エッセイ・四角い箱から
 
第8回 『乗り物一家』         
 


 出不精である―と、私は自分のことを長く思っていた。目的もなく街に出ることを好まないし、映画や観劇にもあまり行かない。何より、髪を整え化粧をし、着るものを考えハンドバックの中身を入れ替え…などというのが、面倒で仕方ない。だが、しかし。

 それに気がついたのは、いい加減30歳も過ぎた頃だ。きっかけは、運転免許を取ったこと。それまでも旅行は好きだったのだが、それに拍車がかかった。なにしろ、あれこれ身なりを整えなくても、部屋着のままとは言わないが、簡単なカッコで出かけられる。重い荷物を持ち歩く必要もない。どんなに不便な場所へだって行ける。それで、病みつきになった。

 すると、そんな私をある人がこう言った。
「出かけるの好きねえ」
「…え?」我が耳を疑った。「いいえ、私は出不精で…」
「それだけ旅行しておいて、出不精はないでしょ」
そうか、世間では旅行も外出で、それが好きな人は“出好き”なんだ!

 そこでようやく気がついた。そういえば、子供の頃日曜日毎に「どっか行こう」を連発していたっけ。毎年夏休みには、祖父母の居る東京に遊びに来ていたし。もしかして、その頃から出好きだったんだ。

 ではその性質はどこから来ているのか?もちろん、両親からである。父方の祖父は船長さんで、他にも何人か船に乗っている人が居る。その血をひく父は、航空エンジン科出身。母方の祖父は国鉄の職員で、乗務員でこそなかったが、フリーで電車に乗れたそうだ。何のことはない、ウチは“乗り物一家”だったのである。

 そうと気づいたからというわけでもないが、その頃から好きなバンドのコンサートを見に、あるいは取材で人に会いに、日本中どこへでも行った。サッカーにハマってからは、ご存じ中央アジアだの中近東だの、それ何処?という国へも行ってしまう。自然と知り合いも増えて、その人達に会いにまた出かける。…確かに、どこが出不精なんだ!というありさま。

 もちろん、目的があるから外に出るのだが、私の遺伝子の中に組み込まれているのではないか。ここではないどこか、今ではないいつかを探す心が。だって、乗り物一家の娘だから。  さて、99年はいったいどこへ行くことになるのやら。我ながら、楽しみである。

 

 
98年12月30日UP

着物deサッカー