未曽有と想定外 東日本大震災に学ぶ 畑村洋太郎著
今回の東日本大震災では、大地震によって発生した大津波と、それに起因する原発事故が大きな被害をもたらしました。失敗学や危険学といったものをやってきた筆者が、今回の震災に関連し、どんなことを考えてきたのか、どんなことを考えているのかということを現時点でまとめたものです。
今回の大震災について語るとき、「戦後最大の危機」とか「未曽有の出来事」といった言い方がよくされます。未曽有という言葉は「いまだかってないこと」という意味です。未曽有という言葉は「個人的に未体験」という意味で使うような言葉でなく、「歴史上いまだかってない」という意味で使う言葉です。三陸地方はたびたび大きな津波に襲われています。1896年の「明治三陸大津波」では、今回に匹敵する2万人以上の犠牲者を出しています。1933年の「昭和三陸大津波」でも犠牲者3000人、1960年のチリ津波では、太平洋を越えてきた津波が100人以上の犠牲者を出しています。そして今回を加えると、100年あまりの間に4回も大津波に襲われているわけで、三陸の大津波は、決して未曽有の出来事ではないことになります。今回の震災が起こるまで、一般の人たちは当然のことながら、多くの専門家の頭の中からも869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震のことは忘れられていました。自然災害について人間は、起こった直後こそ真剣に取り合うものの、時が経つとだんだん忘れて、最後はなかったものとして扱ってきました。今回の震災を語るときに「未曽有」という言葉が安易に使われている背景には、そのようなことがあると考える必要があります。
津波対策には、大きく分けると、二種類の方法があります。一つは津波に「対抗する」という考え方で行われているもので、主に防潮堤の建設などのハード面での対策がこれに該当します。もう一つは「備える」という考え方で行われているもので、こちらは避難方法の徹底や防災訓練などのソフト面の対策が代表的な中身です。結論からいうと、今回は「対抗する」という考え方で行われたものの多くは打ち破られいることが確認できました。それは実際にはやってきた津波が、対抗策が想定していたよりはるかに巨大だったからにほかなりません。その一方で「備える」という考え方に従い、津波警報が発せられたときにすぐに逃げた人は、ほとんどの人が助かっています。そのことは避難所にいた人が口を揃えていっていました。じつはもともと津波対策は、ほとんどが「備える」という考え方で行われていました。津波は正面から防御するのは不可能。高地移転が唯一の策とされてきましたが、三陸の多くの町は、高所移転を進めず、防潮堤をつくりながら低地に家を建てて暮らす道を選択してきました。三陸は古くから漁業で生計を立てている地域です。高所に移るということは、当然自分たちの生活が不便になることを意味します。そのために被災直後は高所に移転した人たちも、月日が経つと、徐々に低地に戻っていったといいます。ハード面を充実させて、津波に対抗しようという考え方が広まった背景には、土木技術の進歩があります。ところが自然のエネルギーは、想像しているよりはるかに大きなものでした。そのためハード面の整備が進んだことで、かえって自然災害の被害が大きくなるようなことも起こっているのです。津波によって多くの人が亡くなった場所では、防潮堤があることで安心し、防潮堤の力を過信して逃げなかったことで津波に巻き込まれた人がたくさんいたそうです。今後津波に備えるために「高い防潮堤をつくる」というのが本当に津波対策として正しいのかどうかわからなくなります。立派な防潮堤が結局避難の妨げになっているという言い方もできるからです。確実に命を守るためには、中途半端な対策をせず、むしろ常に危険を意識しながら生活しているほうがいいのかもしれません。防潮堤の意味合いを見直し、完璧に水の浸入を防ぐものではなく、水の勢いを弱めたり、避難のための時間を稼ぐために利用する、という発想で津波対策を見直されなければならない。絶対安全を求めるなら、高所移転が唯一絶対の解だと思います。しかし欲得やら便利さを求める人間の性質がいつも判断の方向を変えてきた現実を考えると、将来的に人々が低地に戻ってくることが予想されるなら、むしろ最初からそのことを数のうちに入れて津波対策を考えたほうがいいのではないでしょうか。津波の危険があるのにいつも人々が最後に低地に戻ってきたのは、それだけ三陸の海が豊かだからです。三陸の地域の人々の生活は、基本的に漁業で成り立っているので、津波の危険があろうと人々は最後に海の近くに行きたがるのです。これはいわば人の帰巣本能のようなものです。新しい街は、高所移転と低地の再利用の混在型がいいのではないかと考えています。高所移転の対象は、希望者と、自力で避難できない人たちです。避難できない人たちが低地にいると、津波がやってきたときに真っ先に死ぬことになります。また彼らを逃がそうと避難が遅れて、「とも連れ」で死ぬ人が出てくることは絶対に避けなければなりません。その一方で、自力で避難できる人には低地を利用できるようにします。その場合は、高台に避難場所をつくると同時に避難路を確保しなければなりません。低地を利用する場合は、海に近い場所にも緊急避難場所をつくる必要があります。
