中国の大問題              丹羽宇一郎著

 本書は商社マンとして30年、中国大使として2年半、中国の姿を見つめてきた筆者のレポートである。

 アジア最大の国土と四千年の歴史を有する中国、14億人もの人口を抱える世界一の経済大国の前には、さまざまな難問が山積している。

 共産党総書記の習近平(しゅう きんぺい、シー・チンピン )が第7代の国家主席に選出されたのが2013年3月、全国人民代表大会(全人代)においてである。この全人代は各地方から選ばれてくる約3000人の代表で構成される。だが、全人代は形式上の決定機関であり、実質は大臣クラスの中国共産党政治局委員25名、そのうちの7名の常務委員、いわゆる「チャイナセブン」が、この国を動かしている。チャイナセブンのトップが習近平であり、ナンバー2が行政機関である国務院の長たる李克強(り こくきょう、リー・クーチアン )首相である。李克強が統治権をもつ行政の幹部は共産党員が占めている。つまり中国は8800万人の共産党員が14億人を支配する中国共産党独裁政権である。これから二期10年間は習近平・李克強体制が続く。しかし、指導層の顔ぶれを見ると、習近平体制は、現在、政治的な支持基盤が確固たるものではない。この習政権は国家主席を務めた江沢民(第5代国家主席 任期1993年3月27日〜 2003年3月15日)と胡錦濤(第6代国家主席 任期 2003年3月15日〜 2013年3月14日)の政権争いのなかで生まれたようなものであり、チャイナセブンのうちの習近平・李克強以外の5人は、江沢民の息のかかった比較的高齢の守旧派だ。年寄りほど政官財の人脈も網の目のように張りめぐらせている。権力基盤が不安定な状況は、2017年の党大会前後まで、おそらく数年は続く。習近平は権力基盤を固めるまで、党内での政治力学や世論を考慮に入れた微妙な舵取りを迫られる。とりわけ、社会的な騒乱の抑止力となる人民解放軍の支持を得ることが最優先となるため、軍よりの政治が続くだろう。

 8800万人の中国共産党員が、14億人の民を支配してきた共産党の正当性の根拠は二つある。一つは社会を経済的に立てなおしたことである。もう一つは、抗日戦争に勝ったことである。経済成長による生活の安定と、抗日戦争の勝利で国民の信頼を保ち、独裁を続けてきた。しかし、経済成長もいまやかってほどの高率を維持できず、日本軍に対する勝利も過去の歴史として薄らぎつつある。

 指導層の権力基盤の強弱は、反日運動と強く関連している。権力基盤が弱まり、国内政治が不安定になると、求心力を維持するために反日に走る傾向がある。近年では胡錦濤前総書記が任期後半、江沢民元総書記一派との派閥争いの影響などによって支配力が衰えるとともに、反日運動がしだいに強まっていった。これは、韓国についても同じことがいえる。李明博(イミョンパク)前大統領が政権末期に国内での求心力を失うにつれ、竹島の領有問題をめぐって反日に走った。政権基盤が安定していない現在の朴槿恵(パククネ)大統領はその流れを引きずっている。

 貧富の差、農民工問題、少数民族問題など不安要素を抱える中国という国家体制の行方は、つまるところ、どれほど、中国経済が成長するかにかかっている。経済が安定すれば、国民の不満はやわらいで民主主義的なシステムを強めることができる。逆に経済が不安定になると、社会主義的な国家統制を強めていくと同時に、国民の支持を得るために、対外的には強硬策に出ざるをえない。指導者はこうした内外の施策について、つねに経済動向を見ながらバランスをとっていく必要がある。

 しかし今後14億人を現在のように中央一カ所で統治するのは難しくなるだろう。中国が民意を反映する体制になるためには、アメリカのように地方分権を推し進めた連邦国家制になる以外に道はない。中央政府が国防や財政・金融、教育、通信といった方針を決め、具体的なことは地方ごとに改革の権限を委譲する。どういったスタイルになるにせよ、中国は将来的に連邦国家になって、間接的に国民の声を政治に反映させる体制に移行せざるをえないのである。

