馬車別当
問十七 おかしな形の男の正体は? 人間なのか、または動物が化けているのか。なぜそのはがきは字が下手で、文章がおぼつかないのか。どうして山猫の馬車別当なんてやっているのか。
問十八 馬車別当は「山ねこ様」と呼ぶが、山ねこは偉いのか。
問十九 何故自分が書いたはがきを一郎に誉められてあんなに喜んだのか。
賢治は山猫とどんぐりだけでなく、馬車別当も徹底的に貶(おとし)め、批判している。この男は、小学校もろくに行けず、字も文章もまともに書けない。だから、世間からは相手にしてもらえない。自分でもそれに強いコンプレックスを持っている。また、小学生の一郎に「大学校の五年生」などとお世辞を言われて喜ぶような、単純で無知な人間である。そこで、人間社会より一段下の動植物の社会の中でボス的な山猫を見つけ出し、その家来になって、どんぐりたちを相手に鞭を振るって威張っている。しかし、山猫が巻煙草を吸うと、「馬車別当は、気を付けの姿勢で、しゃんと立っていましたが、いかにも、たばこのほしいのをむりにこらえているらしく、なみだをぼろぼろこぼしました。」などと、上のものには屈従している。この描写は笑いを誘うが、その裏に賢治の別当に対する悪意が読み取れる。
まともな職業に就けないので、やくざの親分の運転手になり、親分にはぺこぺこするが、周囲には「オレの親分は偉いんだぞ」などと威張ったりする人がいるが、別当はそういうタイプの人間を厳しく風諭したものである。一方、山猫にとっても、この別当を家来にすることにはメリットがある。猫なのに人間を家来にしているということは、大きな権威付けになるのだ。賢治は、そういう
legitimacy(社会的正当性)を欠いた上下関係の中に生きる別当のような人間の哀れさをからかったのだろう。
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