福島第一原子力発電所の事故にについて述べるときに安易に使われている「想定外」という言葉はこれまでの努力を台無しにするくらい違和感がある。原子力技術を扱う仕事は、想定外という言葉ですべて免罪になるような軽いものではない。社会から彼らに預託されていたのは、たいへん便利だけれど、たいへん危険でもある原子力技術をできるだけ安全に使うことです。そのために、あり得ること、起こり得ることすべて想定するといった程度のことは、ふつうにやっているのが当たり前というものです。もともと社会が彼らに期待していたのは、今回のような事故を想定することです。想定するのが専門家の責務だったのです。乱発される「想定外」を使えば使うほど、責任逃れをしているかのような印象を世の中に与えているのです。ある程度組織が成熟してくると、想定内のことは考え尽くされ、基準や規則、マニュアルという形で示されることになります。そうなると、トラブルになってもすぐ対応できるし、それこそ次のことを考えながら先回りをして手を打つことも可能なのです。ところが想定外、つまり考えの枠の外のことが起こっているときはそうはいきません。こういうものに遭遇したときの人間の態度は、およそ二種類に分かれます。一つは思考停止状態に陥って、なにもしない、なにもできない、単なる傍観者になるパターンです。もう一つは、考える枠を起こっていることが包含できるところまですぐに広げて、その場で考えながら臨機応変に対応するというパターンです。想定外の事態に対処できるのは、日頃から想定の訓練をしている人だけです。想定内のことだけを考えてきた人には、とうてい対処できません。考えの枠外のことが起こったときに咄嗟に対応するには、起こっている現象のモデルがちゃんと頭の中につくられている必要があります。またそれが環境などの外的要素からどのような影響を受け、時間やカネといった制約条件が変わったときにどういう動きをするかといったことを含んだ全体像を把握することも求められます。想定外のことにも咄嗟にきちんと対応できるようにするには、日頃からある程度訓練をしていなければならないのです。そしてもう一つきわめて重要なことがあります。最初に想定したときには、正しかった考えの枠でさえ、時間の経過で環境や条件が変化するのに合わせて、変えていく必要があるということです。だから定期的に設定自体を見直す必要があるのです。昨今「コンプライアンス」という言葉をよく聞きますが、じつは「社会の要求に柔軟に対応する」というのが本来の意味です。ところが日本ではなぜか「コンプライアンス」が「法令遵守」と訳されています。コンプライアンスの意図的誤訳は、事の本質を矮小化し、むしろ日本の組織から危機管理能力を削ぐものだと、考えます。なぜなら「法令遵守」に組織が注力するあまり、本当に組織がやるべき「社会の要求に柔軟に対応する」という面がおろそかになるという恐れ、さらに法令さえ守っていれば大丈夫と、組織の対応が形式化、形骸化する恐れがあるからです。今回の原発事故もまた、事故の原因に東電の重大な法律違反があるわけではありません。しかし彼らが社会の要求を満たしていなかったからこそ事故は起こり、拡大しました。技術を確かなものにしていくには、あらゆる可能性を考えながら、最初に想定していた範囲を越えるところでも安全を確認していくことが求められます。これがたかだか数十年で達成できるものではないのです。どんな技術でも、成熟してだれでも安心して使えるようになるまでに、だいたい200年はかかります。実際に使いながらいろいろ経験して学ばないことには、技術を安全に使うことはできません。しかし、あまりにも大きすぎる被害と、技術への信頼が大きく損なわれた現実を考えると、悠長なことをいってはいられません。今後日本の社会がどのような選択をするかは、まだわかりません。場合によっては今回の事故が、日本から原子力の技術が消えてなくなる可能性もあります。そう考えるとやはり安全率をできるだけ高めに設定して、できるだけ丁寧に使わなければいけなかったし、仮に今後も原発を使い続けるなら、そのようにしないと周りも納得しないのはまちがいありません。世界最大の原発国はいまでもアメリカですが、1979年3月にスリーマイル島で原子力発電所で重大事故を経験して以降、約30年間、新しい原発を1基たりともつくってきませんでした。そのアメリカでも、昨今の石油価格高騰、将来の資源不安から石油依存体質からの脱却、クリーン・エネルギーの進展のため、原発を復活させる道を選択しました。この政策を見ると、アメリカ社会も現時点で、いまの生活を享受するためには、原子力に替わる電力源を見いだせないことがわかります。