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1998年9月 EJインタビュー その3

出典:EJ-l Mailing List dd 28/Sept/98
copyright: Park Street/Eric Johnson, 1998
「日本語文責: 山巻 由美子」

PS:
ブラジル音楽をどう思う?
EJ:
詳しくは知らないんだけど、聴いたものは気に入ったよ。Milton NaciementoとJobimは好き。Laurindo AlmeidaかCarmen Mirandaがブラジル人だったっけ? Carmen Mirandaの歌、聴いたことある? 彼女、ほんとにすごいよ。
ほとんど無名なんだけど。
PS:
さて、これから、Mariani以前と、Marianiの話をしたいと思うんだ。まず、Marianiは、君の最初のバンドじゃないよね。
EJ:
オリジナルのバンドという意味では、最初のバンドだよ。つまり、コンサートやオリジナルな音楽作りについてちゃんとコンセプトを持った人間と一緒に、オリジナルなものをやるバンドという意味ではね。その前は、コピーバンドにいたんだ。
PS:
初めて人前でプレイしたのは?
EJ:
Eleventh Doorっていう所で。今はSymphony Squareになってるとこ。13才の時。
PS:
何ていうバンドだった?
EJ:
Sounds of Life。Mariani加入以前に、僕が主にプレイしてたコピーグループだよ。Paul Rabbitともプレイしたな。Marianiに加入したばっかりの頃、2ヶ月間ばかり。Electromagnetsに入る前のことだけど。Sounds of Lifeは13の時ね。
PS:
その頃のテープなんかはあるのかな? 君はまだ持ってる?
EJ:
録音したことなんかないんじゃなかったかな。Battle of the Bands
(訳注:「勝ち抜きバンド合戦」とでも言うべきものらしい)とか、フラタニティのパーティやクラブでプレイしてた。
PS:
Battle of the Bandsで、勝ったことは?
EJ:
ない。
PS:
誰が勝った?
EJ:
John StahaelyがいたShepperd's Bushが勝ったことがあるのは憶えてるけど。
  あのバンドはよかったよ。Johnは僕のヒーローだったんだ。
PS:
さてそれじゃ、Marianiに行こうか。どういう訳でバンドに加入したの?
EJ:
Sounds of Lifeでやってた訳だけど、ある時ドラマーが、もう僕らと一緒にやらないと言い出したんだ。で、キーボードのJay Wagnerが電話帳を開いて、「このVince Marianiっていうドラマーはすごくいいらしいよ。電話してみよう」と言ったので、僕らはVinceに電話して、いつもジャムをやる場所だった僕の実家に来てもらって、一緒にジャムったんだ。Vinceは、それほど気乗りしてなかったんだけど(笑)、でもあとで僕に電話して来て、オリジナルをやることに興味はないか、と言った。
PS:
もうベース・プレイヤーは確保してあったのかな?
EJ:
いや、でもとにかく一緒になって、色々違う人たちとジャムしたんだ。Larry Nyeが、しばらくベースを担当してくれた。彼は今じゃ、カントリーロックのSteve Fromholtzとギター弾いてるけどさ。それからVinceはコロラドに行って、ZephyrやBoenze Cryque(原注:スペル不確実)やHerbie Rich & The Electric Flagとプレイして、また戻って来た。
PS:
Vinceの音楽は、もう確立されていたかい?
EJ:
いや、一緒になって発展させたんだよ。
  Vinceはコロラドから戻ってから、グループを作ろうと決めたんだ。Bill JoseyっていうプロデューサーがVinceに興味を持ったのでね。そもそも、VinceにはJimi Hendrixのとこのドラマーのオーディションの話があったんだ。それで、Hendrixのマネ−ジメント会社に送るために、"Pulsar"というソロドラムの曲を録音してね。1969年のことだよ。Mitch Mitchellが辞めて、Vinceに「テープを送ってくれればオーディションする」って話があったもんだから。でも、オースティンのプロデューサーであるJoseyに出会って、彼が一緒に仕事してたJohnny Winterも「ここに留まって、自分のやりたいことをやらないか?そうすればレコード契約も出来るよ」と言ったので、その時点で、Vinceは僕に電話して来て、バンドとして一緒にやり始めたんだ。
PS:
シングルを出したよね。それは"Pulsar"?
