犬居城

■犬居城散策


「東海自然歩道」の一部ともなっている犬居城。思っている以上に多くの人が訪れているかもしれない。
今回は秋の曇り空、時折車に当たる雨粒を残念に思いながら、城跡へと向かった。

犬居城は秋葉街道を眼下に望み、また天竜川の支流であろう気田川へも監視の目を光らせることが出来る地に築かれている。

さて城跡へのアクセスであるが、案内版に従って犬居の集落を抜け、国道362号を高架で跨ぎ、登り口にある駐車スペースに車を駐めることもできた。また雲の隙間より陽もさしこんできて幸先の良い雰囲気だ。

城跡は前に記したとおり、東海自然歩道として整備されており、城跡へ向かう道は比較的整備されているといってよいだろう。しかしかなり急峻な登坂が入り口から待ち受けており、今朝方まで降ったと思われる雨によりできた水たまりが少々困惑させられた。

犬居城入り口 中城
犬居城入り口 中城


坂路を登り終えると景色が一変する。大手口だ。城の東側に位置しており、さらに北方面、向かって右側には大きめな「堀切」が横切り、さらにその向こう側には曲輪を確認することができる。「東曲輪」である。木々が被い茂っているが、遺構としてはその名残を垣間見ることが出来る。

西へ坂をさらに登ると正面に「堀切」が現れ、道は左手側である南側へ直角に折れる。そこが「馬出曲輪」もしくは「三の曲輪」と呼ばれている曲輪である。なおこの曲輪の東側には大きな堀が三日月型に築かれている。ちょうど大手口から登ってくる際に左手側の堀がそれだ。

また「三の曲輪」には、物寂しさが漂うが案内版が設置されていることが確認できた。「東海自然歩道」であり、またここが「犬居城趾」であることを示す数少ない案内だ。

これより西側にある曲輪が「本曲輪」となる。さらに坂を登る必要があるが、曲輪毎に高低差が設けられていることにここまで来ると良く分かる。さらに曲輪の周りは堀切が築かれており、防御に関して整備された城跡であることが伺える。

犬居城入り口 中城
犬居城入り口 中城


「本曲輪」は東西に細長く伸びており、北側には一段低い位置に「腰曲輪」が配置されている。また南側から西に向かって被い包む様にして「二の曲輪」が築かれている。この様に各曲輪は、階段上の構造となっている。

この辺りにはちょっとしたベンチが用意されており、ハイキングの者にとっては小休止といった場所だろうか。また「いざ籠城」となった暁には、ちょうど城主が居座ると思われる「本曲輪」。ここで当時の状況を妄想することもありかもしれない。

さて二の曲輪の西端には「物見曲輪」として、ひとつの曲輪が一段高く築かれている。現在ではコンクリートの物見台が設けられ、訪れる人を眼下に広がる景色でもってもてなしてくれている。

なお本曲輪の北にある腰曲輪。ここに足を踏み込み、さらに奥へ向かうと井戸曲輪が設けられているとか。そこへ向かう道は見あたらず、今回は断念してしまった。

木々が生い茂っており、自然歩道の一部であるが故か、城跡であることを主張するものは少なく、前もって知識がなければ何も分からない場所かもしれない。土塁や堀など多くの遺構があることを思えばちょっと残念だ。もう少し木々を少なくし城跡として、訪れる人を楽しませてくれても良いのではと願望を持ってしまった。

 
■犬居城小史

犬居城の築城された時期は不明であるが、承久の乱後に地頭として天野氏が本城としていたとも言われている。戦国時代になると、駿河今川氏を後ろ盾として、北遠江一円に勢力を拡大していた。永禄三(1560)年に今川義元が桶狭間において敗死すると、天野氏は甲斐武田氏へ降り、遠江侵攻時にその案内者として徳川方の諸城を攻めた。この武田氏に与した時代に城の大幅に改修された。天正四年に徳川方により攻められた犬居城は落城し、城方の兵は甲斐へ逃れる。これにより犬居城は主を失い廃城となった。
 
■情報

築城年:????
所在地:静岡県浜松市天竜区
関連武将:天野藤秀



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