エッセイ・四角い箱から
 
第6回  『俳句礼賛』  
 


 私は、短いものが好きだ。小説は、長編より短編がいい。自由律詩よりは短歌、短歌よりは俳句。吝嗇(りんしょく)のせいか、言葉に関しても無駄遣いが嫌いなのだ。くどくどした説明や、重複言葉、小説などでは資料をそのまま書き写したような記述も。そういうものをそぎ落としそぎ落としして残った、結晶のような言葉が伝えるものに、心を動かされる。俳句は、その究極のかたちではないだろうか。

 俳句というと花鳥諷詠、どこかに出かけていって見た景色なんぞを詠むように思われがちだが、私が色々な本の中で見つけた句は、ほとんどが人の心をうたっている。たった十七文字だから、なぜそういう感情になったかの状況説明はない。文字の後ろに広がる世界を、想像して察するのみ。そこがまた、面白い。

 最近は、季語のないものもあるらしいが、私はきちんと入っている方が好き。なぜなら、季節がその句の背景を察するのに力を貸してくれるから。例えば春ならば、優しい暖かいもの、物事の始まり、少しの憂鬱、そういったものが感じられる。そのイメージを、利用するにしても裏切るにしても、十七文字に入りきらない何かをプラスすることができるのだ。巧みな仕掛けではないか。

 新聞の投稿歌壇を見ていると、違う選者が同じ歌を選ぶことがよくある。いい歌は、誰が読んでもいいと思えるのだ。しかし、俳壇となると話は別。選ばれた句が重なることはほとんど無い。それは、人によって十七文字の向こう側に読みとるものが違うからだ。読んでいるこちらの心を問われるのが、俳句なのではないだろうか。

 というわけで、私の大好きな句をご紹介しよう。いずれも、桂信子さんという現代俳人の句。この季節にふさわしいものを選んでみた。みなさんの心には、どんな風に映るだろうか。

   ひと待てば 聖夜の玻璃(はり)に 意地もなし
   ひとひとり こころにありて 除夜を過ぐ
   暖炉ぬくし 何を言ひだすかもしれぬ

 
98年12月12日UP

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