味です。

「その小学校では、地域の農家の方、獣医さん、農業
高校の方など多くの方に協力していただきながら、すばらしい実践をされていました。 
 家畜飼育実践の実績もあるため、保護者や地域の方の賛同も得ています。」
 のなら、問題はないかと思います。
なお、お読みになっているかもしれませんが、平成13年に書いたものを
先ほどから、アップしようと苦労しておりました、
やっとできましたので、URLに書き入れました。
御参考になれば幸いです。

 家畜の飼育は地域性が大きい事を御理解ください。
これが良いと宣伝なさると、無理して家畜を飼おうとする先生が
おられるでしょう。それでは弊害がでます。

 つまり小学校では、家畜を飼わないでも、
一般的な小動物でかなりの効果を得られると言うことで、
私たちは、いつでも どこでも、だれでも行える
丁寧な飼育活動を
提唱しています。

 
[2006/01/11 23:20:36]

お名前: 教育大 大学生   
私は教育大学に通う大学生です。
 現在、総合学習における家畜飼育の意義を研究しており、その一環としてある小学
校の家畜飼育実践の継続観察や、過去の実践事例を分析したりしています。
 その小学校では、高学年に家畜を飼育するという実践が何年も前から行われていま
すが、そのねらいは「人間が生きていく意味」や「いのち」について考えるというも
のです。

 中川先生が家畜飼育に対し反対されていることは先生の論文やHPからわかったの
ですが、その根拠とされているお考えに少し疑問を感じました。

 愛情飼育の重要性や必要性は私も同感です。しかし先生はその必要性を「幼児期か
ら小学校中学年まで」と言われていますよね。 それでは、高学年ではどうなのです
か?
 生活科の段階では、私も愛情飼育がふさわしいと思います。しかし、高学年ではそ れでは足りないのではないでしょうか。
 高学年の総合学習は、自分の生き方を考える・見つめ直す というでなければ意味
がないと私は考えています。高学年は、ただ飼って「かわいかった」「楽しかった」
で活動を終えてはいけないと思うのです。

 私が見た実践で子どもたちは、飼っている家畜をとてもかわいがりました。愛情を
持って接することで、生きている命というものを実感していきました。しかし、去勢
や出荷という家畜特有の試練に向きあっていく中で、人間が家畜にしている行為を知
り、そして自分もその人間の一員であることを考えていきました。
 家畜をかわいそうだと言っても、自分自身も家畜の恩恵を受けて生きていられるこ
とに気付き、葛藤をしたのです。
 この葛藤は、愛情をもった飼育があったからこそ起きるものだと思います。中川先
生は「殺すことが予想される動物には、情愛を沸かさないように扱いに注意しましょ
う」とおっしゃっていますが、それでは葛藤は起きず、子どもは「家畜は人間のため
に飼われているんだからしょうがない」と、殺される家畜に何の思いも抱かなくなっ
てしまうのではないでしょうか?

 「子供の情愛の対象は殺してはならないというのは、動物と子供の関係の鉄則」と
いうことは納得できます。社会の理屈がまだまだ理解できない幼児期にはもちろんそ
うでしょう。幼い子どもからかわいがっている動物を取り上げて殺してしまっては、
トラウマになってしまうと思います。
 しかし、小学校高学年は違います。社会の関係についてきちんと理解し、考えるこ
とができます。自分たちが食べているものがどうやって出来ているのか、またそれを
支えている生産者の方々の努力などは、知らなければいけないことだと思うのです。

 また先生は、「家畜飼育は、魅力は大きいのですが、手間も知識も費用も掛かります。とても、学校だけの手には負えないでしょう。地域の農家、獣医大学、畜産大学
の手助けなど、地域の協力の度合いにより行うもので、無理して行うべきではありま
せん」とおっしゃっていますが、その小学校では、地域の農家の方、獣医さん、農業
高校の方など多くの方に協力していただきながら、すばらしい実践をされていました。 
 家畜飼育実践の実績もあるため、保護者や地域の方の賛同も得ています。

 先生が家畜飼育に反対されているのは、低学年や中学年までだと思います。しかし
このように高学年においては、家畜飼育がその反対理由に当てはまることは必ずしも
無いと思うのです。
 このような家畜飼育実践で教育効果があると認められていても、中川先生は家畜飼
育にご反対なのでしょうか?そうでしたらその理由もお聞かせいただけましたら幸い
です。

 なお、その理由をどこかの論文、または研究会などで発表されているとしたら大変
失礼いたしました。研究会などにも参加させていただきましたが、申し訳ないことに、
このHPに書かれている上記以外の反対理由を見つけることが出来なかったのです。

 突然のぶしつけな質問、失礼いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
[2006/01/11 16:56:43]

このテーマについての発言をどうぞ。
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