太平記 鎮魂と救済の史書 松尾剛次著
『太平記』といえば、南朝方の人が南北朝動乱を描いた戦記物語というのが常識であるが、筆者は南北朝の動乱と呼ばれる戦争によって死んだ後醍醐天皇(1288〜1339)をはじめとする人々への鎮魂と、その廃墟の中から立ち上がろうとし、室町幕府に結集した人々の「応援歌」であったと考えている。いうなれば、室町幕府(北朝方)の正史に準ずる歴史書であり、南北朝動乱で死んだ人々への鎮魂の書であったと主張している。『太平記』は太平記読みによって日本のあちこちで語られてきた。人々は、戦争で死んだ人々を鎮魂し、戦争の傷を癒してきたのだ。ようするに、戦争の悲劇をひとまず納得し、戦争を精神的に総括してきたといえる。時が経つにつれて、それらの鎮魂の物語としての意義が忘れられて、娯楽化していった。『太平記』は、南朝方の書いた書ではなく、室町幕府(北朝方)が、南北朝動乱で死んだ人々の鎮魂を第一義として、中立的な立場の恵鎮教団(恵鎮を中心とする律僧教団)に編集させた書である。当時の人々が怨霊の存在を信じ、その霊を鎮めようと努めていたことはよく知られている。恵鎮教団という黒衣(黒袈裟 官僧の白衣に対して遁世僧の黒衣)の僧たちがだが『太平記』の編纂に従事したこと自体、怨霊を鎮める宗教活動の一環であったからだ。、足利直義ら室町幕府の検閲を受け、また室町幕府に結集した武士たちの希望を入れるなど、幕府の正史に準ずる歴史書としての機能を担ったと考える。
『太平記』四十巻は、三部で構成されている。
第一部(巻一 〜 十一)
文保二年(1318)の後醍醐天皇の即位に始まり、鎌倉幕府執権北条高時の悪政と後醍醐天皇の倒幕活動、楠木正成、足利尊氏、新田義貞らを味方にしての元弘三年(1333)五月の鎌倉幕府滅亡まで。
第二部(巻十二 〜二十一)
後醍醐天皇による建武政権の発足、建武新政の失政ぶりとそれにともなう建武政権の崩壊開始、足利尊氏の離反、いったんは敗れて九州に逃れた足利尊氏による九州での勢力挽回と北朝の擁立(1336)八月、楠木正成の敗死、後醍醐天皇の吉野での南朝樹立(1336)十二月をへて、新田義貞の敗死、延元三年(1338)の後醍醐天皇の崩御まで。
第三部(巻二十三 〜 四十)
足利尊氏と直義兄弟の対立など足利政権の内訌と北朝守護大名の抗争(観応の擾乱),それに乗じた南朝勢力の進出と敗退をへて,貞治六年(1367)12月の二代将軍足利義詮の死をうけて,細川頼之の補佐を受けた足利義満の登場まで。
『太平記』のモチーフは、儒教的道義論と仏教的因果応報論の二本柱である。儒教的道義論と仏教的因果論とが併存し、儒教的道義論は仏教的因果論によって補強される関係にあった。『太平記』の成立に前後する鎌倉時代(1180〜1333)から南北朝時代(1336〜1392)にかけては、中国の宋と日本の交流が盛んに行われ、禅宗をはじめとする新仏教や新思想がもたらされた。南宋の儒者朱子(1130〜1200)によって大成された朱子学を中心とするいわゆる宋学の学者、学僧、先進的な官僚にたちの心をとらえた。そうした人物に、後醍醐天皇の側近として鎌倉幕府打倒に挺身した日野資朝や、従来、『太平記』の作者の一人とされる玄恵がいた。『太平記』が、序に説かれているような「天の道」、「地の道」を守った為政者は栄え、この道を背けばたちまち没落するという思想に支えられて展開していることは否定できない。たとえば、第一部では、北条高時の滅亡、後醍醐天皇による北条氏討伐の成功と建武新政の実現など、そうした思想によって説明されている。それゆえ、第一部が儒教的道義論で書かれているといえる。第三部には、この世に恨みを持って死に、死後も成仏せずに、この世に害を与える後醍醐天皇ほかの怨霊の跳梁が描かれている。『太平記』巻二十三の「大森彦七が事」では暦応五年(1342)春ごろの話として、怨霊になった楠木正成が、足利尊氏配下の武士である大森彦七が持つ刀を奪おうとする。それは平氏の勇士として著名な藤原 『太平記』の刀であった。それを手に入れば、足利尊氏を滅ぼせるというのである。そのさい、怨霊楠木正成の背後にいて指図していたのは、後醍醐天皇、大塔宮護良親王、新田義貞らの怨霊たちであった。すなわち、後醍醐天皇は、崩御後も怨霊の頭目として、足利尊氏たちと戦い続けていたのである。結局は「悪霊共は皆修羅の眷属(配下)であり、これを鎮めるには大般若経を読むのが一番だ」というアドバイスに従って、大森彦七の縁者の禅僧に大般若経を読んでもらうと、楠木正成の亡霊も鎮まったという。この話からは、儒教的道義論で義とされる大森彦七が、大般若経を読むという仏教の力によって助けられている。勝者は、敗者の怨霊を鎮魂しなければ、怨霊に害をなされるという、仏教的な因果応報に基づいたものである。 『太平記』では、敗れし側は怨霊となり、それらが歴史の冥(目に見えないところで)の主人公として描かれ、勝利者は敗者の怨霊を鎮めることを期待されている。いわば、 『太平記』は怨霊の物語といえる。