鉛筆とクマ 南暑寒岳〜暑寒別岳・前夜 (1995年7月8日)


   はじめのお詫び

とっても つらかったの  「楽しい山日記」をご覧の皆さん、こんにちは。仲良しシスターズの妹です。

 まず、皆さんに初めに謝っておかなければなりません。
ごめんなさい。

 今回だけは、ちっとも楽しい山日記ではございません。思い出しても涙なくしては語りきれないぐらい、辛く厳しく、自分の体力に合わない悲しい悲しい登山でした。(右図参照)

 今回に限り、この山日記を 「とても悲しい山日記」 と変えさせて頂き、わたくし妹、妹個人の言葉として書かせてもらいます。もしかしたら、グチっぽくなるかも知れませんが勘弁して下さいね。

 まさに、聞くも涙、語るも涙のお話でございます・・・・。


その1. さんざんだった初キャンプ

 今日は朝からドキドキしています。なんたって生まれて初めてのキャンプなのですから! なにやら巷ではキャンプブームだとか。はたしてド素人の私達が、その波に入っていけるのか!? 行けないのか!? どうなのか!・・・・不安と期待で胸が一層高まります。

 昼過ぎに我家を出発し、車はスムーズに登山口のある雨竜町に入って行きました。
 国道275号線から約25キロ程さらに入った所に、雨竜沼ゲートキャンプ場(登山口)があります。テントサイトは小さめですが、設備は新しく快適なものです。私達が着いた時には、テントサイトの半分以上はすでにうまっていたでしょうか。 やはりキャンプブームのせいか親子連れが大半を占めています。 「ホッ、良かった。まだスペースはあるぞ」

雨竜沼湿原ゲートキャンプ場  私達は早速自分達のテントを「入り口はどっち?」 「隣との間隔は?」とちょっとドギマギしながらおニューのテントを張り上げました。 ・・・しかし、ここでふと気付いた事があります。テントサイトにはまだスペースはあるのに、「南暑寒荘」の横の芝生にいくつかのテントが見えました。しかも人々は明らかに親子連れではなく登山者風の人々です。

 「・・・あっちの方がいいな」 と私達の誰もが一斉に思いましたが、すでにテントは張り終えているし、その場所へは坂を登って行かなければなりません。 「しょうがないこの場所でいいさ」 と私達はこの場所で夜を明かす事に決めたのでした。
 そもそも、これこそが不幸の始まりだったのです。

 明日はAM3:00起床です。早く寝なければなりません。私達はPM8:00にはシェラフの中にもぐり込んでいました。しかし周りは食事時、宴たけなわ状態です。人の話し声や笑い声が、否応無しに耳に入ってきます。 (うーん、これはしょうがない、キャンプ場は皆のものだ。ま、食事が終わったら静かになるだろう)

 PM9:00を回りました。 パチパチパチ、何やら赤や黄色の光がテントの外で光ってます。 (あぁ・・、食事の後は花火大会か。そりゃ子供達は大喜びだ。 うーん、これはしょうがない、ま、花火が終わったら少しは静かになるだろう)眠れない夜

 PM10:00を回りました。まわりもちょっと静かになってきました。 「いいかげんにしなさい!!」 (ん!?なんだ、なんだ!?) 子供が寝つかないのか、はたまたハシャギ過ぎて悪さでもしたのか、今度はお説教の始まりです。怒るお母さんの声がまる聞こえで耳に入ってきて、それが延々と続きます。 (うーん、これもしょうがないのかなー。ちょっと違うような気もするけどなー)

 AM1時を過ぎてしまいました。周りはシーンと静まり返っています。
ドキドキドキドキ (・・・まずい、まずいぞ。今寝ても睡眠2時間になってしまう。これは非常にまずいぞ!)そう思えば思うほど気が焦って、なかなか寝つけません。ムダだと分かっていても
 「羊が一匹、羊が二匹・・・」と数えてみたりしましたが、バカバカしくて眠れるはずもありません。 そうこうしている内に、起床時間のAM3:00が来てしまいました。
 (ハッ、なんだ!? 寝たのか? 寝てないのか?) 正直言って自分でもよく分かりません。

 最後に時計を見たのはAM2:00になる前でしたから、どうやら1時間ぐらいはウトウトしていたようです。父や姉も良く眠れなかったようですが、No.1は、やはりだんとつで妹でした。

 これこそが、これから始まる地獄の登山の序曲だったのです・・・・。



くま 翌日の 「とっても辛かった登山編」 へ続く!

まことに恐縮です




※ すみません前置きが長くなってしまいました。次はいよいよ本編です。そして正念場です。ちょっと長いけど、ガマンしてね。 (イラストだけでも内容はわかりますよ!)


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