走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹著
1982年(33歳)の秋に走り始め、以来23年近く走り続けてきた。ほとんど毎日ジョギングをし、毎年最低一度はフル・マラソンを走り、そのほか世界各地で数え切れないくらい、長短様々の距離のレースに出場した。長い距離を走ることはもともと性格に合っていたし、走っていればただ楽しかった。走ることは、これまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中でもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった。そして二十数年間途切れなく走り続けることによって、身体と精神はおおむね良き方向に強化され形成されていった。
一般的なランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的な目標を決めてレースに挑む。そのタイム内で走ることができれば、何かを達成したことになるし、もし走れなければ何かを達成できなかったことになる。もし、タイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。小説家にという職業に勝ち負けはない。発行部数や、文学賞や、批評の良し悪しは達成のひとつの目安になるかもしれないが、本質的な問題とは言えない。書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのがなにより大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。そういう意味では小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。基本的なことを言えば、創作者にとって、そのモチベーションは自らの中に静かに存在するものであって、外部にかたちや基準を求めるべきではない。
走ることは有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファー(暗喩)でもあった。(走ることが小説家としての生活に有効だったという意味か)日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成基準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた。昨日の自分をわずかでも乗り越えていくことが重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
走り始めてしばらくは、それほど長い距離を走ることができなかった。20分か、せいぜい30分程度だったと思う。それくらいで、はあはあと息が上がってしまった。心臓がどきどきして、脚がふらついた。長い間運動らしい運動をしていなかったのだから仕方ない。しかし継続して走っているうちに、走ることを身体が積極的に受け止めていくようになったし、それにつれて距離も少しずつ伸びていった。フォームらしいものができて、呼吸のリズムも安定し、脈拍も落ち着いてきた。スピードや距離はともかく、なるべく休みを作らないように、毎日走ることをだいいちにこころがけた。
小説家にとって最も重要な資質は、言うまでもなく才能でる。文学的な才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というよりはむしろ前提条件だ。しかし、才能の問題は、その量や質がほとんどの場合、持ち主にはうまくコントロールできないところにある。量が足りないからちょっと増量したいなと思っても、節約して小出しにしてできるだけ長く使おうと思っても、そう都合よくはいかない。才能というものはこちらの思惑とは関係なく、噴き出したいときに向こうから勝手に噴き出して、出すだけ出して枯渇したらそれで一巻の終わりである。才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。集中力の次に必要なものは持続力だ。日々の集中を、半年も一年も二年も継続して維持できる力が、小説家には求められる。集中力と持続力はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然と身についてくる。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。これは、日々のジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げいくのと同じ種類の作業である。この作業にはもちろうん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。