寂場山菩提寺(瀬戸市上品野町) 瀬戸MENU

舟形高42p 一 面二臂 立像 

   
【左】ほのぼのとした立像    【右】□の中が問題の銘

    石仏がたくさん
上品野口で信州飯田街道から別れ,名古屋学院大学へ向かう広い道を1qほど進むと,左側に「初えびす」の大きな看板が見えてきます。ここから今どき珍しい未舗装の道を西へ辿ると天台宗の寺,寂場山菩提寺に至ります。手もとの地図には「観音堂」としか出てないので,看板を見るまで本当にここでいいのかドキドキ…(笑) 尾張東西三十三観音二十九番霊場だそうです。境内には赤い被り物と涎掛けをつけた,丸彫りの地蔵菩薩坐像が点在していました。

山門をくぐって進み,長い石段を上ると正面には昭和36年再建の本堂。左手の木陰に,たくさんの石仏を納めた横長の祠(?)がありました。薬壷を手にした薬師如来をはじめ,聖観音,十一面観音,千手観音,如意輪観音,地蔵菩薩などの石仏が37体も並んでいました。三十三観音なのでしょう,舟形に番号を刻んだものもあります。鉾(戟)などの武具を手にした多臂像も何体かありますが,額には馬頭ならぬ化仏らしいものが付いていますから,不空羂索観音か准提観音のようです。

   江戸期の道標仏
馬頭観音と思われるのは前列左端の一面ニ臂立像です。馬頭は小さめで,頭の上にちょこんと載っています。逆台形でかろうじて馬頭と判別できます。顔は面長で,大きめの鼻が目に付きます。半眼にした表情からは,なんだかのんびりとした感じが伝わってきます。三面像と違って,一面像ではこうしたほのぼのした顔立ちが見られますね。彫り方はていねいながら素朴で,衣の表現などもいくぶん稚拙な感じがします。

風化が進み,銘文が読み取りにくいのですが,向かって左側には「山道」「定光寺」と刻まれており,道標仏として立てられたことが分かります。飯田街道に沿って置かれていたのかもしれませんね。道路が整備されたときに,この寺に引き取られた可能性があります。いっぽう,右側の銘文は「□□□□四月二日」。「享」はなんとか分かりましたが,1字目が分かりません。「貞享」でしょうか,それとも「延享」でしょうか。貞享は1684〜1688年,延享なら1744〜1748年です。貞享の17世紀末では古すぎるようにも思います。ひょっとしたら「享」が元号の最初の文字で,「享和」かもしれません。これなら1801〜1804年ですから,いちばん可能性は高そうです。


が馬頭観音 は水北町のそっくりさん

   水北町の馬頭観音に…
居並ぶ石仏を見ていて,ふと水北町の馬頭観音を思い出しました。下半身がふっくらした3体(下左の写真)の体つきが,本当によく似ています。こちらは馬頭観音ではなく,左が聖観音,右が千手観音。蓮華を手にした中の石仏は,聖観音の可能性も拭えないものの,頭に化仏を5つ付けた虚空蔵菩薩か,はたまた勢至菩薩か…?左の聖観音が一番ふっくらとし,千手観音は“やや”といったところです。顔の輪郭などが違いますから,同じ作者の作品だとするには無理がありますが,くっきりとした目の表現なども共通し,よく似た様式といえます。ちなみに水北町の馬頭観音には寛政3年(1791)の銘があります。

   
【左】左が聖観音,右は千手観音,中は?    【右】水北町の馬頭観音