日本古代国家        水野祐著

倭奴国(奴国)
 倭奴国は「魏志倭人伝」にいう奴(な)国で、わが国の儺縣(なのあがた)、那津にあたり福岡県博多湾に臨んだ地域一体のの総称であった。「漢委奴国王」の金印が出たのは、博多湾の志賀島である。

 倭奴国は、楽浪郡設置後西暦紀元前1世紀において日韓古代航路を独占し、日韓交易権を掌握することで強大な国力を維持した。倭奴国王の配下には多数の北九州沿岸の古代航海者の弱小国家群が属し、日韓交易を専業としていた。楽浪郡を介しての倭奴国王の朝貢は、中元二年(57年)の後漢の光武帝から印綬の授与によって公的なものとして確立された。漢は、倭奴国王に対して他の倭や韓の諸部族に優先して、楽浪交易あるいは倭漢交易を委託統監されたので、倭奴国の通商国としての基礎は不動のものとなった。倭奴国の住民は元来博多湾沿岸の漁民である。漁民が地の利を得て、造船術と航海術とに長じて、古代航海者となり、交易を専業とする通商民になり富を握った。

 倭奴国は紀元前二世紀において既に朝鮮半島の南端を占有し、航海の中継基地としていたが、紀元前一世紀には狗奴韓国と呼ばれる一国となり、倭国の朝鮮半島における植民地となり、後の任那の起源となった。

 後漢書には、「安帝の永初元年(107年)に倭国王師升(すいしょう)等が生口百六十人を献じて請見を願う。」と記載されている。これから倭奴国の権勢と漢帝国の支持による交易の利が大きなものであったか推察される。

 金印の権力によって支えられた倭奴国の独占交易も後漢の衰微とともにその権力を弱めていった。紀元一世紀が極盛期だったが、桓霊の間(西暦147年〜188年)の倭国の大乱で倭奴国の権威を失った。そして、乱後に倭奴国王に代わって倭国を統一したのが邪馬台国であり、その女王が卑弥呼になるのであるから、倭奴国の権力は紀元二世紀の中頃で終わった。

 倭奴国の権威が邪馬台国その他の倭国の圧力によって倒されたのは、既に当時農業立国の条件が整い、そうした基盤に立つ国家が優勢になりつつあって、土地すなわち耕作地を拡大占有することを基盤とする国家が、まったく領土的基盤が無く通商にのみ依存して、経済力だけを基盤とする国家から権力の移行があったことを意味する。すなわち、農耕社会を基盤とす部族国家への発展段階に突入したことを意味する。

 邪馬台国の治下にあっても、交易通商の国としての奴国は存続し、伝統的な古代航海者の国としての機能は失わず、大陸貿易に活躍した。戸数二万を有し、邪馬台国治下第三の大国だったのは、その間の事情を意味する。


狗奴国
 狗奴国は、女王国の管轄の南境に接して存在していた。女王国というのは、邪馬台国ではなく、邪馬台国の女王卑弥呼が支配している二十九ヶ国の連合体を指しているので、女王支配下の最南端にある国と狗奴国の国境が接しているという意味である。魏代の中国人は九州島の様相を極端に南に長くのびた島国と考え、彼らはわずかその北岸の諸国しか知らないので、日本人の話を聞き、またその習俗が南支那の習俗と似ていることを知って、邪馬台国の南にある狗奴国を会稽・東冶(かいけい・とうや)の東にあるときめつけてしまった。

 後漢に代わって天下を統一した魏は、配下に二十九ヶ国を収めて連合を完成していた女王国をもって、倭諸国の代表権を与え、その最高指令者として女王卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を与えた。

 北九州の女王国連合国家は、農業国家群であり、その民衆は、三世紀に入ると、低地水田耕作農民としての村落共同体的生活を営んでいた。それに対して日向を中心とした南九州の高原を主要舞台として活躍した狗奴国は、狩猟を主とする山林部族が、漁労を主とする海人部族をしたがえて、一つの征服国家を形成していた。いわゆる狗奴国の支配層は、騎馬民族的な性格をもつ人々ではなかったかと思われる。文化的には劣っていたが逆に武力的には強大であった。やがて強大な武力が平和的・定着的である北九州の農耕民を攻撃することになる。

 狗奴国は強大な軍事力をもってその専制支配体制をかためていったが、魏の支配力がつづいた間は女王国を相手として交戦することはなかった。西暦265年に魏が滅び、晋に代わった時、女王国は魏に代わった晋に対して建国の翌年に女王が朝貢したが、この間隙をぬって、狗奴国は女王国に対して攻撃を開始し、ついに南九州のこの強国は、北九州の女王の連合国を征服し九州を統一した。三世紀の後期には九州は狗奴国により統一された。九州の統一勢力は倭奴国→女王国→狗奴国と三度変化した。本州島には、別の政治勢力の台頭があって、少なくとも二世紀に至るまでに大和国家の前身ともいうべき国家の成立が認められる。そしてその原大和国家は、大陸との交渉はなかったので中国史料には見られないで、日本の伝説史料によってのみ、その存在を推測する以外に方法がないのである。