 中国の経済は韓国から20年遅れ、韓国は日本から20年遅れ、つまり中国の経済は日本より40年遅れている。最大の根拠となる数字は、投資率を測る対GDP比の固定資本形成割合である。固定資本形成割合が、日本は1973年に36.4%に達した。そこからインフラなどへの設備投資がダウンした。韓国は日本に20年遅れて1991年に38%に達した。日本が最大値に達した1973年の約40年後にあたる2012年に、中国の固定資本形成割合は46.1%に達した。固定資本形成割合がGDPの半分近くを占めており、これほどインフラや鉄道などに急激な投資をしている例は世界でもそうはない。これは明らかに過剰な設備投資である。なぜ生産量が過剰になるかといえば、社会主義圏において生産量で企業評価されるため、企業側がどんどん生産を増やすからである。日本では約40年前に固定資本形成割合が最高値を記録したのち、経済成長率は半分に落ちていった。しかし、経済規模は膨らんでいった。中国もこれまでの成長率10%が今後5〜6%ぐらいに落ちていくことが予想される。しかし、日本と同じように中国経済はGDP自体が大きくなっているから、その経済規模は依然として膨らみつづける。10年後には、中国の経済が世界一になることは間違いない。バブルが弾けるとか中国経済が破綻するようなことは現状ではありえない。中国経済はこれまで輸出とインフラ整備を中心に発展してきたが、これからは内需を主軸に、内需とインフラ整備で動いていくだろう。その期間は日本より長いはずである。なぜなら中国の国土は日本とくらべて圧倒的に広いため、それだけインフラ整備には長い期間を必要とするからである。全人代の国家予算を見ると、インフラ整備には国防費の倍を投じている。中国はインフラ投資にはさらに力を入れて、貿易振興につなげると思われる。

 安倍首相は日本への協力を求めて諸国を歴訪しているが、中国の過去10年近くにわたるアフリカやラテンアメリカに対する経済支援と比較すると、日本は圧倒的に物量で中国に遅れをとっている。人的支援をとっても10分の1程度だ。世界各国への支援について、量ではなかなか中国には勝てない。となれば、日本の存在感を高めるために有効なのは、明らかにソフトパワーである。日本に期待されているのは、工場をつくる、あるいは具体的に何かモノで支援するといったハードパワーではない。ソフトパワーとは、科学技術であり教育であり、それをベースにした安心・安全・信頼のモノづくり、あるいは労働者のクオリティ、そうした文化総体である。中国はそうした日本のソフトパワーを求めているのであり、日本企業が中国に次々と工場を建てることよりも、工場のなかにある技術や教育を望んでいる。そうしたソフトによって、日本は世界のなかで存在感を高めていくべきだろう。そのためには、日本の企業が中国の企業と同じような扱いを受けられる投資協定を結ぶ。あるいは知的保護協定がなければ、日本の技術が無償で利用されたり盗まれたりしても損害賠償も請求できない。そうした基本的な経済環境のないところに、各企業は技術移転できない。経済を発展させるためには、この二つの協定締結は必須であり、TPP以上に重要とさえいえる。

 高齢化する日本は生産年齢人口が急速に減っていく。生産年齢人口が減るなかで生産性を維持・向上させるには、最新鋭設備への資本投下と人間の質、労働の質を高めることが必須となる。これまでの日本は、その安心・安全な製品に下支えられたブランド力で世界に認められてきた。日本のような貿易立国にとって最も重要なのは、技術と製品に対する信頼なのである。それは、たんに最先端の技術を磨くことだけではない。きめ細かな配慮やアフターケアなどのサービス精神も含まれる。品性や教養などを含めて世界に誇れるソフトパワーの基盤を維持・拡大することこそが、これからの日本のブランドになる。逆にいえば、それを手にできない場合、日本は衰退する以外に道はない。

 教育が効果を発揮するには20年はかかる。一刻もはやく日本はソフトパワーをつけるべく、教育と科学技術に多くの投資をする姿勢をはっきりと打ち出す必要がある。企業も同様だ。経営者は従業員をしっかりと教育しなければならない。そこから信頼するに足る安心な製品が生まれる。教育にどれだけ力を入れられるかで、これからの日本の進路は決定的なものになるだろう。

 少子高齢化社会をどう生きるか、そのモデルを世界の先陣を切って日本がつくらなければならない。