日産とルノーの提携
ルノーは、長期的な生き残りのためには他の大企業と提携する必要があった。欧州限定メーカーからグローバル企業へと生まれ変わる絶好の機会だととらえ、日産に6430億ドル(54億ドル)の資本注入を行った。ルノーにとってはリスクはあったが、それをはるかに上回るチャンスがあると踏んだのだ。十分な資本力を持つ自動車メーカーが日産の債務を肩代わりしない限り、日産は崖っぷちに追い詰められる。もはや日産にはルノー以外の自動車メーカーと交渉する時間的余裕はなかった。提携に失敗すれば倒産という屈辱的な事態が待ち受けていた。日産がルノーとの提携に踏み切ったのは、これ以外の選択肢が残っていなかったためである。
日産にもルノーにも、それぞれ別個のアイデンティティ(独自性)を守りながらシナジー(相乗効果)を生み出していかなければならない。アイデンティティを過度に重視するとシナジーを生み出すことが難しくなる。逆に、シナジーばかりを重視してアイデンティティーを軽んじれば、モチベーション(動機づけ)を損なうことになる。企業の持つ、あるいは育むべき最も大切なものはモチベーションである。そして、モチベーションはアイデンティティと帰属意識から生まれる。注意深い監視の下で、アイデンティティの維持とシナジーの創造を目指している。
日産の状況
日産の国内市場のシェアは、1974年の34%をピークに減り続け、1999年には19%にまで落ち込んでいた。海外市場でも日産のシェアは1991年の6.6%から着実に落ち込み、1999年には4.9%まで下がった。また、1998年度の自動車事業での実質有利子負債残高は、2兆1000億円だった。利子の支払い分だけでも1000億円に達していた。
日産は、資金不足のため、市場に導入すべき製品があったのに、実際には製品化されなかった。新車を発表する能力がなかったことが国内市場での低迷の一因である。日産が新車開発で遅れを取ったのは、コア・ビジネスに集中していなかったことの結果である。
日産はグローバル企業である。日産車の四分の三は国外で販売され、現在の株主の60%以上が外国人である。社員のおよそ三分の一も外国人である。しかし、世界各国の市場での事業運営は基本的に現地企業が行っていた。あらゆる事柄について、日本、北米、欧州などの現地日産が決断を下す仕組みになっていた。他地域の事業目的に対する実質的な理解やコミュニケーションは成り立っていなかった。
マネジメント
マネジメントの責任とは、会社が持つ潜在能力を開発し、それを100%具現化することだ。マネジメントは会社にかかわり、社員にかかわり、会社が置かれている状況にかかわるものだ。マネジメントの仕事は、会社と社員のために、会社と社員の能力を最大限に発揮させることにある。ガイドラインや優先順位の設定もマネジメントの仕事だ。マネジメントが会社の現状を詳細に把握していなければ、会社を正しく導くのは難しい。
日産リバイバルプラン
1999年10月18日に日産リバイバルプランを発表した。コミットメント(必達目標)は次の3点である。
1.2001年3月31日までに黒字化達成。
2.2003年3月31日までに営業利益率4.5%以上達成。
3.2003年3月31日までに有利子負債1兆4000億円を7000億円に削減。
トップに立つ人間が究極の犠牲を払うとしたら、「この目標を達成できなければ辞任する」という言葉しかない。日産のカルロス・ゴーンへの要求は会社の復興と倒産の危機からの脱出だった。カルロス・ゴーンのいちばんの仕事は、日産が生き延び、成長し、収益をあげることであり、これが株主やディーラー、サプライヤー、顧客、社員そして日産にかかかわるすべての人々がカルロス・ゴーンに望む仕事である。
感想
カルロス・ゴーンとサッカーのトルシエ監督のイメージが重なる部分が多くある。二人ともフランスからやってきたが世界を渡り歩く国際人である。分野はサッカーとビジネスで異なるが、強烈なリーダーシップで組織を引っ張って行く、世界のプロフェッショナルである。注目されているだけに影響力も大きい。カルロス・ゴーンの日産リバイバルプランにより、日産の再建の見通しが立ったことは、日本人に改革の有効性をアピールし、改革を唱える小泉政権の成立の後押しをしたと思われる。