高橋 勉
「千の日と夜」

 この絵画(え)には「生と死」、「現在と未来」が暗示的に描きこまれている。
 画面左下の少女が胸に抱く鳥は鳩である。対をなす右側は死者であろう。少女の背後には崩れた瓦礫を思わせる荒廃が描かれ、その向うのアーチの壁にはオリーブがのびる。また右側のアーチには舟の舳先がわずかにうかがえる。正面には何も描かれていないキャンバスが置かれ、天井からは頭蓋の後頭部が逆さまに見える。
 この構図からみる作者の意図はきわめて暗示的かつ示唆的である。
 「鳩」と「オリーブ」と「舟」からイメージされるものは《ノアの箱舟》である。その寓話を象徴的に取り扱い《人類=生きとし生けるもの》の再生へのつよい決意が表白される。《死者》は過去と現在の象徴であろうし、余白のキャンバスはこれから描こうと意欲する《生者》の意思の証しであろう。少女の過去、現在、未来を視通すかのような透明感にあふれた静謐な祈りの姿は、天井から未来を眺めている死者もまた、同様に遺されたものたちへ向けた祈りの姿を表しているのだろう。
 この震災から受けた作者の衝撃は言語に絶するものがあったろう。その経験を通じた結果の昇華がこの絵画に確かな存在感を与えている。あえて黒を使わず青を使ったトーンは全体として暗黒の未来ではなく希望への未来を示し、また現在の悲しみが込められた二重の意味を秘めているように思われる。したがって震災から一ヶ月でこの作品を一気呵成に描き上げたという作者の想いは抑えたタッチでありながらも熱い。そして悲しみのなかに未来を見据える希望の火を掲げることも忘れてはいない。
 この絵画は一見する印象とはまったく正反対な内容が盛り込まれたパラドキシカルな作品であるといえよう。ひとりでも多くの人に見ていただきたいものである。


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