EJ:
えーと、まずドラムソロの"Pulsar"が出て、それから"Re-Birthday"っていうシングルを出したんだ。
PS:
そのシングルは持ってる?
EJ:
うん。と思う。
PS:
Marianiでの、初めてのギグは?
EJ:
最初は、Kingsland Pop Festivalだった。これは、Charlie Hatchettの主催で市街地域になる以前の北オースティンのHoward Laneはずれでやるポップフェスティヴァルでね。大規模なショウだったよ。毎回たくさんのグループがプレイしてた。ZZ Topも出てたよ。僕らは2、3回出た。
  Hill On The Moonて催しで、City Parkでもプレイしたな。テキサスでは、Corpus ChristiやWacoといった場所で2、3回ギグやった。あと、サンアントニオではJoe Millerが所有するJam Factoryという所でプレイしたよ。新進のグループがたくさんプレイする、すごくいかしたクラブだったな。Zeppelinが初めてサンアントニオに来た時、そこでやったんだ。Deep Purpleもそう。
よくDeep Purpleと一緒になったよ。
PS:
君は、まだ酒も飲めない年だったんだよね?
EJ:
うん、でもバックステージでビール飲んでた(笑)。Deep Purpleと一緒のギグでは、ちょっとビール飲み過ぎて、弦をきちんと張っとくのを忘れちゃったことがあってさ。最初の曲弾き始めたら、全部の弦が、全く調子外れなんだ。
曲を止めて、やり直さなきゃならなかったよ。
それにしても、V-Highパブリックサウンドシステムを使ったいいクラブだったね。そのシステム憶えてる? あのクラブに行ったことある? 1970年のことだったんだけど、君はその頃まだサンアントニオにいたんじゃなかったっけ?
  (訳注:PSはサンアントニオ出身)
PS:
いや、1968年にオースティンに来たんだ。Vulcan Gas Companyなら憶えてるけど。最初に行ったクラブなんだ。
EJ:
あ、僕はそこにJohnny Winterを見に行ったよ。あれはやられたな、入場料が50セントだったんだ。
PS:
ああ、僕も行った。
EJ:
忘れもしない50セント! びっくりだったよ。彼はすばらしかったんだ。みんな「見に行かなきゃダメだ」って言うから、OKって言って、50セント払って中に入って、「こいつはすごいや、なんてこった!」
(一層けげんそうな笑い)
PS:
ともあれ、バンドはギグやって、Vinceはアルバムの売り込みをしてたと。
100枚作ったんだったね。全部サイン入りで。全員が、100枚全部にサインしたの?
EJ:
したと思うよ。
PS:
バンドが解散したのは何故だい?
EJ:
えーと、僕らはBill Joseyの下で2〜3年一緒にやってたんだ。実はVinceは、契約の話を断わってた。Electra Recordsと、もうひとつ他のとこからもあったんだけど。その時は、Joseyが進めてる契約の話があったからね。だから僕らも頑張ったんだけど、Joseyの方の契約は一向に具体化しなくて、結局その話は破綻しちゃったんだ。で、そのうち、2〜3年やってみた後、Vinceはニューヨークへ戻って他のことを始めたんだ。その時点で、僕も辞めて、自分でやろうと考えたという訳。
このあたりのことは、Vinceにインタビューしてみるべきだよ。たぶんもっと面白い話が聞けると思う。
PS:
ぜひそうしたいね。Marianiのアルバムが出てほしいかい?
EJ:
出たらうれしいだろうと思うけど。これもSeven Worlds同様、ちょっとはずかしい部分もあるけど面白い部分もあるからさ。
PS:
15才だったんだものなあ!!!
EJ:
そう、15才だったね。アルバムに入ってるものより、ほんとに面白いのは、Vinceが持ってるテープだよ。実際、そっちの方がずっと面白いんだ。Marianiのアルバムを出すとすれば、レコードのヴァージョンにその面白い方のやつを追加して出してもらえるといいな。ほんとに面白い作品があるんだよ。ジャムったやつと、ちゃんとした曲と。レコードに入ってるのは、Bill Joseyの選曲で、違う人ならこっちを取るだろう、というものもあるんだ。ま、個人的趣味の問題ではあるけどね。
PS:
Eric Johnson Mailing List (ej-l)に何か言いたいことは?
EJ:
コメントやサポートをありがとう。ほんとに、心から感謝してます。これからもベストを尽くします。