声。しゃべり方。
なお、何の勘違いか、田村正和のしゃべり方に似てると言われたことも。
「系」としては、同じ部類か ?
「ひできちゃん、この人の文章、好きでしょう。なんか ひできちゃんの語り口調と同じだもん」と言われたことがある。まぁ確かに好きではあるが。
とはいえ、この人の影響下に今の高橋 秀樹の口調があるのではない。澁澤龍彦に関係なく、元から こうである。
(人格形成の上での影響はないはず。この人の作品は、そういう時期を過ぎてから 伊藤 洋子 の影響で読むようになったので。)
独身時代、女性から「なんか ひできさん を 思い出す」という コメント付で この本を いただいたことがある。
主人公のしゃべり方が、やっぱりそうなんですって。しかも主人公は 作曲家。
「嫌い」ということに対してエネルギーを使わない。
TVに出ている芸能人にしても、嫌いな人っていないんだよね。
せいぜい「別段ありがたくはないが。」てな程度。
なんで 自分と関わりのない人間を嫌えるのかね。そういう人、いるが。
そう言えば音楽も。
ダメなジャンルってないですな。
歌謡曲をバカにしたりもせんし
演歌を嫌ったりもせんし。
攻撃しようと思う特定の人もいないし。
特に好きなものと、まあ好きなものと、どうでもいいものと、
て感じ。そうね。「嫌い」というよりは、「どうでもいい」てことかしら。
「わたしは たいがいのことには 面白がれるぞ。」
と言ったのは、わたしの大好きな友だち・通称 [バクダン先生] だが、
いや座右の銘にしたいようなコトバだね。
そう言えば いつだったか、「あたし趣味うるさいの」と言った女の子がいたが。
「『趣味うるさい』 のではなくて 『趣味が足りない』 のでは ないのかね。」
と思ったことがあったな。
テナガザルのように長い。
身長が飛躍的に伸びた高校時代のちょうどそのとき、器械体操をやってて、ずっと鉄棒にぶら下がっていたため という 説がある。
(高校入学時はクラスでいちばん身長が低かったものだが、卒業時には のっぽ に なった。)
でも、中学の頃に既に腕は長かったような。
(語るに落ちるが、足も長いですぞ。)
デカく また ぴん と 横に張っている。
宇宙人みたい(なんとか博士とかいうキャラクタがいるようだが、それに似ていると言われることがある)。
特に、髪を短くすると その特徴が 際立つ。
細い。タレ目。
糸切り歯がドラキュラ。
細い。上半身の筋肉は薄く、それに比べ不均等に 下半身の筋肉は発達している。
「下半身 美男子」と お呼びください。
チャームポイントは ヒップ・ふともも・足。(笑)
大学時代、2 km の急勾配を含む 片道 10 km を 自転車 で 通学していたことが、大きく影響していよう。
高校時代も、やはり 片道 10 km を 自転車 で 通学していた。
中学も、自転車通学だった。
弱点
その他
「どんな音楽をなさっておられるのですか」とは、最もよく聞かれることのひとつだが、いまだに、ずばりと簡潔に自己紹介できる文言を編み出していない。
「ルンバ以外の全ジャンルを手掛けてま。」と答えることにしていた時期もある。
確かにルムバは まだ (たまたま ?) 作曲したことがなく、それ以外のものなら、たいてい 揃っています (未発表曲・本人の頭の中だけ というのを含めてよいのであれば)。
しかし それでもなお、表現に足りない。
説明の範囲が 既成のジャンルに限定されてしまうという点において。
幅の広さを示すようでいて かえって、実質 より 狭まって受け取らせてしまっていたのだ。
どこにもないもの、誰もやってないこと、既存の音楽シーンのどの延長線上にもない音楽、そんなんも やっている。
そこに重点が置かれるべきかもしれない。
かといって そんなんに限定して やってこう とも 思ってなく、[枠内] のものも作っていたし、それも作る。とにかく、限定して [何] と言えず、限定して [どんな] とも言えず、説明できないのよ。
それにしても、つらつら 観(くわん)ずるところ、
私というもの、作曲家としての存在、姿勢、向かおうとするところ、などなど、
よくよく 特異なんじゃあないのか、と思うことがある。
特に、音楽やってる人たちとは一般に 話が通じないこと通じないこと。
本来いちばん近いはずの母集団がダメで、
演劇だの造形だの他ジャンルの作家たちの方がむしろ、話が合ったりする。
以下、自分が他(一般)と違うと認識する点を、論(あげつら)ってみようと思う。
(以降の文章は、現在、記述の最中です。)
(反) 祈り・遠吠え など
[何か1曲、レコーディングしてみますか。] 1980年代前半の話である。
演奏家の卵たちの間で練習の一環(経験)としてそんな話が出て、
どんなカンジのでもいいから オリジナルの曲を といわれ、書いて提供することになった。
数日後、とりあえず書いたんだけど、と持ってったのだが、そのとき、
「ああ ああ どんなのでも いいですよ、踊れれば。」
と言われ、
「へっ !?」
となった。
そうか、とくにコメントがなければ一般にダンス・ミュージックを指すのか (少なくともロック野郎の間では)
と そのときはじめて 思った次第。
(ある層においては、踊れるかどうか が いい曲かどうか の判断基準らしいよ)
そういえば 確かに [ダンス] という発想は してなかったな。いや、それまで、dance モノ を 書いてなかったワケではない。
しかし、[音楽といえば踊るためのもの] というふうには 思ってなかった。
ときに。
音楽の起源が踊りにあるかどうかは不明だが、発生の極めて初期の段階から結びついていたであろうことは想像できる。
そう思えば、[音楽といえば踊るためのもの] という視点を持ってなかった ということは 我ながら オドロキである。
まあ、[祈祷] とか、いやいやもっとそれ以前に [うなり] とか、そっちの方が もっと古い と考えているけど。
というわけで、私の音楽の根源がドコにあるかと言えば、[踊り] というよりは [祈り] みたいなもの と思われる。
あっ。
わたくし、[ダンス / 踊り] と [舞い] とは、けっこう、区別してるのですよ。
[舞い] とのつながりは、けっこうあると思う。ダンス と 比べて。
([ダンス / 踊り] と [舞い] の違いについては、何かの機会に どこかの page にて 記述の予定。)
(反) [間] の音楽
(反) 唄モノ
とは言っても代表作の1つ [Dolce Vita : ドルチェ・ビタ] は インスト。
なんとなく鼻歌で口ずさんで作る時、特に意識してない場合、変拍子・複合拍子になる。
書く曲ごとに楽器編成が違う。
例えロックなど商業音楽方面のものを書くときでさえ、
ドラムがあってベースがあってギターがあって ... という通常のバンド編成によるものが はたしてどのくらいの割合を占めるやら。
(反) プロジェクト
何かやる度にメンバーは違いますね。
前の項ともダブる話だが、一曲一曲、楽器編成も 演奏人数も ジャンルも 違うようだと、固定したメンバーでの活動は そら ムリですわ。
バンド活動をしようとしたことは折に触れ あったのですが、長期間 続いたことはなかったですね。
[バンド] には、あこがれますね。反面、よう飽きませんね、というふうにも思うのですけど。
「音大を出られたのですか」か「どこの音大を出られたのですか」とか 訊かれることがあるが、出てない。
ピアノを習ったことすらない。
保育園の時、[ヤマハ音楽教室] てのなら、やってた。
そこではピアノではなく、足踏みオルガン。
家にもピアノはなく、オルガンがあるだけであった。
[ヤマハ音楽教室] なんて、すぐ終わっちゃいますからね、
それからはずっと、自分で勝手にオルガンを弾いて過ごす。
ピアノの曲の本をオルガンで弾く。
バイエルも自分で終了させた。すぐ次の段階へ進む。
しかし習っているわけではないですから、滅多に練習曲など やりません。
好きな曲を好きな順番に こなしていった。
ピアノが 88鍵 あるのに比べ、オルガンは 60鍵 (5オクターヴ)、
途中で鍵盤が足りなくなると いきなり オクターヴ 下がって 弾き始めたりして。
大学1年から2年にかけての春休みに、電気ピアノではあるが、生涯で初めてピアノを所有。(親からの仕送りをケチって、パンの耳を 一袋 \50 で スーパーマーケットから買ってそれを食事にして、金貯めて購入。)
まぁその実、演奏もするけど。歌も歌うけど。
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